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 幽玄の間、石庭に降りる縁側に並んで腰掛けながら、俺は嬉しそうなその言葉を聞いていた。


 畳に正座は辛かろう、と、腰掛けを探したのだが、二の丸の洋館ならともかく、さすがに幽玄の間には椅子は用意されていなかった。

 まあ穏やかな昼下がり、庭を眺める縁側というのも、肩肘張らない会談の場としては上等な場所だった。


 いや、まあ、そこで真剣勝負が繰り広げられているわけだが。

 外見にはきっとほのぼのとして見えるんだろうけど、さすがタントと言うべきか、言葉の裏に思惑がてんこ盛りって感じだな。


 だが、嬉しそう、か。

 鈴音にしか気づけないレベルの表情の変化なのだから、あれはきっと本心の筈。

 何かが、嬉しいんだよな。


 まあ、何が嬉しいのかはさっぱりだが。

 そんな俺の前、エシュリーンは改めていずまいを正す。


「私が意志を通すにあたり、悶着がなかったとは言えません。これから先は、中立を保たれている縹局を信じて申し上げます。身内の恥を晒しますが、我が国は一枚岩ではありません。これから申し上げることは本来秘すべきもの、機密に類するとお察しください」


 ふうむ、大袈裟な振りだな。

 俺を信じて、これから胸襟を開くという体裁か。

 だが。


「嘘だな」

 容赦なく、言い放つ。


「これは心外なことを仰いますね?」

「それとて本心ではないだろう」


 そうだ。本心ではあり得ない。こいつが、こんな矛盾をまともに抱えているとは思えない。

 そしてきっと、こいつはずっと、俺を試している。いや、見極めようとしている。

 俺の返事を、待っている。


「単純な話だ。機密に類することなら、貴女はもう既に口にしている。今までに言ったことと、これから言おうとすること、機密の度合いの差は知ったことではない。機密を口にした、その一点において、貴女は既に一線を越えている」


 エシュリーン生存の裏話など、本来口に出来る筈がない。

 明らかになった途端に、エシュリーンは粛清対象にまっしぐらだろう。

 つまり、俺がタントにたれ込んでしまえば、エシュリーンの生死は彼女の手を離れる。


 そういうネタを、エシュリーンは既に口にしていたのだ。

 その上でこれから機密を話しますよ、などと、ちゃんちゃらおかしな話だ。

 ならば、そこにこそエシュリーンの意図がある。


 果たして彼女の頬には、今度こそ明らかに俺の目にも見える形で、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。


「お察しの通りです。試した無礼をお許しください」

「構わない」

「ありがとうございます」

「では、答え合わせを頼もうか。俺の何を見極めたかったのか、そして、俺に何を求めるのか、だ。貴女にとって、俺は頼むに足りたか?」


 まあ、この表情を見る限り、一定の評価はしてくれたみたいだが。


「あなたの人となりを、知りたかったのです」

「それで、合格だったか?」

「期待以上でした。いえ、あなたのような方を、私は他に知らない。賢王リングラード陛下でさえ、あなたには及ばない」


 おいおい、そりゃ過大評価過ぎないか?


「あなたは、聞いたこと、得た情報を、そのままに飲み込んでしまわれた。ありのままに、ただ受け取ってしまわれた」

「そうかね。普通は、他のやつなら違うのか?」

「他の方なら、まず、得た情報の価値を知ろうとするでしょう。そして、いかに交渉材料として利用するかを考えるものです。まして、機密に類する価値ある情報ならなおさら、その利用価値に目を向けます。なのにあなたはそうではない」

「そうかなあ。俺も結構、聞いた話を利用しまくるけど」

「いいえ。普通は、情報をもとに交渉を起こします。目的のために、恣意的に情報を使います。けれどもあなただけは逆。交渉ごとが始まってから初めて情報を使われる。人にとって、情報の価値には差があります。でも、あなたにとってはそうではない。あなたにとって、全ての情報は等価値。そしてそれは、一つの証明なんです」


