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ゴッドラム・ヤーウェ・陰謀の行方

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

 目の前の少女はため息をつきながら絵をじっと眺めていた。何にそう魅かれているのだろう。山に囲まれた湖。山からなだらかに降りてくる森が湖面に映っている。風が波紋を広げている静かな絵だ。それはアリウスが小さい頃によく遊んだ別荘の近くにあった場所だった。

 少女は黒い髪と紅い目をしていた。アリウスは珠洲(すず)の村人とは会ったことがない。しかし絵の側にたたずむ彼女は、なぜか昔から知っているような懐かしさを覚えた。

 絵と少女。

 不思議な既存感だった。それは記憶の中で優しく微笑みかけている。

 アリウスはしばし声を掛けられなかった。

 静かに絵に見入っている彼女を見つめていた。

 この少女は珠洲(すず)の村の者。そう理性では理解できるのだが、動けない。

「――ようこそ、お嬢さん」

 やっと掛けた声は我ながら間が抜けていると思った。

「絵、お好きのようですね」

「え、あ、はい」

 何も知らずに少女は首を傾げ、微笑んでいる。彼女からまだ青い檸檬のような清々しい香りがした。

「……」

 一瞬アリウスはたじろんだ。

 彼女を連れて来たのはデンジャーの解毒剤を創れるという薬師を探すため。

 その薬師消すのが目的だが、抵抗するなら行商に来ている珠洲(すず)の村の民なんて皆殺しにしても良い。万能薬が出回る前に――なのに。

「この絵、どなたが描かれたのですか?」

 少女は無理矢理連れて来られたというのに無邪気な質問をしてきた。

「そ、それは……この風景は国の東の外れにあります」

「山から湖に向かって森が描かれていますよね。森の育ち方って、ご存知ですか? 草から始まるんですよ。ススキ、ネザサ、クズ。やがて背の高い草原となり、低木が生える。それから十五年から二十年後にミズキ、カシになり百五十年経ちシイ、タブノキ、が現れるんです」

「それがどうかしましたか?」

「この絵は単に綺麗なだけじゃないんです。なんていうか営みが描かれている。森も山も湖もみんな生きているんです。樹木も湖の水一滴にも命があり歩んで来た歴史が見えるんです。感動しました」

「――どうも……」

 調子が狂う。

 これから尋問しようとしているのに。

珠洲(すず)の村で万能――」

 アリウスが無理に質問を振ろうとすると、リネが言葉を遮った。

「きっと描かれた方は優しい方なんでしょうね、自然をあるがまま受け止めて。そして同時に真面目で寂しい方」

「さびしい?」

「特にこの湖の深みを持った色。ひとつひとつ点で表現する中に孤独が見えます。きっとこの風景は作者にとって大切な場所。描きながら癒されることを求めていた気がするんです」

 一粒一粒で表される点描画。

「……描きながら癒される」

 アリウスは彼女から目を逸らした。

 ――孤独。

 絵の作者は母だった。

 街の平凡な家の娘だった。婚約者もいたと聞く。しかし王家の父が横恋慕し、力づくで妻にしたという。皆が噂していた。父の長兄も次兄も結婚には反対だった。父は半ば意地で結婚をしたようだ、と。

 子供であるアリウスでもわかるほど王家で母は浮いていた。

 身分違いということもあったのだろう、母は正室でありながら王宮に立ち入ることを許されていなかった。

 母は湖近くの別荘でいつも一人だった。

 あれだけ固執したというのに父はあまり訪ねて来なかった。どうせすぐに飽きたのだろう。アリウスはいつも母と一緒だった。

 一日にパンひと欠けらと薄いスープ。それでも笑いかけてくれる母が不思議だった。

 温かい手で撫でられたことを、花を摘んでくれたことを、山の向こうを説明してくれたことを、覚えている。

 そしていつの頃からだろう、母はやがて絵を描きだした。誰に教わるのでもなく、キャンバスに向かっていた。母の目には幾千もの粒で世界は構成されていたのか、点描画はひとつとして同じ色がなかった。

 生きた証を残したかったのかも知れない。

 今を絵に焼き付けたかったのかも知れない。

 母はアリウスが九つの時に逝った。

 あれから随分と時が流れた。

 その後アリウスは父の王宮に迎え入れられたが、あの時以上の色彩に囲まれたことはなかった。

「あの、すみません。一人でぺらぺらしゃべって」

「い、いえ」

「わたし、リネと言います。あなたは?」

「……アリウス」

「アリウス――素敵な響きですね。ところでわたしに何か用ですか? 目隠しをされて突然なので」

「あ、いや、その」

 アリウスは珍しく言葉に詰まった。

 なぜだかわからない。わからないけれど、圧倒される。目を見て話すことができない。

 リネは何も疑っていないだろう。事実、リネは悪いことはしていない。母はよく言っていた「心にやましいことがなければ胸を張れ」と。彼女も同じなのだろう。

「ただ、珠洲(すず)の村のことを……聞きたくて。不快なお連れ方をして申しわけありません」

 アリウスは謝罪するしか思い浮かばなかった。

「いいえ。夜に出歩いていたわたしも悪いのです。きっとお役人達には不審者に映ったのでしょうね。気にしないで下さい。そういえば彼らは明日わたし達を連れて来るように命令されたと聞きましたけれど」

