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「うん、やっぱり江戸の昼飯と言えば麦とろ飯だよなあ」

「貴様はいったい何を言っているんだ」


 日差しの穏やかな昼下がり、俺はブラウゼルと一緒に下町の飯屋に入っていた。

 今日は、凛は衣装あわせとやらで忙しく、非常に残念ながら俺たちの食事風景には全く華がない。


 あの月見酒から三日、俺は日中は凛と一緒に華桑の町並みを巡ってみたり、ブラウゼルを略取してきて無理矢理蕎麦を食わせてみたり、とやりたい放題に羽を伸ばしていた。


「しかし、貴様、わざわざこの飯を選ぶのは嫌がらせと判断していいか」


 憮然としたブラウゼルは、箸で掴みづらいとろろご飯と真剣に格闘していた。

 なんだかんだと器用なブラウゼルは、強制的に使わせた箸の腕前も急速に上達してはいたが、さすがにとろろは難しいよな。


 しかし嫌がらせだなんて、ひどい言いがかりだぞ。

 時代劇では麦とろ飯こそ昼飯の定番だろう。俺が食いたかったんだ。

 蕎麦を食わせたときに意外と巧い箸使いで、上手にすすっていたものだから、より難しそうなメニューを敢えて選んだなんてことは、きっとない。


「わざとだと言ったらどうする?」

「うむ、そこへ直れ」

 腰の長剣の鍔を鳴らしながら、ブラウゼルは俺を睨み付ける。


「けど、旨かろ?」

「むう、それは否定せんが……」


 あまりにもでかい図体のブラウゼルは、軒下の縁台からほとんど体がはみ出しており、大きな丼と菜箸のセットにも関わらず、小振りなお茶碗でチマチマ食っているようにしか見えない。

 往来を行き交う人々は、まずブラウゼルの異相に驚いて足を止め、続いてその影の俺を見つけてさらに驚く、というルーチンを繰り返していた。

 遠巻きに拝んでいるようなお年寄りの姿があったり、サイン会を始めたらみんな群がってきそうな雰囲気である。

 請求こそあとできっちり槙野家に行っているようだが、払いも全てツケがきくし、なんというか、どこへ行っても大名旅行になってしまうなあ。


 と、通りの向こうから見覚えのある人影がこちらに向かっていた。

 あれは橘宗助とウエンツだな。なんとも珍しい取り合わせだが、なにか動きがあったか。


「主上、こちらにおられましたか」

「歓談中に失礼致します。ブラウゼル様、陛下より速やかに戻られますよう命を受けて参りました」


 宗助は、今は半ば小姓のような立ち位置におり、俺と槙野家との繋ぎ役になってくれたり、護衛役であったり、飯代の支払いを肩代わりしてくれたり、と、色々と俺の世話を焼いてくれていた。

 今回はウエンツを連れてくるのが役目といったところか。


「うむ、ご苦労。すぐに向かう」

 箸は諦めたか、ブラウゼルは丼に残った飯を一気に流し込むと、すっくと立ち上がる。

 相変わらずのフットワークだなあ。


「ふむ、何かあったか」


 国家機密に類するものなのか、ウエンツは言い淀むが、宗助にとっては関係ないわな。ウエンツには敢えて振らずに、宗助に聞いてみる。


「タントよりの車列が結界を越えました。当初予定されていた来賓とは別の人物のようで」

「なるほど、そりゃ打ち合わせも要るか」


 なにしろタントはルーデンスの潜在敵国だもんなあ。予定が変われば警戒もするか。


「で、結局どんな奴が来るんだ?」

「第六王女、エシュリーン殿下と聞いております」

「ふうん、王族が来る、か。タントもなかなか気合いが入ってるみたいだな。って、あれ、ブラウゼル、どうかしたか?」


 俺と宗助のやり取りを置き去りに、それこそ走り出す勢いだったブラウゼルが、その動きを止めていた。

 端正な顔が驚愕に染められたまま、硬直しているようだ。


「おい、ブラウゼル、エシュリーンを知っているのか?」

 ブラウゼルがここまで驚く相手か。いったいどんなやつなんだろうか?


