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十日ぶりの我が家だ。
ほとんど全行程を重装モードのダッシュで駆け抜けてきた結果、まあ、一日で充分に走破可能だった。
被害が出ないよう少し抑えてこれだよ。
銀狼の鎧の全力飛行だったら、本当に大陸の何処でもすぐに行けてしまうな。
自重……はあんまりする気もないけど。
エスト山脈を越えると森も人も増えるから、そこからは飛んでヒノモトにたどり着いた。
あともう一つの利点としては、空からの方が地理を把握しやすい。道には迷わずに済むかな。
ともあれ、晩飯には間に合った頃合いのようだ。
うん、長い旅だった。
「おお、我が君。お帰りなさいませ」
「ああ、今戻った。変わったことはなかったか?」
「そうですな。ルドン騎士団の出陣がなくなりましたゆえ、治安維持に取り立てて大きな問題は出ておりません。戦争回避から商業活動が活発化しており、通商依頼が増えているくらいですな」
「そうか。平常運転というわけだな。分かった。サルディニアは今後、こちらと全面的な協力体制を敷けると思う。通商開拓に力を入れる方向で頼む」
「我が君のみ心のままに」
「ヴォイドとも連携してくれ。サルディニアが安定した今、次はタント方面を狙うつもりだ。タントがどんな国なのか、俺も自分の目で見たくなった」
「ミュラー傭兵団からは定期連絡が滞りなく届いておりますな。我が君の来訪を、心待ちにしておりましょう」
「騙りの件か。よし、明日には行こう」
軽く即決すると、それにはジークムントが待ったをかける。
「お待ちくださいませ。心待ちと言いますれば、奥方様が我が君のお帰りがいつか、大層気にされておられました。華桑のみならず、ルーデンス中から多くの書状が届いております。まずはご確認いただけますれば幸甚にございます」
「お、そうなのか。分かった。判断はそのあとでも遅くないというわけだな。ま、確かに。まずは、顔を見てくるよ」
「我が君のみ心のままに」
こういう時に、鈴音の恐ろしさがかいま見えると思う。
ジークムントは俺の言葉を絶対のものとはしているけれど、決してイエスマンになったわけではないのだ。
ジークムントの価値観のなかで最高のものが俺になったというだけで、意志も、思考も、人格も、なにも変わってはいない。
今のように、珍しく諌めるような形になったとしても、俺にとって最も価値的だ、とジークムント自身が考えた行動をとる。
価値観の書き換え、か。
だから、俺も、俺自身がジークムントの生き方にとって価値がある存在にならなければならない。
ヴォイドも同じ。
これを、俺は決して忘れてはならないのだ。
凛は俺の部屋の方にいた。
物見の者が俺の帰還に気付くと、半鐘ではないが、特定の報せを鳴らすことになっているのだ。恐らくそれで、部屋に移動したのだろう。
俺が空から移動することが多いから、普通の迎えだと対応出来ない。その結果、今のシステムになったわけだ。
家に戻っても、俺の動きは先読みしにくいようだし、儀礼めいた迎えの手順など組みたくもない。
漫画とかで見た執事やメイドが並んで出迎える場面など、自分がされるのは正直、御免こうむる。
ヒノモトに来て大きな屋敷に移ってから、屋敷の維持のために何人かメイドとかも雇っているようだが、どうか俺のことは気にせずに仕事をしていてください。挨拶はこちらからします。
そう思ってしまうのは、まあ、根が小市民なんだろうな、きっと。
そんなわけで、大仰な迎えは無しにして貰った。
だから凛も、確実に俺と会えるだろう部屋で待ってくれていたというわけだ。
「ただいま」
「うん、お帰り。待っていたよ」
「お帰りなさいませ、ユウ様」
凛とシャナが迎えてくれる。
ああ、やっぱり、ホッとするなあ。
「サルディニアはどうなったかな?」
「うん、大侵攻は終わりとなった。今後、成人の儀はナーダムという祭りに代わる。俺は、風の御子として認められたようだよ」
「風の根源法か。確かに、サルディニアにとっては大きな意味を持つだろうな。では今後、全てのサルディニア人が、貴方の味方となるわけだな」
「まあ、そうなるだろうなあ。反発する奴がいないとは思わないけど、きっと、俺の後ろにはサルディニアがつくことになる」
うん、と一つ頷いた凛は、少しだけ呆れたような、力の抜けた笑いを浮かべていた。
「華桑に続いてサルディニアが貴方の傘下に入ったか。このままいけば、全ての国が貴方のもとに集うのも遠くないかもしれないな。まあ、それこそは、私たち華桑千年の悲願なのだけれども」
