19
砦は騒然としていた。
当たり前か。
ファールドンから、街の騎士と豪商がやって来たのだから。ベルガモンなど、多少後ろ暗い過去があるものは、一旦は奥に引っ込んでおいてもらおう。
「我が君、私は如何様に対応すればよろしいでしょうか?」
「そうだな、胸を張れ、ジークムント。マジク山賊団は俺が狩った。ここは、街にいられない者たちが集まった流民の里、エルメタール団。お前が頭領、俺は食客だ。行く前に打ち合わせたことと、概ね変わらん。直接見に来るとは思わなかったが、な」
「分かりました。我が君の御心のままに」
まあ、ここまで連れてきた時点で目的はほぼ果たしたと言える。本拠地を明らかにする犯罪集団もあるまい。信用度は充分に高まったことだろう。
アルマーン老たちの待つ応接室に連れだって入る。
「お待たせ致しました、お初にお目もじ致します、ジークムントと申しまする。なにぶん人里離れた辺鄙な土地にて、充分なおもてなしも致しかねますが、ご容赦願います」
自称のフォンは、この際封印だ。今のジークムントにとっては、ルーデンスの爵位にさしたる価値もないため、全く問題はなかった。
「私はジェニス・アルマーン。丁重な歓待、痛み入る」
「ファールドンに並び立つものなき、商家の王、アルマーン商会の御高名は遥か森の奥までも鳴り響いております。縁が重なったことはまこと、幸甚の極み」
なんとも歯が浮くような、美辞麗句の応酬。ジークムントに任せて正解だった。俺には無理だ。いや、本当に正解なのか、分からなくなってきそうだが。
アルマーン老は一言二言返すだけなあたり、応酬でもないか。
アルマーン商会とは違い、砦の応接室は狭い。ローテーブルを挟んで、向かい合わせに座る。ほとんど膝詰め談判だな。
「粗茶ではありましょうが、用意させて頂きました。お楽しみ頂ければ幸いと存じます」
ジークムントの合図と共に、シャナがワゴンを押して入ってきた。ハーブティーからワインまで、一通り揃えてあるようだ。
流れるような美しい礼と共に、音もなく配膳を始めようとするシャナ。その姿に何気なく目をやったアルマーン老の顔に、突然、怒気が立ち上るのが見えた。
今まであった威圧感とは根本的に違う、凄まじいまでの感情の爆発だった。
正直、呆気にとられたと言える。怒りそのものが向いたところで、特に怖いと感じるわけではないが、今までのアルマーン老からは想像できない豹変ぶりに、何はともあれ、驚いた。
そんな俺を、激情の赴くままだろうアルマーン老が睨み付けてくる。
「心縛奴隷を使って良しとするか、見損なったぞ、若造」
その瞬間、シャナが青ざめたのがはっきりと分かった。同時に、ジークムントが抜剣し、アルマーン老に突きつけようとしている。護衛たちがそれを見逃す筈もなく、リックはアルマーン老の体を後ろに引き下げながら楯で守り、ミレイアは抜き打ちにジークムントに突きを放とうとするだろう。
その未来予想図がはっきりと見えた。
「待て!」
予想図の完成に向かって動き続ける皆の中で、一番早く動けるのは俺だ。シャナを怯えさせた得体の知れない何かを、このまま見過ごす訳にはいかない。
突きつけられようとしているジークムントの剣を、俺は握り締めて止めた。
同時の一喝に、どうにか皆が動きを止めてくれる。ジークムント、ごめん、剣を握り潰してしまったみたいだ。指の形に凹んだ剣身を感じる。まあ、それを見て、皆も動きを止めてくれたのかもしれないが。
「ジークムント、どういうことだ」
「申し訳ありませぬ。我が君への侮辱、看過しかねますゆえ」
ジークムントの怒りに満ちた声。この間、唾を吐かれた時といい、ありがたくはあるのだが、少々愛が重い。
あの時と違い、即、斬りかからなかったあたり、分別は残しているのかもしれないが、まあ、結果は同じようなものか。
さて、少なくとも護衛の二人は許してくれないだろうが、アルマーン老はどうだろうか。一瞬の激情は過ぎた筈だが。
表情をうかがえば、やはり、アルマーン老は失言を後悔しているようだった。先程の激情は鳴りを潜め、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
シャナは、何かを諦めたような、悲しげな表情で目を伏せていた。心の中に苛立ちが湧く。
「違う、ジークムント。心縛奴隷とは、何のことだ」
「我が君のお心をお騒がせするものでは御座いませぬ、お気を煩わせませぬよう」
「話せ」
「はい」
このやり取り、アルマーン老たちにはどう映っているだろうか。最初の設定ではジークムントが頭領の筈なのに、俺のことを思いっきり「我が君」と呼んでいるが。
まあ、どうでもいい。それよりも大事なのが、心縛奴隷とはなんであるか、だ。
シャナを悲しませ、アルマーン老の逆鱗に触れた心縛奴隷、碌なものでもなさそうだが。
だが、ジークムントに先んじ、答えてくれたのはアルマーン老だった。
「知らずに使っていたか、心縛奴隷とは、太古の呪い、禁呪のひとつだ。心を縛り、命を縛る術式を心珠に刻む忌まわしき呪い、命を対価に服従を強いるおぞましき古の技よ」
「なんだって?」
呪いと言ったか?
