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強い風が吹き抜けていく。
遥か地平線、見渡す限りなにもない大平原。
後ろを振り返れば天を衝く山脈も遥か彼方に見えてはいるが、とりあえず目の前には、なにもない。
広いなあ。
何もないとはいえ、ちらほらと天幕が見えていたり、遊牧している家族らしい姿も散見されてはいるが。
鈴音がいなければ見えないほどの距離ではあるけれど。
俺の隣には、荷車を改造した馬車に据え付けた輿にミルトンの姿がある。
サルディニア人としては屈辱といってもいいその姿。
人は馬、荷物は馬車、が彼らの感覚だそうだ。妊婦や病人ですら、よほどのことがなければ馬車には乗らないとか。
一瞬ゾッとしたが、魔珠で母体がある程度強化されていれば、胎児も守られるのかもしれない。
今更だが、この世界の人間、地球とは比べ物にならないくらい頑丈なようだ。
まあ、俺が散々風で吹っ飛ばしたのに、みんなケロリとしていたから何をかいわんや、といったところか。
セル族と合流してから会議の舞台となるサルディニアの首都、古都サジェッタまでは割りと距離がある。飛んだり走ったりしたらすぐ着いてしまうのだが、皆に合わせて馬の旅となると、もう既に三日だ。見よう見まねの騎乗術を鈴音に補正されながら、なんとか皆について走っているのが現状である。ミルトンの馬車がなければもっと早かったのだろうが、お陰で遅れずに済んでるとも言えるかな。
それにしても、馬って凄いな。
まず、でかい。
乗ってしまうと視点の高いこと。
飛んでしまえば遥か高空から見下ろす訳で、それに比べればなんてことのない高さの筈なのに、ナチュラルに回りを見下ろす感覚になる。
鈴音と太郎丸に守られていなければ、怖いくらいの高さだった。
今の俺は、重装モードの太郎丸に身を包み、銀狼のマントをまとった姿だ。腰には鈴音と、銀狼の刀との二本差し。
太郎丸と二手に分かれる可能性も想定し、鎧下には銀狼の鎧のベース部分を着込んでいる。
ゴートによれば、これだけでも並みの鎧を凌駕するとのこと。他のパーツはないため、軽鉄騎としての能力は発揮できないが、普通に戦う分には充分だろう。
まあ、やりあいに行くわけではない筈なんだが。
やりあうわけではないと言えば、ミルトンの側付きには喬静蘭の姿もあった。いや、将軍位にある以上、いない方がおかしいか。
前回は敵意丸出しでこちらを見ていたものだが、今回は非常に大人しい。むしろ俺も含めた全員の護衛部隊を率いていると言った方がいいか。
これは、セル族の意志表示でもあるのだろう。
俺を賓客として遇する、つまりは俺の意見を尊重するという立ち位置を、態度で明示してくれているのだ。
しばらく会わない間に、ミルトンはセル族の意志はまとめきったようだなあ。
サルディニア人としては死んだも同然、蔑まれてもおかしくない怪我を負いながら、それでも部族をまとめ続けられていた男だ。さぞかし信頼の篤い人物なのだろう。
セル族がエスト山脈近く、つまりは国境近くを支配領域としている以上、縹局との商売の恩恵をダイレクトに受けていることも影響しているのだろうけど。
多分、普通のセル族は、縹局をある程度、好意的に見てくれている筈。
そして、そのセル族がこんなにも厳重に護衛してくれている、と。
つまり、俺たちが向かっているのはまあ、間違いなく敵地、というわけだな。
俺一人ならどんな罠だって食い破れるが、セル族が巻き込まれるとなれば話は別だ。決して油断してはならない。
頑張れ、俺。
「間もなく、サート砂漠に入ります。ご用心されますよう。全軍、気を引き締めろ!」
喬静蘭の指示で、護衛部隊の動きに芯が出来た。
うん、お見事。
しかし、見渡す限り、砂っぽいところはないように思うんだが。
「砂漠、なのか?」
「そうですのう。前方、あの辺りから色の変わっておるところがありますでな。そこからが砂漠になりますなあ」
「ふうむ、確かに色の違いはあるようだが、草原に見えるぞ」
「草は生えとるよ」
「意味が分からん。それでなんで砂漠なんだ」
「荒れ地と言った方がよかったかのう。この先はもそっと岩場も増え、草も減っていきますでな」
ああ、いわゆる岩砂漠というやつかな?
砂漠と聞くとどうしても砂丘のイメージが湧いてしまうよなあ。
「サート砂漠ではよく、岩陰から魔獣が湧きますでな、気を付けられよ」
「なるほどね、よく分かった」
しかし、なんだなあ。
今まで聞いた話では、魔獣は森から湧くものだと思っていたが、実は違ったのだろうか?
タントでは大きな森がないから魔獣が少ない、とか、ルーデンスは森が豊かで、結果的に魔珠もよく狩れる、とか、あと一番納得出来た話としては、ロードアイが流刑地に選ばれた理由もあったな。
あそこは砂漠の果てだ。
魔獣を資源と考えれば、ロードアイには森がないから魔珠を狩れない。つまり自前で力を蓄えることが出来ない場所だったのだ。
だからこそ、流刑地となった。
これが今まで聞いた話なのだ。
岩から魔獣が出るなんて話は聞いたことがなかった。
『それは我らのせいじゃな』
懐に隠れたハクが、触れ合った肌から心で話しかけてきた。
ハクたちのせいというと、あれか。神代の話というわけかな。
『細かいところまでは覚えておらぬがの、この辺りはトランシスペタからの海流が流れ着くところでな。トランシスペタを滅ぼした虫共が大挙して流れ着いてきたのよ。初めての大規模な戦いで、その痕が砂漠となったのじゃ』
マジかよ。
古戦場が砂漠になるとか、いったい何があったんだよ。
それにしても、虫?
『滅びの獣じゃったか? まあ、どちらでもよいがの。古戦場には高濃度の魔素が大量に残留しておってな、吹き溜まりを作ることで結晶化を推し進めた結果がこの砂漠よ。岩陰の吹き溜まりから、魔獣が生まれるのは、大陸広しと言えども、ここだけじゃな』
そうなのか?
『まあ、我に残っている記憶の限りではの』
なるほどね。
森のないサルディニアが一定の国力を維持できるのは、この狩り場があるからか。
……ここで生計が立つなら、何故馬賊になるんだ。まあ、全員を満足に養えるほど、豊富ではないと言ったところか。
しかし、日常的に魔獣が発生するなら、ここはサルディニアで最も危険な場所とも言える。何故そんなところに首都がある?
ルーデンスで例えるなら、森の真ん中に街があるようなものじゃないか。
ヒノモトなんかはそのせいで廃棄されたようにも思えるくらいなのに。
森の中でヒノモトを維持出来るのは、うちが戦闘集団だからだ。
そう思っていたんだけどなあ。
あ、いや、そうか。
サルディニアは遊牧の国だ。
老若男女全員戦士でおかしくないのか。
なるほどね、戦闘国家と考えれば、魔獣の真ん中の首都も、あり得ない話ではないのか。
そんなことをつらつら考えられるくらい、俺は何をするでもなく、馬の背に揺られていたものである。
まだしばらくは、馬の旅が続くようだった。