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プロローグⅠ さよなら地球

 気が付けば花畑の真ん中にいた。


 空は青く澄みわたり、色とりどりの花々が静かに風にそよいでいる。

 暖かな日差しの中、ここ何年か感じたことのない穏やかな空気に強張った体がほどけていく気がする。

 思わず出た大あくびに逆らうこともなく存分に伸びをして、そのまま花畑に仰向けに寝転がる。見上げた蒼穹そうきゅうに吸い込まれそうだ。


 だが。


 その瞬間大きな違和感が襲いかかってきた。

 慌てて身を起こし周りを見回すが、何の変哲もない花畑にしかみえない。


 なんだろう?


 理由のわからない焦燥に駆られても、途方に暮れるばかりだ。

 改めて空を見上げたその時、ようやく分かった。なるほど、これはおかしい。

 こんなにも明るい光に包まれているのに。


 太陽がなかった。


 空は青く澄みわたり、遥か地平線まで広がっている。気が付いてみればこれもおかしい。山もなく、小さな起伏すらなく、全周全て遥かに広がる花畑だ。

 ああ。

 死んだかな、これは。

 あまりにもありがちな死後の世界っぽい風景に、思わず苦笑が浮かぶ。


 臨死体験話でよく言われる光のトンネルを(くぐ)った記憶はないし、河原があるわけでもない。

 親しかった親族が立っている気配もない。まあ、そもそも親しい親族とやらがいたわけでもないが。

 どうせならお迎えに来てほしいヤツならいるが、この場に来てくれているわけでもないようだ。

 単純に夢かもしれないとも思うが、それにしては何か言葉にしがたい現実感がある。風景は夢想そのものだが。

 明晰夢(めいせきむ)とかいう話を聞いたことがあるが、こんなにもはっきりと起きている実感があるものなのだろうか?

 聞き(かじ)ったことならあるが、いかんせん実体験がないため、何とも言えない。


 そう言えばいつも抱えている大事なノートが見当たらない。さすがに夢の中までは持ってこられなかったか。

 墓には持っていきたいと思っていたが、ここが死後の世界ならその願いは叶わなかったのかも知れないな。

 ともあれ、わからないものはわからない。

 死んだかどうかすらそもそも分かっていないのだ。取り敢えず、分かるところから始めようか。


 名前は小鳥遊たかなしゆう。男。

 昨日は何をしていただろうか。

 ……何もしていなかったな。


 離れの床に寝転がって、ただ時間だけが過ぎていっていた。

 腹減った。

 確かそんなことを考えていた気がする。

 最近はほとんど何も食べていなかったしなあ。

 もしかして眠るように、ってやつだろうか。餓死って意外と楽に死ねる方法なのかもしれない。


「いや、それは違うぞ」

 不意に声がかけられた。若い男性っぽい声だな。


 いや、そもそもどこからだ?

 さっきは人っこ一人居なさそうだったが。


 ゆっくり起き上がり辺りを見回せば、すぐそばにすらりとした男性が立っていた。顔の作りはえらく鋭角的で、よく言えば理知的な、悪く言えば冷酷そうな雰囲気である。

 服装は確かトーガとかだったろうか。ギリシャ神話で太陽神アポロンとかが着ていそうなあれだ。


 思わずまじまじと見詰めていると、男はあまりこちらに構わずに言葉を継いでいた。

「餓死が楽なわけではない、ただお前の生に対する執着が薄すぎただけだ。肉体の苦痛を全て他人事と感じる程度に」


 ……結構グサリときた。

 いや、確かにあまり頑張って生きたいとは思わなかったし、何もかもがどうでも良くなっていたと思う。けれど、分かっていても他人から指摘されると思ったより傷つくものだな。

 相手の声に感情が感じられないのが救いでもあり、苦痛でもあり、か。


 事実を、認めざるを得ない。


「俺は、死んだ、か」

「そうだ。生命を放棄した」

「それで? あなたは何だ? 神様なのか?」

「お前が感じるままが全てだ。私に法則を見出だす者もいるし、システマチックに機構を感ずる者もいる。もちろん私に人格を投影し、神を(かん)ずる者も多い。お前の観ずる私の姿には、お前の原体験が投影されているようだな」


 それは不思議な感覚だった。

 確かに言葉を聞いている筈なのに、それ以上に言葉よりもイメージの奔流が流れてくるようだ。原体験という言葉と同時に観たイメージは、幼い頃に好んで読んでいた星座の話だった。なるほど、だから格好がギリシャっぽいのか。

 死後の世界で神様と面談中。何とも得難い体験なものだ。


 さて、大体の状況は掴めたと思う。そろそろ本題に入ろうか。今の状況はごく当たり前の、普通の死後の世界なのかどうか、だ。

「その問いに対する答えは、否、だ。確認せねばならない事があり、ここへ呼んだ」


 ……うむ、普通に心を読んでやがる。問いを口に出す前に答えが来てしまった。


 しかも呼んだとは言うが、流れてくるイメージとは微妙にニュアンスが異なる。どちらかと言えば、(すく)い上げたら俺が引っ掛かったらしい。

 つまり、俺という個人ではなく何らかの条件に合う誰かを呼ぼうとしたら、それに合致するのが俺だったってところか。

「そうだ。察しが良いものだな」

 ううむ、淡々と言われても誉められた気がしない。と言うか、誉めてるようなイメージも伝わってこない。


「異世界へ行ってもらえないだろうか」


 ……はい?

