160
夜。
俺と凛は本丸にいた。
最初に通された大広間だが、今は次の間への襖が閉めきられており、いささかこじんまりとした謁見の間、といった体に見える。
俺たちの前には、槙野忠輝を筆頭に十五人の壮年の男たち。中には山元竜義の姿もある。
まあ、要は全藩主が揃い踏み、ということだな。
そして、彼らは俺を上座に置き、今、平伏していた。
「あー、顔をあげてくれないか」
「はっ」
全員、平伏からさらに一瞬畏まると、ゆっくりと顔をあげる。
それでも、正座して畳に拳をつき、真っ直ぐにはなってくれない。
むう、重たいなあ。
「そんなに畏まらないでくれ。あなた方が扶桑の血を尊んでくれていることは、理解しているつもりだ。それでも、俺自身はまだ何も出来ていない。血だけじゃない、俺自身も惜しんでもらいたい。俺はそう願っているんだが……」
ああ、前に凛や橘相手にも同じようなことを言ったよなあ。
こうなるのは分かっていたのに、俺も進歩がないものだ。
城の裏手、婚儀の舞台は静まり返っているが、喧騒は城下に移動していた。
俺たちは抜きだが、華桑の庶民にとっては祭りはまだまだこれから。聞いたところによると夜通し騒ぐ予定らしい。
下手に立場がない分、あちらの方がよほど素直に俺を歓迎してくれてるんじゃなかろうか。
「恐れながら申し上げる」
お、藩主の一人が声をあげた。
槙野忠輝の了解を得たりはしていない。対等とまでは言わないが、発言を認める裁量は俺にあるだけで、藩主同士の上下関係はさほど堅苦しくはないようだ。
これはやはりあれか。
槙野家はあくまで代表なだけで、君主として上に立ってはいないからなんだろうな。
こいつは確か、金剛藩主だったか。式の前に、一応全員の自己紹介は受けているんだが、流石に覚えきれてはいない。
カンペを見れば正確に分かるんだけど、名前は谷森助右衛門だった筈。
金剛藩はモス・ロンカ国内の藩だったな。
「うん、聞こう」
「長年に渡りモス・ロンカと対峙して参った金剛藩主として申し上げる。口ばかり達者なかの国の司教を相手に、主上の弁舌の苛烈にして果断なること、他に並び立つもの無しと敬服つかまつり申した。主と仰ぎ見るに些かの不足もあり申さん」
「む、そうだったか」
あらまあ。
司教をボコったのが思ったよりも高評価だったか。
確かにあの司教、論旨のすり替えは上手だったよな。弁護士もののドラマとか観てたらもっと口が達者なやつがうじゃうじゃいるから、そんなに脅威でもなかったが、むう、これも俺の戦闘経験か。
続いて口を開いたのは、よく見知った顔だった。
まあ、要は竜胆藩の山元竜義なわけだが。
「竜に認められた御方を、血のみで尊ぶと思われますのは甚だ心外に御座います」
「ははっ、そりゃそうか。竜胆としてはそうなるよな」
笑みを湛えた言葉。
なるほど、これは分からなくもない。
彼らは俺を扶桑人として以前に、竜神として尊重してくれていた。付き合いも一番長い。
ただの華桑人のガキ扱いだった頃から、アプローチされていたもんなあ。
「タント、白浪藩主、白木宗直に御座る。タント王光騎士団をあしらい、隠密どもを討ち果たされた御活躍は我が藩中に轟いておりまする」
「サルディニア辺境天草藩主、本堂甲四郎。御身がサルディニア王の器たるとのお噂は、ソール族のハイラル氏よりかねがね伺っておりました」
つ、次から次へと。
ヤバい、照れるぜ。と言うよりも、思ったよりも俺の噂というか、知名度が広がりまくっているんだな。
ハイラルと言えば、初対面なのに何となく俺のことを知った風だったが、なるほど、こんな繋がりだったとは。
そして、最後に槙野忠輝が言葉を引き継ぐ。
「ルーデンスの賢王、リストの大宰相を相手の見事なる立ち回り、そして何より、我らが父祖の戦友であられる重鉄姫乗り、フェルク・ハートマン殿に一目置かれたること、これらを思えば、御身は我らが扶桑の血を引くことを誇りに思わせて下さいます。僅かなりとも主上と同じ血が流れることが、我ら華桑の誇りと思えるのです」
「……分かった。そう思って貰えているというのがよく分かった。有り難いと思う、本当に」
参ったね。これはもう、逃げようがない。まあ、逃げる気もなかったけど。
そこまで言われれば、俺ももう、覚悟を決めるしかない。
「凛からも聞いたが、あなた方の望みは、この地に扶桑正統の王朝を建てること、それでいいか?」
「いかにも、それが叶いましたら望外の喜びに御座います」
「ならば、俺は俺の中の扶桑純血をもって、この地に王朝を建てよう。華桑皇とでも名乗ろうか。俺はまだまだ若輩だが、皇として認めてもらえるか」
「異存など、あろう筈も御座いません」
間髪を入れない返答。
それだけの期待の表れと見るべきか。
とはいえ、このまま皇の座に収まってしまったら縹局を捨てることになってしまう。凛とも話した通り、これは俺の本意ではない。
さて、俺の提案は、受け入れてもらえるだろうか?
