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令和初投稿です。
今後ともよろしくお願いいたします。
「それにしても暑いな」
心臓に守られ重装モードの太郎丸に包まれていればもちろん苦痛を感じるようなことはない。
リストのジャングルがどれだけ頑張ったところでエスト山脈の過酷な環境を上回る筈もないだろう。俺たちの守りを突破できる訳がなかった。
それでもかなりの蒸し暑さだ。不快であることははっきり分かる。
ただルーデンス並みに重厚な甲冑に見えるのは太郎丸くらいだ。
凛は狩衣姿で涼しげな風情だし、最低限の身の回りの世話ということで凛について来た女中たちも和装でありそこまで暑そうではない。
同行している縹局の戦士団は夜明けの風の部隊だ。重装備とは無縁の元馬賊たち。彼らもまたそんなに辛そうではなかった。
もっとも乾燥した草原に暮らしていたサルディニア人である。湿度の高さには幾分閉口しているようだったが。
まあそんなわけで暑いと言っても誰も愚痴をこぼすほどでもなかったわけだ。
道中の苦労は、実はそのあとに待っていた。
なにが辛いかと言えば繁茂した熱帯の植物群だったのである。
定期的に伐採団が動いているらしいがジャングルの生育スピードはかなり早く、油断すると街道まで覆い尽くされることも珍しくないとか。
普通の隊商ならともかく大型の高速馬車が抜けるには木々の張り出しが邪魔な地点も幾つかあり、その都度伐採しての街道整備が必要な分、移動スピードにはかなりのロスが出ているようだった。いや、さほど焦った様子はないし折り込み済みなのかもしれないが。
慣れない林業に駆り出された馬の民は随分と困惑した様子である。俺たちにお鉢が回ってくればまあ、どれだけ太い樹だろうとも一撃で斬り倒してやるんだがなあ。
最初の違和感を感じたのはそんな伐採待ちの小休止中のことだった。
その日も相変わらず鬱蒼と繁った樹々に包まれていた。
思い出したかのように霧雨が降ったり、かと思えばスコールの如く土砂降ったりと、空模様は湿度の供給に余念がない。結果、蒸し暑さは加速し昼間でもうっすらと霧に包まれることも珍しくないわけだ。
そう、まさに今のように。
その霧の中から、ふと誰かに見られたような気がした。
気のせいかどうか迷うほどのほんの僅かな一瞬の視線。正直、嫌な気分だった。気にならなかったと言えば嘘になる。
だが、鈴音が反応していなかった。
隣にいる凛にも変わった様子は見られない。
鈴音の感じている気配からすると凛の女中たちも特に変な動きはしていないようだ。
何故それを気にするかと言えばだ。実は凛の女中たちは護衛も兼ねて全員くの一なのである。
隊列を組みながら誰にも気付かれないよう抜け出して先行偵察や周辺警戒にあたり、何食わぬ顔でいつの間にか戻ってきていたりなど日常茶飯事だし、それをリスト勢に全く悟らせずにやってのけているのだからまあ恐らく華桑の最精鋭の部隊なのだろう。
いや、そりゃ皇后陛下の側仕えである。華桑がそこの手を抜く筈がない。
タントの隠密騎士たちの時と同様、俺自身に彼女らの動きはさっぱりわからない。それでも鈴音は全てを捉えていた。
そう、俺に気付けないことがあっても、鈴音なら気が付く。
これは確信だ。俺とあいつの絶対の信頼だ。
それに比べれば俺の気のせいなど錯覚ですらないだろう。気の迷いと言ってもいい。
それでも。
「鈴音、少し手伝ってくれ」
誰にも断らずいきなり高速馬車の屋根に上がる。
リスト勢は怪訝そうにこちらを見ているがまあ、うちの身内連中は慣れたものだよな。
全員ごく自然に警戒態勢に移行していく。
それらを意識から閉め出して、俺は目を閉じた。
感じるのは手の中の鈴音だけ。
鈴音の教えてくれる情報を絶対に取り零さないように集中しながら全周囲にゆっくりと風を送る。
歪な気配は何もなく、ゆったりと押し流される霧が形を変える様子すら把握しながらも、鈴音に感じられる異変はなにもなかった。
ふむ、やはり気のせいだったか。
「何かあったか?」
屋根から降りると軽く凛が尋ねてきた。
なんでもないことのように、ごく自然体で。
「ああ、誰かに見られたような気がしたんだ。気のせいだったみたいだけど」
「気のせい?」
「鈴音がな、感じてないんだ」
「……そうなんだね。分かった、気を付けておく」
「気のせいだと思うぞ?」
「うん、そうかもしれないね」
それでも凛はにっこり笑い。
「だったらあとで笑い話になるよ」
鈴音ではなく俺を、信じてくれたのだった。
あれから数日、視線を感じることはなかった。やはり気のせいだったと片付けたくなるほどだ。
だが、なにかに包まれているような、なにかがまとわりついているような違和感はそのあとも何度か続き、俺の気分はずっと落ち着かない。
得体の知れないモヤモヤだ。吹っ飛ばせるものならどれほど楽だろうか?
