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「日の出だな」
「うん。すごくきれい……」
遥か海を見下ろす崖の縁に腰掛け、リムが溜め息をついていた。
気持ちは分かる。
俺も、生身の目で見るのは初めてだもんな。
遮るものなど、何一つない彼方の水平線。
空の輝きが増すごとに、世界が色を取り戻していく。
大陸の最南端だ。
崖の上から海だけ見れば、空と海以外、なにも見えなくなる。
写真や紀行番組だけでしか見たことのない風景が、目の前に広がっていた。
一瞬、虹色の光が差す。
ついに太陽が姿を見せた。
なるほど、太陽を神と崇めたくなる気持ちが分かる気がする。
「おお……」
ちょっと離れたところから、思わず漏れたのだろう感嘆の声が聞こえた。
なんだ、あいつも初めてだったのかな。
いや、まあ、この風景は、何度見ても感動するか。なんとも陳腐な表現になってしまうが、感動、という他に感想が思い付かない。
ロードアイの東、海沿いの崖の上で街を背に、俺たちは夜明けの海を見つめていた。
夜更けに合流したリムたちと一緒に。
「お館様、布陣が始まって御座る」
「そうか。ありがとう」
ベネフィットの弔い合戦のつもりだろうか。
昨日の降伏勧告から、一晩考える時間を与えたにもかかわらず、彼らは軍を退こうとはしていなかった。
何故だろう?
ロードアイは流刑地だ。中央にわだかまりのある連中も多いだろうから、まあ素直に従いたくない連中も多いだろう。だが、同時に、流刑者だけで作った街というわけでもない。
地元の人間からは迷惑だろうけど、元々あった街が、流刑先として選ばれてしまっただけなのだから。
砂漠を挟む立地から流刑先と呼ばれているだけで、国政の上から見れば、ベネフィットも普通のロードアイ領主という立場に過ぎない。
ロードアイは、別に牢獄でも何でもない、交易こそ禁じられているが、普通の港町なのだ。
街の守備隊をはじめ、普通の兵士たちも多い筈。
誰もがみんな、ベネフィットと一蓮托生というわけではない筈だ。
まあ、名目的に平和なこのルーデンスで、ベネフィットの挙兵に付き合っている以上、多かれ少なかれ、みんな同罪なのかもしれないが。
……ううむ、正直、あまりやる気が起きない。
飛び出した時は、それこそ南方を滅ぼしてでも、と思っていたが、ベネフィットが死んだ今となっては、ある意味で満足してしまったような気がする。
竜狼会として戦争を止める、か。
ルドン公の言っていた通り、旗頭がいなくなった今、降伏は時間の問題だ。
俺たちは、もう手を引いてもいいんじゃないか?
……待てよ。
いや、ちょっと待て。
本当にそれでいいのか、祐よ?
ベネフィットさえ、操られていた道化だと考えたのではなかったか?
ベネフィットの死は、蜥蜴の尻尾切りだ。
暗殺者の心珠こそ押さえはしたが、蜥蜴の本体はまだまだ安泰だ。ここで俺が尻尾だけで満足してしまえば、本体は悠々と逃げおおせるだろう。
ここで矛を納めたら、相手の思う壺じゃないか。
そうだ。
俺の敵はロードアイじゃない。
暗躍している誰かだ。
ロードアイを相手にやる気が出なくても構わない。むしろ、無理にやらなくてもいい。
だが、ここで引いたらダメだ。
一番疑わしいのはタントだが、それすらフェイクかもしれない。それくらいの用心が必要な相手だ。
燃え尽き症候群のごとく、やる気がなくなっていたが、それこそ相手の誘導だったんじゃないか?
頑張れ、俺。
「王光騎士団はタントの主力になるのか?」
「ふむ、主力と言えば主力だが、俺たちの感覚とは少し違う。タントでは、騎士団全てが王光騎士団なんだ。中枢部隊が第一王光騎士団、ルーデンスとの国境守護のうち、北部国境が第二、南部が第三、サルディニア方面軍が第四と公表されている。配置は不明ながら国内の部隊は第五と第六、海洋戦力が第七、最後の第八がタント唯一の対魔獣部隊で、フォルス半島に配備されている」
「おお、詳しいな」
「これくらい常識だ。国の軍を預かる身の上としてはな」
「そりゃあ、そうか。で、フォルス半島って、すっげえ気になるんだが、フォルス流と関係があるのか?」
「知らん。だが、関係はないのではないか。フォルス半島はタントの外れに位置する突き出た半島で、国内有数の樹海が広がり、唯一魔獣を大規模に狩れる場所なんだ。第二、第三も魔獣狩りをしているが、展開地域がエスト山脈だからな。労力に見合う収益はあげられん。第八はタントでも有数の実戦部隊だが、暗殺とは無縁に見えるな」
ふうむ、なるほど。
タント、凄いな。
軍の組織化が近代レベルなんじゃないか?
ルーデンスだと、領主麾下の騎士団があり、内部で役割分担をしている程度だが、タントだと最初から仕事に合わせて軍を組織しているんだ。
タントは近代国家、そう考えた方がいいかもしれない。
だとすると、特殊部隊とか、ありありだよな。グリーンベレーとか。
あの仕込み短剣を思えば、スペツナズが近いか。
……ヴォイドは特殊諜報軍と言っていたな。
対外的には、ヴォイドも王光騎士団の一員だったのかもしれない。
第一から第八の、どこに属するかは微妙だが。
まあ、いい。
とにかく、俺は尻尾を追いかけるのに専念しよう。
クラインに始まり、尻尾を追い続けてベネフィットまで辿り着いた。ならば、その先だ。
今、見えている尻尾はタント。その本体が何かは、今は考えなくていい。
相手は、王光騎士団だ。
崖から遠くロードアイを見下ろせば、展開中の軍勢。
どことなくだらだらしているような、ピリッとしたものを感じない。
それなりに数は居るように見えるが、なんだろう、威圧感が欠片もないぞ。
人数は上回れど王宮騎士団には練度で及ばず、人数の規模で見ればサルディニアに全く足りない。
ううむ、恐れる理由が見つからない。
ベネフィットは、本当にこれで勝つつもりだったのか?
それとも、主力はもっと北、ルーデンスとの境界にいるんだろうか。
無視して通り過ぎてきたが、確かに大きな要塞があった。
戦力を糾合しながら北上し、ルーデンスに攻め込む、そんな予定だったのかもしれないな。すべてはご破算だが。
ここで終わりではないかも知れない。
そこだけ、油断せずにいこう。
「そろそろ行こうか」
「まだ布陣が終わっていないぞ」
「それは向こうの都合さ。さっき城門が閉まった。出陣は済んでる。手間取っている整列にまで付き合ってやる必要もあるまい。のんびり歩いていけば、着く頃には整っているだろうよ」
「貴様の目はどうなっているんだ」
はっはっは。
ブラウゼル、教えてやろうか。
リムにも、見えているんだぜ。
ブラウゼルを先頭に、並んで俺。
太郎丸にリムと大和。
お、ちょうど五人だ。
戦隊ものみたいだな。
俺たちは歩き始めた。戦場に向かって。