「華桑の悲願? なんだ、それは」
「戦争の放棄。人間同士での恒久的な平和が、華桑の悲願だよ。大陸を滅ぼされた私たちの敵は、滅びの獣なんだ。決して人間ではない。魔獣を相手にどの国も関係なく連携を組み、団結していけたら、それは素晴らしいことだと思うよ」
「それはそうだろうな。外敵が必要なのかもしれないけれど、大きな敵を相手にしたら、人間の違い、国の違いなど些細なことだ、と思えるのだろうよ」
映画とかではよく見た設定だ、エイリアンを相手に地球人が団結するとかは。
「同じことを考えてくれていたんだな。嬉しいよ」
凛が嬉しそうに笑う。
なるほどね。
この大陸で、外敵を知っているのは華桑人だけなんだ。
魔獣という天敵がいながらなお、人間同士で戦争をしているこの大陸、槙野家はさぞ、歯痒く思っていたのではないだろうか。
まあ、俺のもとに全ての国が、とは言っても、サルディニア相手には風の力がとてつもなく重大な意義を持っていただけで、華桑相手にも、同じことが言える。
俺が扶桑人であること、それこそがサルディニアにとっての風の御子と同じくらい、華桑にとって重要なことなのだ。
華桑とサルディニアが俺のもとについたのは、まだ必然として理解が出来る。
他の国に関しては、恐らくそういったアドバンテージは存在しない。
だから、全ての国が俺のもとに、というのはまあ、あまり現実味のある話ではないよな。
「で、なにか話があるんだって? ジークムントからそんなことを聞いたんだが」
「ああ、そうなんだ。まずはこれを見てもらおう。シャナ、頼む」
「はい、こちらに」
シャナがワゴンを押してくる。額縁やらパネルやら、宝石箱みたいなものを満載にして。
む、嫌な予感がするぞ。
「これはなにかな?」
試しに、一番上に無造作に積んである額縁を手に取ってみた。
そこに描かれていたのは、美しい貴婦人の立ち姿だった。少しばかり憂いを含んだ表情が魅力的だ。
まあ、なんとも、綺麗な絵画だよな。
その下にあるのは、もっと芸術性を突き抜けさせた作品だった。
いや、まあ、誤魔化す意味もあるまい。
ぶっちゃけて言えば、それは裸婦像だった。
その他、何枚も、何枚も、肖像画、全身像や顔のアップなど、年齢層も、恐らく十代前半の幼げなものから、妖艶な姫君、二十代の肉感的な美女像など、まあ、小さな美術館になってしまった。
「なんとも壮観な眺めだな。展示して無料公開でもしてやろうか。芸術は心を潤すからなあ」
「気持ちは分かるよ。私も正直、呆れている。ただ、理解出来なくもない」
俺と同じように苦笑いを浮かべていた凛が、ふと、表情を改める。
いくつかある宝石箱のうち、最も美しく装飾されたものを手に取ると、開けて見せてくれた。
中は、まるでビロードのような内張りが施されており、蓋の裏側に、スリットのような、接続コネクタのような隙間がある。
そして、満載されていたのはきらびやかな宝石、ではなく、くず魔珠が詰め込まれていたのだ。なるほど、魔道具か。
「シャナ」
「はい、起動します」
うん、凛も俺と同じように、使い方は分からない側らしい。華桑は魔珠自体と縁が薄い文化だもんなあ。
シャナがスイッチを入れたのか、何か操作をすると、箱から光の帯が溢れだした。そのまま、光は人の形を形作り、やがて、一人の美しい少女の姿を写し出していた。
等身大の大きさで、まるで本当にそこに立っているかのような姿。
ホログラムかよ。
映像通信の概念すらなかったというのに、これはいったいどういうわけだ。
いや、違うか。
これはあくまで静止画に過ぎない。静止画の表現方法の一つというだけのことだ。
タントのあの通信は、リアルタイムでの映像接続なのだから、まあ、根本的な質が違うのかもしれない。
ともあれ、俺達の目の前には、少し固い表情で佇む、ドレスに身を包んだ美少女が立っていた。
まるで触れそうだよ。鈴音から見れば、そこに実体はないんだけど。
もし鈴音の感覚がなければ、思わず触ろうとしてしまったかもな。
「この人は?」
「アイクラッド伯爵令嬢エメロード殿だ」
「伯爵?」
聞き覚えのある名前に、聞き覚えのない肩書き。……もしかして。
「先代はちょうど昨日、爵位剥奪の上、処刑された。ただ、家名は残すことが許されたんだよ。家格は下げられたけれど」
「そうか。まあ、最後は全面的に協力してくれていたし、情状酌量を勝ち取ったわけか」
「全ての罪を、ベネフィット公が被ってくれたとも言える」
そうか。
なら、この女の子はあのハゲ親父の孫娘、なのかな。
ある意味で、俺は仇になるだろうに。どこまで覚悟を決めたんだろうか?
