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「父上、お話があって参りました」
執務室だろう狭い部屋、そこに父と息子は向かい合っていた。
他に人はおらず、ただ、見届け人として俺だけが一緒に居る。
会談は、終始ローレンツ優位に進んでいた。
これは、彼が一定の覚悟を決めたから、と言ってやってもいいんだが、実際のところは侯爵が俺を憚ったからに他ならないだろう。
俺を引き連れて会談に来たんだ。俺の後ろ楯を得た、と、侯爵が判断するのもまあ、当然だった。
そこんところは、ローレンツもきっちり策士だったと言えるのかもしれない。
俺相手には愚直、それも愚かの度合いが強いくらいの愚直さだったというのに、父相手には俺を同行する、という一手だけで充分に優位に立っていた。
俺は何も口を挟むつもりはない。
ただ、侯爵がどう判断するのかはまた、別の話だ。
ローレンツ、意外とやるなあ。
「反逆者の家系の娘を娶って、エルディナール家が如何なる汚名を被るものか、それが領民にどう受け止められるか、それを考えたことがあるか? この中央から距離があり、それでいて最重要拠点を治めるという意味を、お前は理解できているのか?」
「父上ほどの理解は出来ていないと思います。ですが、手は打ちます。反逆者であり南方派閥筆頭だったのは先代ベルフェン殿であり、当代フェンリッド殿はむしろ王家寄りに立たれておりました。私はこれを機会に、エルディナールを王家寄りと明らかにしても良いのではないかと考えます。これまでエルディナールは、大勢が明らかになるまで態度を明示せずに来た歴史がありますが、自ら立ち位置を定めても良いと思うのです」
「それがお前の判断か。王国貴族として王家に忠誠を誓うは基本にすぎぬ。その上で、ルドンと隣接する我々が王家支持を明言する意味を、理解しているのか?」
「いえ、だからこそ、王家支持を明らかにすべきなんです。ルドン騎士団として、私はルドンの変化をこの目で見てきました。ルドン公と陛下ならば、私は陛下を支持すべきと判断します」
「その根拠は。ルドンでお前は何を見たのだ」
「竜狼会を支持するのが陛下だからです。ルドン公もその意味では、いずれ陛下と道を同じくしましょう。そうなる前にエルディナールの道を鮮明にしておくべきだ、と、私は考えます」
うん、お見事。
外堀からきっちり埋めたな。
ただ結婚させてくれ、では通用するまいが、エメロードとの婚姻によるメリットをローレンツなりに提示しきることこそが、きっと重要だったのだろう。
いや、それを飛び越えて、日和見をやめて王家支持を明示するというエルディナール家の方針転換を提示することこそを第一義としたか。
それが認められるなら、アイクラッド伯爵家との婚姻を阻害する要因が減る。
大目的である筈のエメロードとの結婚を、二次的な目的にしてしまったわけだ。これで侯爵も頭ごなしに駄目と言うわけにはいかなくなったな。
ローレンツ、本当に、やれば出来る子だったんだ。
まあ、殺さなくて良かった、と思っておこう。
それにしても親子共々、第三者である俺を前に、もう見事なまでに内情をぶっちゃけてくれたなあ。
やっぱり、国王とルドン公の不仲は本物のようだし、その上でどちらにつくか、という、ある意味生々しい話をしっかりと聞かせていただいた。
これはきっと、あれだな。
中立としての縹局を信用している、と暗に示しているのと同時に、ここまで信頼してみせたんだから、それなりにしっかり後ろ楯になってくださいね、という要請でもあるのだろう。
応える謂れはないが。
見届ける役目は果たすが、それ以上は無しだ。
敢えて陥れることもしないけど。
「お前がエルディナールを変えようとはな」
侯爵が慨嘆する。
「だが、確かに次代のエルディナールを背負うのはお前だ。お前が向けたい方向に向けるのも、いいだろう」
「では、父上」
「いずれ明らかにせねばならない旗色なら、その向かう先、お前を信じることにしよう」
「父上……」
おい、ローレンツ、チョロすぎないか、お前。
今ここで、国王派にならないと言えば、それは同時に縹局を否定することになるんだぞ。
俺がここに居る時点で、侯爵の選択肢はなくなっていたんだよ。
お前、それを分かってやっていたんじゃないのか?
