珠洲の村にて・二人
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
イラストは山吹様からいただきました。
「すまない」
開口一番にカダルは言った。
風がざわざわと音を立て、梢が揺れている。
カダルは深く頭を下げた。
「シーアの息子が毒サソリ、デンジャーにやられちまって……あの薬を使った。それで他の部族長が喜んじまって、創り方を教えてもらおうとか言い出しちまって」
リネはただ静かに笑っていた。
「聞きました」
「あ、その、すまない。でかいこと言ってる割に気軽に使っちまって」
「カダルさんは謝ってばかりですね」
「だって、俺は」
「……万能薬、効いて良かったです」
リネは心からそう思っているらしかった。目が澄んでいる。
「怒っていない、のか?」
「なぜですか。一人の命を救ったんでしょう、薬も役目を果たせて喜んでいると思いますよ」
「そ、そうか」
カダルは目の前のリネに光が見えた気がした。その光は包み込むように穏やかで、優しい。
「そのデンジャーとかいう強い毒に効くなんて驚きました。もちろん嬉しい驚きです」
「いや、その、うん。俺も驚いた」
その光にあてられて自分が何を口にしているか一瞬わからなくなる。
「ただ……」
リネの顔が急に曇った。
「薬の創り方は教えても、滝の水を使う限りわたししか手が出せません。あの滝は他人が――お気に召さない者が近づくと霧に毒を含ませるのです」
「それは前にも聞いた。つまり神の滝、なんだな」
「山の民の聖地でもあります」
「うん」
カダルはそれ以上聞かなかった。
部族長達の元へ戻り、珠洲の長老をかばうように立った。
「彼女と話は終わった。あの薬は量産できない。そしてここでしか創れない。一方的に欲しがるのはエゴだ」
「お前は珠洲の村の人間か?」
カルマトの長が大声を出した。
「勇者なるカルマトの長、あんたこそヤーウェの民かっ。民ならば他民族の文化を尊重し、意見を聞くものだろう」
「薬と文化は違う」
「違わねえっ! 珠洲の村は神の滝によって生き、薬を得ている。あの万能薬は珠洲の村特有のものだ。横から引っさらって行くなんてヤーウェの人間がすることじゃねーだろ」
カダルは噛み付くような勢いで、部族の者に言う。その勢いに押されたのか、誰も口を開く者はいなかった。
「親父、ヤーウェはいつから盗賊になりさがったんだ。誇りはどうした。自立心はどこへ消えたんだ」
「カダル……」
「そんなにデンジャーが怖いのか。怖いから力でもって他人の薬を奪うのか。部族みんなで押しかけるなんておかしいだろ。目を覚ましてくれよっ!」
カダルは間違っていると、肩を震わせた。
違う。
違う。
何かを見失ってしまっている。
カダルは珠洲の村の長老に頭を下げた。
「すみません、お騒がせして。死にかけていた子供がリネさんにいただいた万能薬で助かりました。それでみんな喜びすぎて出すぎたマネを……ごめんなさい」
それを聞くと長老は髭を何度も撫で、リネに言った。
「リネ、あの薬は村外に出さないはず」
「すみません」
カダルは慌てて「俺が悪いんです。彼女のせいじゃない」と叫んだ。
すると長老は満面の笑みを浮かべた。
「責任はリネに取らせます。原料となる紗華の選別も彼女がやっとります。滝の水を取れるのも彼女のみです。つまりあの万能薬に関する全権はリネなのです」
「だからどうしたんだ、彼女は悪くない。俺のせいで――」
カダルの言葉を長老が遮った。
「全権はリネにあります」
「……?」
どういうことだ、とカダルはリネに向き直った。
「長老はわたしさえ良ければ、万能薬を分けても良いとおっしゃっているのです」
「え?」
カダルは首を傾げ、リネは微笑んでいる。
「え、えーと」
「滝もそうですが、紗華の花は摘まれるのを嫌がるんです。きちんと納得させられないと薬になってくれない。だから数は作れないんですけれど、デンジャーとやらの解毒薬がヤーウェで出来るまで、万能薬をお分けします」
「ほ……本当に?」
カダルは耳を疑った。
確かにそれが一番ヤーウェにとって良い結論だ。だが珠洲の村にはヤーウェを追われた人間も殺されかけた子供もいる。そんな成り立ちの村に助けを都合よく求めているのに腹が立たないのか。
どんな苦労をすれば、ここまで寛容になれるのだろう。
「次の行商でヤーウェに行く時には万能薬も持っていけると思います」
リネは静かに、しかしはっきりと告げた。
「それはいつ頃になる?」
カルマトの長が聞いた。
「今月はゴットラムに参らなければなりません。薬を作る時間も必要ですし、来月の半ばになるでしょう」
「そうか、良かった」
「これで暫くは助かる」
「戻って新たな解毒剤を創らねば」
