15
帰りは、宵闇の中の強行軍となったが、周辺の警戒を俺が引き受けた分、移動に専心でき、さして問題もなく夜半には砦に到着していた。
五人の女たちは即座にルクアたち、砦の女性陣に任せた。
女性の多さが、今はとてもありがたい。
この状況で、男に出来ることは、何もあるまい。
「ルクアさん、よろしく頼む」
「うん、あたいたちに任せといて。お風呂も沸かすかんね。いい?」
「任せる。必要なものがあれば、ジークムントに言ってくれ。魔珠が必要なら使ってくれて構わない」
「はいな。それにしてもねえ、ユウ様」
「なんだ?」
「ユウちゃんって呼んでいい?」
な、何を言い出すんだ、この人は。
それでなくても夜着姿にローブを羽織っただけの扇情的な格好なのに、そんなに身を寄せられると、胸の谷間が丸見えだ。眼福なのは間違いないが、素直にガン見するのも、弄ばれているようで癪にさわる。
ど、動揺なんてしていないぞ、くそ。
「別に呼び捨てでも構わないが、何でいきなりそんな事を」
「だってねえ、頭領やベルガモンの旦那まで呼び捨てにするユウ様が、あたいにはさん付けなんだもの、もう可愛くって」
「か、からかわないでくれないか」
畜生、舌を噛んだじゃないか。勘弁してくれ。動揺はしていないんだから。
「うふふ、また今度遊びに来てね」
「今度な、また今度!」
「うん」
きっと俺の顔は赤くない筈だ。大丈夫な筈だ。
ふと、ルクアの表情が改まる。
「ありがとうね」
小さくささやくと、ルクアは身を翻して、保護した女たちの方へ向かう。
……全く、かなわないなあ。
ささくれていた気持ちが、いくらか穏やかになっていた。
あまり考えないようにしていたが、あの女たちの惨状は、正直、堪えたと思う。
ある意味予想の範疇ではあったし、充分、想定できるシチュエーションだった。
だが、だからと言って、はいそうですか、と受け入れられるものでもなかったのだ。
帰路、俺が護衛に徹したのは、それが最も安全性が高かったからだが、同時に、俺自身が、直接あの女性たちに触れるのが怖かったからとも言えるだろうと思う。
拭い去れない申し訳なさもあった。
そうなのだ。
申し訳なさがあった。
マジク兄弟の賞金を得た時に、その美味しさと言うか、労力の割りの実入りの良さを味わうことができた。
だから、俺はそこで賞金稼ぎに徹する道もあった。
他の盗賊団の本拠地を、ジークムントは知っていた。俺一人なら、ガラマール盗賊団の全員が相手でも、充分に勝てる。
そうすれば、一週間は早く、女たちは地獄から解放されていただろう。もしかすると、タイミングによっては、攫われることも無かったかもしれない。
そして、それは他の盗賊団でも同じだ。
どこかの盗賊団では、今も酷い目に遭っている誰かがいる筈だ。
俺が、エルメタール団の強化ではなく、盗賊団の殲滅に動いていたら、防げた悲劇もあっただろう。
だから、どうしても申し訳なさを感じずにはいられなかったのだ。
これが傲慢と言われるなら、きっと傲慢なんだろう。この過酷な世界の、全ての悲劇を俺が救える筈もない。
だが、俺の選択によっては、もしかしたら救えたかもしれない悲劇があることを、俺は実感してしまった。
今後、盗賊狩りをしていくにしても、もう既に、一週間分は、出遅れてしまったのだ。
その分、エルメタール団の強化は進んでおり、だからこそ救える悲劇があるかもしれない、と、心のどこかで理性がささやいている。
しかし、目の前の悲劇を救えなかった事実が、俺の心にわだかまっていた。
このやるせない怒りをどうすべきか。
次は一人ででも行こうか、と、そこまで考えていた時だった。
おかしいのではないか?
俺は確かに、女たちの惨状に心を凍らせた。だが今日、人を、俺は初めて殺したのではなかったか?
何故、それに何も感じていない?
これから更に殺そうと考えているのに。
何故、それに何も感じていない?