 むう、こいつの目に、俺はどう映っているんだ。


「そいつが、俺の何を証明する、と?」

「あなたが絶対の中立であること」

「なるほど、そういうことか。確かにそいつは否定しない」


 そうだ。

 そして、それこそが縹局の意義でもある。


「あなたは何にもとらわれず、何にも縛られない。この大陸の全てが、あなたの前には平等」


 こいつはどこまで俺のことを調べていたのかな。

 ただ、確信には、ほんの僅かな今の会話の中だけで辿り着いた筈だ。

 なんという慧眼。

 これは、俺が元異世界人であればこその価値観だ。そこに、こいつは気付いたのか。


「私の願いには、あなたが絶対に必要なのです。いえ、あなたにしか出来ない。私の夢を叶えられるのは、あなただけ」


 立場を持たない俺にだけ叶えられる、こいつの悲願か。

 予測は容易いな。

 五歳の時から、こいつの祈りはぶれていないんだ。


「貴女の夢を聞こう」

「この大陸に、恒久的な平和を」

「縹局は国に依らない。誰の後ろ楯になることもない。それでも俺が貴女の夢を叶える、と?」

「私が何を願おうと、あなたの道は変わらないでしょう。ですが、あなたが進めば、平和が築かれていきます。私が何かして頂くわけではありません。だから逆なのです。私は、私の夢のために、あなたの道行きを手助けしたいのです」


 ふうむ、買い被りと言ってしまうのは容易いが、よくもまあ、ここまで買ってくれたものだ。

 俺の道はそんなに平和に直結しているだろうか?

 ゼルガーンたちには、戦争自体は否定しない、と明言してしまったぞ?


 まあ、誇りを守るための戦い以外なら縹局として潰しに行く気満々だけどな。


「しかしなんだな、タントの王族としてこの場に来たくせに、なんとも個人的な話になったな。タントの国策自体とは、真っ向対立するくらいじゃないか?」

「そうですね。そこのところが、先にも申しました通り、我が国が一枚岩でないことの証左とも言えます。十一年前の粛清を越えて、今も、国内では主戦派と反戦派の対立が続いているんですよ」

「なるほど、そういうことか」

「私が今回、ここに来られたのは、主戦派の勢力が急激に低下したからに他なりません。それはあなたのお陰でもあるんですよ」

「ふうむ、詳しく聞いても?」

「少し長くなります。込み入った話になりますが」

「急ぎの用事はない。差し支えなければ聞かせてくれ」

「ええ、わかりました」


 本心をぶっちゃけたせいか、さっきよりは穏やかな表情になったエシュリーンは、少しばかり砕けた口調で、俺に頷いてくれたのだった。





 状況としては、俺にとってはさして込み入ったものとは思えなかった。

 権力闘争として考えれば、よくある構図と思えたからだ。


 要は、主戦派の連中はベネフィットやツェグンを踊らせ、大陸全土を巻き込んだ戦乱を引き起こそうとしていた。それを俺が叩き潰したものだから、急激に勢力を落としたという話のようだ。


