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珠洲の村の使者

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

 空の上から見る山には濃い緑と若葉が茂る部分があり、色分け――住み分けというのだろうか。新しい森と古い森が一目見てわかる。考え創られているのだろうか、自然とは人智の超えた所にある気がする。

 山の所々にある土色の線は細い道だろう。陽の光を反射してきらめいているのは小川に違いない。


 谷にある村の屋根。

 まだ遥か頭上の高みにある峰。頂は白くけむり遠く連なっている。

 空の碧。


 天と地の狭間を飛ぶカダルの目に、それらが流れてゆく。

 頬に当たるのは風。それもかなり荒れ狂った風だ。顔の前方からと下から吹き上げて来るものがぶつかって来る。

 火竜の後脚は乗り心地が良くない。揺れすぎだ。

 カダルは手と足に力を入れた。

 今、三人は一番大きなメス火竜に掴まっていた。脚の甲に身体を預け、両手でバランスを取る形になっている。右脚にリネとカダル、そして左脚にキリトが居た。体重からするとリネ、キリトがペアを組むのが正しいが、腰の引けているカダルを心配してリネが横に付くことになった。

「火竜に乗るなんて想像もしたことなかったから……なんか伝説に悪い気がする。俺達の方が偏って重いだろうな」

「大丈夫ですよ」

 リネは笑っている。慣れているのだろう。

「わたし、ヤーウェに居た時より痩せましたから」

「そうか?」

「ヤーウェではたくさん食べ物がありましたから太ったんです。カダルの作るものは美味しかったんですよ」

「あ~、村は粗食だしな。でも痩せたのはわからないから安心しろ。体つきとかウエストなんか前と変らない気はするし。貧相にはなってない」

「……」

 リネが急に無言になった。

「カダル、今すっごく地雷踏んでいますがわかりますか?」

「何が?」

 キリトが横から話しかけて来た。右と左に分かれているので間に風が入るが、キリトは計算済みらしい。はっきりと聞こえた。

「あのね、女心は微妙なんです。ヤーウェで監禁のため運動不足だったでしょう、リネはそれで太ったのを気にしていたんですよ」

「えっ? そうなのかっ」

 カダルは驚き、脚から手が離れそうになった。

 リネはそんなことを気にしていたのか。いや、でも確かにそれはあるかも知れない。環境が変わりストレスが心と身体に影響を及ぼしたのだ。ヤーウェでは太るほど辛かった。ならば〈痩せる〉というのにはカダルが思う以上の意味があるのかも知れない。そんな目に合わせた責任はカダルにある。

 リネには言葉を選ばなければいけないだろう。

「すまん。痩せた。細く見える」

 カダルは真顔でリネに言った。

 リネはまだ笑っているが、目が怖い。

「そうでしょうか?」

 リネの表情に〈どこが?〉という文字が見えた。

「ぜ、全体的に、かな。首とか二の腕とか」

「あら。そうですか?」

 ふっとリネの表情が緩んだ気がする。

「顎もシャープで締まっている。可愛いけれどしっかりした感じになった」

「あ、恥ずかしいです」

 リネが少し赤くなった。

 いいぞ、この調子だ。

「胸とかも小さくなって身体が軽くなったように見える」

「……」

「知りませんよ。カダル」

「――え?」

 どうやらカダルは地雷を爆発させたようだった。



 微妙な空気が流れる中、火竜であるポポロの後脚にしがみ付く形で空を行く。

「そろそろですね」

 キリトが言った。

 遠くに砂漠の地平線が見える。ギラリと眼を射る太陽も熱砂も久しぶりだ。

「巻きましょうか」

「ああ」

 ヤーウェが近くなり三人とも顔を布で隠した。

 

 見たこともないほど軽く滑らかな絹。どう染色したのか金色から黄色、レモンになり薄いグリーンとグラデーションが掛かっている。そしてそこに桜色を散らした模様が浮き出ているという大人しいが派手な布だ。

