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「リングラード王の宣言には驚いたね」
舞台から降りての控えの間で、凛が感嘆のため息をついていた。
そんなに大層なことだったのだろうか?
いや、まあ、大概だと俺も思ってはいるんだけどな。
宴席の途中、お色直しにかこつけて俺たちは少しばかり退席していた。まあ、ちょっとした休憩中である。
「国内に王権の及ばない存在を許すのは、確かに驚きだよな。俺たちはともかく、ルーデンスの貴族連中が黙っちゃいないんじゃないか?」
「それはもちろんそうなんだが、事はそれだけには収まらないよ」
「ん、どういうことだ?」
「ルーデンス王国は、これまで国内に独立した勢力を認めたことはないんだ」
「いや、そりゃあ、国としては当たり前じゃないか?」
凛は、うん、と一つ頷く。
「そうなんだけど、国内、がどこまでを示すのかが問題なんだ。七百年前、王国は一度は大陸全土を統一した」
む、ということはもしかして?
「ルーデンスの公的な姿勢としては、まさかいまだに大陸全土がルーデンス領と言っているのか?」
「そうなんだ。実効支配という意味では、大陸は五か国に分断されてはいる。けれども、王国は名目としてはどの国の独立も認めていないんだ。リスト王国だけは微妙なんだけどね」
ふうむ、なるほど。
ミルトンの怒りの原因の一つがこれだったんだな。
彼は確かに言っていた。ルーデンスは未だに宗主国面をしてくる、と。
あれは、対等な国として認めてもらえていない悔しさもあったわけか。
「そのルーデンスが初めて認めた独立勢力がヒノモト、ということになる。七百年の歴史上で初めて、ね」
「なるほどね。リングラード、下手したら失地王とか呼ばれそうだな」
こりゃあ、ルーデンス国内はしばらくごたつくのかもしれないなあ。
もしベネフィットが生きていれば、嬉々として反旗を翻した筈だ。無能な王から国を救うという大義名分を掲げて。
む、ということは今度はルドンが荒れるか?
もしもルドン公フェイフォンが雌伏しているというのなら、今回が大きなチャンスに見えている筈だ。
まあ実際、リングラードは無能でもなんでもないわけだが。
ちょっとばかり、気を付けておいた方がいいかもしれないな。
杞憂なら、それに越したことはないけれど。
ヴォイドくらいには伝えておくとしよう。
そうこうするうちに、凛の着替えが完了する。
目にも鮮やかな緋の打ち掛け。小鳥遊の血をもって再誕したという意味だったか。
いよいよもって、これが小鳥遊凛の始まりになるわけだなあ。
「さて、そろそろ行くか」
「ああ」
そうして俺たちは、再び舞台の真ん中に戻ったのだった。
そこから先は、まさに宴と言えた。
儀式めいた部分はお色直しの前に全て終わっており、式次第も最早あってないようなものだ。
さっきまでは全員所定の座席に座ったままだったが、今は皆それぞれが思い思いに動き回っている。いや、身分の高い方に移動の優先権があったりするから、まあ、無礼講とはほど遠いようなのだが。
リングラードやエシュリーンも杯を交わしに来たし、ゼルガーンとはお互いに樽で乾杯したりもした。
ドン引きされるかと思いきや、華桑の庶民たちからもやんやの喝采が上がったあたり、この世界は随分と豪快なようだ。
そして今、俺の前にはギルニーがいた。
威圧感に満ちたおっさんではあるのだが、アルマーン老のナチュラルなプレッシャーに慣れた身としては、まあ、さほど恐ろしいわけでもないか。
当たり障りのない挨拶を済ませた今、お互いに杯を交わしている。
「ところでな、タカナシ殿」
「ん、何かな」
「この場を借りて一つ、商談があるのだが、どうかね」
「承ろう」
商談とくるなら、まあ聞いてもいいよな。受けるかどうかは、その次の話だ。
「我らリスト勢を、我がギルニー領まで護衛していただきたい。報酬については縹局の規定に則ろう」
ふうむ、なるほど。サルディニアのように、縹局と直接絡もうというわけか。
まあ、今までリストとは全く接点がなかったもんなあ。これを機会に縁が出来るというのも、悪くないかもしれん。
「できれば貴殿直々にお出ましいただきたいものよ。もちろん、奥方と共にな」
「いいだろう。その商談、受けよう」
「ほう、噂に違わぬ即断よな」
さても、どんな噂になっていることやら。
まあ、リストに興味があるのは間違いない。この婚儀が終われば、ようやっと凛も自由に動くことができるだろう。
最初の任務が一緒の旅行と思えば、まあ、断る理由はないよな。
「報酬の細かいところは、カルナックと詰めてくれ。その辺りは全部任せてるんだ」
「あい分かった。我が領まで来られたならば、少し足を伸ばせば良い温泉地がある。興味があれば是非、ゆるりと滞在してもらいたい。最上のもてなしを手配しよう」
温泉!
