ヤーウェ・進行
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
ヤーウェの門は出入口には厚さ二十センチほどの鉄の扉が付いている。重いため、開閉係りとして常時二人が扉横の小部屋に在中していた。
扉から連なる城壁はレンガを重ね造られている。高さは四~五メートルほどで、厚みは七、八十センチくらいだろうか。主に砂漠に吹く砂塵対策だろう。砂で削られてもすぐに修復が出来るもので造られている。
だが、生き物に食い破られるというのは想定していないようだ。確かに砂漠に生息している生き物には壁を飛び超えることが出来ないだろうし、体当たりで壊せるものも周囲にはいない。砂魚も火竜も生息域は違っていた。
まったく心配はいらない――過去に上に立つ者はそう考えていた。
自信があるから各部族長もイマームも門の修理を後回しにした。結果、鉄の扉は厚く頑丈だが照り付ける太陽と雨に所々に錆びが浮き、実際より年数が経っているように見える。同じく壁の補修も完璧とは言えず、新しい部分と白く朽ちかけていて欠けた部分がまだら模様になっていた。
敵は砂漠から攻めてこないという気持ちの緩みからだと思われるが、大部分は激しい気候のせいでもある。ヤーウェを包む砂漠の朝と夜は三十度ほど温度が違う。砂嵐の日も雨季もダメージを門やその壁に与え続けていたのだ。これらが形だけの門、空洞だらけの城壁を作ってしまったのだ。
平和を続けるには色々な管理が必要だということを、民は今一番実感しているに違いない。穏やかな時間は紙一重で変わってしまう、とも。
アリウスがカダルと爺、イスマイールの私兵と駆けつけた第一の場所はもう破られた後で、デンジャーはいなかった。
真新しい出入口が穴を開けている。
そしてその横に原型を留めていないイキモノが肉片となり横たわっていた。
大きさからすると犬だろうか。残った骨の残骸から人間ではないと推測される。周囲は大きく乱れてはいなかったから不意打ちでやられたのだろう。
血を吸った大地は赤黒く染まり乾いていた。
干からびた脂肪と毛が辺りに散らばっている。
「ちと遅かったですな」
「ああ」
爺は失望を隠せない。カダルは隠すつもりはない。
アリウスはしばらく言葉が出なかった。
「今回入った場所はここでしょうか」
「……かのう」
「しかし時間的に合わないようですが」
カダルはアリウスの言いたいことが理解できた。確かに砂漠は陽が強いがこの乾き方は半日は経っている。
知らない間にサソリは信じてヤーウェに進行していたというところか。
三人が城壁を調べていると兵士の一人が敬礼をし、言った。
「あの、お三人が会議場に入られてから後に、我々の私兵がデンジャーを別場所で目撃したと報告がありました。他の部族の――カルマトとドルーズにはこちらから連絡しましたっ」
それから「そして」と言葉を続ける。肩が小刻みに震えている。
「別の場所とは?」
「大通りからカルマトの果樹園に向かう道で……」
「被害は?」
「その時はまだ……しかし三匹確認出来たので……取り急ぎ……」
兵士は肩で息を激しくした。
「私は――連絡役でして。その、伝令ついでに民に警戒を呼びかけたのです。け、警戒を。なのに……落ち着くように言ったのですが、かえってパニックを呼んだようで」
アリウスはカダルとほぼ同時に兵士の肩を叩いた。
悪意なく避難を呼びかけたのだろうが、民はただ走り回ることになり、結局のところ群衆は入り乱れパニックを起こしてしまった。
部屋に入ってじっとしているのが得策だと思うが、サソリの大きさでは開け放たれた窓などから入って来る。家が安心できる場所でない以上、怖さから〈逃げる〉という行為を選択してしまったのだろう。
「……くっそ。何匹入ってるんだよ、何匹」
兵士は悔しそうに唇を噛み、壁の部分を見つめた。そこはまだ修理したてのようだったが、地面と接している所に鋭い爪痕と穴が掘られていた。
どうやらデンジャーは穴を開けると同時に地面に穴を掘り、くぐり抜けをやってのけているらしい。
そして一度開けた場所は記憶し、何度もそこからの侵入を試みている。