テンションがおかしくなるのも許してほしい。凛の色香に迷っている間は憂さを忘れられるしな。
そしてそれは破滅フラグだ。
あらゆる作品で物語の主人公たちが失敗の連鎖に陥る最初の一歩だ。
だから俺は、本気で向き合わなければならない。この違和感に立ち向かわなければならない。
幸いテルマエは貸し切りである。部外者の邪魔が入る心配はないし、むしろ入ってきたならそいつが犯人の可能性すらある。護衛だ手続きだと忙殺されることもなく久し振りのゆっくりした時間だった。
まあ、温泉旅行である。本当なら今こそリラックスしてしかるべきだったわけで。そこで難しく考えている段階で腹立たしくはあるわな。
これで本当に気のせいだったら泣けるぞ。
まあいい。まずは検証だ。
この落ち着かなさはいつでもあるわけではなかった。
だとしたら発生条件に共通項はないか?
いつ、どんな時にこの違和感はあった?
……駄目だ。
そもそも俺たちは移動中だ。場所の特定など出来る筈がないし元々初めて来る土地でもある。こんな雲をつかむような話で共通項など見つかるとは思えなかった。
仮に出来たとしても、そのためには膨大な労力と時間が必要になるだろう。そんなことに割くリソースがあるならもっと有意義に使った方が良い。
よし、犯人探しはもうやめだ。
その代わりに手段を考えてみよう。
そうとも、逆に考えるんだ。
相手に悟られずに観察する方法、それにはどんなものがあった?
俺には最強の知識チート、日本のサブカルチャーがついている。さあ、検証開始だ。
とりあえず最初に視線を感じたような気がする。あの時すぐに反応したのは失敗だったかもしれないな。あれ以降視線は感じない。
だとしたら隠蔽されている可能性が出てくるよなあ。鈴音に悟らせない隠蔽とか考えにくいけど。
ともかく遠隔視として仮定してみよう。
いや、ダメだな。仮定は多分それこそ山ほど出来るだろうけどそれを検証する手段がない。
アプローチ方法を変えよう。
問題はどこにある?
問題は俺が感じているのに鈴音が反応していないことだ。
今までそんなケースが……あったな。
一番に思い出されるのはリムの里帰りだ。
あの時大和の呼び声を、俺は鈴音より先に感じ取った。
あれは魂の繋がりと呼べるだろうか?
俺の中の銀狼の血肉、それと大和との繋がりと。
だが、魂と言うなら魔珠の方こそ魂の残滓と言えるだろう。それは俺の中には無い。その繋がりはリムとの間にこそ成立する筈だ。
では何を感じ取ったのだろうか?
正直、さっぱり分からん。これは保留だな。ただ、キーにはなりそうだ。
では、次だ。
鈴音が気付かないもの、か。
鈴音が斬ろうとしないもの、と考えれば槙野忠輝だ。これはあまりにも自然すぎて鈴音が認識できないパターンだったな。云わば達人すぎて木石に見紛う、と。
だが、俺が気付けるかと言えばもっとダメダメだろう。これは論外だ。
俺たちに気付かれないよう策を弄するのはタントだがこの際関係ないか。ヴォイドからもそれらしい警告はないしな。
さあて、手詰まり感が漂ってきたぞ。
っと、しまった、湯船で考え込みすぎてたな。凛は大丈夫か?
のぼせる前にちゃんと上がってくれてるといいんだが。
考え込むのを一旦やめて意識を凛に向ける。
その俺の目の前を、湯桶に浸かったハクがぷかぷかと漂っていた。
……ハクだ。
その瞬間、なにか稲妻に打たれたような気がした。
ハク、白竜の残滓であり風使いの祖。根源法。神珠。俺にあって鈴音に無いもの。
あの竜は一番最初、俺たちに向かってなんと言っていた?
見ていたぞ、強き魂よ。
そうだ、確かにそう言っていた。
そしてそれは証明する。
俺も鈴音も、その視線には気づけなかったのだ。
あの時の俺と今の俺との違い、それは俺の中に神珠があるかないかだ。
自然に近しい力を鈴音は認識しにくい。つまり、根源法を鈴音は知覚しにくいと考えられる。
翻って俺なら、俺自身が気付かなくても神珠が反応することがあり得るのではないか?
根源法を通して俺を見ているとしたら?
その媒介はなんだ?
根源法は地水火風。
最初に視線を感じた時、俺たちは霧に包まれていた。
そして今、俺たちは湯気に包まれている。湯に身を浸している。
水だ。共通項は水だ。
水を通して俺を見ている。水、ラウィット、白銀の森。
……タントだ。
新作投稿しています。
もし良ければ祐の物語共々、そちらもよろしくお願いいたします。
新作タイトル
World Walker ~ゲームプロデューサーに惚れ込んだKATANA遣いは公式チートで無双する~
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