 異世界だって?

「そうだ。私のことわりの外にある世界だ」


 何とも珍妙な依頼だな。疑問が浮かぶそのままに問いかけてみる。わざわざ心を読まれる趣味もない。

「ええと、正直、意味がわからないんだが、理由を聞いても? あと、俺が何の条件を満たしていたのか……」

「済まないな。理由は当方にはない。ただ、私の理の外から人格が一つこちらに来る。私の理の内に入れるために、お前と交換したいのだ」


 正直、唖然とした、と言っていいと思う。今度ばかりは本当に申し訳なく思っているらしい。済まない、と言われた時、それが分かってしまった。

 どうやら本当に向こうの異世界側の都合らしく、そちらの筋を通すためにこちらが割りを食っているという話のようだ。言葉でそう説明されたわけではないが、なぜかそれが伝わってきた。

 そう言えば聞いた話だが、左脳は論理を司っているが秒間で処理できる情報はせいぜい5,6タスク程度らしい。その同じ時間で、右脳は万に及ぶタスクを処理できるとか。ただ、言語化できないイメージ処理になってしまうらしいが。


 神とやらが発する言葉は数少ない。しかし伝わってくる情報量は半端ない。まるで直接真理をぶつけられているようだ。

 ならば、感じるままに信じるしかない、のかも知れない。


「よく分からないが、あなたの気持ちは分かったと思う。改めて聞いても良いだろうか。なぜ俺が選ばれた?」

「世界の執着が最も薄かったからだ」

 なるほど、そうか。さっき言われた通り俺は生きる事にあまり未練を感じていなかった。ならば今世から離れるのも一興か。


 ……いや、ちょっと待て、おかしくないか?


 世界の執着? どちらがどちらに?

 そう疑問に思った時には、答えは分かっていたと言っていい。


 世界の方が、俺に、執着していなかったのではないか?


「今、死んだ多くの命の中で、お前は最も誰からも惜しまれない」

 その瞬間、精神的に止めを刺された気がした。


「ちょっ、マジかよ? 俺が? 一番?」

「相対的なものだが、その通りだ」

 そんなバカな。みんなから憎まれて殺されたヤツとかいないのかよ?

 人生を悲観して自殺するヤツとか、俺一人じゃないだろう?


「憎しみは負の感情ではあるが、強い繋がりでもある。その者は決して忘れられることがない。自殺した者もいるが、お前よりは惜しむ者が少しばかり多かったようだな」

「……動物とかは? 単細胞生物とか細菌とか」

「お前とは比べ物にならぬほどに本能に根差(ねざ)し、生ききっている。生に対する執着に満ちたものだ」

「つまり、俺は、誰からも無関心だったと……」

「お前が周りに無関心であった分、周りもまた同じだったようだな。お前自身が顔も名前も思い出せない級友から、お前の顔と名前を思い出してもらえる事は、多くあるまい」

 もうやめてくれ、俺のライフはゼロだ。自業自得感が半端ないあたり救いようがない。思えばアイツが死んじまった時から、俺は世界にいなかったってことか。


 ……異世界、行ってもいいかもしれない。


「行ってもらえないか、って言ったよな。選択肢はあるのか?」

「もちろんだ。断ってくれても構わない。これは私の執着だ。私の生命の一部と言って良いお前を、望んで手放したいわけではないのだから」


 なんと。

 ここでそれは卑怯だろう。こんな俺を惜しんでくれるなんて、(すが)ってしまいそうになるじゃないか。


「断ったらどうなる?」

「お前は私の輪廻の内に帰る。私は、お前の次に世界の執着が薄い者に同じ問いをかけるだろう。誰かが頷いてくれるまで」


 そうか。

 そうだよな。

 確かに俺を惜しんでくれてるが、他の誰かをも同じだけ惜しんでいるんだな。この人にとっては全ては等価値か。


 俺だけを特別に惜しんでくれる誰か、それを俺が作ってこなかった。

 なんという人生か。


 それなら、それくらいなら、本気で異世界、行ってやろうじゃないか。

 この人は、本気で俺を惜しんでくれている。次の誰かに問う時も、きっと同じだけ悲しみながら問うのだろう。

 なら。

 辛いことは一回で終わらせてやろう。


「分かった。いいぜ。俺が異世界に行く」

 残念ながら、一瞬たりとも神様の表情は変わらなかった。淡々と、ただ一つ頷く。

「うむ、ではさらばだ。壮健であれ」


 随分とあっさりした別れだった。

 周りの風景が一瞬ぼやけたかと思うと、まばゆい光に包まれていくのがわかる。光の奔流の中で、だが、神様の姿は最後まではっきり見えていた。本当に残念だが、最後まで、表情は変わらなかった。


 こうして俺は異世界に行く事になった。

 今度こそ、誰かに惜しまれる人生を生きたい。生きねばならない。あの人の理を辱しめないように。



 随分と後になってから気付いたものだが、当時の俺は本当に世界との縁が薄かったものだ。なにしろ一度たりとも、両親のことにすら思い至らなかったのだから。

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