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森の梢の隙間から、三角形の頂点が見え隠れしていた。
頂上が白く冠雪したその姿は、俺の目にはどう見ても富士山にしか見えない。
「見えた。あれが神山ローザだよ」
いくぶん弾んだ声。
活動的な狩衣姿の凛は、鷹狩り中の若武者を思わせる出で立ちで馬を駆っていた。
その凛に、どうにか遅れずに着いていけているのは、サルディニアへの遠征で乗馬の練習を積むことができたお陰だろう。
騎馬民族仕込みの騎乗術だ。短期間の集中訓練ではあったが、どうにか様になったようだ。
いや、どう考えても鈴音のお陰だけど。
ヒノモトを出てから一週間か。
普通の隊商の倍くらいのスピードで進んできたのかな。
距離的には王都までと似たようなもののようだ。
俺たちの後ろには橘親子を始めとした華桑武士団が続いている。
全員分の馬がどこから出てきたのかと思えば、最初から騎馬で来ていたとのこと。砦やヒノモトにいる間は、馬を竜胆の里に預けていたらしい。
来るときの凛は使命感以外の何もなく、また、急いでいたとのことで、三日ばかりの強行軍で駆け抜けてきた道だそうだ。
今となっては式までまだ時間の余裕はあるし、寄り道こそしていないが、沿道の風景を楽しむ心の余裕も出来た。まあ、俺は風景よりも、屈託のない凛の笑顔を楽しんでいたわけだが。
それにしても、神山ローザか。
なんとも郷愁を誘うというか、日本人の心の琴線をガンガンに刺激してくる姿だな。
懐かしさすら感じるよ。
もしかして、神州扶桑にも似たような山があったのだろうか?
大陸に渡ってきた華桑人たちが、ここを本拠にした理由はなんだったのだろう。
そう考えてしまうほどに、懐かしい、雄大な姿だった。
「ローザ山か、本当に美しいな」
「うん、そうだろう。神棲む山だったのだからね。さあ、じきに結界を抜けるよ」
心なしか移動のペースが上がったような気がする。
やはり里帰りの嬉しさみたいなものがあるのだろうか?
それからまもなく、山の裾野辺りで、ふと、空気が変わったのが分かった。
清浄な空気感は、まさに神域と呼ぶに相応しい。
神が去ったとはいえ、その聖性はまだまだきっちり残されているようだった。
そして、同時に感じる多くの視線。
鈴音も反応していないし嫌な感じはしないんだが、要はあれか、見張りの内に取り込まれたんだろうな。
あれ、そういえば、山を斜めに見ているぞ?
「なあ、凛。まっすぐ山に向かう訳じゃないのか?」
「あ、ああ、そうなんだ。済まない、説明していなかったな。城は神山の東側にあるんだよ」
なるほど。西のルドンから来た俺たちは、一旦山を通りすぎなきゃいけないわけだな。
「もう少しかかるけど、日が落ちる前には充分に着けると思うよ」
「うん、分かった」
ローザ山をずっと見上げながら動くわけだな。まあ、退屈はしそうにない。
やがて俺たちの前に、ゆったりと流れる大河が見えてきた。
街道はこの河に沿って上流に向きを変えている。
「おお、でかいな」
感嘆することしか出来ない。なんと言うべきか、まるっきり物見遊山だよなあ。
「この大河、ローザ河は王都にまで流れていくんだよ。ルーデンス王家からの列席者は、多分船で遡ってくる筈だ」
「ははあ、なるほどね。こないだ王都の近くまで行ったときには河には気付かなかったけど、まあ、そもそも王都に近付いてもいなかったからなあ」
「城はこの河の上流になる。さあ、あと少しだ」
楽しそうな凛にとって、この辺りはもう自分の庭のようなものらしい。
沿道に咲く花や、空を飛び交う鳥など、いろんなものを教えてもらいながら、俺たちは街道を辿っていったのだった。
「これは、凄いな……」
思わず言葉を失う。
河の上流、山の麓に華桑の里はあった。
里の名前自体も華桑、であり、いわばここは首都として造られた里というわけだ。
その広大さもさることながら、俺の言葉を奪っていたのは、里の中心に聳える巨大な白亜の城だった。
瓦は漆黒のようで、黒と白のコントラストが美しい。
その城郭の中心に、大天守があった。
小天守を二つ従え、その周囲には石垣と、それに繋がれたいくつもの櫓。
櫓自体が、普通の城の天守閣レベルに見えるといえば、大天守の壮麗さも分かるだろうか。
六層、いや、七層はあるだろうな。
日本に現存する城跡はほとんど石垣ばかりで、本来はその上に櫓や回廊が連なっていたというのは、歴史番組の再現映像などでよく見ていたものだが、実物の迫力はその記憶を圧倒してくれた。
いや、あれに攻め込むとか、正気の沙汰とは思えないぞ。
昔の戦争って、凄まじかったんだなあ。
「さすが、千年の城、か」
「そうだな。この規模の城は他の里にもないよ」
「まあ、首都以上の城があってもおかしいんだろうけどな」
「それはそうなんだが、ここに城を建てたときは、まだ華桑の民はほとんど全てここに集まっていたと聞いている。そのあと、時間をかけて大陸中に広がっていったんだ」
「七百年前くらいかな?」
「いや、広がったのはそれまでの話だよ。七百年前は、今の藩体制が確立した頃だね」
ふむ、なるほど。
ルーデンスの拡大に合わせて勢力を広げていったのかとも思ったが、どうやら違ったらしい。
元々広がっていった理由が、そもそもルーデンスとは無縁だ。
大陸を襲う滅びの獣、それを討つために、華桑の剣士たちは大陸を縦横に駆け抜けた。
その過程の足跡が、華桑の勢力範囲となったのだ。
その後、ローザ・リー一世の大陸統一戦争に協力する形で華桑は再び大陸を巡り、点在していた里を糾合していったとのこと。
そして現在に至る、というわけだ。
本当に、千年の城だったな。
しかし、壮麗な城と広大な城下町。
あれ?
少数民族じゃなかったのか?
だが、その謎は近付くにつれて明らかになっていた。
元々全華桑人が集っていた段階で築かれた城下町なのだ。今は、結構な範囲が使われていないようだった。
それでも、廃墟にはなっていない。綺麗に維持されているようだ。
全華桑人が集まれば、大きいとはいえ一都市レベルに収まってしまう。
そう考えれば、やっぱり少数だよな。
そして、街の入り口に辿り着いた俺たちを迎えてくれたのが、巨大な門だった。
凱旋門と言おうか、率直に羅生門とでも呼ぼうか。
外壁に囲われた華桑への入り口は、巨大な門になっていた。
この世界、人間の素体能力自体が地球とは比べ物にならない。
信じられないような大規模建築も、力持ちの大工が人の手で造り上げたり出来る世界だ。
なんというか、ここに来て驚かされてばっかりだよ。
ルーデンスの城や城壁が巨大でも、それはそんなものか、と気にもならなかった。それは俺の中で比較対象が無かったからなんだろうな。
見慣れた馴染みの建造物が、そのままスケールアップされてしまうと、それはもう驚き以外の何物もなくなってしまうね。
仮称羅生門は、大きく開け放たれている。
そして、そこに大勢の人間たちが待っていた。
自然と、凛の表情が引き締まる。
「……父上……」
やっぱりな。
華桑のお殿様、御自らのお出迎えとは、恐れ入るね。
ああ、そう言えば、お義父上になるのか。
まあ畏まるつもりはないけどな!