119 新しい自分を始めよう
衝撃の結果だった。
ある程度予想を突き抜けてくるだろうとは考えていたが、それどころではない。
まさか、南方王朝の反乱が、たった二日で終わってしまうとは!
ルドン騎士団などまだ、移動を始めたばかりだし、後詰めの輜重部隊に至っては、まだ、積み荷の準備中の段階である。
サルディニア大侵攻に対する防衛戦同様、空振りというか、肩透かしというか、王国は必至と思われていた戦争を二つも回避することが出来た。
なんということだ!
私の見込みも、良い意味で裏切られたと言っていい。想像以上の結果をもたらしてくれた。
我々商売人にとっては、戦争は諸刃の剣だ。
戦時特需も確かにあるが、交易路は寸断されるし、徴発にも耐えねばならない。
それを思えば、平和な中で、真っ当な商売で稼ぐ方が長期的に見れば利益は大きい。
傾いた商売の屋台骨を直すために、戦争という劇薬に期待していた時期もあったが、この転身を後悔はしていない。
私はファブレ・カルナック。
商人として初めて、竜狼会の円卓に名を連ねた男だ。
始まりは些細な見込み違いからだったと思う。今もって、直接の原因がなんだったのか、特定は出来ていないのだ。
多くの要因が複合的に絡み合うなかで、赤字額が増えていることに気付いたのは、症状がかなり進んだあとだった。
当時の私は、まだ充分に取り返しがつく、と、信じ込んでいたが。
もともとカルナック商会はファールドンに根を張る老舗の商会だった。
それが、私の父の代にルドン進出を果たしたのが、ややもすれば切っ掛けだったのかもしれない。
父は常に上を見続けていた。ルドンに拠点を移し、恐らく、最終的には王都進出を夢見ていたのだろう。
商会を担うものとして、王都進出は見果てぬ夢だ。私とて、叶うならば王都に店を出したいと考えている。
父ほどの行動力がないことも、分かってはいるけれど。
ルドン進出を果たし、商会が拡大するなかで、新しく取引の始まったファールドンの新興商人が、アルマーン商会だったらしい。
若い商人で目をかけられていたとも聞くが、なにぶん当時の私はまだ子どもで、後継のための勉学に励んでいる最中だった。現場にはほとんど出ていなかったため、その頃のアルマーン商会を私は全く知らない。
私が現場に出るようになった頃には、カルナック商会の軸足はとっくにルドンに移っていた。
父はルドンしか見ていなかった。もしくはその先の王都しか。
カルナック商会がルドンで一定の地位を確立し、商会連合の上席に並ぶようになった頃、気が付けば、ファールドンの販路はズタズタに食い破られていた。
代々守ってきた筈の古い販路は、全てアルマーン商会に奪われていたのだ。
取引先の多くが、徐々に離れていっていることに、私たちはなかなか気付けずにいた。新しい取引先に、目を奪われていたからである。
それでも新しい販路を切り開いていた父は、気にしていなかった。
古い販路と同時に失っているものが、古くから築いてきた信頼であることに気付かないまま。
ルドンの商会連合はノルドをまとめ役としていたが、その下で、実戦部隊ともいうべき盗賊団、第四の組織グリードを任された頃が、恐らく絶頂だったのだろう。
その頃から、歯車は狂っていた。
老舗の信頼を失っていた私たちは、グリードの武力で商会の権威を守り続けていた。それは、泥沼の、取り返しのつかない道だった。
そんな中、父が失意の死を遂げた。悲惨な置き土産を残して。
無謀な王都進出を企み、ジェニングス商会の怒りを買ってしまったのだ。
経営は火の車となった。
カルナックの名を、築いてきた信頼を頼もうにも、それらは全てアルマーン商会に奪われていた。
父を恨み、アルマーンを恨み、果ては王国をも恨んだ。
その頃の私には、南方王朝、ベネフィット公爵がとても魅力的に感じられていた。憎い現体制を打ち倒してくれる、希望の星に見えたのだ。
アイクラッド侯爵と手を組み、南方王朝支援の手を打ったのは当時の私にしてみれば、正義の戦いだった。
私たちの行く道を照らすように、私たちを祝福するかのように、新しい技術も目の前に現れてくれた。
高性能な軽鉄騎を始め、これまで絶対不可能とされてきた、魔獣を操る技術など、これが神の加護でなくてなんだと言うのだ?
