ヤーウェ・サン・サラー通り
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
アリウス達はそこからサン・サラー通りに向った。
太陽が地面を照り付けている。痛みを感じるような熱の中、風は止んでいた。
日差し避けのテントは落ち、目印となる色鮮やかな布は踏みにじられている。もちろん店は誰もいない。それだけで何か起こったかわかるような血の足跡だけがべっとりと砂に残されていた。
全員が逃げ延びたか?
アリウス達の影が西へ伸びる。
あまりに静寂に包まれていたため、ついご都合主義の考えた方をしてしまった。全員が助かったなどという希望観測を。
「……」
つい先ほどまで作られていた料理に混じって鉄の匂いがしている。門の時よりもはるかに濃厚に。
「……」
「手」
ボソリと誰かがつぶやいた。
手首から上だけが布の先から覗いていた。紫色になり人差指と小指の先がない。そして布の中にも繋がっていたであろう胴体のふくらみはなかった。
死せるがゆえの沈黙だ。
少なくとも事実はそう告げている。
「……奴らがどこにかまだ潜んでいる可能性がありますよ。気をつけて下さい」
アリウスはいつになく厳しい口調で告げた。今回が門での散策と違うのは入った〈現場〉ではなく襲った〈現場〉だということを改めて言った。
「――だな」
カダルは同意するようにアリウスを見た。
まだここに奴らはいる。アリウスは本能でわかった。血生臭いものが好きな奴らは乾く前に動かない。自らの体験でもある。喰い残したものがある限り去ることは出来ないのだ。
「カダル、念のために警戒を。デンジャーは所詮サソリなので動きは速くても止められる。だけど集団で飛びかかられたら……」
「ああ」
カダルとアリウス、爺に私兵五人。合計八人しかいない。
襲い掛かられたら数秒ともたないのではないだろうか。本来サソリの毒の主成分はペプチドと呼ばれる神経毒だ。神経毒なら呼吸を麻痺させる。しかしデンジャーは多臓器不全を誘発する。心臓を一気に攻めるともされているからテトロドトキシン、貝毒に近いかも知れない。人によって表れ方が違うのが特徴だ。ただ〈絶対死〉であることは確かだ。
「少し、店の中を調べるか」
カダルはさすがに怯えを感じさせないが、他の私兵達の滑稽なほど腰は引けている。
「そうですね。逃げ遅れた人も居るかも知れませんし」
アリウスは汗を拭うふりをしながら唇を隠した。どうも笑みが零れてくる。
久しぶりの感覚にアリウスはなぜかゾクりと嬉しさが込み上げて来た。危険に身を置くというのはひりつく痛みだけではない。それは異国の――炎天下の無残劇なのに懐かしい。
「確か食肉加工店がこの先にありましたが」
爺が声を上げた。
「いつもはそこが一番賑わっていたはずで」
「肉、ですか」
食事情はどこの国でも一緒らしい。
「ああ。この暑さだからすぐに痛むだろ。狩猟で取って来たものは一番最初にそこに持ち込まれ血抜きをされるんだ」
「なるほど」
「あとはチップで蒸し、干し肉に加工される。そこからサン・サラーの食べ物屋は肉を卸してもらっていたんだ」
「……血抜きというのにひっかかりますね」
アリウスはふと思った。
デンジャーが腹を空かせているならば人間の出す匂い、生き物を捌く時の臭いに集まる。ならば血や動物の死臭に魅かれないはずはない。
「とにかく行ってみましょう」
八人はそこに向かった。
店の入り口は薄い木の板が外れ、中が丸見えになっていた。狭まった奥は消し忘れたのかそれどころではなかったのかランプが点いたまま置かれていた。倒れたコップ、落ちた包丁、割れた容器。
さすがに血の臭いは酷い。
乾いた腐敗臭と濡れた臓物の香が混じり合い吐きそうだ。
澱んだ空気が死の匂いをさせている。
「――しっ」
アリウスは唇に手を充てた。
カダル達やイスマイールの私兵は動きを止め、身体を強張らさせる。
「……けて」
その時に小さな声がした。
熱風の中にさざ波が立った気がした。
「子供?」
「……うぅ……」
押し殺すように泣いているのはわかる。取り残された――おそらく最後の者だろう。
「どこだ? 動かずに、声でいい、説明しろ」
カダルが言った。
可能性に掛けるしかないが、たぶん臭いに引き付けられているデンジャーは声に反応は薄いだろう。大きな音でなければ……。
「ぁの……」
声はどうやら入口付近の下棚からしている。消し忘れたランプが幸いだったのか、奥に肉の解体場があることが良かったのか。もちろん逃げ遅れたのは不幸意外の何ものでもないが。
「わかった。わかったからもういい。俺が行ってやる」
「カダルっ」
「行けない距離じゃねーだろ」
「わかっていますよ。でも耳を澄ましてみて下さい」
……
乾いた音。
そう――確かに音がしている。
一匹。いや、二匹?
小さく不快な響きがアリウスには聞こえていた。悪意なき敵意が見えた気がした。
「このサソリの弱点、わかりましたか?」
アリウスは小声でカダルに尋ねる。
「……いや。だから解毒剤研究しか」
「甘すぎますね」
「それは……認める」
一刀両断。でなけれぱやられる。
何匹で行動しているのかはわからないが、集団で、もしくは後ろを取られるとまずい。この場合身体の大きさが不利となるだろう。
「ヤーウェは一度目に襲われた時に外出禁止令を出すべきでしたね」
「今さらだな」
「ええ」
ゴッドラムならそうしていただろう。でも、ヤーウェでは民の生活や仕事がなくては食べてはいけない。色々なことを考慮し、揉めて再開したに違いない。
責める気はないが、つくづく甘いとアリウスは憎々しく思った。ヤーウェの民は大らかで人を信じすぎる。
――カタ
アリウスは奥で何かが落ちたような音に気がついた。普段なら到底耳に残らないくらい小さな音だ。
暗闇の奥の奥、掠れ合う音がある。まるで枯葉同志が擦れ合っているような感じの。そして何かが影の中蠢いている。
この状態で子供を助けられるのか? 子の位置は確かに入口に近い。しかしサソリの速さは未知数だ。
殺気はなくとも、研ぎ澄まされたものを感じる。食欲か。それとも居場所がなくなった哀しみか。
共存共栄が出来ないモノ同志出会っていることは確かだろう。
「カダル、中へ。僕はこのまま外にいます」
「え、何だ急に」
「引きつけます」
アリウスはきっぱりと言った。
子供を救った後に背中から襲われては元も子もない。二手に分かれて対処する方が良い。
位置的にいうと隠れている棚は向かって左。奥へ続く道は右。
上手く誘き寄せることが出来れば子供は助かる――はずだ。
「……わかった。爺とみんなはキリトと外で待て。外の命令権は彼に任せる」
カダルは一呼吸した後、アリウスの目を見て告げた。
カダルの黒い目がひどく落ち着いて見えた。
「ではそういうことで。お言葉に甘えて僕はエサとなることにします。皆さん、用意はいいですね。弱点はわかりません。とにかくデンジャーを殺して下さい」
アリウスは薄笑いを浮かべ、自らの手首に剣をあてがった。
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