「ええ、まあ」

「お互い知り合うのは良いことですものね。わたし行商でしか知りませんけれど、ゴッドラムにはこんな綺麗な湖があるんですね」

「はい」

 アリウスはそっと目を伏せた。

 彼女は眩しすぎる。

 ゴッドラム特有の紅い目が黒髪によって際立つ。

 ほんの一瞬だが、アリウスにはすべてわかった。リネは人を疑わない。すべてを包み込む柔らかさを持っている。きっとその手は温かいのだろう。

 アリウスはリネから万能薬を聞き出すことをあきらめた。

「もう遅いです。夕食を用意させましたから食べて下さい。今日はお泊りになられるといい」

「でも、皆が心配します」

「それは、珠洲(すず)の村の宿にはこちらから連絡をしておきますよ。正式な招待は明日にということで」

「はい」

 リネはなんとなく不安そうにしていたが、アリウスは構わずに部屋から出て行った。

「……」

 仕方がない。

 リネとかいう少女から聞き出すことが不可能だと直感したアリウスは対象を珠洲(すず)の村人に変えた。

確か常宿に行商の為、泊まっているだろう。彼らに万能薬とそれを創り出す薬師について尋ねるのだ。リネという少女を人質にして脅せば吐くだろう。

 アリウスは頭の中で作戦を組み替えた。

「アリウス様、ユグノー様が見当たりません」

 侍従長がそっと寄り添い、耳元で囁いた。

「もう?」

「はい」

「余計なことをしなければ苦しまず生きていれたのに」

 アリウスは目をすっと細めた。

「まあ、今はいいです。珠洲(すず)の村を最優先にしましょう。でもユグノーが居なくなった為に残党が動くでしょうね。密偵を倍に増やして対処を」

 アリウスは歩きながら命令をした。



 ヤーウェの城壁に影が二つ、動いていた。もうすぐ砂嵐が来るという予報に人々は固く扉や窓を閉めている。なのに二人は砂漠の方に向かって歩いている。

「随分、空が暗くなって来たわね」

「急ぎましょう、義母上(ははうえ)

 二つの影は、マントの上に深くベールを被り、皮袋を引き摺って歩いている。袋は重いのか、砂に深い筋を付けていた。

義母上(ははうえ)、バレないでしょうね」

「馬鹿言っているんじゃないわ。足跡も痕跡もすべてこれから来る砂嵐が消してくれる。我々も巻き込まれないうちにこの辺りで捨てましょう」

「はい」

 二人は引き摺った皮袋を降ろすと、開けた。

 すると中から泡を吹いた人間が顔を覗かす。剥き出しにされた髪が顔にざんばらと掛かり、土気色で、目の焦点は合っていない。もう命の灯火は残っていないようだ。

「……少し可哀想かな」

 一方が口を開いた。

「同情は止めなさい、アーヒラ。彼の娘は珠洲(すず)の村に駆け落ちした所詮裏切り者。イスマイールのキターブは娘の責任を取っただけなのよ」

「相変わらずですね、義母上(ははうえ)は」

「これも〈勇者なるカルマト〉の為よ。キターブがデンジャーの毒にやられたとなったら、珠洲(すず)の村の万能薬を待つなんて悠長なことは言ってられないことがわかるでしょう」

「ええ、重鎮はパニックでしょうね。珠洲(すず)の村で良い様に言いくるめられて戻って来みたいですけど。危機意識に火が着くのは早いでしょう」

「見えるようだわ。デンジャーにさられる恐怖が。可愛いのはしょせん我が身だということを知らしめてあげる」

 キターブの遺体には足に錐のようなもので穴が開いている。たぶんサソリにやられたという偽装工作だろう。噛まれても、経口からでも同じ症状が出る毒ならではの工作だ。

「まあ、三部族とも解毒薬は簡単に創れそうもないですしね。自力解決は無理、ということで」

 アーヒラと呼ばれた男は遺体をこつんと蹴った。

「あー、ここでまた部族会議とやらが起こるんだろうな~」

「起こるんだろうじゃなくて、起こすの。もちろん中心になって動くのは我がカルマトの部族。リネとかいう娘を拉致して言うことを聞かせるよう会議を誘導するのよ」

「拉致か、物騒ですねえ」

 アーヒラは大げさにため息をついて「やれやれ」と言った。

「そうよ、アーヒラ、あなたの嫁に迎えてしまえばいいのよ。そうすれば薬はカルマトが独占できる。そうすれば三部族でもっとも優位に立てる」

「嫁……山の民をかあ。気は進まないけど、ま、そこそこ美人だって噂だし」

 ここで風が起こり、アーヒラの隣のベールが大きく巻き上がる。そこに現れたのは濡れた瞳を持つシーアだった。

「いい案だと思うわぁ。そうすればヤーウェの歴史は塗り替えられる」

 シーアは嬉しそうに微笑んだ。

「持ち回りのイマーム(指導者)なんて必要なくなる。それだけじゃない。毒と薬。その両方を手に入れられたらゴッドラムだって怖くない。わかるでしょ〈勇者なるカルマト〉の長男である次期部族長――アーヒラ、あなたなら」

義母上(ははうえ)は怖い人だなあ」

 アーヒラは苦笑しながら頭を掻いた。


 空は砂嵐を予感させるように、鉛色に落ちて来た。






読んでいただきありがとうございました。


これから三国(村)入り乱れてきますが、混乱のないよう書き進めるつもりです。

これからもよろしくお願いします。

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