マジか。そいつは楽しみだ。
なにしろローザ山は、見た目富士山の癖に、実は火山じゃないんだよな。近くにも温泉は全くないらしい。
城の風呂も普通に沸かしただけだし、実は結構ガッカリしていたのだ。この誘いは渡りに船と言えた。
しかし、ますます旅行じみてきたな。いや、新婚旅行と考えれば、これもありか。ギルニー、もしかして狙ってたかな?
「これを機に、リストまで縹局の商路が延びれば我が国としても益のある話だ。我が領よりさらに北方へ向かえばモス・ロンカに至る。縹局の手がモス・ロンカにまで及べば、北方の治安維持はもとより、経済効果によっては難民も出にくくなるだろう」
「ふむ、まあ、縹局の中立性を信じていただけているようで何よりだ」
ギルニーは黙って頷く。
しかし、モス・ロンカと難民、かあ。これは結構、重要な話かもしれないな。
まず、モス・ロンカが、難民が発生するほどに不安定な国だということ。
あの司教の様子を思い返せば、国としてはルーデンスやサルディニアに比べて一歩も二歩も劣るように見える。それでいて国として成立しているのは、ローザの宗教的権威だけとは考えにくい。
だがそれも、難民が発生しうると言えば納得のいく話だ。
下手にモス・ロンカの国体を叩けば、大量の難民が押し寄せてきかねない。
そんなリスクを負うくらいなら、教団の好き勝手を黙認することで、引き換えに国境の安定を手に入れていたんじゃないか?
やっぱり、モス・ロンカは舐められてるよなあ。
いや、勝手な推測だけど。
そして、もしこの推測が正しいとするならば、だ。
ギルニー、すさまじく計算高い男だな、こいつは。
縹局の意義を考えれば、モス・ロンカに行かないという選択肢はない。そして、結果的に難民の減少を目指して活動することになるだろう。
つまりギルニーは、温泉旅行をサービスするだけで、国境の安定を手に入れようとしているわけだな。
俺がどれだけ豪遊しようとも、国の防衛予算以上に飲み食いするなんて……いや、さすがに無理だろう。ちょっと考えてしまったが。
ギルニーは俺の興味を誘導することで、労せずしてリストの国益を謀ったと言える。
やるなあ。
まあ、温泉サービスがあろうがなかろうが、モス・ロンカにはいずれ行く気満々だったんだけどな。
「では、護衛の件、よろしくお頼み申す」
「承った」
席に戻っていくギルニーを見送る。
「ギルニーも、やっぱり大した奴だったなあ」
「まあ、そうだな。一代の傑物であることは間違いないと思うよ」
一応そばにいて話を聞いていた凛が応じてくれる。
「リングラードも大概えげつないと思ったが、国としてそれと渡り合ってるんだもんな。お粗末な筈がないか」
「確かにそうだね」
ふうむ。
国を運営している英雄たちか。確かにまともにやりあえば勝ち目はなさそうだ。いいように使われる未来も、想像に容易い。
けどまあ、別にいいや。利用するなら利用すればいいよな。どうせ、やりたくないことはやらないんだから。
Win-Winだと思えば、なんの問題もない。
「そんなことよりも温泉があるってよ」
「うん、聞いたことがあるよ。カリスト火山にリスト王室の保養地がある、と。素晴らしい温泉が湧いているそうだ」
「なら、いいや。そいつを楽しみにしておこう。いい新婚旅行になりそうだよな」
「新婚旅行? それも日本の風習なのか?」
「あー、そうか。うん、まあ、そんなもんだ。日本人は旅行が好きだったから、いろんな節目に旅行する人が多かったみたいだよ」
卒業旅行や、ハネムーン、フルムーンとか、旅行会社のCMを、見ない日はなかったよなあ。
江戸時代でも、庶民でさえ一生に一度はお伊勢参りに行っていたらしいしな。
「そうなのか。なら、私も楽しみにしておく。リストに行くのも初めてだからね」
そう言えば、アクティブに見えるけど凛は槙野家のお姫様だったんだよな。なかなか城の外には出られなかったのかもな。
そうこう話しているうちに、いつしか日も傾き、宴も終息していく。
やっと終わったか。
まあ、ひとつの節目を越えたと言えるかな。
かくして、俺たちの結婚式は、無事に完了したのだった。