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本日13部一挙投稿【12/13】
潜り戸を抜けると、目の前には異世界の街並みが、とはならなかった。
メインゲートからは外れており、大通りの裏手に出たようだ。遠くから、街の喧騒が聞こえてくる。
幾分、逸る心を抑えきれず、リムを促して、先にたった。
「そう言えば、一言も喋らなかったな」
「従者に徹した方が、面倒が少ないから」
「そっか、そんなもんかな。さて、ここからはそっちが主導してくれよ。なにしろ初めての街なんだ。色々案内してくれると嬉しいなあ」
言いながら、リムを見やると、わずかばかり、表情を緩めているようだった。
「私も街には滅多に来ない。案内出来るところも限られる」
「いいさ、きっと何を見ても、珍しいものばかりだよ」
「なら、いい。まずは宿を確保する。案内はそれから」
「了解、よろしく頼むよ」
黙って頷くリム。
本人も、街に来たかったのかな。少しばかり微笑んでくれた。そんな風に見えたのだった。
異世界の街並みは、思ったよりは派手なものではなかった。これが、ルドンなどの主要都市になると、かなり変わるようだが、ファールドンは大きいとは言え、所詮地方都市に過ぎない。
石造りの建物が並ぶ様は、日本の田舎町とは全く趣が異なるが、ヨーロッパの旅番組ではよく目にしたことのある雰囲気である。
道行く人々が武装していなければ、穏やかな風景に見えたことだろう。
重装の太郎丸に身を包んだ俺が、言えた台詞ではないが。
宿は大きめのものを選んだ。マジク兄弟のお陰で、懐は暖かい。多額の賞金を得た賞金稼ぎが、豪遊しないのも不自然だろう。一晩だけの贅沢、を演出するつもりだ。
宿に併設の酒場には、もう晩飯の予約を入れてある。もちろんお任せコース、誰に監視されていても胸を張れる賞金稼ぎっぷりだろう。
さて、拠点は定めた。次は買い出しか。
「まずは市場へ行く。お昼ご飯は道中で屋台がおすすめ」
「へえ、どんなものが食えるのかな。楽しみだ」
「今のは受け売り。私も知らない」
なんだそれは。
まあ、いいけどな。案内もいいけど、二人で開拓するのも悪くない。
「取り敢えず、お肉」
先に立って人波を縫い、串焼きの店に一直線に向かうリム。他にもいくつか似たような店はあるが、その足取りに迷いはない。よほど琴線に触れる香りでもあったのだろうか。
「5本下さい」
もう注文してるよ。
うーむ、デートっぽい。デートっぽいんだが、人の女と思うと、気持ちは複雑だ。いや、それ以前に、はしゃぐ子どもの面倒を見ている気分にもなってくる。
多分、リムが俺に女っぽいところを見せていないんだろうな。
「はい、あなたの分」
払いを終えたリムが串を差し出してきた。その数2本。
「って、お前が3本なのかよ!」
「冗談」
改めて、3本の串焼きを渡された俺は、きっと呆然としていた。せっかくの串焼きも、味を全く覚えていない。
冗談、と言った時、リムは確かに、悪戯っぽい微笑みを、唇の端に乗せていたのだ。
不意討ちだった。くそ、可愛いと思ってしまったじゃないか。
市場のカウンターで、俺は途方にくれていた。目の前には食材の山。買いも買ったり。
麦っぽいのやら、調味料やら。香草の類いが多いのは、肉主体の食生活だからかね。
荷車もなしに、誰が運ぶんだ。俺しかいないけど。
確かに太郎丸の力があれば、重さ的には持ち上げるのも容易いかもしれないが、どうやって持てと。
大きめの背負い袋を用意していたが、焼け石に水だろう。
リムの姿はさっきから見当たらないが、何処へ行ってしまったのか。誰か俺を助けてくれ。
「何をしてるの?」
気がつけば、訝しげな表情のリムが戻ってきていた。
「……これ、どうやって運ぶつもりなんだよ……」
「え? 袋に詰めて持って帰るけど」
リムの手には小袋が握られており、中には、門の詰め所で見た、いびつな形の魔珠もどきがたくさん入っていた。
「お金に余裕があって、助かる。くず魔珠がたくさん買えた」
言いながら、背負い袋のポケットにくず魔珠とやらを流し込むと、起動、と小さく呟く。
その瞬間、あの機械めいた道具と同じように、背負い袋の表面に光の線が走った。
幾何学的な紋様は、もしかして魔法陣なんだろうか?
この世界、魔法があったのか!
テンション上がってきた。
「詰めて」
「はい」
言われるままに荷物を入れると、これがもう入るわ入るわ、みるみるうちに、食材の山が消えていく。
改めて回りを見渡せば、似たような袋に、不自然な量の荷物を詰め込む人々の姿が、ちらほらと見受けられた。
なるほど、もしかして、空間魔法が一般的なんだろうか。テレポートとか出来てしまうんだろうか!