「それにしても凶暴ですね。数も多い。確かに今、何匹がこの国にいるかが問題です。まさかとは思いますが」
「まさか、何だキリト」
「……繁殖期ってことはないですよね」
少なくとも三人が山へ逃げた当時はサソリのことはあまり噂になっていなかった。問題はなぜ急に動きが活発になったか、だった。
「まだそこまでわかってはいない」
スマイールでも独自に研究はしているが、主に解毒の方法だった。生態系にはほとんど手が付けられていない。
「卵を抱えていたら栄養を取るために必死になるでしょう」
「考えたくないけれど、可能性は高いな」
サソリは普通、卵胎生と胎生に分かれる。またメスの単為生殖を行う種もあると聞く。どちらにせよ、その栄養を得るためにメスは躍起になるだろう。
「カダル。一応お尋ねしますが、この場合の、今のデンジャーのエサというのは――」
「キリト、聞かない方がいい。たぶんお前の想像通りだ」
カダルは目を細め小さくため息をつく。
自然界は弱肉強食だ。食欲のために悪意なく殺すのは清々しいほど理にかなっている。
しかし人間は自分以下のものに殺されると腹が立つ生き物でもある。
「くそっ。悔しい」
カダルから思わず声が漏れた。
「絶対に負けるもんか!」
「カダル、何匹入ったかわかりませんが、全滅させましょう」
「おうっ」
「あなたは知ってか知らずか人間らしすぎる行動をする男ですね」
「――は?」
「いえ。今はデンジャーがどこに潜んでいるか考えましょう。このサソリ、謎が多いですけれど、食べ物を探す時に何か特徴はありますか?」
「たべもの?」
「生き物はまず食料確保に動くものです。何匹も侵入しているのなら巣があるはず」
「そうだな……イスマイールの研究用ではニオイに敏感な気がした」
「ニオイ?」
カダルは少し考え、口にした。
「ああ。エサに昆虫やネズミを与えていたんだけど、動く音より臭いに反応していた気がする。だったよなな、爺」
カダルは後ろにいた爺に確認するような口調で言っていた。
「カダル様がおっしゃる通りで。死んだネズミなどにも反応していました」
「ああ。血とかアンモニアに反応していたような気がする。曖昧な答えですまないがうちのイスマイールは当面の問題として〈毒〉を考えていたから」
「他に何か。たとえば意思伝達の方法とか」
「そこまでは調べていないし、わからない。猛毒の突然変異としか」
「確かに獲物を仕留める毒からして規格外ですよね」
「ああ奴らのオスは最強だな」
「……メスは毒がないのですか」
「このサソリはオスの方が身体が小さく毒がある。メスは卵を産むせいか身体が大きくて動きが鈍い。個体差はあるが」
「オスが仕留めて、メスを呼ぶ」
「え?」
「デンジャーの大きさからして巣に獲物を持ち帰ることは難しいでしょう。つまり、オスはメスを呼んでいるんです」
「……つまり、ってそれは」
「エサにするモノが一番ある所に集まる」
不快な響きは空気を震わせる振動かも知れない。とすれば、尾を振るなど身体を使って相手を呼んでいる、つまり会話が成立しているということだ。
「……」
キリトは人差指を軽く舐め、風に晒した。風向きを調べているのは全員わかった。
「ここは風下――風上で人が集まる所はありませんか?」
「ここからならサン・サラ―大通りだ」
「そこに行ってみましょう」
サン・サラー通りは食べ物関係の店が集まっている場所だった。口にすることは叶わなかったが、軟禁されているリネを連れて来たいと思った場所だ。
「おぉ、そこなら一度目に奴らが出た場所です」
「それを早く言って下さい、爺やさん。たぶん奴らは学習しています」
そこに行けば腹が満たされる、と。
そう信じ込んだ種を放って置けばどうなるか。
殺戮マシーンになりかねない。本来持つ毒によって無言の暗殺者になるだろう。
「人間は食物連鎖のトップにいるが、それがどれほど脆い物か誰か考えたことがあったかな」
カダルは拳を握った。
――サン・サラー通りへ!
カダルとキリトの意見は一致した。
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