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103 死闘の果て

 屋敷の窓から見下ろせば、活気に満ちた町並みが見渡せた。

 人数が少ないというのに、どうしてこうも賑やかなのだろうか?


 溢れる笑顔には覚えがある。

 武練場で修練を許された最初の頃。

 仲間達の皆が、あんな笑顔を浮かべていた。


 新しいことに挑戦し、それが日々、身になっていく喜びと興奮。

 あの時の仲間達と、彼らの共通点があるとすれば、それは挑戦の気概か。


 縹局本拠ヒノモト。


 国に依らない唯一の街。

 これまであり得ないとされてきた事を鼻唄混じりにやってのける、大陸の常識を一顧だにもしない、忌々しいあいつ。

 タカナシ・ユウが拓いた、寄る辺無き者達の街だ。


 国の庇護を受けず、だがそこに悲壮感は全くない。

 ユウの庇護下にあるからか?


 いや、違うのだろう。

 皆がユウと共に、まだ見ぬ世界へと共に歩んでいるからこそ、自らの足で進んでいるからこその快活さであり、それこそが皆の誇りとなっているのだろう。

 武練場の片隅で、仲間たちと共に汗を流しながら、ルーデンスの未来を己が手で切り開こうと語り合っていた俺たちのように。


 あの時俺たちが持っていた笑顔を、このヒノモトは今も持っている。

 俺は、あの笑顔をいつ失ったのだろうか?


 切り開くべき新しいルーデンスより、受け継ぎ、背負うべきルーデンスの方が重たくなった時から、俺の足は止まっていたのかも知れん。


 我がエルゼール家の家臣の内に南方王朝からの謀略を容れてしまった咎、で謹慎を食らったのは痛恨だが、異動でルドン配属になったのは正に天の配剤と言うべきかも知れない。

 ルドンで聞いたユウの評価、縹局の役割、彼らが成し遂げた功績は、驚嘆に値する。


 魔獣の事をすら親しみを込めて民衆が語り合うなど、これまでの歴史では考えられないことではなかったか?

 大きささえ無視すれば、ヤマトとかいうあの狼はとても可愛いのだとか。


 信じがたい。

 ただ、王都で約束した通り、俺はあの魔獣の行く末を見守らなければならないようだ。


 魔獣に殺されるのは不運だが、ヤマトに殺されるのなら、そいつが何か悪かったのだ、と。

 この短期間で、そこまでの信頼を勝ち得た竜狼会。


 空恐ろしさを感じなくもないが、以前見たよりも遥かに活気を増したルドンを見れば、認めざるを得ない。

 ルドン公が何か変わったわけでもないのだ。変化の原因は、ユウ以外考えられないのだから。

 あのルドンの変化の真髄が、ここヒノモトの街に顕れている筈だ。

 そして、その変化の中心には必ず、ユウがいる。


 色々な意味で、俺も変えられた一人なのではないだろうか。

 同世代で俺に勝った、初めての男。

 俺に全力を出させ、それでいてその上を悠々と飛び越えていったあいつ。


 それなのに、不思議なほどに、俺はあいつにわだかまりを感じてはいない。

 負けて当然とは思わないし、勝負に負けたことは純粋に悔しい。

 次こそは、という思いも勿論ある。


 だが、何故だろう。

 勝負する前と後とで、俺のあいつに対する思いには、何も変わりがなかったような気がする。ユウの、俺に対する態度も、何も変わりがない。

 勝ち誇るでもなく、かといって負けた俺に何か気遣っている様子もない。

 何も変わりがない。

 無かったこととした訳でもないようだ。


 これはなんだ?

 敢えて言うなら、ずっと自然体とでも評したらいいだろうか。


 あれほどの激闘のあとで、俺たちは普通に話し、普通に一緒に旨い飯を食った。

 こんなことは今まで無かった。

 あれほどの激闘のあとで。



 ふと、風が吹いたと思ったら、何かの塊が俺を飛び越えていった。

 それが、あの戦いの始まりだった。


 地面を削りながら大地に降り立ったユウは、あまりにも気安く語りかけてくる。

 ゴート・ジェニングスの鎧に守られた安心感がそうさせるのか?