「いや、知っていると言えば知っているんだが……とうに亡くなっていると思っていた……」


 ふうむ、随分と上の空だな。訳ありか?


「どういう知り合いだったんだ?」

「もう十一年前になる。当時タントとは戦争中だったんだが、その最中に陛下に親書が届いたんだ」

「その相手がエシュリーンか」

「わずか五歳の姫君だ。習いたてだったのだろうな。つたない文字で、だが切々と綴ってあった」


 懐かしそう、と言うよりはなにか眩しいものを見るかのような表情でブラウゼルは答える。


「文面にはなんと?」

「私は戦争が嫌いです、とな。私は戦争が嫌いです。戦争は悲しいものです。大好きな人がみんな死んでしまいます。私は戦争が嫌いです。お願いです、どうか戦争をやめてください。父上にもお願いします、ですからどうか、戦争をやめてください」


 ふむ、なるほど。

 五歳の姫が本当に書いたのなら、それはそれで凄いことだなあ。

 ただ、それでどうにかなるなら、そもそも戦争になどなってはいるまい。本題は、そのあとだろうな。


「たいした姫君だな。それで、どうして亡くなったと?」

「その直後だ。タント国内で、穏健派、反戦派と言われていた者達の大規模な粛清があったんだ」

「ふむ、エシュリーンを担いだ連中が一網打尽になったわけだな。そりゃ確かに死んだと思うわ」


 こりゃあれだな。エシュリーンはいい出しにされたのかもしれん。主戦派に踊らされたとか、タントなら充分にありそうだが。


「そのあとはどうなったんだ?」

 現在は一応休戦中にはなっているが、反戦派が一掃されたなら、果たしてどんな落としどころを見つけたのだろうか?


「陛下は姫君の手紙を利用された。手紙を信じて和平会談の場を設けたていを装ったんだ。会談後に引き揚げる軍の後背を、狙い通りタント軍が襲ってきた」

「そして、計画通り返り討ちにしたわけか」

「エシュリーン姫の弔合戦だと、陛下は言われていたそうだ。タントは大打撃を受け、本物の休戦協定が結ばれた」


 ふうむ、騙し、騙され、だなあ。

 なるほど、こんなことを繰り返していたなら、タントへの不信感は募るばかりだ。


 さて、だとしたら、今回やって来たのがそのエシュリーン、というのは、どういう意味を持つのだろうか?

 そもそも本当に生き延びていたのかも疑問だよな。


 まあ、本物ならきっと大喜びしそうな奴が目の前にいるが。


「しかし、戦争をやめてください、か。五歳とはいえあまりにも夢見がちすぎるだろう。結局タントにもルーデンスにも利用されて、哀れな話さ」

「なにを言うか。ならば、貴様は出来るのか? たった五歳で、敵国の王に手紙を書くんだぞ? 利用したのは周りの勝手な大人ばかりだ。平和を願う姫の純粋な真心が、そしてその想いを行動に移す勇気が、貴様には分からんの……か……、……畜生……」


 俺の顔を見つめたブラウゼルは、嘆息しつつ頭を抱える。

「おのれ、最も知られてはならん奴に……」


 あれ、そんな顔、してたかなあ。まあ、釣られたことには気付いたみたいだが。


「なんにせよ、良かったじゃないか。今は生きていたことを喜ぼうぜ」

「うるさい、ちょっと良いことを言ったところでそのニヤけ面に説得力など無い」


 はっはっは。

 ニヤニヤ? ニマニマしてるかな。

 これはきっとあれだろう。

 子ども心に、ブラウゼル初恋の君とみた。


「まあ、だいたい分かった。お前が王の命を忘れるくらいには大事な話だったわけだな」

「くっ、しまった。貴様、この借りは必ず返す!」


 慌てて走り出す巨体を見送り、俺も食事を終える。


 うん、エシュリーンか。

 会うのが楽しみになってきた。


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