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 アイクラッド伯爵は、一言で言えば貴族らしくない人物だった。


 例えるなら公務員のおっさんだろうか。偏見だが。

 覇気もなく、とてもじゃないが、あのハゲ親父の後継者には見えなかった。

 人畜無害そうな風貌を見ていると、アイクラッド家が残った理由が分かるような気がする。こいつは処刑しても仕方がない。そう思わせるほどに、穏やかな物腰だったのだ。


 あのハゲ親父に逆らうなんてとんでもない、と及び腰の息子。頼むに足りない息子は置いて、自分自身が侯爵家を治めるのだ、と、いつまでたっても隠居せずに陰謀を巡らせていた先代。

 全ての罪を、あのハゲ親父が背負っても、むしろそれが自然に思えるほどだった。


 いや、それおかしくね?

 それだけで今回の粛清の嵐を乗りきれるか?


 小説のネタとして考えるなら、きっとこれはフェイクだな。

 南方寄りの当主と、王家寄りの次期当主。

 役割分担をして、陰謀がどちらに転んだとしてもアイクラッド家が残るようにしてきたんじゃなかろうか。


 そう考えれば、無害そうな風貌でも油断は禁物だ。

 世の中には表情一つ変えずに人を殺せる人間もいると言うしな。

 まあ、ほんとに無害かもしれないけど。


 礼にはかなっているのだろう挨拶の末に退出していった伯爵を見送り、それから間も無く奥の扉が開かれ、一人の少女が入室してくる。

 いきなり来たんだ、見合い写真ほど手の込んだドレスではないが、若草色の優しげなドレスに、頬に僅かに紅を差して、彼女は部屋の入り口で深く頭を下げていた。

 まあ、何をされるか分からん相手と、いきなり二人きりにされたんだ。紅を差さねば誤魔化せないほどに、顔色は青白かった。


 正直、ごめん。

 でも、だからこそ、本音に切り込める筈。


 顔をあげたエメロードは、緩やかに波打つ金色の髪といい、少し目尻の上がった瞳といい、確かに美しい少女だった。

 ほんと、少女漫画みたいだよ。


「ほお、可愛い顔、してんじゃねえか」

 わざと無頼ぶらいに言ってのけると、それでなくても強張っていた唇がさすがにひきつる。


 そのまま、間をおかずに、俺は座っていたソファーから、一跳びでエメロードの目の前に立った。

 悲鳴をあげないだけ、凄いぞ。


「こいつが俺のものになるってんなら、確かに美味しい話だぜえ」

 懐の中でハクが笑いを堪えているのが分かる。うるさいな。俺だって舌を噛みそうだよ。


 そんなハクとのやり取りは無視して、俺は無造作を装いながら無遠慮にエメロードの胸元に手を伸ばす。ホログラムより控えめなのはご愛嬌だ。まあ、盛る時間もなかったんだろう。


「ひっ……!」


 さすがに息を飲んで一歩下がろうとしながら、だが、彼女はそこに踏みとどまっていた。

 顔を背け、目を閉じながら、それでも触れる寸前の俺の手から逃げようとはしない。

 たいした覚悟だ。


「お祖父様っ!」

 ほんの微かな悲鳴。


 鈴音だからこそ聞こえた、その助けを求めるかのような悲鳴は、あのハゲ親父を呼んでいた。

 あれ?

 ローレンツじゃないのか?


