ゴッドラム・出会い
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
イラストはつるけいこさんからいただきました。
ゴットラムの民は新月の夜にはあまり出歩かない。狼は月を喰った後は人間を襲うという伝説がある為だ。この朔の夜はたいていの者が家で身を潜めている。
その中、石段を静かに走る姿があった。
「ユグノー様、こちらです」
ユグノーと呼ばれた娘は布を頭からかぶり、街服と呼ばれる粗末な身なりをしていた。上着もロングスカートも薄汚れたネズミ色だ。
従者らしい男が二人、彼女の前後を守っている。
「少しここから離れていますが、宿屋があります。そこに一旦落ち着いて朝早くに出ましょう」
「……わかりました」
ユグノーと呼ばれた娘はアリウスの従兄弟で――父は長兄コプトを殺して服毒自殺したとされている。
遺体の側には署名入りの遺書があった。しかし字体は微妙に違っていた。
遺言には娘であるユグノーの今後も書かれていた。そこにあった結婚相手は年が四十五も離れているアリウス派だった。二十歳になったばかりなのに年上で後妻とは酷いことだ。娘想いの父が書き残すことではなかった。
父は自殺なんかじゃない。
だからといってユグノーはどうすることもできなかった。アリウスは遺言だと結婚を勧めて来る。断る口実はなかった。
その時、父の側近であった連中が秘密裏に逃げることを勧めてきたのだ。
側近達にとっても姫はウイークポイントになっていたためだろう。彼女をアリウスに握られると手が出せなくなる。
だが側近達が外に逃がそうとするのは敵もおそらく考えている。
今夜は危険な賭けだった。
「でも、朝になったらどこに行くのですか?」
月の広場と呼ばれる場所に着いた時、ユグノーは立ち止まり、側近に聞いた。
息が切れ、心臓が口から出そうだ。しかし心配が先にたった。ユグノーは父亡き後、後見人はいない。
「教えて下さい」
小さな街灯の下、噴水の音だけが辺りに響いている。ほとんどが闇で、灯りの下の石畳だけがうっすら浮かび上がっている。水を噴出す人魚の壷は暗くて見えない。もちろん柔らかな曲線を描くベンチもローズガーデンも沈黙したままだ。
「海に出るのですか?」
「いえ、海周りは渦が多く危険です」
現在、ゴッドラムの海は潮の関係で沖に渦が出来ている。かといって海岸沿いを船で通り逃げるのはばれてしまう。海からの逃亡は時期的に無理だった。
陸地ではヤーウェに限られる。
「では山越えで?」
「しかしヤーウェの国が姫を受け入れてくれるとは思えません」
他国のゴタゴタを喜んで、とはならないだろう。それに見た目で違うヤーウェの民の中では浮いてしまう。
「ではどこへ?」
「珠洲の村に知り合いがいます。そこで受け入れてくれるよう話をします。これから向かう宿屋には彼らが泊まっているはずです」
側近の一人、クエーカーが言った。
「……そう、珠洲の」
ユグノーは躊躇のためか声が小さくなる。
珠洲の村はゴッドラムでは〈死に近い村〉と故意に噂を流されていた。山は神のいます場所、山の民は神の民、だから死に近い。解釈は違うが、ヤーウェもゴッドラムも根は同じ。珠洲の村はタブーなのだ。
その上、ゴッドラムは山には恐ろしい獣が住んでいると、ことさら大きく叫ばれている。もちろんこれは村への亡命や自由貿易を禁止する為だ。新月に出歩かない用心深さを持つ民に絶大な効果があった。
「もう少しです。姫、急いで下さい」
「わかったわ……」
もう道はこれしかない。
ユグノーも側近達も足を速めた。
宿屋はゴットラムの外れ、比較的山寄りの場所にあった。樹木の中にあり目立たない。街と同じく石造りで建てられているが、農家を改築したような質素な造りになっている。泊まるのは観光客や一般人ではなく、珠洲の村の者がほとんどだ。
ユグノー達が到着したのは夜の十時を少し廻っていた頃だった。
「いかな用件ですかな」
長老が出迎えた。
ろうそくで照らすと、三人とも肩で息をしている姿が浮かび上がる。
様子からしてただごとではないことはわかる。たぶんここが珠洲の常宿であることを知って訪れたのだと思った。
「お願い申しあげます。ここにいる女性を珠洲に連れて行っていただきたいのです」
