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正直、飛びかかってこなかったのが不思議なくらいの怒りっぷりだった。
腰の鈴音、体の太郎丸、胸の奥の鼓動、そして、懐に隠れるハクのぬくもり、それに支えられて、怒れる巨人の激情に立ち向かう。
さて、何が気に食わなかったのだろうか?
「異論があるなら聞くが?」
皆に支えられ、平然と言葉を返してみる。
うむ、声は震えていない。よくやった、俺。
「小僧、てめえは俺たちを変えに来たんじゃねえのか。言うだけ言っておいて、変わらなくてもいい、好きにしろたあ無責任が過ぎるってもんだろうが。てめえの言葉には重みがねえ。俺たちを変えようという意志がねえ。なにも変える気がねえってんなら、最初っから言うんじゃねえ!」
思ったより、返答は静かな声だった。いや、押し殺したような声だから、感情はより激しいのかもしれないが。
ただ、なるほど、分からなくもない。
俺が切っ掛けになればいい、というのは確かに傲慢が過ぎたかもしれないな。少なくとも、上から目線と取られて当然ではあったろう。
だが。
「言って変わるものなら変われよ。俺に変えて下さいとでも頼むつもりか。だったら俺に頭のひとつでも下げてみるか」
俺を無責任と言うなら、お前らだって甘えてるんだよ。
「わかることはかわること、ってな。本当に分かってしまったら変わらざるを得ないんだよ。変われないならまだ、分かってないのさ」
男の子が自分の弱さを痛感してしまったら、強くならずにはいられないように、な。
「なら、分からせてみやがれ、てめえの意志を見せてみやがれっ!」
脳裏に響く澄んだ鈴の音。
ああ、そう来るだろうな、と思っていたよ。
この天幕は、取り敢えずばかでかい。いわゆる謁見とか、式典に使われたりもするのだろう。
会議そのものは人数も少ないものだし、場所にはまだまだ余裕がある。
少なくとも、相撲をとる空間くらいはあるだろう。
全開で走り回ったらあっという間に突き破るだろうけど。
捕まる寸前、大きく跳びすさり、天幕中央で待ち受ける。
踏み込みのスピードは凄いものだが、鈴音に追い付けるほどではないよな。パワーが太郎丸を上回るなら、それはもう魔獣の類いだ。
あとは、武術か。
こいつも、岩相撲なのだろうか?
斬線はいくつも見えるが、鈴音よ、今回は出番なしな。
まずは、取っ組み合う。
鈴音に引き伸ばされた時間感覚のなか、俺たちはがっぷり四つに組み合った。
組んでまず最初に感じたのは、違和感だった。
おかしい。太郎丸の力が、この程度の筈がない。何故か、力が入らない。
足元がふわふわするような感覚は、踏ん張りが効いていないのか?
脇があいていくような不安感。
鈴音の導く通りに体が動かせない!
ヤバい、そう思った時には天地が逆さまになっていた。
凛の時みたいにいきなり地面、ということはないが、抵抗は出来なかった。
古流武術とかでよく言われる、これが崩しってやつだろうか。
地面が迫ってくる。
何かで読んだが、投げ技というのは、地面という鈍器を使った打撃技とも言えるらしい。
なるほど、分かりやすい。ただ、太郎丸と地面なら、圧倒的に太郎丸の方が固いだろうけど。俺で地面を殴るみたいなものか?
まあ、きっと投げて終わりではないよな。背中がついたら敗けとかそれで済むとは思えない。
地面に落ちるのは多分、ダメージにはならないだろう。ならば、備えるのはその先だ。
次の瞬間、轟音と共に、俺は地面にめり込んでいた。
息が詰まるような感覚はあるが、それでも衝撃は全て太郎丸が受け止めてくれている。問題は、ない。
問題は二手目、目の前に迫る肘にあった。
俺がめり込んだのとほぼ時間差なく、胸の中央に肘打ちが落ちてくる。
意外なほど小さい、鈍い音。
だが、衝撃は洒落にならなかった。
これはあれだ、たまに凛に食らう太郎丸を抜けてくる打撃だ。
ブラウゼルのようにパワーで突破してくるのではなく、滲むように浸透してくる気持ち悪い打撃だ。
「ぐふっ……」
まるで漫画みたいだが、本当に喉からぐふっ、なんて音が出るとは思っていなかったよ。
畜生、やっぱり効くなあ。
まあ、気持ち悪ささえ我慢すれば、ダメージはすぐに回復する。
この気持ち悪さも、ある程度は慣れたものだ。頑張れ、祐。
「ふん、口ほどにもねえ。エルゼールを下したと言ってもこの程度か。おい、ウィグルを呼べ! セル族の顔は立ててやる。治癒符は惜しまなくていいと伝えろ」
立ち上がり、座席に戻っていくゼルガーンはこちらを振り向きもしていなかった。
おいおい、油断が過ぎないか?