そして、私の前に、憎いアルマーン商会に復讐する機会がやって来た。
そして同時に、ファールドンの信頼を一挙に取り戻す手段も。
私の目に、エルメタール団は入っていなかった。
魔獣に蹂躙された後に、私が救世主として凱旋する筈の、ファールドンしか見えていなかったのである。
そういう意味では、なるほど、私はまさしく、あの父の息子だった。
その先の負け戦については、あまり語りたくはない。
グリードを殲滅する凄まじい武力を持つとはいえ、所詮は新興の盗賊団。その下風に立たねばならないとは!
まして、憎きアルマーンに全てを握られてしまおうとは!
もはや私に失うものは何もなかった。
限りなく絶望に近い毎日。
だが、何もかもを失い、かえって冷静になってみれば、不思議と新しく見えてくるものがあった。
あのアルマーン商会が全てを賭けて支援している華桑人の少年。
アルマーン商会が私を押さえているのは、決して私欲のためではない。それが、あの少年のためとなるからだ。カルナック商会に含むものなど、何もなかった。
ジェニス・アルマーンはあの少年に何を見たのだ?
何もかもを失った私の顔を上げさせた、それが最初の好奇心だった。
ノルドをあっさり殺してのけたあの少年。彼に恐れるものは何もないのか?
私をノルドの後釜に据えたその悪辣さは、果たして誰の発案だったのだ?
明の星と私を手にすれば、タントは自ずとついてくる。勝ち目の無い戦いは、タントの好むところではない。
一夜にして、彼はルドンのほぼ全てを手に入れた。果たして彼はどこまで行くのだ?
その彼を、私自身の目で見定める機会がやって来た。
大侵攻を止めてみせた彼を、今さら見定めるも何もあったものではないと思うが、初めて、私は私の目で、彼を直接見たのだ。
暗躍するアイクラッド公爵派閥。
エルゼールの嫡男は終始無言で全てを受け入れているように見えた。
それはある意味で、諦観ではなかったか?
王国騎士として、逆らってはならぬという足枷ではなかったか?
そんなエルゼールを尻目に、彼はなんと自由だったことか!
彼は決して曲がらない。折れない。揺らがない。
そして、縛られない。
貴族を、王家を、軍を、微塵も恐れず、信念を貫くその姿。
エルゼールの表情が変わっていくのが分かった。
なんということだ!
王国騎士の立場の束縛を解き放ち、エルゼールは自らの意志と忠誠で、一人立ち上がる道を選択した。まさに彼こそが、国王陛下の騎士ではないか?
彼らの姿を見ていれば、今まで私がとらわれていた権力のなんと薄っぺらいものか。絶対の権威として絶大な権勢を振るっていたアイクラッド侯爵が、なんとも哀れで小さく見える。
私は何に縛られていたというのだ。あんなものに、私は頭を下げていたのか。
哀れで滑稽なのは、私自身だった。
アルマーンが見ていたのはこれなのだ。
何もかもを失った私が歩むべきは、一から始まる私が進む道は、タカナシ・ユウと共に切り拓いていく、新しい未来に他ならなかった。
そうと決めれば、手段を選ぶ必要はない。
私のこれからは、貴方と共にある。過去の汚名の何を恐れようか。
最小限の投資で最大限の利益を得るのが商人ならば、私は、最大限の投資をして、より大きな最大限の利益を得よう。
手段を選ばなかったことが問題なら、ご安心あれ。
次からは手段を選びましょうぞ。
何をしても許され得る立場にありながら、なおも貴方は御自身を律しておられる。
そうだ。自由は、自由であるがゆえにこそ、有り様を自ら選ばなくてはならない。
そうとも。私も選択しよう。
円卓の一員として惜しまれるまで、私は貴方に全てを賭ける。
この血の十字に誓って。