側近二人が頭を下げた。
「ほう……?」
「詳しい事情は言えませんが、追われております」
「駆け落ちではないようじゃが」
男が二人、女が一人では結婚がらみではないように見えた。それに三人とも目と髪の色はゴッドラム人を示している。
「いいえ、駆け落ちではありません。ただ見つかると命の危険があります。この方を助けていただきたいのです」
「彼女だけで良いのか?」
「はい」
「……」
長老と、一緒に付いて来た村の薬師達は顔を見合わせた。
どう対応していいかわからない。今回、ゴットラムに来たのは長老以下、薬師が六人。いきなりの訪問に困り果てた。
そこに薬師の一人であるタエが後ろから長老に頼み込んだ。
「私からもお願いします。この女性を受け入れて下さいませんか」
「ほほう、タエ、そなたの知り合いか?」
「ここにいる従者の一人は確か母の弟――クエーカー叔父です。詳しいことはわかりませんが、力になっていただけませんでしょうか」
「……」
一同が輪になった。タエの叔父となると無碍に断ることもできない。
「――だぞ」
「だが」
「……でも」
そんな会話がしばらく続いた後、長老がゆっくり口を開いた。
「何やら切羽詰っていることはわかり申した。まあ、珠洲の村は基本、来る者拒まずですじゃ」
「では、お助けいただけるので?」
側近二人は目で一同を見渡した。
「よくわからんが、どうせなら今すぐここを立たれることをお勧めする。今なら山に続く道も『忘れ物をした』で通ることができるじゃろう。詳しい話はゴッドラムから戻ってから村で聞きますじゃ」
「ありがとうございます、長老。三人に代わりましてお礼を申しあげます」
タエはほっとひと息つき、三人に微笑んだ。
「ありがとう、タエ。ほとんど会ったこともないのに……」
「いいの。良かったわね、クエーカー叔父さん。でも安心するのはまだ早いわ」
ゴッドラムはヤーウェや珠洲の村に続く山越えの道に門番を置いていた。国境ともいうべき場所に通じるそこを通るのは許可が必要だ。
「誰ぞ、珠洲の服と、髪の染め粉を彼女に」
長老は他の薬師に命じた。
こんなことは初めてではない。以前にも亡命を願い出られたことがある。だからゴッドラムに来る時は黒の髪粉を、ヤーウェに行く時には紅い目に見える染め液を用意している。もちろん逃げ切れた者に説明は求めるが、これから逃げようとする者に事情は聞かない。
「用意が出来たらここにいるタエに先導させることとします。安心して下され」
長老が説明すると、側近の二人は深く頭を垂れた。そして奥に進むユグノーの後姿に向かって「ネストリウス様の復讐は我らにお任せ下さい」と声を掛けた。
「……ふくしゅう?」
小さな声だったが、長老は聞き逃さなかった。
穏やかな言葉ではない。深くは詮索しなかったが、思ったよりコトは大きそうだった。
そういえばリネは戻って来てはいない。
「何か、巻き込まれていなければ良いが……」
長老は立ち止まり眉を寄せた。
その頃、リネはまだ街の中にいた。
表向きは山での乗り物であるラウマを売る商談――本当はゴッドラムにいる親族に手紙を渡す為だった。それゆえいつも新月に合わせてゴッドラムに行商をしている。
「随分おそくなっちゃったわ」
久しぶりなので手紙は今日だけで七件分もあった。広いゴットラムは一日では終わらない。明日の夜も出歩くことになりそうだ。
「長老、心配してないかしら」
わざと闇夜に紛れて行動しているとはいえ、月もない場所でうろつくのは危険だった。家々の窓に灯りは点っているが、足元を照らすまではいかない。星明りを入れても不十分だ。
リネは足早に通路を抜けようとした。
「待てっ!」
大通りに出た時、急に後ろから呼び止められた。
暗くてよく分からないが、腰に剣をぶら下げている。それもヤーウェとちがって細身の剣だ。これはゴッドラムの役人がよく身につけている。
「わ、わたしのことですか」
リネは震えを我慢しながらも答えた。
一人、二人、たぶん数は三人以上いるだろう。逃げ切れるとは思えない。
「そうだ、こんな時間に何をしている」
「貴様、ゴッドラムの者ではないなっ」
質問が矢のように降ってきた。
