102 主人公体質は振り回されるのが宿命
「お気が付かれましたか」
目を覚ませば、そこは見知らぬ部屋だった。
声のもとに顔を向ければ、見覚えの無い娘がそこにいた。
「誰だ、貴様は。ここは何処だ」
身を起こそうとすれば、全身に激痛が走るのが分かった。だが、この程度、さしたる障りにもならぬ。
我慢して、起き上がる。
豪奢な部屋は、見慣れたエルゼール家の調度からすれば随分と格は落ちるが、丁寧に調えられた客間のようだった。
ここが何処か、か。見当はついてしまうな。
「失礼致しました。シャナと申します。ここは縹局竜狼会本拠、ヒノモト、局長タカナシ・ユウ様のお屋敷で御座います」
「やはり、そうか。俺は虜囚の身、というわけだな」
「いえ、特に制限は申しつかっておりません。賓客と伺っております」
「なんだと?」
完敗した挙げ句に、治療までしてもらって賓客だと?
くそっ、ヤツは俺をなんだと思っているんだ。
「賓客だと? 俺の鎧はどうなった」
「大切にお預かりしております」
「預かる、か。返せと言えば、返すつもりなのか?」
「申し訳御座いません。その判断は私は存じ上げません」
それはそうか。
会うしか、あるまい。
単騎で敵陣突入した挙げ句に、虜囚となってルーデンス国宝まで奪われるとは、御先祖様に顔向けも出来ん。
制限はない、と言ったな。
本当だろうか?
「タカナシ・ユウの所か、鎧の所、どちらでもいい。案内してくれ」
じっとなど、していられない。気だるさを訴える体を無視して立ち上がる。
「いけません、血が足りないと聞いています、急に動かれては……きゃあっ!」
しまった、不覚だ。
立ち上がろうとして果たせず、思わずよろめいてしまった。
とっさに支えようとしてくれたのだろう、シャナとやらを巻き込んで、地に膝をついてしまう。
くそっ、潰すわけにはいかない。
目眩をこらえ、自分の体勢は無視して娘を守りきる。
「済まない、怪我はないか」
不思議な娘だった。
俺を支えようとしてくれたのだろうが、その力があまりにも軽かったのだ。なんだろう、下手をすれば子どもより非力なのではないか?
それでいて、俺の大きな体を支えようとしてくれたのだ。なんと健気な女だろうか。
その、俺の襟首が吊し上げられたのは、次の瞬間だった。
扉が開いたのに気付かなかったとは、重ね重ね不覚。
「やるに事欠いて、人の嫁さん押し倒すとは、いい度胸だな。血の気を抜き足りなかったか?」
「なっ、違っ、そんなつもりでは……!」
見上げてみれば、俺を吊し上げているのはルーデンス剣士の古装をまとった華桑人だった。その顔は、忘れたくとも忘れられない。
なんと、この娘、こいつの妻君だったのか。
何となく、向かっ腹がたってくるな。
事の推移を分かった上での言葉なんだろう。畜生。
「貴様、顔が笑ってるんだよ」
拳を固め、振り抜く。
忌々しいことに、こいつは、小揺るぎもしなかった。
「だから、血が足りんと言っただろうが。とりあえず先に飯でも食え」
「うるさい。貴様の指図は受けん。鎧が先だ」
こいつの肩を借り、よろめき歩きつつ、廊下を進む。
多少古びてはいるが、掃除の行き届いた居心地のいい屋敷だな。
外の光が鮮やかに差し込んでいる。
さて、あの戦いから間が経っていないのか、それとも一周回って一日過ぎたか?
まあ、分からんものは考えても仕方あるまい。
それにしても、だ。
「貴様、何故そんな格好をしている」
「ん? なんかおかしいか?」
「その服はルーデンスの伝統的な装束だぞ。何故貴様がそれを着ている」
「ああ、エルメタール団と出会って最初に貰った服なんだよ。気に入ってるんだ。似合わないか?」
「そんなことは言っていないだろうが」
いちいち混ぜっ返すな、こいつは。
だが、言われて改めて見てみれば、確かに想像以上に違和感のない装いだった。
四水剣初代マクナートの装束だったと聞く。マクナートは華桑と縁が深いと言うし、なるほど、似合っても不思議ではないのか。
そんな話をしている間に、目的の部屋に辿り着いたらしい。
一歩ごとに足に力が戻ってきている気がするし、もう、肩は要らんぞ。
ふむ、ここも客間の一つか?
扉を開ければ、そこにいたのはゴート・ジェニングスだった。
そうか、そう言えば、一緒に来たんだったな。ここを目指していたし、居て不思議はないのか。
部屋の中は、客間でありながら、ほぼ工房と化していた。
人型の架台には銀の鎧が据えてあり、床の敷物の上には、金の鎧が丁寧に並べて置かれている。確かに、俺の鎧に合う架台は普通ないだろう。
「おお、気がつかれたか。本体の整備は管轄外だが、内張りが血みどろで酷いことになっていましてな、そこは補修させてもらっとります。まあ、本体にもさして問題はなさそうですがね」
「そうだったか。整備、ご苦労」
「ユウ、お前さんの方も、大した問題はない。完全に整備するなら明日仕上がるが、今着ても、なんの問題もないぞ」
「分かった、ありがとう。まあ、焦る話でもないさ。心行くまで、ゆっくりやってくれて構わない」
そうなのか?