最初の十二人、次の二十一人。その死に様を思い出す。あまりにも滑らかすぎて、ほとんど無きに等しいものの、確かに斬った、鈴音の手応え。炎に包まれていくいくつもの死体。
だが、いくら考えても、それは事実以外の何物でもなく、達成感こそあれ、忌避感も何も無かった。
本当におかしいぞ。
俺は誰だ?
異世界育ちでも何でもない、ごく普通の、ごく平和な、地球の、日本の片田舎に生まれた高校生ではなかったか?
そうとも、俺は小鳥遊祐。日本人だ。
俺は学んできた筈だ。
俺は教えられてきた筈だ。
殺人は忌むべきものだ、と。
人を傷つけてはなりません、人を殺してはなりません。
仮にその倫理の通じない異世界であったとしても、俺のなかに、その教えは根付いているのではないのか?
小説などでは、例えば手に染み付いた血の跡が取れない、とか言ってずっと手を洗い続けてみたり、死体を前に吐いたり、どうしても殺せないと言って悩んでみたり、といった描写をよく見た覚えがある。
しかし、思い返してみても、鈴音を振るう俺の手に、躊躇いは全く無かったろう。
これはなんだ?
俺は本当に俺のままなのか?
言葉をいじられた時は確かに平気だった。あいつとの思い出を抱えた、俺自身は俺自身のままだと思えたからである。
だが今、それが揺らぐ。
俺は本当に俺のままなのか?
それとも、日本に居た時から、俺はこうだったのだろうか?
人殺しをなんとも思わない、冷血漢だったと?
そんな筈はない。そうは思いたくはない。
俺は人の死を悼むことの出来る、普通の人間だ。その筈だ。
さ迷うように、砦内を歩き始めた俺の足は、その時確かに、ふらついていたと思う。
ジークムントの場合。
「人を殺すのは、悪いことだよな?」
「左様ですな。人殺しが善とは、口が裂けても申せますまい。いかがなされましたか、我が君?」
「ガラマール盗賊団を殺したことをどう思う」
「英断と心得まする。我々の未来にかかる暗雲を晴らす、明日への架け橋に御座いましょう。偉業の戦列に並べましたことは望外の喜び、次なる戦場でも、お命じ下されば先陣をきって、敵の首を我が君の御前に並べて見せましょう」
「うん、頼もしいな。頼りにしている」
「我が君の御心のままに」
いや、分かってはいたよ、分かってはいた。人選ミスと言うべきか、ジークムントに聞くべき問いではなかったな。
次行こう、次。
ベルガモンの場合。
「ガラマール盗賊団を殺したことをどう思う?」
「まあ、たまには轡を並べたこともありますんでね、思うところがないでもありませんがねえ。上に立たれちゃあ、こちらの身が保ちませんやな。やつらが殺る気なら、こちらもそうでないと、勝負にはなりませんわ。ユウ殿の発破で、皆の戦意も高い。おかげさんで、魔珠も充分に頂けています。戦の流れは、今はこちらに向いているでしょうな。戦なんてもんは、先に殴って、殴り続けて、最後まで殴ったもんが勝つもんです。早いうちに、出来るだけ勝ち星を重ねといた方がいいとは思いますよ」
「ああ、次の戦いもすぐに起こすつもりだ。あまり砦の近くから潰していくと、疑って下さいと言うのと変わらん。せめてファールドンを拠点にした賞金稼ぎと思わせないと砦が危ない。ジークムントと謀って、次の獲物を見繕っておいてくれ」
「任しといてくださいや」
「頼んだ」
うん、さすが元傭兵。戦場の論理、なんだろうな。
言ってることは、次の戦いの役には立つが、今の俺にはイマイチだ。
次行こう、次。
イーノックの場合。
「よくは分かりませんですがね。殺さなければ殺されると言いましょうか、黙って待っていて碌な目に遭わないというのは、もうマジクの野郎共で懲り懲りなんですよ。少しでも我を通そうと思うなら、力で上に立つ以外、ないと思いますよ。まあ、やってることは変わらないわけですが、そこのところは、お互い様、というところでしょうね」
まあ、妥当な話か。他の連中も、多かれ少なかれ、似たような意見のようだ。
殺られる前に殺る。
殺人の是非を問うレベルではなかった。殺人は、手段のひとつに過ぎなかったのだ。
俺の倫理観、価値観の方がおかしいのだろうか?
