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平成最後に何とか間に合いました。
「ああ、いいお湯だね」
美しいタイルの散りばめられた巨大な浴槽に半身を沈めながら、凛が感嘆の溜め息をつく。
湯気に煙る空気を透かせば遥か高い天井が見えていた。凝った彫刻の施された太い柱や壁、広々とした空間が俺たちを包んでいる。
「……ああ、そうだな」
艶やかに紅く染まった頬で満足げな吐息をつく凛の姿はどう控えめに言っても色っぽいと言う他ない。
艶やかに笑いながら、それでいて少し恥ずかしげに身をくねらせる様も俺の心をがっしりと鷲掴みにして放さない。
その姿は白く濁った湯船に身を浸しているとはいえ全裸ではなかった。だが、ガウンのような襦袢のような簡素な湯着は、薄いわ透けるわ張り付くわ、とまあ、なんとも筆舌に尽くしがたくかえって扇情的で眼福なことこの上ない。
そうだ。これ以上の何を望むというんだ。
この世の楽園がここにあると言っても過言ではない筈だ。
そうとも、非常に満足している。愛する妻と混浴温泉、盛大に爆発でもしなければ申し訳ないくらいだ。
であるにも関わらず。
俺の中には何処かコレジャナイ感が漂っていた。
華桑を発ってからおおよそ半月ほどだろうか。
ギルニーたちを無事にギルニー領都まで送り届け後始末を縹局のメンバーに丸投げしてから、俺たちはそのままギルニー本人のもてなしを受けてリスト王室の保養所、カリスト火山の温泉地に来ていた。
最上級のもてなしを、と言ってくれていたが王家の施設そのものを貸し切りにしてくれるとは、ギルニーも、いや、リスト自体も国を挙げてかなりの大盤振る舞いをしてくれたものだ。
これは例えて言うなら愛媛松山にある道後温泉、その温泉施設の貸し切りどころか普段は閉鎖されていて見学しかできない皇室専用の施設を使わせてもらっているようなものなのだろう。
いやはや、考えてみれば畏れ多い話なんじゃないか?
まあ、遠慮なく寛いでいるけど。
凛本人も言ってしまえばリスト王家より歴史の古い華桑槙野家姫君だ。のびのびと、全く萎縮などしていなかった。
それにしてもコレジャナイ感か。
思えば最初に話を聞いた時に俺の感覚が華桑に染まりすぎていたんだろうな。
風情のあるひなびた温泉旅館で露天の岩風呂につかるイメージを勝手に持ってしまっていたんだ。
リストの施設である。和風建築の筈がないじゃないか。
そうなのだ。
俺たちのいるこの施設、一見すると浴室よりもプールを連想してしまうような巨大施設は、どちらかと言えば古代ローマのテルマエにそっくりだった。
細部の違いなど全く分からないがヨーロッパの古代史番組で観たイメージそのままである。敢えて違うと言うなら湯が加熱式ではなく源泉かけ流しであるというところか。
床下に加熱パイプを通していないためフロアは熱すぎることもなくサンダル不要で歩き回れる。
うーむ、こう言うとテルマエよりもスーパー銭湯に近いのか?