 必死に顔を背けながらぷるぷる震えるその姿。

 えらく嗜虐的な感情をそそる姿ではあるが、不躾にこれを眺めていたらまた、リムに何を言われるやら分かったものではない。

 もちろん、俺の趣味でもない。ほんとだぞ。


「ここまでだ。エメロード、驚かせたな」

 わざと足音をたててテーブルの方に戻っていく。俺が遠ざかっていることを分からせるように。


「え……、これは……」

 戸惑ったような声を出しながら、恐る恐るエメロードが目を開ける。

 俺はとっくにソファーに戻っているぞ。


 青白かった頬に、さっと赤みが差す。

わたくしを、騙したんですの?」


 わお、ですの、だよ。本物のお嬢様だな。

「そうだな。からかった、と言うにはたちが悪かったな、済まない。覚悟のほどを、見せてもらった」


 素直に謝罪すると、今度こそ、エメロードは途方に暮れたようだった。

 まあ、きっと予想していた展開のどれにも合わなかったんじゃないだろうか。


「話がしたかったんだ。取り敢えず、座ってくれないか」

「よ……よろしくて?」

「ああ、もしなんだったら、お茶でも頼むか。いや、まあ、お前んちなんだけどな」


 調子が狂ったものか、エメロードは流されるままに対面に腰を下ろす。なんとも優雅な仕草で。


 これは、あれだな。今までに会ったことのないタイプだ。徹底的に貴族教育を受けたお姫様だぞ。

 姫という意味では、凛の方が圧倒的に高貴なんだが、姫レベルは比べ物にならなかった。

 まあ、凛はあれこそが魅力なんだけど。


「改めて名乗ろうか。小鳥遊祐だ」

「……エメロードに御座います」

「聞きたいことは一つだけだ。俺のもとに嫁ぎたいという、その存念を聞こう」


 エメロードは絶句したようだった。

 分からなくもない。

 貴族の結婚と考えれば、存念を確認すべき相手は当主であって本人ではない。この問いかけはエメロードではなく、あの公務員にすべきだったのだろう。普通ならな。


 公務員、確か名はフェンリッドかフェンロッドかなんとか言っていた。

 ちなみにあのハゲ親父、先代はベルフェンだそうだ。


「わ、私は、あなた様の武名、勇名に心惹かれ……」

「ああ、そういうのは無しだ。飾らずにいこう。俺はお前の祖父の仇だ。そうだろう? 喜んで嫁げる筈もあるまい。酷な問いであることは百も承知だ。だが、この場限りでいい。お前のあらゆる想いと発言を許す。お前が何を言おうとも、俺はそれに遺恨を持たない。俺は、俺の名に賭けて、エメロード、お前に誓おう。お前の想いを、教えてくれ」


 えらく上から目線の言い様ではあるが、この場を進めるためにはやむを得ない話だった。

 俺がどう思おうと、エメロードたちにとって、俺は上位者に他ならないのだ。

 アイクラッド家の未来もが懸かっていると考えれば、迂闊なことを言えよう筈がない。


 だから、俺は俺の名で、発言を許すしかないのだ。これでなお、話してくれないのなら、これはもう、対話の成立する見込みはないと判断するしかない。

 それはそれで、一つの答えだろう。


「……お祖父様、いえ、祖父ベルフェンの遺言に御座います」

「ああ、お祖父様でいいぞ。敬語も使わなくていい。ともあれ、先代の遺言か。中身を聞いても?」

「私に婚約者がいたことはご存じでいらっしゃいますの?」

「まあ、知っているよ。破談になったことも聞いてる」


 破談、と言った瞬間、エメロードは少し痛みをこらえるような表情を浮かべていた。まあ、無理もないか。


「お祖父様は、もしもエルディナール家との婚約が破談となった場合、すぐにタカナシ・ユウ様を頼れ、と言い残されました」


 ふうむ、あのハゲ親父の決断だったのか。

 それにしてもなんだな。タイミングがおかしい。

 破談になったら俺を頼る、と言いながら、挙式は早々《はやばや》とキャンセルしていたわけだろう。

 まるで、破談になることが分かっていたかのようだな。


 それはつまり、どういうことだ?

 ベルフェンはエルディナールを信用していなかったのか?

 ならば、最初から俺を頼るつもりだったのかもしれない。エメロードを納得させるため、形式的に破談の通知が来るまで待っていただけで。


「それで、婚約破棄となったから遺言に従ったわけか」

「そうです。お祖父様はどうしても私を、タカナシ様に嫁がせたかったようで、亡くなるまでの十日間は、寝ても覚めてもタカナシ様のお話ばかりされておりました。時を共有出来なかったことが生涯の悔いだ、と、まるで口癖のように……」

「買い被りだ、と言ってしまうのは容易いが、そこまで買ってもらえたというのも嬉しいもんだな」


 ううむ。思いきり追い込みをかけた記憶しかないぞ。


「まあ、いい。大体話は分かった。ベルフェンの遺言があったればこそ、ということだな。ならばその上で聞きたい。お前はそれでいいのか?」

「私に選択権がありまして?」

「やる、と言ったらどうだ」


 質問に質問が返って来たので、さらに切り返す。

 考えたことはなさそうだが。いや、考えることを許されてこなかったのだろうが。


「婚約破棄に際して、ローレンツはなんと言っていた?」


 その瞬間、エメロードが浮かべた表情は悲痛なものだった。

 さっきのような痛みをこらえるどころではない。本気で傷付いた顔だぞ、これは。


「まさか、一言もなし、か」


 エメロードはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 どういうことだ、王子様。

 助けを求める相手が祖父になるわけだよ。あそこは本来、お前の役目だった筈だぞ?


「お祖父様は、エルディナール家が婚約を破棄してくる、とはっきり予見されておりましたの。私には信じられませんでしたわ。そんな筈はない、と」

「だが、実際はベルフェンの言う通りだったわけだな」


 こっくりとエメロードは頷く。

 おい、ハゲ親父。なんて置き土産を残してくれたんだ。


 それにしても、ローレンツ、いったいどういうことだ?

 アイクラッド側が望んだ筈の結婚だろうに、ベルフェンには見切りをつけられていたとでも言うのか?


 いや、ちょっと待て。

 エメロード自身が政略結婚の駒であったように、ローレンツもまた、家にとっては政略結婚の駒なのかもしれない。

 そうであるならば、政局の変化で家の関係が変わってしまえば、駒も従うしかない。


 家と恋と、どちらを優先するか?


 少女漫画ならば恋だろうが、正しい貴族ならば家であるべきだ。

 なるほど、ローレンツは立派な貴族なのかもしれない。エメロードは泣いているけれど。

 正しい貴族なんて、糞食らえだけれど。


 ベルフェンはそこを見抜いていたのかもしれない。

 エメロードはローレンツを信じていたが、実際は裏切られた。祖父の正しさを実感してしまったと言えるだろう。


「なあ、エメロード」

「はい、なんでしょうか?」

「ローレンツ、殴りに行こうか」


 ポカンと口を開けたその表情は、初めて年相応のあどけなさを、俺に見せてくれていた。


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