いや、まあ受け入れてもらえなければ本気で困るんだが。
「さりとて、俺は統治とは無縁として生きてきたし、これまで千年積み重ねてきた華桑の歴史を思えば、いきなり出てきた俺が瑕疵無く統治が出来るとは思えない。他国との関係一つ取っても、な。新しい存在である縹局としてなら、ルーデンスだろうがなんだろうが渡り合ってやるけど、華桑を背負って向き合うのはまた、別の話だ」
皆、じっと聞き入ってはくれている。
言いたいことはあるかもしれないが、まずは俺の言葉を最後まで聞いてくれるようだ。ありがたいことに。
「華桑庶民とどう向き合うか、というのも当然課題になるよな。だから、一つ、提案があるんだが」
「はっ、何なりと」
全員が揃って頭を下げる。
あれまあ、受け入れてくれるか、心配したのは無用だったかな?
いや、つまり、ということは、俺の提案なら基本的に無条件で受け入れようとしている、ということなんじゃないか?
だとしたら、提案の良し悪しは俺が決めなければならないというわけだ。いや、重すぎるだろ、それ。
その気になれば、無理難題を押し付けることも出来るとか、それなんて王様ゲーム?
「俺は皇として君臨する。そこまではいい。象徴にでも何でもしてくれ。血は、保証する。だが、統治はしない。統治の実権は譲る」
「恐れながら、それはいかなる意味にございましょうか?」
流石に槙野忠輝ですら困惑しているか。まあ、これだけ聞いても意図はわからんよな。
ただの隠居宣言ではないことくらいは、察してくれているようだし。
「これまで千年間、扶桑を離れ、海を越えた遥か夷狄の地にて華桑をまとめあげてきた実績を踏まえ、槙野忠輝」
「はっ」
「華桑皇小鳥遊祐の名のもとに、征夷大将軍に任ずる。この地に幕府を開き、これまで通り、華桑の舵取りを任せる。統治に関わる実権は、これを全て委任する」
「勅命、拝命つかまつります」
応じて、全員が平伏する。
「今のところ、親政は執らない。ただ、どうしても親政を望むというのなら、俺も考えなければならんだろう。その代わりと言ってはなんだが、十年、待ってもらえないか。十年後、どうするか、その時に改めて考えさせてもらいたい。構わないか」
「御意、承りまして御座います」
「では、よろしく頼む」
全員が平伏するなか、席を立ち、凜と共に幽玄の間に戻る。
「凛、どうかな」
「うん、驚いた」
「そうか?」
「貴方の自由を担保しながら、我らの望みも叶える、これが貴方の道なんだね」
まあ、苦肉の策っちゃあ、苦肉の策なんだけどな。言ってしまえばただの先送りなわけだし。
君臨すれども統治せず、となれば俺も自由に動けるかな、と思ったんだが、少しばかり虫のいい話のような気もする。いずれにせよ、皇となった事実は確実に影響してくるだろう。
それでも、凜と俺の願い、二つとも叶える道は、俺にはこれ以外思い付かなかった。
制度の整備など、詰めなきゃならんところは、まだまだたくさんあるだろう。それでも、一応俺の動きは確保できたんじゃないかな。
しかしまあ、この世界に来て、もうじきやっと一年といったところだ。
嫁ができて神になって皇にもなった。
話だけ聞けばなんという与太話。
それでも実感する。
俺は俺の足跡を、この地に確実に残している。
俺を惜しんでくれる人は、きっともう数えきれない。
きっと俺は今、幸せなんだろう。
「凛」
「わ、わわっ、どうしたんだ、急に?」
いきなり抱き締めたらさすがに驚いたか。
それでも、目を白黒させながら、そっと抱き締め返してくれる。
ふと、この世界に来るきっかけを思い返してみた。
もしかしたら、ローザに、感謝してもいいかもしれないな。
少しだけ、そう思ったのだった。
これにて第四部完となりました。
5月の投稿開始から一気にここまで走り抜け、気がつけば祐も位人臣を極めた感があります。
成り上がりとしては頂点到達と言っても過言ではありません。
ここを節目として、一旦充電期間を頂きたいと思います。
いえ、要はストックが尽きました、という事なんですが。
祐の物語にはもう少しお付き合い頂けたら嬉しく思います。
そのためにも一日でも早い再開を目指し、鋭意書き進めて参りますので、もうしばらくお待ち下さいませ。
どうぞよろしく、お願い申し上げます。