「よし、全部入った」
満足げに頷く俺、見守るリム。
あれ、なんかおかしくないか?
「じゃあ、宿まで運ぼう」
「はい」
やっぱり、荷物持ちは俺だった。
まあいいさ。男のつとめだ。
頑張ろう、太郎丸。
晩飯は満足のいく出来だった。肉主体なのは、きっとルーデンス全体の食文化なのだろう。
テーブルの対面を見れば、まあ、俺に向けているわけではないが、幸せそうな笑みを浮かべたリムがいる。
幻想的な蝋燭の明かりに照らされた美少女。うん、絵になる。服は鎧姿だが。
出立は明日の早朝予定だが、まあ、二日酔いの心配があるわけで無し、今はのんびり酒を楽しむとしよう。うん、旨い。
多分、ウィスキーなんだろうな、タイプとしては。
リムが飲んでいるのは、何かの果実酒らしい。
何かの薫製肉をつまみにちびちび飲んでいると、俺たちのテーブルに近付いてくる誰かがいた。かなり年配の男だ。
華美ではないが、重厚そうな、仕立てが良さそうなしっかりとした長衣を着ている。
一歩引いたところに控えているのは、護衛だろうか?
「お邪魔する。遊歴のユウ殿でよろしいだろうか」
「いかにも、俺が祐だが、貴方は?」
「失礼した。私はアルマーンという。少し時間を借りたいのだが、よろしいか」
うむ、凄い威圧感だな。拒否できる雰囲気ではない、って感じだ。まあ、拒否する理由もないけど。
特に敵意も感じないし、なんか、俺を威圧していると言うよりは、持って生まれた天性の雰囲気なんじゃないだろうか。鈴音も反応していないしな。
それに、リムが大きく目を見開いて驚いている。よほどの有名人なんだろうな。思い当たるのは一人しかいないが。
「別に構わない。座るか?」
「いや、その前にせねばならない事がある」
前置きをしたアルマーン老は、俺を正面から見据えて、いずまいを正す。
「マジクどもを討ってくれたこと、心から感謝する。我が娘夫婦の仇をとってくれたこと、心から感謝する」
そう言うと、アルマーン老は、深く俺に頭を下げてくれた。
正直、予想外だった。富豪っぽいし、マジク兄弟に報奨金を上乗せしたやつだろうとは思っていたが、ここまで真っ正面から感謝されるとは思わなかったのだ。
「顔をあげてくれないか。狙って討った相手ではないし、そこまで感謝される謂れはないと思う」
「確かに貴公にとってはそうかも知れぬが、私にとっては、心から焦がれ、待ち望んだ日なのだ」
「分かったよ。でもまあ、座ってくれないか。良ければ話を聞かせてほしい」
「ありがとう。ご相伴に預かろう」
きっと、話を聞いて欲しかったんじゃないだろうか。ただ、礼を言いに来ただけとは思えなかった。
「私には駆け落ちされた娘がいてな……」
話は長くなりそうだ。つまみと酒を追加しようか。このじいさんも、何か飲みたいだろう。
「我が商会の手代だった男と二人、長く所在が知れなかったのだが、孫が生まれてな。和解しようと、数年ぶりに会える筈だった」
なるほど、その夢を断ったのが、マジク兄弟というわけか。
確かに非道な話だ。ドラマとかでよくありそうと言えば、ありそうなんだが、直面すれば、それはこんなにも重くなるものなんだな。
孫もろとも、か。子どもごととか、許せんぞ。もう死んでるけど。
「不幸中の幸いで、孫だけは護衛が守りきって逃げ延びてくれた。大事な忘れ形見だ。だが、許せるものではなかった。復讐を思わぬ日はなかった。だから、感謝したいのだ」
そ、そうか、子どもは助かったんだな。良かったよ、本当に。思わず貰い泣きしそうになるじゃないか。
「心ばかりのお礼だ。これを、受け取ってほしい」
「賞金ならもう貰ってる。貴方がかけた報奨金も一緒に、だ。それ以上、何かしてもらうつもりはないぞ」
「2年だ」
「なに?」
「あれから2年が経つ。1年を待てずに、賞金額を上げた。2年を待てずに、自ら人を雇うつもりだった。これはその報酬として、用意したものだ。これは、私の、振り上げた拳の落とし所なのだよ」
封のされた、桐箱のような木箱を渡される。
ふむ、なんとなく分かる。これは魔珠だな。それも結構数がある。
ふうむ、このアルマーン老の執念があれば、近い将来、マジク兄弟はきっと、追い詰められていただろうな。
俺がアルマーン老の立場なら、鳶に油揚げをさらわれたような、素直に喜べないような気がするんだが、アルマーン老にとっては違うのか。むしろ、自分も、この復讐の力になった、という実感が欲しいのかも知れない。