本気でエメロードが心配になってきた。
「聞いての通りだ。縹局局長殿。見届けていただけたか」
「ああ、まあ、なんと言うべきか、苦労を掛けるな」
果たして意味が通じたものか、侯爵は苦笑を閃かせてくれた。
「これも親の務めでしょうぞ」
「そんなものか」
城門の上のお貴族様とは全く違う雰囲気をまとった侯爵は、なるほど、ローレンツが尊敬する立派な領主に見えた。
これからローレンツの決断によって生じる難問と、向かい合う覚悟を決めたのだろう。
ローレンツ、愛されてるな。なんかムカついてきた。
もしもエメロードを泣かせやがったら、即殺そう。
「アイクラッドの姫君は竜狼会に身を寄せると聞き及んでおりますが?」
「さてな。人身御供に捧げられた憐れな姫君を王子様が救い出すなら、民衆が熱狂する舞台になりそうだよな」
「その役目を我が愚息にお譲りいただけるか」
「感謝はエメロードにするんだな。さて、話がまとまったのなら、ローレンツはもらっていく」
「どうされるおつもりで?」
「エメロードに、土下座してもらうのさ」
そこからの顛末に、特に語るべきことはないだろう。
襟首を吊るして容赦なく飛んでやった。
頬紅を差していて、良かったな。
アイクラッド家の中庭に降り立つ。
「エメロード、戻ったぞ!」
屋敷が大騒ぎになっているが、まあ、構うまい。
慌てた様子で飛び出してきた男は、エメロードの兄かな?
どちらかと言えばベルフェン似なのだろう。怜悧さと覇気が見てとれる。公務員は勤まるまい。
続いて、フェンリッドとエメロードが姿を見せる。
「姫……」
「まさか、ローレンツ様?」
さて、感動の再会かな?
ローレンツは顔色真っ青だけどな。
そのまま二人は、ひしと抱き締め合っていた。
おい、少しは憚れよ。
「タカナシ殿?」
声をかけてきたのはさっきの若者だった。いや、俺よりは年上だろうけど。
「なんだ」
「これは、どう言うことなのでしょうか?」
「拗れていたよりが元に戻ったんだろ。お前、誰だよ」
「あっ、これは失礼しました。ベルフェンが孫、ベルライトに御座います」
あらあら、フェンリッドの息子ではなく、ベルフェンの孫と来たか。
こりゃあ、あれだな。秀忠を嫌って家康に心酔していた家光みたいだぞ。
もし俺の予測が正しければ、ベルフェンの遺言を足蹴にしているこのカップルは、許しがたいだろうなあ。
「申し訳ありません。妹が身柄をお預けしたにも関わらず、胡乱な男に心揺らがせるとは」
「気にするな。ローレンツを連れてきたのは俺だぞ」
「……確かにそうなのですが、申し込んだ側がこの対応とは、やはり申し訳なく思います」
「まあ、ベルフェンが望んだのはエメロードの幸せだろう。俺のもとに嫁ぐばかりが幸せではあるまい」
「そうでしょうか? 祖父が見込まれたタカナシ殿のもとに嫁ぐ以上に幸せがあるんでしょうか?」
「お前、極端だな。ベルフェンをどれだけ尊敬してるんだ。同じ台詞は、お前自身の目で俺を見極めてから言えよ」
「そう仰られるというだけで、信頼に値すると思いますが?」
む、こりゃ一本取られたか?
なんだろう、こいつもちょっとばかりやりにくいぞ。なんか、初めてのタイプだな。
「まあ、俺の名と、縹局を頼って送り込まれる女たちを引き取るつもりはない。エメロードだけ特別扱いはしないよ。俺と一緒になりたければ、想いと縁が重なりあってくれないとな」
「残念です。祖父の死に際の願い通り、アイクラッド家と竜狼会が絆で結ばれるかと思ったのですが」
「それこそお門違いな願いだな。縹局は国に依らない。俺たちが誰かの後ろ楯になることはない」
「そうでしたね。失礼しました。理解していたつもりだったんですが、ご不快に思われましたか?」
「いや、別に怒っちゃいないが……」
なんだ、このやりにくさは!
ベルライトの望みが見えない。彼は何を求めてるんだ!
「まあ、ベルフェンからエメロードの幸せを託されたと思ってはいるよ。それぐらいは見届けてやるさ」
「ありがとうございます。祖父になり代わりまして、お礼申し上げます」
ヤバい。
なんだ、このナチュラルに持ち上げられる感じは。
心底本気の太鼓持ちって、こういうことなんだろうか?
ベルフェンは、昔はベネフィットに対してこんな感じだったのかな。
こんな風に持ち上げられ続けていたら、そりゃあ慢心に心も染まるよな。
しかも、こいつには悪意がないぞ。ヤバい。悪意がないのに心が汚される。澱が溜まる。
こいつの全肯定と善解釈は、毒だ。
しかも、悪気がないから注意もしにくい!
竜狼会のみんなと、こいつと、いったい何がどう違うのだろうか?
こんな奴らに囲まれるのだとしたら、なるほど、権力は腐敗するのだろう。
突き放すことはできないが、受け入れるわけにもいかない。心を、守らなければならない。
俺は、絶対に屈してはならない。それだけは、忘れずにいこう。