部族長達は口々に言いあった。
今まで珠洲の村を襲ってでも薬を手に入れる、と猛りだっていたのに、拍子抜けするほど笑顔だ。
やはり優しさで接しられては、優しさで返すしかないのだろう。力を通せば遺恨が残る。それをこの村は知っているのだ。
「珠洲の村って、何かスゴいな」
カダルがつぶやいた時、リネがちょっと来てと呼んだ。
「何だ?」
「だから人のいない所で」
「えっ」
そっと唇に手をあてたリネに、カダルの心臓がなぜか強く波打った。
どうしてだかわからない。カダルは右手で胸を押さえながらリネの後を追う。リネの動いている様は小鳥が花にたわむれているように見えた。
付いて行った場所は休憩所の裏で、下草は綺麗に刈り取られているものの、樹木の枝葉が縦横無尽に伸び、背の高いカダルは目を突かれそうだった。
カダルがあまりロマンチックな場所ではないな、と思ったのはリネには内緒だ。
「ここなら大丈夫ね」
リネは何やら懐から手紙を取り出した。
「これ、は?」
「ヤーウェの部族――こっちはカルマトのマラクさん、イスマイールのキターブさんに。どちらも珠洲の村に逃げている娘さんからです。近況が書かれています。渡して下さい」
「え、キターブの娘……砂漠で行方不明だと聞いたけど、珠洲に?」
「はい。わたし達が薬の行商にヤーウェやゴッドラムに行くのは秘密に手紙をやり取りする為にでもあるのです。ヤーウェのみなさんがいらっしゃったと聞き、二人が急遽これを持って来たので」
「そうだったのか」
カダルは妙に納得した。何にせよ知り合いの娘が無事で嬉しい。
「これでカダルさんも内緒仲間ですからね」
「ナイショ仲間かぁ」
なんだか良い響きだ。カダルは照れ隠しに頬を掻いた。
「あ、俺のことは呼び捨てでいいから。ほら、言ってみ」
「カ、カダル……」
リネはうつむき、恥ずかしそうに目を逸らした。
「おっしゃ、もう一回、大きな声でっ」
「……会っている場所がバレてしまいます」
「あ、そう。そうだな」
その時、激しい羽音がして、樹木の枝が揺れた。
「――え?」
「どうかしましたか、カダル」
「いや、ちょっと今の鳩、うちの伝書……いや、きっと気のせいだ」
樹木の枝を縫って進む鳥が、ヤーウェで使う伝書鳩に見えた。
しかしすぐにそんなことはない、とカダルは否定する。こんな場所、鳥は数えられないほどいる。それに伝えるようなことはないはずだ。珠洲の村との話し合いも、部族長が戻れば正式に発表される。
何よりも飛んでいった方向はヤーウェとは正反対だった。
「もう戻りましょう、カダル。あまり時間を掛けていたら怪しまれますから」
「あ、ああ」
カダルは鳥の行方気にしながらも、みんなが集まっている所へ足を進めた。
張り詰めた空気の中、バイオリンの音が響く。柔らかな音色でありながら緊張を孕んで響いている。それはまるでまどろみの中で剣を首に突き立てられているような感覚だった。
「アリウス様、ヤーウェのドルーズより連絡がありました」
そう言って扉を開けたのは侍従長だった。
「――まずはノックをしなさい」
「申しわけありません。急ぎの手紙だったもので」
侍従長の手には一枚の小さな紙が握られていた。
アリウスは一目すると、侍従長に「次からは気をつけて下さい」と吐き捨てるように言い放った。
そしてそのままバイオリンを持ち、構えた。
「内容を読み上げなさい」
指は滑らかに動き、バイオリンは優雅に舞う。
光が一筋、アリウスの髪に掛かっている。
「それがドズールの長からでして『デンジャーの解毒薬見つかる』とあります」
そこでアリウスは手を止めた。
「あの猛毒の?」
「はい。『珠洲の村にある万能薬がデンジャーを無毒化した』そうです」
「それは――困りましたね」
ゴッドラムの実権はまだ完全に握れていない。反体制派も残っている。毒は薬が効かないから〈毒〉として切り札になるのだ。その万能薬とやらを敵に握られたら今後、動きにくくなる。
「珠洲の村、か。盲点でしたね」
ゴッドラムでも村の名前はタブーに等しい扱いを受けている。アリウスはただ山越えの為に必要な村としてしか認識がない。
「あの村は街に定期的に薬とラウマを売りに来ます。今回、街に来る者の中にその万能薬を創る薬師も一緒だと書いてあります」
「いつですか」
「は?」
「その薬師が来るという日です。その者を……」
アリウスはすべてを語らなかった。ただ唇の端を綺麗に上げただけだった。
「今月の末になるかと」
侍従長は身を固くして、そう述べる。
「――今月の末。薬師」
アリウスはゆっくりと目を細める。奏でる曲はレクイエムに変わった。
携帯、スマートフォンの方は読みにくいと思います。申し訳ありません。
でもこの書き方を貫かせていただきます。すみません。