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久し振りのヒノモトは、騒然としていた。
いや、町そのものではなく、縹局本部が、という意味だけど。
「どうしたんだ、えらく騒がしいじゃないか」
「おお、これは我が君、無事の御帰還、重畳に御座います」
「これは局長、お帰りは数日は後かと考えておりました。お帰りなさいませ」
「この後の予定が大きく変わりそうでな。その打ち合わせに少しだけ戻ってきた」
会議室と言おうか、縹局の本部中央、円卓の間の扉をいきなり開け放てば、留守居役のメンバーが総出で出迎えてくれた。
いや、平常運転なのはジークムントとヴォイドだけで、ベルガモンとか他のメンバーは驚いているばかりだけど。
ツェグンはいないな。何か依頼でも入ったかな?
そして、やたら萎れているのが風の谷のメンバーたちだ。
「どうした、ザイオン。何かやらかしたか」
中でも一番しょげかえっているのは、普段は暑苦しいくらいに自信に溢れていた筈のザイオンだった。
俺の顔を見るや否や、一瞬怯んだような表情を浮かべる。
だが、腹を括ったか、すぐに気を取り直して俺に向き直ってきた。
「局長、申し訳ありません」
「いや、謝るのはあとでいい。何があった。まずはそれを話せ」
まあ、内容如何によっては、本当に謝る必要があるかどうかも分からんしな。
「輸送依頼に失敗しました」
「ほう」
あらあら、完遂を条件とした特別依頼に失敗したか。
ザイオンはおつむは残念だが、強力な加護を持った優秀な戦士である。うちの稼ぎ頭として特別依頼の主要メンバーに名を連ねていた。
まあ、筆頭はリムだし、ドルコンたち奉竜兵団の方が実績は上なんだけどな。
それでも、こいつが失敗したとなると余程の相手が出てきたか。そう簡単に崩せるザイオンではないぞ?
「賠償金を請求に、今も押し掛けてきていまして……」
「いや、払えよ。失敗したんだろ? 契約通りじゃないのか」
特別依頼を設定するに当たって、ほとんどいないとは言え僅かながらに存在する同業他社との差別化を図るために導入したのが賠償契約である。
前例など無く、当初はほぼ全員から反対されたといううち独自の契約だ。
古代中国に実在した縹局にも輸送に当たっては賠償金の設定があったらしいから、俺としては導入すべきだと押しきって今に至る。
まあ、運用のために実際に参考にしたのは郵便局の書留なんだけどな。
「それが、その……どうにも納得出来んのです」
絞り出すような悔しげな声。
む、何があったのかな?
「ここからは私が」
言葉に詰まるザイオンに代わり、ヴォイドが説明を引き継ぐ。
その要点を掻い摘めば、貴重な品を運ぶという依頼で梱包を確認してからザイオンが荷を預かった。当初荷物に異常はなく、ザイオン自身もきっちりと丁寧に運びきった筈だった。にもかかわらず壊れていたとクレームが入ったということのようだ。
ザイオンにしてみれば、壊した筈がない、と。
だが実際に品は壊れていた、というわけだな。
考え付くことが幾つか無いではないが、それでもまあ実際に壊れていたというなら、過失はこちらにあるとなってしまうのだろう。
「ところが、確かに怪しい点がなくもないのです」
「ふむ、聞こうか」
「ザイオンが荷を格納した収納袋の魔法回路は、ニーア女史の手になるものです。曲がりなりにも学院の魔女が手掛けた逸品、保管の安全性はかなり高いと考えてよろしいかと」
「ま、確かにな。だとしたら、問題が起きるとすれば受け取り前と、受け渡しの時以外は考えられない。心当たりでもあるか? 可能性としては、すり替えられた、くらいしか思い付かんが……あるんだな」
皆まで言う必要もなかった。
言葉の途中のザイオンの表情が全てを物語っていたのである。
「先程報告を受けましたが、梱包中に目を離した時間がある、ということです」
あー、こりゃやられたかな?