「しかし、こんなにたくさんか。部屋がいくつあっても足りないな」
これだけ全部が、俺に対する結婚の申し込みというのか。参ったね。
「いえ、載せきれなかったものが、まだ幾つも御座います。それに、明日以降もまだ届くかと。一緒に届けられた贈り物は倉庫から溢れております」
「ふむ、なんというか、ルーデンス国内での俺の評価が激変したようだな」
「それだけのことを成したんだよ、貴方は。あと、それだけではない」
「うん、この申し込みのうち、大半がベネフィット寄りだったんだろう?」
「……その通りだよ。貴方を驚かせるのは難しいね」
エメロードの見合い写真が最も手が込んでいるというのが、全てを物語っていた。
ルーデンス国内での立場が危うくなった貴族たちが、俺に寄ることで結果的に国からの配慮を得ようと躍起になったんだな。
俺を身内にしてしまえば、ルーデンスは処分しにくくなるのは明らかだ。俺が何をするでもなく、向こうが二の足を踏むだろうから。
「俺を身内に引き込む価値、か。今回の一件で、それは尚更跳ね上がったと考えるべきかな」
「風の御子、か」
「風の竜神とも呼ばれたよ」
「……御子どころではなかったな。風に愛されたものとして尊重されるどころか、加護を与える側になったわけか。ならばこれから、貴方を敵に回すというだけで、同時にサルディニアを敵に回すということになる。貴族たちの目の色も変わるだろう」
「はは、勘弁してほしいな」
「あと一つ、受け入れなければならないことが出来たよ」
まだ増えるのか!
「なんだろう」
「近いうちにサルディニアから輿入れの行列が着くだろう。貴方が風の竜神と認められたのならば、恐らくその血と祝福を受けに、全ての氏族が側室を出してくるだろう」
「……そ、そうなるかな」
「貴方の祝福を受けることがサルディニアの喜びになる。さすがにこの側室希望は断れないぞ」
そりゃそうか。俺が拒否すれば、それはサルディニアにとっては風に見捨てられたのと同義だ。致命的と言っていいだろう。
「大氏族が五つ」
「中小氏族も合わせれば、十人できかないことは明らかだな。部屋の数が足りないというのは、本当に冗談では済まないんだよ」
「ここに集まるより、俺が飛んで巡る方が早いぞ」
「うん、それも冗談にならないな。皆の目の色が変わるのも、当たり前に思えるだろう?」
ああ、そうだな。
俺の、俺達の異常性が、ようやく分かってきた気がするよ。
異世界転移もので能力を手に入れた主人公たちがすぐに引きこもりになる気持ちが分かる気がする。
本当に大変になるだろうな。自重はしないけど。
ある意味で、これは必然だった。
今までの俺は、国と離れたある意味閉鎖社会、エルメタール団に引きこもっていたようなものだ。
だが、その俺の道が、ようやく他の国と絡み合い始めたのだ。
大変だろうとは思う。
それでも、俺は進む。
それが、あいつとあの人への誓いなのだから。
局中法度はただ、一条。
惜しまれて死ぬために、俺はいく。