 それとも、王都では見せることのなかった竜の翼が、ユウの自信の源なのか?


 いつでもあいつは俺をからかっているような気がする。

 わざわざそっちから来たくせに、うちに来るか、とはふざけた話じゃないか。


 だが、そんなふざけた男でも、歴史に残した足跡は、悪ふざけで済むような話ではない。

 たとえそれがどんなにあり得ない、馬鹿げた話に聞こえたとしても、ユウは、本当にやってのけたのだから。


 サルディニアの宿営地が、一夜にして忽然と姿を消した。

 防衛戦を準備していた俺たちからすれば肩透かしを食らったわけだが、そんなこと、誰が想定できただろうか?


 偵察結果や噂の収集、ルドン内部のサルディニア勢力との折衝の結果、浮上したのがタカナシ・ユウの存在だ。


 ルドン周辺の勢力地図を着々と書き換え続けている竜狼会。

 だが、そのタカナシ・ユウがサルディニアの国政に携わっていくのなら、事はそう簡単に済まない。

 ルーデンスの内部に存在するサルディニア、獅子身中の虫以外の何と呼べるだろうか?


 真意を確かめなければ。

 あいつは、ルーデンスに仇なすものか?

 もしそうならば、俺が斬る。


 その決意をもって、俺はユウと相対した筈だった。

 それなのに、相撲をとって酒を飲んだら戦争が終わると言うのか?

 あり得ないだろう。


 ユウは自分自身を絶対の中立だと言う。

 それは本当に信じられる言葉か?

 だが、信じざるを得ない言葉だった。


 そして、ユウは中立だからこそ、我が王のまつりごとすべてを無視して進んでいくのだ。

 陛下の努力の何を、貴様は知っていると言うのだ!

 許せるものではない。

 俺たちの戦いは、必然だった。


 いざ向き合ってみれば、あり得ない速さと斬撃の鋭さ。

 今までに見た何よりも速い。かわすなど考える余地もない。


 だが、俺はエルゼール。

 鎧甲術を伝えるエルゼールの人間だ。

 鎧を最も上手く扱える一族だという自負がある。かわせずとも、守りきればいい。

 真っ直ぐな斬撃の、そのあらゆる変化を警戒しながら、俺は守りを固めていた。


 そして知ることになる。なんと素直な太刀筋であることか。

 見えずとも分かるほどに、その太刀筋は素直だった。

 それでいて圧倒的な速さと鋭さ。

 来ることが分かっていて、なお守りきれるか分からないような恐るべき斬撃。


 相手にとって、不足はなかった。

 そう思っていたのに、なんだあの幼女は!