まあ、それだけ自信があったのだろうけどな。
ちょっとだけ我慢して何事も無かったかのように起き上がり、俺もゼルガーンについて席に戻ろうとする。
立ち上がった俺に気付いたか、ゼルガーンが愕然として振り返っていた。
「なん……だと……?」
「さて、話の続きといこうか。ゼルガーンも座れよ」
ミルトン以外が言葉もなく、呆然と俺を見つめている。これはあれか。ゼルガーンの持っている一つの信頼の形だよな。
ゼルガーンの技をまともに食らって、起き上がれる筈がない、という。
「てめえ、無傷、だと?」
「いいや、滅茶苦茶痛かったぞ。まあ、俺を殺すのは難しいよ。勝つだけなら楽だったろうけどな」
「どういうことだ」
「やりあって分からなかったか? 俺の武術の腕は全く未熟なものだ。殺し合いなら負けはしないが、腕比べになるとなかなか勝つのは難しくてなあ。エルゼールにも剣の腕は全く及ばなかったからな」
さて、意味は分かるだろうか?
不審そうな瞳が俺を射抜く。
「殺し合いならてめえは負けねえ、そう言いたいのか」
「ああ、そうだな。まあ、多分、誰が相手でも殺すだけなら簡単だと思うよ」
「舐められたもんだな。そこまで言うなら殺してみろ。殺し合いをしてやんよ」
「嫌だよ、面倒くさい」
「んだと、てめえ!」
「お前を殺したら、あとはサルディニア人全部を殺さなきゃならなくなるじゃないか。俺は戦争を止めに来たんだよ。サルディニアを滅ぼしに来たんじゃないぞ。その俺が人を殺しまくっていたら本末転倒じゃないか」
「サルディニアを滅ぼすだと? 出来ると思ってんのか」
「逆に聞きたいね。どうして出来ないなんて思うんだ?」
昂然と胸を張り、敢えて腕を組んでゼルガーンを見据える。
身長差はかなりあるんだが、構うものか。気分的には見下ろすように。
「俺は言いたいことを言ったぞ。これからも言い続けるだろう。大侵攻は迷惑だ、とな。意志を見せろ、だと? 違うね。俺の意志はもう見せてる。聞きたくないなら黙らせてみろ。俺がどうするか、じゃない。お前らがどうするのか、って話だ」
もし、俺が力を見せつけるとしたら、今、この場なのだろう。
よし、やってやるよ。
「変わりたくないなら、しがみついてろよ。ルーデンスに反抗してます、って体裁のために、何回でも小競り合いを続けるがいいさ。俺は縹局として、治安維持のために何回でも潰してやるよ」
「てめえ、言わせておけばッッ!」
ここまで言い続けたんだ。軽い挑発でもゼルガーンの激情を引き出すのは簡単なものだった。
目にも止まらぬ突っ張り。
スピードが凄くないわけではないんだが、それでも鈴音には遠く及ばない筈。にもかかわらず、気が付けば間合いのうちに取り込まれていた。
まるで視界の外から打たれているかのように、いきなり打ち込みが俺に届く。
凛のように訳の分からないうちに打たれているようなことはないが、鈴音の警告がなければ見極めることの難しい不思議な打ち込みだった。
これが静蘭にかわさせなかった技、かな。
かろうじて太郎丸で受けるものの、ずしりと重たさが抜けてくる。
参ったね、これはきつそうだ。
片手での突っ張りを受けて体勢が崩れたところに、反対の腕が薙ぎ払うように俺の首を刈る。その勢いで、俺の体は横に一回転していた。
視界が上下逆さまになった瞬間、目の前には巨大な足。
突き蹴りが俺の体に刺さろうとしている。
組み合っているわけではないからか、俺の動きに阻害はない。
鈴音に導かれるまま腕を十字に組んでその蹴りを受け止めれば、まあ、盛大に吹っ飛ばされる破目になった。
一度地面に叩きつけられ、バウンドした体は天幕を突き破り広場まで飛ばされてしまう。
さすがにそこまで飛べば体勢を取り戻すのも容易い。宙で身を翻し、二本の足で地面を削りながら揺らがずに立った。
翻る銀狼のマント。おお、かっこよくね?
「この程度か。この程度なら、まだ黙るわけにはいかないな。これはお前らの挑戦なんだよ。俺の心を折れるかどうか、ってな。胸は貸してやる。やれるもんならやってみやがれ」
俺を追って天幕から飛び出してくる巨大な影。
今まで見た誰よりも速い踏み込み。
あのブラウゼルの爆発ダッシュより、こいつの踏み込みの方が速いな。
さすがは、サルディニアの王か。
再び組み合えば、また襲いかかってくる得体の知れない脱力感。
鈴音と太郎丸、心臓に守られていながら、為す術なく投げ落とされる。
もしも、俺の身の内に竜の力がなかったならば、銀狼の血肉が俺の体を支えてくれていなかったならば、この痛みと衝撃に耐えることは出来なかったろう。
グリードたちの剣に身を裂かれて泣いていた頃の俺なら、とてもじゃないが我慢など出来る筈のないダメージだ。
底上げされた俺の素体としての耐久力が、気の遠くなりそうな衝撃の中、俺の意志を繋ぎ止めてくれている。
鈴音、太郎丸、心臓、ハク、銀狼、誰か一人が欠けるだけで決して耐えることは出来なかっただろう。
だが、逆に言えば、皆がいてくれれば大丈夫。
俺は、頑張れる。
何度投げられようと、何度打ち込まれようと、何度でも立ち上がる。
「全部、受け止めてやるよ。さあ、来い」
「う、うおおおおッッ!!」
戦場は天幕の外、広場に移り、十重二十重に人の目が集まってきている。お、静蘭がいた。
氏族長たちも天幕から出てきていた。
サジェッタに集まった全てのサルディニア人が見守るなか、俺は、ゼルガーンの挑戦を受け続けるのだった。