 ポポロに騎乗する前にキリトから渡された。「これではかえって目立つのでは」とカダルは主張したが、反対に「それが良いです」と彼は言い切った。

「この交渉はややこしいと思います。まず相手に舐められないことが大切。こちら珠洲の村にカダルがいることは弱みです」

「――まあ、指名手配だしな」

「だからそこを利用するのです」

「?」

 カダルが首を傾げるとリネが横でうなずいた。

「わたし、わかりました。弱点を晒すことで弱点を責めにくくするということですね」

「……? つまり俺?」

「カダルだとわからせて交渉するのですよ。相手はそれを知っても火竜が居る限り手は出さないでしょう。これはカダルという弱点のカードを使えないぞという脅しなんです」

 ここでカダルはやっとわかった。

 キリトはイスマイールとしてカダルの力を見せつつも手が出させないとカルマトに教えたいのだ。

「宣戦布告、か」

 カダルは強く握りこぶしを作った。

 ターバンを外し、目から下に布を巻いた所で昔から一緒に居る仲間だ。みんなカダルだとわかるだろう。だけど今回は珠洲の村の使者でもある。この布はその証。隠しながら見せるのだ。

「おっし」

 カダルは頬を叩き、自分に喝を入れた。

 これから剣ではなく言葉で戦いに行くのだ。


 脚に掴まりながら巻くのは時間が少し掛かったが、良い緊張感が出たと思う。

 カダルが横を向くとリネが静かに目を瞑っており、キリトはいつもとほとんど変わらない態度でいる。

 カダルは先ほどの会話を思い出し、風の中でもう一度小さく喝を入れた。




 ヤーウェの来訪は誰に伝えたのではないが、人々が外に出ていた。

 あの翼を広げた火竜が三匹現れたのだ。当然かもしれない。

 遠くからでも見える炎を纏ったあの伝説のイキモノだ。みんな恐れを抱いているが、好奇心には勝てないのだろう。

 全身は古い陽に晒されたレンガ色の退紅色。背びれウロコ、爪は透けたフォーンというダマジカというシカに似た色。そして目は金色。大きな羽はくすんだ紫みの赤――蘇芳の色。

 今ごろ、ヤーウェの人々はその誇り高い色を目に焼き付けていることだろう。

 

 火竜は着地体勢に入る。

 目的地である広場の上空をゆっくりと三回周った。


 これは視線を集めるためと各部族長がやって来る時間稼ぎでもある。

 ゆっくりと降下すると砂埃が舞い「おぉっ」と叫びに似た声が観衆から上がった。

「カダル様」

 どこかに爺が居るのだろう。カダルは降りる時に親指を立てた手を挙げ、どこに居るのかわからない爺に挨拶をした。人が多く見つけることは出来なかったが通じているだろう。

 ――戻って来たぞ。でも今は珠洲の使者なんだ。

 カダルは目で語った。

 イスマイールの民は早速気づいたようで目を輝かしている。

 火竜――ドラゴンで乗り込んで行ったのはかなり度肝を抜いたようだ。まあ、あの爪と牙にウロコと三点セットの前では人は無力になるだろう。確かに恐怖だ。しかし神々しくもある。実際、有難そうに拝んでいる者もいた。

 そのドラゴンを手名付けている者は脅威と同時に神のしもべだと民の目には映るだろう。

 広場で降り、イマームの三部族会議場に進むと観衆がまた増えた。

 三人で歩く姿にヒソヒソ声が浴びせられる。

「緊張しますか?」

 キリトがカダルに尋ねて来た。リネの目はまだ怒っているようだ。

「アーヒラは殺していない。だから緊張も何もない」

「何かあったら、わたしが守りますからね」

「え?」

「わたし、もう負けません」

 リネは怒っているのではない。たぶん強く自分を保とうとしているのだ。きっと布の下で唇を一文字にしているのだろう。村の未来とカダルを背負おうとしている。カダルはそこまで俺は気弱になっていないぞと可笑しくなった。リネは真面目だなあ、と笑えた。

