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「な、何を仰っていますの?」
「え、だって腹が立つだろ。悔しくないか?」
「それは、その、辛くはありますが腹が立つとは……。ローレンツ様にもきっと事情がおありなのですわ」
「ならばそれを説明すべきなのさ、彼はな」
お家大事以上の説明があるものなら、してみるがいい。
しかし、ローレンツは自分自身も子爵位を持っていたのだろう。いざとなればエメロードだけかっさらって、独立すれば良かったのに。
「エメロード、俺はお前のどんな思いも許すと言った」
「はい、覚えていますわ」
「ならば、聞こう。ローレンツが立ち上がったら、お前、ついていくか」
「……あなたは本当に意地悪ですのね」
「そうか? ベルフェンにそこまで見込まれたんだ。彼の孫娘の幸せを願っても、罰は当たらないんじゃないか?」
「なんてことを仰いますの!」
頬を赤く染めた悲鳴を背に、立ち上がる。
「会ってくる。夜には戻るよ」
「あ、あの、ローレンツ様はエルディナールにいらっしゃるんですのよ?」
「ああ、知ってるよ」
そのまま、返事を待たずに俺は部屋を出た。
意味は分かるまい。エメロードの言う通り、俺って意地悪だよなあ。
今の俺は銀狼の鎧姿だ。
隣の都市なんて、あっという間に着いちゃうんだよ。
『ツンデレお嬢様に萌えたか?』
ちょ、おま!
いきなりなんてこと言うんだ。
『さての。えらく骨を折るではないか』
まあなあ。
アイクラッドを追い込んだ手前、あの娘の未来が大きく変わったのは間違いないだろう。他の側室希望は知ったことではないが、エメロードだけは、ある意味俺がそうさせた面もあると思うんだよ。
あのハゲ親父にあそこまで見込まれたとは思っていなかったが、まあ、祖父への信頼だけで俺のとこに来ても、心は納得するまい。
それはエメロードの不幸だし、ベルフェンの本意でもない筈だ。
だから、ローレンツがどんな奴だったとしても、エメロードを捨てるのか、頑張るのかは知らんが、彼との間にケリをつけさせないと、彼女は前に進めないと思うんだよな。
『言う意味は分かっておるがの。それをお主が背負っておるから聞いてみたのじゃ』
そりゃ、俺だってここまで入れ込むとは思わなかったよ。けど、あそこまで必死な姿を見せられて、放っておくのは寝覚めが悪いじゃないか。
『平たく言えば、気に入ったのじゃな』
……それを否定はしないよ。
媚びてきたり、嫌々だったりしてくれれば話は簡単だったのになあ。
あそこまで覚悟を決められていたら、応えてやりたいと思うよ。
ハクの言う通り、そうだな、俺はエメロードを気に入ったんだ。
『ローレンツがつまらん男じゃったら……』
ぶっ殺す。
『うむ、即答じゃったな。その気持ち、立ち位置、忘れるでないぞ』
うん、ハク、ありがとう。気持ちの整理はついた。
例えどんな騒ぎになろうとも、俺の軸は見つけた。
ああ、やってやるさ。
やたら高い尖塔を誇るエルディナール城を前に、俺は気持ちを定めていた。
竜胆の里の騒ぎを教訓に、城に直接乗り込むのはやめておく。
城下町から城に続く橋に降り立ち、閉ざされた門を見上げる。
俺が降りた瞬間を見ていたのか、見張りの兵士の目の玉が、まるで飛び出しそうなほどに見開かれていた。驚かせて済まないな。
一旦翼はしまい、そして、俺は叫んだ。
「たのもうっ!」
時代劇のこの言い回し、ルーデンスに通じるものやら。
取り敢えず、城内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなっていた。
ううむ、自重したのになあ。
「貴公、縹局の頭目、タカナシ・ユウ殿とお見受けする!」
城門の上から叫び返してきたのは壮年の男だった。侯爵本人だろうか?