 あの陰謀にタントが国として噛んでいたことを、思いっきり証言してくれたのだが、まあ、それこそがエシュリーンの覚悟とも言えるだろうと思う。

 絶対に黒にならないグレーが、黒であることを証明してくれたわけだ。

 証拠能力としては、さして高くはないのだろうが、覚悟を知るには充分だった。


 タント国内では反戦派の発言力が高まり、名目上病気ということになってはいるが、陰謀を主導する立場にあった機密省の幹部が事実上失脚することになったらしい。

 これをチャンスと頑張って、エシュリーンはほぼ無理矢理、今回のルーデンス行きを勝ち取ったそうだ。


 ただ、一つだけ、気になることがあった。

 エシュリーンの話の中で失脚した幹部とやらは、ヴォイドに調べてもらった第九騎士団の帰還先の人物とは別人だったのだ。

 しかも、爵位的には騎士団の帰還先の方が上位に当たる。


 エシュリーンの知る失脚した人物は、スケープゴートの可能性が高いよな。

 ネタ元がネタ元だけに明かすわけにはいかないが。


「エシュリーン、用心しろよ。反戦派の勢力が強くなり人が集まれば集まるほど、主戦派の敵が炙り出されるんだからな」

「そうですね。ですから時間が勝負だと思っています。主戦派が手を出しあぐねている今のうちに既成事実を重ね、タントの主流を手繰り寄せるつもりです」

「それもいいが、主戦派はな、たぶん勢力を落としていない」

「と言われますと?」


 聞き返してはいるが、あまり表情に変化はない。分かっているのかも知れないな、こいつは。


「俺は確かにあの場に居合わせた王光騎士を斬ったが、たかだか八人だ。今回の作戦に動員されていた騎士は、おそらく六十人を下らない。撤収は見事なものだった。作戦自体は瓦解していても人的資源の損失はないんだ。今は鳴りを潜めているだけだよ」

「ええ、だからこそ、今のうちなんです。主戦派は、あなたに痛い目に遭わされたからこそ、あなたという人を調べようとしています」

「まあ、そうだろうな」


 ヴォイドにも調査依頼が入っているわけだし。

 すると、エシュリーンはにっこり笑ってみせた。まるで花が咲いたような、可憐な笑顔。


「それが愚策です」


 おい、ブラウゼル。お前の初恋の君は、容赦なく厳しい人だぞ。

 まあ、お前の体は尻に敷くには十二分に敷き応えがありそうだけどな。


「あなたを前に日和見は一番選んではいけない手段です。敵にするにしろ、味方になるにしろ、必要なのは即断です」

「そんなものか」

「そんなものです」


 むう、これは、俺が見切られているのか?

 いや、それはお互い様か。俺も、なんとなくではあるが、エシュリーンの向かうところが分かるような気がする。


 ……似た者同士、かな。


 お互い、一度すべてを失って、だからこそ手放せない願いがたった一つ。

 一度死んだ身の上だ。既存の権威の、何が脅威になり得るだろうか?


 ああ、きっとそうだ。

 俺とエシュリーンは、きっとよく似ている。


「まあ、いい。縹局は国に依らない。さっきも言った通りだ。だが、利用する分には構わない」

「存じております。サルディニア王家の護衛をされるほどですものね」

「そうだ。正当な商売の手順を踏むなら、商人だろうが王家だろうが、同じ商売相手だよ」


 そういう意味では、タントの主戦派の連中だって、同じ商売相手にはなり得るんだ。

 まあ、向こうの方が願い下げだろうけどな。


 なんにせよ、エシュリーンか。

 たいした女だ。気に入ったのは間違いないぞ。


 俺はまあ、きっとある程度分かりやすいのだろうし、凛やリム、シャナにルクアたちにはもう、かなり色々と見透かされている自信はある。

 だが、エシュリーンはそれとはまた別の形で、きっと俺たちは理解し合えている。そんな気がするんだ。


「今後、俺たちはタルトを越えてタントのより奥深くまで足を伸ばしていくつもりだ。まあ、近くまで来ることがあったら顔を出してくれ。歓迎しよう」

「ありがとうございます。私は普段はラノンの離宮におります。ルドンからはかなり遠いのですが、お待ちしていますね」

「そうか。どの辺りにあるんだ?」

「ほぼ北端なんですよ。白銀の森の際、冬はものすごく寒いので、もうじき雪に閉ざされてしまいますね」

「なるほど、ラウィットの血が色濃い土地だな。こいつは楽しみになってきた」

「はい。とはいえ、しばらくは王都に留まるでしょうし、ラノンに帰るのは春になってからかもしれませんが」

「構いやしない。別に焦る話でもないさ」


 俺の軽口に、エシュリーンはもう一度にっこりと微笑んで見せると、一度だけ、ゆっくりと頭を下げてくれた。


 まあ、会談はここまで、だな。

 エシュリーンもこのあとは忙しくなる筈だ。

 きっとリングラードやギルニーとも会いたいだろうから。


 また落ち着いたら改めてゆっくり会うのもいいだろう。

 今度はブラウゼルも混ぜてな!


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