暗くともシルエットでわかるのだろう。ゴッドラムの女は上着にロングスカートを着用している。リネは布染草で薄紫に色づけしたものを前で打ち合わせ、ゆったりとしているが、手足首できっちりと結ばれているものを着ている。
服装をあえてゴッドラムに合わせなかったのは元々髪の色が違うため、変装するのは不自然だと考えたせいだ。
「み、見てわかるように、わたしは山の民で行商に来ました。ラウマの商談の帰りです。あ、あの道に迷ってしまって――」
リネは以前から決めていたセリフを言った。
それにしてもおかしい。
普通なら新月に見回りはしない。こんな日に出歩く者はいないはずだからだ。リネは今まで十数回は訪れているが、こんなこと初めてだった。
「どうかされたのですか?」
リネは反射的に聞いていた。
「お前には関係ない」
「……はい」
冷たい汗が流れる。
そう、関係ない。リネはすぐにでもここを走り去りたかった。が、逆効果な気がした。
「あのう」
「何だ」
「用事がなければ――行ってもよろしいでしょうか」
おずおずとリネは申し出た。
役人に警戒感を持たせてはならない。珠洲のみんなに迷惑が掛かる。リネの頭はそのことで一杯だった。
「行かせていいのではないか」
「いや、ちょっと待て」
役人達は何やら言い争いを始めた。
「どう見てもユグノー様は関係ないだろう」
「だが、明日の予定を思いだせ」
「ああ、確か」
話はよくわからない。
リネはただ身を竦ませていた。
「お前、珠洲の村の者だな」
「は、はい」
「実は明日、俺達はお前らを連れて来るように命令されている。今夜は違う件で見回っているのだが、まあいい。来い」
「――えっ?」
リネは闇から伸びてきた手に腕を掴まれた。
驚く暇もない。
囲まれたかと思うと、いきなり目隠しをされ、引き摺られるように連れて行かれた。口は塞がれなかったが、声は喉の奥に張り付いたように出なかった。
目から布が取り除かれたのは、かなり時間が経ってからだった。随分と歩かされた気がする。扉もいくつか通った。だから周囲がかなり違っているのは想像できる。しかし目を開くと考えているよりももっと華やかな、もはや別世界だった。
「ここは……」
高い天井に描かれた天使の絵、そこから釣り下がるシャンデリアには惜しげもなく灯りが点っている。ここゴッドラムでは油は貴重品のはずなのに、壁には無数の花弁を模ったランプが飾られていた。
「まるで昼間みたい」
リネはため息をついた。
常宿としている部屋とも違う。いつもお邪魔する家々でもない。かなり高位な屋敷だと推測される。
取調室だと思っていたリネはあまりの豪華さに目を閉じることを忘れた。
紋章旗、温かい暖炉に緋色の絨毯、調度品には真っ白なレースが掛けられている。
珠洲でもヤーウェでもない、ここはゴッドラムなのだと思わざるを得なかった。季節限定とはいえ、船で他国とも貿易をしているせいだろう。見たことのない壷に赤からピンクにグラデーションのあるバラは見事という他はない。
「……」
行商で得たお金を使い、生活必需品を買ってはいるが、珠洲の村は基本、山で自給自足の生活をしている。イスも机もすべてが木で手作りだ。
それがここにあるものは手で作ったとは信じられないような色と曲線を伴っていた。
特に部屋の正面にある風景画は驚いた。山に囲まれた湖。だだそれだけで美しいのに線を使わずに点の集合で表現する画法――点描画によって描かれた世界は、光の粒が瞳の中で形を成しているようだ。
「空気すら一粒一粒が丁寧に描かれているわ……」
色とりどりに縁取られた空気など知らない。その色が周囲に溶け込み、自然な流れとなっている。
「水彩、じゃないわよね」
リネは思わずつぶやいた。
画材からして違う。これは何だろう?
珠洲の村にも飾る絵はあったが、シンプルな人物画しかなかった。たぶんこれが文化の違い――というより国と村の違いなのだ。
リネはただただその差に驚いた。
驚くしかなかった。
「――ようこそ、お嬢さん」
声が掛けるまで人が入って来たとは思わなかった。
「絵、お好きのようですね」
「え、あっ、はい」
リネに笑顔を向けているのは金色の髪と紅い目を持った青年だった。
読んでいただきありがとうございました。
やっぱりファンタジーは難しいわ、と独り言をつぶやく今日この頃。
お願いです。どなたかご指導ください。