いくら体勢が崩れていたからとはいえ、充分な斬撃を食らわせた筈なのに、問題がないとは、どういうことだ。
これが、風の根源法の力か?
俺たちは、どんな戦いをした?
最初から思い出そうとしてみる。
「さあ、とりあえず、昼飯にしようや。俺は腹が減ったぞ」
む、確かにそうか。
「ブラウゼル、お前も腹減ってるだろ。三日ぶりの飯くらいの感覚じゃないか?」
なんだと?
「お、俺は三日も眠っていたのか?」
信じられん。この俺が、そんな死の縁をさ迷ったというのか。
騎士団に報告も出来ず、俺は三日も行方不明になっているのか?
ん、なんだ、ゴート、その苦笑いは。
「ブラウゼル様が運び込まれたのはつい先程ですよ」
「なんだと? どういうことだ」
「だから言ったろ? 三日ぶりくらいって。血を流しまくったわけだし、それくらい腹減らしてるんじゃないかと思ったんだよ」
「もはや貴様とは語る言葉を持たん」
なんだ、その軽薄な笑いは。
ええい、忌々しい。
俺はずっとこいつにからかわれ続けるのだろうか?
畜生、負けてたまるか。いつか目にもの見せてやる。
今はともかく腹ごしらえだ。腹が減っていては、何も出来んからな。
「ルクアの飯は旨いぞ。楽しみにしてろよ」
うるさい。ルクアとは誰のことだ。
まあ、いい。王都とは比べるべくもない田舎料理だろうが、今は味より量だ。
まずは、体を取り戻す。
肉が多いことを願うものだ。
衝撃の料理だった。
なんだ、この味は。
調理自体はごく素朴なものに見えるのに、王家の晩餐会ですら、ここまでのものを食ったことはない。
ルクア、いったいどんな料理人なんだ。何をしたらこんなにうまい料理が作れるんだ。エルゼール家お抱えの料理人も皆、教えを乞いに来るのではないだろうか。
駄目だ。これは敗北を認めざるを得ない。
確かにこいつの言う通り、ルクアの飯は旨い。
「おい、貴様」
「ん、どうした?」
「……料理人に会わせてはもらえるか」
「お、おお。別に構わんが、あまり脅かすなよ」
「貴様は俺をなんだと思っているんだ」
「シャナ、頼む」
「かしこまりました」
ううむ、嫁と言いながら、どう見ても召し使いにしか見えんな。
余人の立ち入れぬ何かがあるのだろうか?
まあ、人の恋路など知ったことではないが。
こんなにも健気な女に主人面して尽くさせているのか。忌々しい。
そのシャナに連れられて入ってきた料理人は、年上の艶めいた女性だった。
歩く姿に、目を奪われそうになる。
才色兼備とはこの事か。
ここに来て、綺麗な女ばかり目にする気がするぞ。
「お前が料理人なのか?」
「はい、ルクアと申します。あの、なにか粗相でもありましたでしょうか? 育ちが悪く、貴族様のお口に合う料理など、とても作れません。申し訳御座いません」
「いや、違う、勘違いしないでくれ。逆なんだ。とても旨かった。今まで食ったもの全てが霞むくらいに」
「まあ……。過分なお言葉です」
「エルゼール家の料理人にも学ばせたいくらいだ。本当に旨かった」
すると、ルクアは少し困ったような笑みを浮かべた。
むう、いちいち仕草に色があるな。目のやり場に困る。
「でしたら、それは素材の良さでございましょう。私の腕ではありません。エスト山脈上層で狩った魔獣の肉は、たいそう美味でございますから」
「謙遜だな。エスト山脈上層など、誰が狩り場に出来ると言うんだ」
言いながら、なにか、嫌な予感がする。
「まあ、気が向いたときにちょいとな」
「貴様は口を挟むな」
くそっ、やはりこいつか。
エスト山脈上層に行けるなど、常識外れにも程がある。
我が重甲騎士団ですら中層が限界だというのに、こいつは一体なんなんだ。
これが根源法の力なのか?
俺が勝てぬのも道理だと、そう言いたいのか?
いや、そんな訳がない。
あと十年あれば、俺はあのライフォートにでも勝てる。
いつまでも貴様の後塵を拝するだけだと思うなよ?
……たとえ、貴様が同世代だとしても、だ。
まあ、いい。今はそれよりも、料理の話だ。
「いかに素材が良かろうとも、それを壊さぬのは料理人の腕だろう。可能なら、毎日でも食べたいくらいだ」
「過分なお言葉です。でも、ありがとうございます」
「人の嫁に色目を使うんじゃない」
「人聞きの悪いことを言うな!」
このひとも、こいつの嫁だと言うのか!
まったく、忌々しい。