これ以上は断れないな。
よし、これは恩として受けとめよう。アルマーン老には知らせずとも、なにかで必ず恩返ししてやろう。
「お志、ありがたく頂戴しよう」
木箱を受けとると、アルマーン老はもう一度、しっかりと頭を下げてくれた。
あれからしばらく談笑した後、アルマーン老は席を辞し、俺たちも部屋に戻ってきていた。
ちなみに相部屋だ。最初はリムも、何を考えているのかと思ったが、従者設定や、金の節約、それでいて豪遊している設定からの必然だそうだ。もちろん部屋はツイン、ベッドは別だ。
さて、そのリムだが、アルマーン老が来てからこっち、ずっと大人しい。寡黙を通り越して、だんまりを決め込んでいるようだ。
部屋について鎧を外そうとする手付きも覚束なく、どこかぎこちない。
俺を相手に緊張しているとかではなく、心ここに在らずといった感じだ。
理由が、あるんだろうな。
「リム、どうかしたか」
声をかけると、リムの手が止まった。
こちらを見るわけではなく、思い詰めたような表情で、中空を見詰めている。
「……アルマーン家の娘夫婦を襲ったのは私たち」
「うん」
「私が斥候として、襲うのを決めた」
「そうか」
まあ、予想通りだな。マジク山賊団、それ自体は、エルメタール盗賊団のことだ。
マジクの支配下にあったというのは、彼女の中でも理由にならないのだろう。二年前なら、まだ、協力してやっていた頃だろうしな。
じいさんが二年間苦しむ原因を作った自分が感謝されるのが受け入れがたい、かな。
その二年間を、のうのうと生きていて、といったところか。
「あなたは私を斬ってアルマーン家につき出すべき」
「そうか」
今にも泣きだしそうなリムの横顔は、儚げで、少しでも触れたら壊れてしまいそうな脆さが見えていた。
俺がどうすべきだって?
そんなこと、決まっている。
「盗賊行為が許されるとは思わない。魔獣の出る森で2年間生き延びるのが、どれだけ大変でも、やってはいけないこと、越えてはいけない線はあったと思う」
リムがゆっくりと瞳を閉じる。断罪を受ける罪人のように。
「でも、それがなければ生きていけなかったのも事実なんだろう。戦えない20人を守りきったんだろう」
「許されない、と、さっき言った」
「それでも、俺は認めるよ。許すとか許さないとかは、俺の権利ではないし、アルマーン家には別の見解もあるだろうけど、俺は認めるよ、リム。マジク兄弟は認めないがね」
少しだけ、冗談めかして言ってみる。
リムは、果たして許されたがっているだろうか?
「私もあいつらと同じ。何が違うの」
分からないかね。
そう聞けること自体が、既に違いだと言うのに。
「だって、そんな顔、してるじゃないか」
やるだけやっておいて、今は後悔しているとか、都合のいい話だ。やられた側はたまったものではないだろう。
それでも、この過酷な世界で、涙を浮かべられるお前は、きっと綺麗なんだと思うよ。
「方法は間違ったかもしれないけれど、リムたちが生き延びていてくれて、俺は良かったと思ってるよ」
一瞬だけ、リムがちらりと目を向けてきた。すぐに目は伏せられたが、視線は確実に絡み合う。
やがて、リムはゆっくりとこちらに背を向けた。そして、いきなり上半身の服をはだけだす。
おいおい、何をするんだ。
思わずガン見してしまった視界に、なだらかな肩のライン、ほっそりしたうなじ、抜けるように白い背中の素肌が焼きつく。
「あっちを向いて、と言った。二度も言わせないで」
「はいっ!」
凍りつくようなリムの声に、反射的に後ろを向く。というか、さっきも言われたのか。
あまりの衝撃に全く聞こえていなかった。
だが。
背中から聞こえる衣擦れの音に、否応なく感覚が研ぎ澄まされていく。
俺の腰には鈴音。
肌を撫でるわずかな空気の流れすらつかめる今の俺の感覚。
視覚以外にどれ程の情報が入ってきているものか。
リムの動きが分かる。
手の位置、服のたるみ、少し下げた目線、柔らかな体つき、鎧に隠されていた意外に豊かな膨らみ。
何てこった。
目では見えていないが、完璧に、眼福です。
上半身裸になったリムは、小さな珠を左の乳房、ちょうど心臓の辺りに押し付ける。
あれは、あの狼から狩った魔珠だな。
そして、研ぎ澄まされた、どんな小さな音も聞き逃さない今の俺の耳に、小さな呟きが届いた。
「ユウ、ありがとう」
その言葉と同時に、蒼い魔珠は、リムの胸に、吸い込まれていったのだった。