「いかにも。竜狼会局長、小鳥遊祐だ」
「先の戦に如何に功ありとはいえ、おとないもたてずに乗り込まれるとは無礼であろう! いかなる存念をお持ちか!」
む。
無礼は承知の上だったが、功績に調子づいてると頭ごなしに決めてかかるとは、ムカつくなあ。
先の戦など関係なく、おとないなんぞ、たてるつもりはないぞ。
「これは、大変に失礼をした。では、これより十数えたらそちらにお伺いする。よろしく頼む。ひとおつ!」
「な、何を!」
「ふたあつ!」
「ま、待て!」
「みいっつ! よおっつ! いつうつ!」
絶句している間に数は進む。
「とお!」
そう叫ぶと同時に、俺は跳んだ。
翼は出さずとも、銀狼の軽鉄騎に強化された力、ただの城門などあっさり飛び越えられる。
「ご希望通り、おとないをたてさせていただき、参上つかまつった。これでいいな?」
城壁の上、きれいに口ひげを整えたおっさんと向かい合う。
回りを固める兵士共々、言葉もないようだ。
まあ、頼みの城壁をあっさり飛び越えられたら、そりゃあどうしたものか悩むのが普通だよな。
なんにせよ、こいつらは俺の力を舐めていたらしい。
自重してきたつもりはないし、たぶん話は広がってると思うんだが、まあ、話し半分に聞いていたんだろうな。
ベネフィットがそうだったように。
取り敢えず、護衛の兵士たちは剣を抜くべきか抜かざるべきか、悩んでいるらしい。
「ローレンツに会いに来た。案内を頼めるか」
「な、倅に何の用だ」
「男同士の話、かな。案内はしてくれんのか。別に呼んでくれてもいいぞ?」
「なんのつもりか。よもや無体を働くつもりではあるまいな」
「うるさいな。話があるんだよ。別に害意はないぞ」
「それを証明できるか」
ううむ、こいつ、自分で何言ってるか分かってないんじゃないか?
混乱のあまり、ってところかな。自分の理解出来る領域との接点を、必死で探してるんじゃなかろうか。
まあ、合わせてやる義理はないが。
「お前は馬鹿か。俺が何をしたら証明になると思うんだよ。あ、いや。証明出来るわ」
「なんだ」
「害意があるならいちいち訪ねたりしない。もう殺しに行ってる」
「き、貴様っ!」
ローレンツを息子と呼ぶ侯爵らしきおっさんが腰に手をやる。
それを指示と受け止めたか、衛兵たちも一斉に剣を抜いた。
全く、面倒くさいな。
ブラウゼルはこれで分かってくれたというのに。
「そちらが証明しろと言うから証明したのに、どういうつもりだ。さっきから俺はそちらの指示に最大限応えてやっている。そちらこそ如何なる存念か。指示に応えて文句を言われる筋合いはないぞ」
だんだんイラついてきた。
ここにエメロードは嫁いでくるつもりだったのか、本当に?
「這いつくばって靴でも舐めたら許してやるとでも言うつもりか?」
「ま、待て、剣を引け!」
さすがに一触即発はまずいと思ったのか、推定侯爵が場の沈静化をはかろうとしている。
鈴の音がリンリン聞こえているあたり、衛兵たちは納得していないようだが。
まあ、そりゃそうか。彼らにしてみれば、俺は本当に乱入者なんだ。
国王の配慮だとか、先の戦の顛末とか、俺を憚る情報を持っているのは貴族たちばかりであり、末端の兵士からすれば、主君に仇なす無礼者にしか見えないよな。
いやはや、ごめんな。
「で?」
「で、とは?」
「ローレンツは何処だ?」
「息子は城の中にいるが、わざわざ会いに来られたのか」
「そうだ。話がある、と言ったぞ。会わせるなら会わせる、会わせないなら会わせないで、いい加減返事をしてくれないか」
まあ、会わせないと言うなら勝手に乗り込むだけだが。
「ま、待て、分かった。会わせる。会わせるから、しばし時間をもらえぬか」
「別に構わんが、男が男に会うだけだぞ。化粧だ身支度だと時間をかける方がうぜえ、そうは思わないか?」
ゼルガーンの口調を思い出しながら言ってみる。
「分かった、あい分かった。早急に準備させる。しばしお待ち願いたい」
「分かった。では、よろしく頼む」
鈴の音、未だ鳴りやまず、か。
主君を虚仮にされて怒らない衛兵の方が問題だし、まあ、健全な反応かもな。
少なくとも、部下に愛されてはいるようだ。
今の応対がしどろもどろなのは、まあ、俺が異常すぎるからなんだろう。未経験でパニックになっているんだろうな。
普段どれだけ有能なのかは未知数だ。
ただ、かなり権威主義的な気がするよ。好きにはなれないな。
取り急ぎ応接室に案内された俺は、少女漫画の王子様を待つことにしたのだった。
失意の王子様を。