シャナの苦痛に満ちた顔が、全てを肯定しているようだった。
するとなにか?
シャナは、命と心を縛られて、俺の世話をしていたと?
ジークムントがそれを命じていたと?
いや、違うだろう。
今までのシャナやジークムントたちを見ていて、エルメタール団を見ていて、服従を強制していると見るやつがいれば、その眼を抉り出して綺麗に洗ってやる。
そんなことを俺は信じない。
そこには必ず、事情がある筈だ。
「ジークムント、話せ」
「はい、アルマーン氏の言われる通り、シャナは心縛奴隷に御座います。その昔、奴隷商を襲った際に、救い出しました。シャナにかけられた呪いは命を対価とした脅迫ではありますが、心まで縛る力は御座いませぬ。しかしながら、放置すれば死は確実。やむを得ず、所有権を私に帰属させ、今まで永らえさせておりました」
「心縛とはなんだ。命を縛ると言ったな?」
「心縛とはルーデンス草創の叙事詩に多く歌われている、服従か死かを強制する呪いに御座います。定期的に特定の術式に乗っ取った魔力供給を受けなければ、心珠が崩壊して死する呪いです。矜持を守り、拒否すれば死、媚びへつらい仕えても、魔力を貰えなければ死、という心を殺す呪いとして、禁呪となったと聞き及んでおります」
ジークムントの淀みない答え。ここまでの話を聞いてアルマーン老の表情が明らかに変わっていた。
だが、そんなことはどうでも良かった。
「シャナ」
「知られたくは、ありませんでした」
「何故だ」
「今日から、ユウ様の目は変わりましょう。良くも悪くも、変わるでしょう。奴隷と見るか、同情するか、いずれはその目に至るものです。ユウ様なら、私に魔力を下さり、永らえる助けをくださる道を選ぶかとも、僭越ながら夢想しておりました。ですが、そうなれば私は重荷となります。今は軽くとも、いずれ重荷になります。私にはそれが、耐えがたい」
それは、血を吐くような叫びだった。普段の丁寧な口調ではない。心の露呈した言葉と言えた。
だが、同時に、未来を信じられない、諦めきった言葉でもあった。
俺に未来をくれた、魂の置き所をくれた、あのシャナは、自分の未来を持っていなかった。
俺が前に進めているか聞いてくれたシャナは、自分が前に進むことを許されていなかった。
そんなことがあっていいものか?
未来の閉ざされた絶望が、どれ程心を、魂を削るかを、俺はよく知っている筈だった。
一度、心ばかりか命まで、削りきってしまった俺は、よく知っている筈だった。
あの思いを、シャナが抱えていたというのか。
その上で、俺を気遣い、俺を励まし、俺に魂の置き所をくれたというのか。
そんなシャナが、これからも絶望と共に生きていくのか?
知られたくないと言ってくれた俺に、心縛奴隷と気遣われながら?
そんなことが許されるものか?
否だ。
許してたまるか。
誰だ、呪いをかけたやつは。
八つ裂きにしても飽き足らぬ。
「誰が心縛の呪いをかけた」
「襲った時に、既に私が殺しました」
ジークムントが静かに答える。
くそ、この怒りを向ける先はないのか。
呪いを解くすべはないものか。
この呪いを断てないものか。
そうだ、鈴音。お前に斬れないか。
斬線は見えない。斬ることはできない。
だが、本当にそうか?
俺はお前に断てぬものはないと信じてきた。
鬼に逢っては鬼を斬り、神に逢っては神を斬り、仏に逢っては仏を斬る、それがお前ではなかったか。鈴音よ、俺とお前の前に、何の呪いが立ち塞がれようか!
その瞬間、シャナの胸に光る点が見えた。
鞘鳴りはただ一つ。
澄んだ鈴の音が、部屋に響き渡った刹那、シャナの獣の耳と尻尾が、弾けとんだ。