 今思えば、根源法で作り出した幻覚だったのかもしれない。兜にしがみついた温かさと柔らかさとを感じたりもしたが、それさえも幻覚だったのかもしれない。

 これが奇策でなくてなんと言うのだ、まったく。


 ただ、その奇策は十二分に効果を発揮した。

 有史以来、決して傷付いたことの無かったルーデンス国宝、黄金の重鎧装に、初めて太刀を入れたどころか、角を、へし折ったのだから。

 受けきるためには、俺の体勢は崩れすぎていた。そして、角は折られた、いや、違うな、断ち斬られたのだ。

 奥義「散」を用いての必殺の一撃で一矢報いたとはいえ、あまりにも手痛い一撃だった。


 ここで明らかになったのが、ユウが風使いであることだ。


 風の御子など、風の民サルディニア人からすれば、王と変わらぬ。

 ここで食い止めなければ。

 サルディニアの全氏族から風の御子と認められてしまえば、その後、ユウを傷つけるものはサルディニアを敵に回す事になる。

 やるならば、今しかない。


 逃げるユウ。追いすがる俺。


 風使いは確かに脅威だし、俺の一撃を耐え抜いた秘密も分からないままだが、俺に出来ることは、ただひとつ。

 どんな風とて、俺を足止めするには及ばない。多少息苦しい程度だ。

 いずれ、追い付く。


 回りの音が耳に入らなくなる。集中力がこれまでになく高まっているように感じる。ユウが間合いの内に、入る。

 恐らく、そこが勝負どころだ。

 あいつが、ただ黙って追い付かせてくれる筈がない。何かしてくるなら、今、この時だ。


 剣か、根源法か、それとも、別の何かか?

 鎧気がいきは充分、覚悟も十分だ。

 そこに打ち込まれたのが、竜の咆哮だった。


 守りは完璧だった。

 鎧の隅々にまで、俺の意識も、鎧気も行き渡っている。

 どんな攻撃であれ、耐え抜く自信が俺にはあった。エルゼール流鎧甲術を伝える者として。


 それなのに、この一撃は何かが違った。

 威力が強かったのではない。言うなれば、質が全く違っていたのだ。

 例えるならば、どちらの城壁が堅く、分厚いか、ということを争っていたのに、壁の上を飛んでいかれたような感じか。

 どれだけ壁を厚くしようとも、守りを固めようとも、耐えられるものではなかった。


 ここまでの痛みを感じたのは、生まれて初めてだ。

 肺の中の息、すべてを出しきってしまったのではないか?

 恐らくは絶叫、いや、言葉は飾るまい。悲鳴を、俺はあげていた筈だ。


 そして、そこで初めて、俺は違和感に気がついた。


 音が、聞こえない。

 竜の咆哮も、俺の悲鳴も、地に膝をついた音も、鎧の擦れる音も、何も聞こえない。


 俺は何をされた?

 息を飲もうとして、吐ききってしまった反動で息を吸おうとして、俺は息が出来なかった。


 本当に、何が起こっているんだ。

 音が聞こえず、息も出来ない。匂いも何も感じない。

 目だけは無事なようだが、目眩と共に、視界が暗くなっていく。


 なんだ、これは。

 邪道と断じた。よもや、毒だろうか?

 風使い、毒の風か?


 落ち着いた眼差しで、まっすぐ俺を見つめるユウ。

 何か喋っているようだが、それも俺には聞こえない。


 俺は何をされた?

 毒の空気に当たっているなら、やられるのは時間の問題だ。迷う暇はない。

 術者を殺せば、根源法は止まるのだろうか?

 いや、少なくとも、ヤツの周りには綺麗な空気がある筈。


 大剣が俺の動きを縛る。

 鎧と並ぶ、ルーデンス国宝の剣。

 だが、手放すのに躊躇いはなかった。


 時に余裕はない。残された鎧気すべてを振り絞り組み打ちにかかれば、ユウも正面から受け止めに来た。

 舐めるなよ。我が闘法、エルゼール流武甲術は、無手の技をも極めた総合戦闘術だ。組み合って負ける筈がない。

 呼吸さえ出来れば、すぐにでも制圧してやる。


 それがまさか。

 まさか己もろともに術をかけていたと言うのか。

 畜生、俺は一体、何をされたというんだ?

 その答えの得られぬままに、俺の意識は暗黒に沈んだ。


 完敗だった。

 そして、目覚めてみれば、これだ。


 窓から見下ろす明るい町並み。

 このままあの人波の中に降りていっても、きっと許される。


 俺の行動は、なんらの制約も受けていない。

 だから先ほど、何故だ、とあいつに問うてみた。


 すると、ユウは笑いながら答えたものである。

「そこで何故だという問いが出る。だからだよ」


 俺が見切られていると思うべきか、信用してくれていると考えるべきか。

 ただ、その瞬間、確かに思った。

 本当に、俺はこいつに負けたのだ、と。


 武力だけではない。人間として、俺はこいつを認めざるを得ない、それがはっきり分かったのだった。


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