いや、違うな。
この世界では斟酌されにくい価値観というだけだ。
それ自体は仕方がないだろう。日本とは環境も何もかもが違う。世界すら違うのだから。
そこの是非を問うつもりはない。問題は俺自身の内にある。
この世界とは違う、日本の倫理観で育った筈の俺が、殺人に忌避感を持たなかった、そこが問題なのである。
ルクアの場合。
「あらあら、わざわざ様子見に? ユウ様、ありがとね。いちお、休ませたわよ。ちょっとは落ち着いたと思うけどね」
「そうか」
「感謝してたと思うよ、助け出してもらえて。うちなら、酷いことするのは居ないからね、心を休めるにはちょうど良いんじゃないかな」
「感謝、か」
「あたいは感謝してるけどな。サムとトムリを殺してもらえて。ずいぶん気が楽になったもん」
サムとトムリ、か、一瞬誰か分からなかったが、マジク兄弟の名前だったな。
まあ、エルメタール団をいいようにしていた奴らだ、ルクアが安泰だった筈がないよな。改めて聞くと、胸の奥をねじられたような、嫌な感じだ。
そこから解放できたというのは、きっと誇っていいのだろうと思う。狙ってやったことではないが、その意味ではアルマーン老に思うことと変わりはしない。
俺がどうあれ、ルクアの喜びは本物なのだから。
「ユウ様も疲れてない? ここで休んでく?」
年上のくせに、やけに可愛らしく、悪戯っぽい笑みを浮かべて俺の服の裾を摘まんでくる。
ごめんなさい、勘弁してください。
リムの場合。
「人を殺すのは、悪いことだよな?」
「時と場合によると思う」
即答だった。
「問いの意味が分からないけど?」
「うん、なんと言うかガラマール盗賊団を殺したことをどう思う?」
「必要だった。私たちの安全を担保するには、それしかなかった」
まあ、そうなんだけどな。
「殺さなかった時の損と、殺した時の得、差し引きで考えたなら、殺しで得られるものの方が多かったと思う。だから、悪くなかった」
「そうか、そうだよな。ありがとう」
なるほど、リムなりに励ましてくれているのかな?
殺したことが正解だった、と、お陰で得られたものが多かった、と、総じて皆が言っているような気がする。
なるほど、損得で考えればその通りだし、俺自身、殺したこと自体は全く後悔していないと思う。まあ、むしろその事が問題なわけだが。
同じ選択肢を与えられたら、次も同じ事をするだろう自信がある。だから、殺しの是非はもはや問題ではなかった。
問題は、殺しを受け入れようとしている、俺の中にこそ、あった。
明け方まではまだ少し、時間がかかる頃合い、俺は部屋に戻っていた。
ソファーに深く身を沈める。まだ重装モードのままであり、下手をすればソファーが保たないかもしれないが、構いはしない、そう思っていた。
ふと、横に人の気配。
音もなくそばに控え、彼女はそっと、お茶を出してくれた。
「まだ、起きていたのか」
「はい」
一言応えたシャナは、一歩下がってソファーの隅に腰を下ろす。胸元にお盆を抱いて背筋を伸ばし、静かに控えていた。
一口、お茶をすすって、驚く。
ふわりと漂う、ミントのような香り。
眉間に籠っていた重苦しさが、ほどけていくような気がした。
「いつもと違うな」
「お悩みのようでしたので、香草を混ぜております。気持ちを落ち着けると言われておりますもので」
「ありがとう、自分では落ち着いているつもりだったが、随分と肩に力が入っていたようだ。助かった」
うん、本当に助かった。
しかし、目敏いと言うべきか、それとも、よほど悩んでいる顔でもしていたか。
ただ、純粋に気遣ってくれたことが、嬉しかった。
そうだ、出陣前の話を思い返せば、シャナは他の誰とも違うフラットな視点を持っていた。
彼女なら、どう答えてくれるだろうか?
一旦そう思い始めると、もう止められなかった。
「シャナ、聞いてくれるか」