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 一晩続いた宴会も、朝靄の中、終息を迎え、そこかしこに酔い潰れた連中が沈没するサジェッタの中を進む。


 共に馬をゆるゆると歩ませているのはミルトンだ。

 痩せぎすではあるものの、背筋のしゃんと伸びた姿は、輿の上にいた老人と同じ人物とは思えないほどに若々しく、覇気に満ちていた。


「あの副官は、新顔というわけか」

「そうですなあ。サームの集落で見た覚えくらいはありますが、会議に来る予定だった男とは別人でしたなあ」


 ツェグンは天幕に引っ込んだきりだ。

 引っ張り出してもいいんだが、その役目はまだ沈没したままのゼルガーンに任せるべきだろう。

 俺は、追い込むだけだ。


 たまに鼻を鳴らす馬の首筋を撫でるミルトンは、本当に嬉しそうだった。


 話は明け方に遡る。

 輿の上から宴会の指示を八面六臂で取り仕切っていたミルトンを、俺は輿ごと略取していた。

 そのまま、サジェッタの外、平原に連れ出す。


 白んでいく東の空を眺めながら、俺は聞いた。

 もう一度、自分の足で立ちたいか、と。


「ほっほ。この傷は己が戒めでもありますでなあ。自ら招いたもの、何を恨むでもない。この姿が、あるべきものと思うとりますよ」


 だが、その表情には、隠しきれない憧憬が滲んでいるように見える。

「ただ?」

「ただ、とはなんですかのう」

「ん、いや、今の口ぶりだと、ただ、と続きそうだと思っただけだ。続き、あるんだろう?」

「ほっほ、かないませぬなあ。足に未練がないのは本当ですじゃ。ただ、もう一度だけで良いから、馬に乗りたかったですのう」

「馬から落ちて怪我をしたというのに、最後の未練が馬に乗りたい、なんだな」

「ほっほ、業の深い話ですのう」


 なるほど、笑って話せるようにはなったんだな。

 だが、あの遠くを見るような瞳、あの憧れ、焦がれるような想いは本物だと思う。

 よし、やるか。


「馬に乗りたい、か。一度だけでいいんだな?」

「そうですなあ。一度だけ、なら、夢を見ても罸は当たりますまいて」


 有り得ないだろう夢を語るミルトンの上に漂う諦観。

 それを、吹き払ってやる。


「ミルトン、こっちを見ろ」

「ほ、お、おお、そのお姿は……!」


 太郎丸を後ろに控えさせ、俺は翼を広げていた。

 朝日の最初の一閃が、俺の姿を鮮やかに浮かび上がらせている筈。

 狙った甲斐あって、タイミングはバッチリだ。


 この姿を見るのは、ミルトンも初めてじゃなかったかな?

