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応接室に現れた王子様は、青白い頬に紅を差していた。
おい、お前もかよ。
騎士として功績があるんだ。かなり鍛え込んでいる筈なのに、背が高く、やせ形のすらりとした立ち姿は、本当に少女漫画のようだった。
幾分やつれた白皙の美貌。憂いを含んだその眼差し。
うん、男の敵だな。
「ローレンツ・フォン・エルディナールに御座います。お訪ねいただき光栄に存じます」
固い礼ではあるが、その仕草は優雅なものだった。
ほんと、エメロードとはお似合いの二人だったんだろうなあ。
おっさんだらけのサルディニアから帰ったばかりの俺の目にも眩しい。
同じ世界だというのに、掲載紙が違うみたいだよ。
「私に会いに来られたとうかがいました。如何なる用件にございましょうか?」
「ああ、中古品を押し付けられたんだ。挨拶のひとつもないのかと思ってな」
その瞬間、脳裏に響いた鈴の音は、今まで聞いた中でも最大に近い大きさだった。
なんだよ、やれば出来るんじゃないか。
「彼女の純潔を汚すような言い方はやめて頂きたい」
怒りを圧し殺したような震える声。
「ふむ、教えてくれ。その思いを持っていて、なぜ黙っていたのか」
「な……どういう意味ですか?」
「エメロードに、一言の挨拶もなかったらしいな」
「くっ……、そうですね。言い訳はしません」
「お前、このまま心を飲み込んでていいのかよ。あの娘が俺の腕の中でよがり声をあげる姿を想像して、平気なのか?」
「き、貴様っっ!!」
次の瞬間、俺は襟首を掴まれて吊るされていた。
おお、さすが背高さん。足がつかないぞ。
「何に縛られているのかは知らんが、それがエメロードより重たいもの、そう判断していいか?」
「あなたに……あなたに何が分かるっ!」
「知るか。分かって欲しいなら説明しろ。もちろん、エメロードにもな」
「……ご無礼つかまつりました」
「気にするな。なにと言うほどのこともない」
地に降ろされて、改めて見てみれば、ローレンツは悲痛な表情になっていた。
「あなたのように力があれば、意志を押し通すことも容易いのでしょうか」
「いきなり弱音かよ。殺すぞ」
ニーアと同じことを言っているじゃないか。
諦めた人間はみんな、同じことを言うんだな。回りのせいにして、自分を納得させているといったところか。
ニーアは立ち上がったが、こいつはどうだ?
まあ、立ち上がらなかったら殺すけど。
「そういうお前に聞きたいんだがな、じゃあ、お前の意志を通すために、何がどれだけ足りなかったんだ? 逆に言うなら、あと何があれば、お前は意志を通せたんだ?」
ハッと、虚を突かれたようなローレンツ。
「お前、俺と同じだけの力を持っていたらどうするつもりだったんだ? 親父でも殺すか?」
「な、そんなわけには……」
「周りのせいにして、自分を諦めさせている、それこそが本当の言い訳だよ。言い訳はしません、だと? 今のお前の有り様そのものが自分への言い訳なんだよ。エメロードにすべきは言い訳でなく説明だ。自分は弱くてエメロードを守れないからご免なさいってな。勘違いするな」
まあ、二の句は継げまい。
「お前、とっととルドンへ行け。行ってエメロードに土下座してこい。ついでに二、三発殴られてこい。お前の都合なんざ知ったこっちゃないがな、彼女にきっちり失恋させてやれ」
「そう、僕は本当にそうすべきだったんです。分かってはいたんです。ですが……」
おお、僕、になったぞ。ちょっとは本音に近づけたか?
「聞いてやる。説明してみろ」
「あなたに会うために部屋から出られた。一週間ぶりの外の空気です」
「ああ、軟禁されていたのか。何をしようとしたんだ?」
「エメロード姫のもとへ」
「そうか。やっぱり、親父でも殺すか?」
「そういうわけにもいきませんよ」
少し、肩の力が抜けたような笑い。ただ、諦観が相変わらず強いなあ。
「父は尊敬すべき立派な領主です。都市を乱すわけにはいきませんからね」
「お前が治める、という選択肢はないのか」
「考えたこともありませんでしたよ。僕はただの騎士です。父のようにはいきません」
「何言ってやがる。いずれ継ぐ身分だろうが」
一瞬、ハッとしたような表情を浮かべる。いや、気付けよ。
「分かります。今、言われてみると当たり前の事ですよね。あなたの言う通り、諦めていたんです」
「なら、もう一回だ。少なくともエメロードのケリだけはつけろ。とっとと行ってこい」
「無茶を言いますね。エルディナール騎士団を切り抜けていけ、と?」
「そうだ。見届けてやる。死んでもエメロードのために命を懸けた、と、ちゃんと伝えてやるよ」
「あはは、あなたなら本当に、そうしてくれそうですね」
「当たり前だ。エメロードにちゃんと失恋させるために、俺はここに来たんだからな」
「ひとつだけ、聞いていいですか?」
「なんだ」
「姫のために、どうしてそこまで?」
「健気な女の子が必死で頑張っていたら、支えてやりたくなるのが男ってもんだろうよ」
「……そうですね。本当に、そうですね」
ローレンツはひとしきり笑うと、ふう、と一つ息をついた。
そして、居住まいを正すと、正面から俺に向き合う。
「エメロードを返していただきたい」
「それを決めるのは俺じゃない気もするがな、もし嫌だと言ったらどうする?」
「はいと言ってくれるまで殴り続けます」
「ふん、覚悟を決めるのが遅いんだよ。あとな、お前に領主を任せるのは心配になったわ」
「何を言われますか」
「正面突破以外に作戦はないのかよ。お前に殴られた程度で折れる心を持ってはいないぞ。目的があるなら諦めないのは最低条件だがな、実現させるための方策を練れ。考え抜け。自分だけで駄目なら助けを借りてもいいだろうが。エメロードと二人で揃って土下座でもするなら、俺の心だって動くかも知れないじゃないか」
「……ご助言、感謝致します。これから、父のもとへ行ってきます。見届けていただいても?」
「まあ、骨は拾ってやるよ」
「ありがとうございます」
かくして、若武者は最大の関門へ向かうのだった、と。
なんとも世話の焼ける王子様だったな。エメロードもいずれ苦労するんじゃなかろうか。
『ふうむ、つまらん男ではなかったのか?』
さて、今は弱りきっていたからなあ。
一週間軟禁されながら必死で自分に言い聞かせていたわけだろう。まあ、そう簡単に立ち直れる筈がないと思ってな。
『必死、か』
ああ。
方向性が間違っていただけで、彼は彼なりに必死だったと思えたんだ。だから、まあ、骨を折ってやってもいいのかもしれない。
『まあ、エメロードが可愛かったからのう』
モチベーションの原動力、本当にそこかも知れないよ。
なんてな。