まあ、どうせくそローザが中途半端に模倣したものな訳だろう。どっち付かずなのもある意味当然か。
乳白色に濁った泥湯は地球では確か美肌効果を宣伝していたものだが、こちらではどうなんだろうな。
凛がますます美人になるとか、参っちゃうね。
「うむ、お主本気で爆発すべきだの」
湯船に浮かべた湯桶につかりながらハクが呆れたように突っ込みを入れてくる。いや、まあ分かっているよ。テンションがおかしいのも重々承知している。
ここに来てなにかずっと落ち着かないんだ。凛との新婚旅行に浮わついていると言われてしまえばそれまでなんだがなあ。ただ今更とも思えるが。
ともあれ、和風なら和風の、テルマエならテルマエの、それぞれの楽しみ方があるのだろう。
凛にしてみれば温泉そのものが初体験であり、心の底から楽しんでいる気持ちが伝わってくる。先入観なく純粋に楽しめているわけだよな。
なんだかんだ言いながら俺は相変わらず地球時代の知識や風習に引きずられているままだ。郷愁と言えば、これこそが俺の郷愁なのかもしれないな。
よし、仕切り直すか。
リスト入りは10日前のことだった。
華桑からルーデンスの船に便乗し、ルーデンス王都でのレセプションと首脳会談を経てローザ・リー河河口の港湾都市レパルスに着いたのは華桑を発って3日後だ。
レセプションの対象はもちろんギルニーたちリストの重鎮であり縹局は無関係である。同席を打診されたが謹んでご辞退申し上げさせていただいた。
少しだけ王都の街並みを観光したのだが、ずっとブラウゼルがついてきたのはまあ、多分お目付け役だったのだろうな。
むしろ案内役として扱き使った記憶しかないが。
まあ護衛任務はまだ始まっていない。やつ共々ちょっとした休暇気分で遊んだようなものだ。
ルーデンス王家の船を降りたレパルスから先が縹局に依頼された護衛ルートでありここからが本番な訳だが、さすがリストの大貴族、高速馬車の車列を並べてくれておりなかなかに壮観な眺めだった。
いや、どう考えても俺たちの護衛要らんだろ。
そこからリストとの国境線、南北に走るハル山脈を目指したのだがエスト山脈に比べればまるで丘かと思うほどになだらかな稜線が見えている。
その中でも特になだらかな斜面の上を東西に街道が貫通しており、その峠に二つの要塞が築かれていた。
ほぼ向かい合わせと言ってもいいほどに隣接した要塞は双方大規模で、お互い要塞都市と呼べそうなほどだ。まるで冗談みたいな構造だよな。なんのために作ったのか、正直意味がわからん。
入って初めて分かったのだが、要塞を貫通する街道上、双方の要塞を繋ぐ門も全開になっていたのである。
山の斜面の西側がルーデンス領であり要塞都市エレス。東側はリスト領で要塞都市ガボン。
間を行き交う人波に途切れる気配はなく、どう考えても防衛拠点というより流通の要衝にしか見えない。
いや、もう一つでいいじゃん。
まあ、ここがこういう形になるに当たってどんな歴史的物語があったのかは分からないんだけどな。
もしかしたらルーデンスやリスト以前の先史時代、因縁はそこまで遡りそうな気もするけれども。
というのもガボン側の城壁や施設がやたら古びていたのだ。なんとなればルーデンス王都で見た旧市街の街並み以上に、である。
ラハル絡み、でも驚きはしないぞ。
まあ、歴史はどうあれ戦争の象徴にもなりうる要塞都市が商業都市として栄えているのはきっと素晴らしいことなのだろう。戦争どころか友好国、平和の象徴とさえ言えそうだからな。
もしも今後真相について聞くとしたら、まあ機会があればフェルク・ハートマンを問い詰めてみることにしよう。そんな必要など無さそうだけれども。
そしてガボンにおいて。
まず第一に稜線を越えた瞬間、まず感じたのは暑さだった。
いや、ちょっと待て、なんの境界線だよ。
あまりにも不自然なのにそれが当たり前になっている。
そう思って思い返してみればタントにせよサルディニアにせよ、自然の要衝による境界こそあったが距離のわりには極端に環境が変わっていた。
過去の滅びの獣や重鉄姫の戦いによる後遺症かもしれないが、だとしたらここも古戦場なのか?
くそローザが要らんことをしただけのような気もしてきたぞ。SFでよく見た設定としては一つの狭い空間に多様な気候や地理条件をぶっ込んで環境試験場にするとかがあったけど、ルーデンス大陸自体がそうなのかもしれん。
まあローザ自身が滅びを回避するために試行錯誤したと言っていたし、おかしくはないのかもしれないけどな。
まあなんにせよ現地の住人たちにとってはこれこそが日常な訳で。
ガボンに入ったリスト勢がまず最初にしたことは装備の変更だった。
ルーデンス仕様の重厚な金属甲冑から国内仕様の軽くて涼しそうな皮革甲冑に。いや、よく見たら竹のような蔓のような植物素材も多用されているか?
ともあれ重装モードから軽装モードに切り替えたくらいには見た目に大きく変化した。かといって露出が増えるわけでもなかったのだが。
暑さ対策をしっかりしているわりに手足の露出は極限まで少ない。道行く人々を眺めてもビキニアーマーなど誰も着てはいなかった。
その理由を俺たちはすぐに知ることになる。
まあ端的に言えば。
国境のでかい要塞を抜けるとジャングルであった。朝の風が白く靄った。衛兵詰所を馬車が過ぎた。
まあ、そんな感じだったわけだ。
新作投稿しています。
もし良ければ祐の物語共々、そちらもよろしくお願いいたします。
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