 最初に特攻したときに見たやつは多いだろうから、話には聞いているだろうけど。


「風を継ぐ竜として、ミルトン、お前には感謝している。俺は、お前を認める」

「ありがたき、幸せに存じますぞ」

「うん、よしミルトン、俺の心臓に触れ」

「……は?」


 さしものミルトンの目が真ん丸になる。

 この顔が見たかったと言えば、悪趣味かなあ。その目の前で、鎧をはだけ、胸を裂く。

 輿の上では、逃げたくとも逃げられまい。ミルトン、覚悟を決めやがれ。

 途切れた腰を突破し、熱と鼓動がミルトンの足の先まで届く。


「これは、奇跡でしょうかの」

「そう言うやつは、言うだろうな」

「この魔法は、一度だけ、馬に乗せてくれるんですなあ」

「ああ、そうだ。一度だけ、な」


 今にも町に帰りたそうに、うずうずした様子のミルトン。


「一度馬に乗ったら、降りるときは死ぬとき、ってのがサルディニア人なんだろう? 一度だけ、馬に乗せてやるよ」

 一瞬、考えたミルトンの瞳に、理解の色が広がっていく。


 ああ、その通りだよ。

 お前の足は、死ぬまでそのままだ。


 ミルトンの瞳から、滝のような涙が溢れた。





 直接、俺の加護を受けたものとして、セル族の地位が一気に高騰するのは避け得ないことだった。

 序列をつけたくはないからあまり本意ではないんだが、やってしまった以上、仕方あるまい。


 反対に、サーム族の地位が一気に暴落しようとしている。

 それを防ぐため、サーム族を守るために、全ての泥を被った男が、今、俺の目の前に立っていた。


 その名はツェグン。

 サーム族に対する背信で、ヤンの称号、サームの名を剥奪された男だ。


 サルディニアが変革しようというこの時、古き恨みから離れることが出来ずに風の神に逆らう愚かな男。

 立場を悪用し、私怨の戦いにサーム族、ひいては大侵攻を利用してサルディニアを巻き込もうとした男。


 その悪名を一身に背負い、ツェグンは俺の前に立った。


 サーム族の天幕で何が話されていたのか、全ては鈴音に聞こえていたわけだが、ここは知らない振りを押し通すべきなのだろう。

 ツェグンとその息子や側近たち。

 涙を堪え、心を鬼にした彼らのやり取りを、俺は誰にも公表していない。


 本来サーム族に着せられるべき罪を、ツェグンはその両肩に独り、背負っていた。

 広場の真ん中で俺を前に、仁王立ちとなったその姿。

 各氏族長を始め、全員が押し包む中、彼は決しておじず、揺らがず、思いの丈を叫んでいる。


「友を殺され、子を殺された、この恨みは忘れられるもんじゃねえ。ルーデンスの糞どもを一人でも殺せるのなら、俺はなんだってやる。タントとだって結ぶ!」

「裏切りだ! タントとの密約など、たとえ族長と言えど許されるものじゃない! もう父とは呼べないぞ!」

「子どもは黙っていろ! 兄の死を忘れたか!」

「ルーデンス騎士十人を道連れにした立派な最後だったと教えてくれたのは、あんたじゃないか! 名誉の戦死を汚すつもりか!」


 黙って場を見下ろすゼルガーンの前、ツェグンの断罪が、サーム族を中心に起きている。


「ゼルガーンも焼きが回ったもんだ。小僧一人にあしらわれて、敵わなければ神と祭り上げんのか! そんなもなあ、俺は認めん! 化けの皮を剥いでやらあ!」

 俺への敵対を明言した時点で、ツェグンはこの場の全てのサルディニア人を敵に回したと言える。

 俺への敬意や信仰という意味だけでなく、誰もが誇れる激闘を繰り広げたゼルガーンの決断を汚すものとして。


「化けの皮、か。いいだろう。剥げるものなら剥いでみるがいい」

 ツェグンに応じ、一歩、前に出る。

 この始末は、俺がつける、と暗に示しながら。


「本気でやってやるよ。殺すだけなら容易い、それを証明してやる。太郎丸、下がってろ」

「御意」


 俺の体から離れた鎧が動き始めたのを見て、さっきまでとは別のざわめきが広がっていく。

 そのざわめきを圧して広がる竜の翼。


「おお……!」

「風の竜……!」

「風の御子は竜神さまだったのか……!」


 押し殺したようなざわめき。

 俺への信仰心はもう、ストップ高だろうな。

 竜胆の里を思い出す。

 この人たちの信仰はこの人たちのものだ。俺は、引きずられなければ、それでいい。


「ツェグン、かかってこい」

「鎧を脱いで、そこまで舐めてんのか、この糞ガキゃあ!」

 怒髪天をつく勢いで組みつきにかかるツェグン。


 まあ、誤解されて当然だとも思うが、殺すという意味での本気度合いはこっちの方が上なんだがなあ。

 正面から受け止め、がっぷり組み合う。


 一瞬の拮抗から、ゼルガーンの時と同じ脱力感が襲いかかってきた。

 だが、同時に、そここそが勝機だ。

 さんざん投げられ、体に刻み込まれた最適のタイミング、鈴音の補佐を受ければ、そのタイミングを逃すことはない。


 技が来る、体で覚えたその瞬間の機先を制して、俺は、竜の咆哮を放っていた。


 輝くブレスに打たれ、ツェグンの体が一瞬硬直する。

 いくら溜めのない即撃ちとはいえ、硬直だけで済むとか、やっぱり大したものだよなあ。殺す気はなかったわけだが、鍛えてなければ即死したって不思議ではない威力だぞ。


 まあ、殺す気で溜めて撃ったブレスにもかかわらず、悲鳴をあげるだけで済んだどこぞの黄金騎士などは、もう話にもならないわけだが。

 あいつ、頑丈すぎるだろう。


 ともあれ、その機を逃さず、俺は全力で跳んだ。

 そのまま翼を打ち、一気に上昇していく。


「さあ、どの高さから落ちたい?」

 風に乗せたこの問いかけは、ツェグンの末路を地上の皆に充分に想像させた筈だ。


 な、ゼルガーン。さすがにこれなら、誰だって死ぬと思うぞ。


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