「相手はこれまで何度も縹局を利用しており、こちらとしても懇意にしている感覚であったのは否めません。品の確認後、梱包を待つ間、饗応を受けていたようで」
なるほど、こりゃ言い訳は出来んぞ。相手はまだグレーではあるが、印象としてはかなり黒くなってきたな。
「局長、申し訳ありません。俺の油断で竜狼会の名に傷を……」
「ふむ、確かに油断だよな。だけどな、なんで竜狼会の名に傷がついたことになってるんだ?」
「え、いえ、だって依頼に失敗してしまって……」
「何を言っているんだ。失敗は普通にあり得る話だ。完遂が理想とはいえ絶対はあり得ん。だからこその賠償契約だろう?」
「そ、それはそうかもしれませんが、原因は油断です。油断で縹局に損害を出してしまうなんて」
「あー、それな。いや、別に損害はないから」
「は?」
おお、鳩が豆鉄砲食らったような顔だな。
「これはカルナックあたりの方が上手く説明できるんだろうが、賠償金は、払うことが有り得る、という前提で既に別に取り分けてあるんだ。払ったところで決算としては予定内。損害にはならないんだとよ」
俺自身は賠償契約を入れるべき、と主張しただけで、それを実際に形にしたのはカルナックとアルマーン老だ。商売と経済の専門家二人が言うんだから、まあ、問題はあるまい。
「え、いやいや、でも、やっぱり賠償なんて縹局に傷をつけてしまうじゃないですか」
「勘違いするなよ。賠償金を払ってつく傷なんてない。傷がつくのは、払うべき賠償金を踏み倒した時だ」
クレームへの初期対応を誤って炎上した企業なんて山ほどあったよな。大企業でも経営が傾いたりしていた。
最初っから誠意をもって頭を下げた企業ほど、イメージ回復は早かった。いや、むしろイメージアップ出来ていた。
「う、そ、それでも、やはり失敗は失敗です。どんな罰でも受けます」
「お前なあ」
なんだこのくそ真面目さは。いや、違うか。してやられたプライドが、その悔しさが行き場を見失ってるんだろうな。
自分を罰さずにはいられないのか。
「もし相手が騙していないのなら、するべき事は何故品が壊れたかの検証だ。原因によってはお前のせいじゃないかもしれんだろ。そしてもし相手が騙しに来ているというのなら、悪いのは騙している奴であってお前じゃない。謝るには早すぎるんだよ」
「そうは言われましても……」
次の瞬間、ゴツッと鈍い音が響いた。なんだ、この既視感は。
見れば、ジークムントが鞘ごと抜いた剣をかざしていた。
「くどい。我が君の言葉を容れずしてただ罰を望むなら、それは自己満足であって我が君の御為ではない。我が君は、謝るにはまだ早いと仰せだ」
あっはっは。ありがとう、ジークムント。
こっちはこれでケリがつくかな。まあ、まだごねるようなら、ジークムントがもう一発、やってくれるだろう。
「さて、ちょっと見てくるよ。あんまり待たせるのも悪いだろ?」
ジークムントとヴォイドがすぐに応じて俺に頭を下げる。この二人が見送る体裁だと、みんなそんな雰囲気に呑まれちまうなあ。
それはそれで問題かもな。
そう思いながら応接室に向かう。
「お待たせした。縹局、竜狼会局長、小鳥遊祐だ」
扉を開けて名乗った途端、ソファーから壮年の男が飛び上がった。
なんという狼狽えぶり。
「ま、まさか局長自らとは……。確か王都方面へお出掛けというお話だったのでは?」
「ローザ山だ。先程戻ったばかりだよ」
「そ、そうであられたか」
定まらない視線に背中にびっしょりと冷や汗。これを見るだけでも、黒っぽいよなあ。鈴音の目は誤魔化せないぞ?
まあ、いい。先手を取るか。
「この度は依頼を果たせずご迷惑をお掛けした。局長として謝罪する」
一度きっちりと頭を下げて見せれば、あからさまにホッとした様子が伝わってきた。
俺の目線は下だが、鈴音に強化された感覚ごしに表情の変化までよく見える。
「局長殿御自ら謝罪頂けるとは思っておりませなんだ。その、それで、賠償金はお支払いただけるのでしょうな?」
「もちろん、それが契約だ。取り交わした契約の通り、賠償金はお支払する」
「そ、そうですか。いや、安心しましたぞ。今回は残念な結果となりましたが、今後ともよいお付き合いをさせていただきたいものですな」
「ああ、異存はない。良い付き合いなら、こちらからお願いしたいくらいだ」
良い、付き合いならな。
俺が頭を下げていると思って油断したのだろう。
賠償金を払うといった瞬間、こいつは確かにニヤリと笑った。
詰めが甘いぞ。最後まで表情には出すなよな。
「では、手続きを進めさせてもらおう。あとはうちのヴォイドが引き継ぐ」
「分かりました。いや、局長殿御自らおいでいただけるとは光栄でした。今後ともよろしくお願い致しますぞ」
「ああ、では失礼する」
廊下に出れば、そこにはヴォイドが待っていてくれていた。
「局長のお察しの通りかと」
「うん。月の雫に誘い込めそうか?」
「常連客であると確認済みです」
なんだ。じゃあ最初から黒だと分かっていたようなものじゃないか。
「よし、ならまずはきっちりと謝罪して賠償金を規定通り、耳を揃えて払うんだ」
「はい、ではそのように」
頬に酷薄な笑みを浮かべながら、ヴォイドが一礼してくれる。
ふふん、俺もきっと、悪い顔になっているんだろうな。
相手の末路を想像しながら、円卓に戻る。
「ユウは悪辣」
リムの声が、聞こえたような気がした。