 自分はリネ以上に強いとカダルは信じていた。

 シーアに会うまでは。




 三部族会議場には車座を取るため椅子や机の類は置いていない。

 会議室はレンガが円形に組まれており、風抜けの小窓がいくつもある。壁には各部族の旗が掲げられてあるはずだった。

 だが久しぶりに入った会議室の中は様変わりしていた。赤い絨毯や小さな座布団はそのままにひとつ玉座らしい椅子が置かれている。

 指導者であるイマームのものではないだろう。金箔をほどこし、手を掛ける部分に宝石が埋め込んである。こんな趣味のイマームはいないはずだった。


 三人が部屋の半ばで待って居ると、甲高くけたたましい声が近づいて来た。

 扉が開けられると入って来たのはシーアだった。碌な化粧はしていないし、匂い香もない。服装もおおやけに出るようなものではなく、質素だった。胸の線が露わではあるが、誰かを魅了する為のものではないようだ。

「休憩の最中の訪問でしたようで、申し訳ございません」

 シーアの姿が現れるとキリトが冷静に言い放った。時間からいうとシエスタ(昼休憩)だろうか。邪魔されてご立腹のようだ。

 カダルはその姿を見て足が小刻みに震えた。


『カダルが殺したのです。その証拠は、この剣ですわ!』


 あのアーヒラの血に塗れて夢を幾度も観た。

 空気を裂くような甲高いシーアの声。

『カダルが殺したのです』

 否定できない罪。

 指先も震えだした。怒りなのか恐怖なのかわからない。哀しそうなアーヒラの目が浮かぶ。一番信じていた相手だったのだろう。夢の中で見るアーヒラは一筋涙を流していた。

 カダルは顔を布で覆っているため、外から見えないだろうが、血の気が引いて行くのを感じた。手足はおろか血までも自由にならないのか。それがもどかしい。そしてわかった。これが〈冤罪〉という〈重圧〉なのだと。

 アーヒラは幼馴染で好きでも嫌いでもないが、次期部族長として話をすることは多かった。話は何も覚えてはいない。くだらない、くだらないことばかりだ。そんなくだらない話が出来る相手をカダルは殺したとされているのだ。

 目の前のシーアに。

「チッ」

 シーアはカダルだとすぐにわかっただろう。横を通る時、聞こえるように舌打ちをした。

「…………」

 カダルは唇を噛む。

 今は落ち着けと自分に言い聞かせる。

 シーアは三人の中央を肩でこじ開け進んだ。そして黙って玉座に座る。お供の者は慌てて後ろに並んだ。刀を持った者が横に居ないのは、それなりに火竜を警戒しているのだろうか。ポポロと冗談のような名前で呼ばれているドラゴンを。

「あ」

 火竜は伝説じゃない。ポポロだ。そう――カダルは今、村を代表しているのだ。


「珠洲の村から書状を持って参りました」

 キリトがうやうやしく頭を下げた。この空気の中で平常を保っているのに正直驚く。

 カダルは黙って座るシーアの顔を睨んだ。彼女はいつの間にか為政者のオーラを漂わせている。

「珠洲の村とは揉めている最中なの。何度来ても無駄だと思うけど」

 シーアは面倒くさそうに髪を掻き上げそう口にした。目の前にいるカダルのことは取りあえず無視することにしたようだ。

 いつも香油が塗られ艶を帯びた髪がどこかパサついて見える。目もどことなく吊り上がっていた。だがそれが返って迫力を醸し出している。飾り立てられた女ではなく権力を持つ者として玉座に座っているのだ。たぶんカダルが知る誰よりも力を欲し、得た姿だ。くやしいが生まれながらの部族長では持ちえないものを持っている気がする。

「帰ってくれる? 内政干渉は好まないの。貿易なんてことは国の一大事よ。特に揉め事を起こしている村の言うことは聞かないわ」

「村としては揉めていません」

 リネがよく透る声で言い返した。

「我々は一方的に拉致られ、山を穢されました。ヤーウェとは揉めた覚えがありません。一方的に暴力を持って虐げられただけです」

「……ふん」

 シーアは鼻で笑った。

「だから? あんた達は喧嘩を吹っかけに来たのかしら。そちらに我が国の逃亡犯がお邪魔しているの。話をするにはまずその男を返してからよ」

「嫌です」

 リネは即答した。

「確かにカダルという方はこちらにいらっしゃいます。彼は拉致られた長老や私を救ってくれた恩人です」

「殺人犯なのよ」

「だから?」

 リネは一歩も引く気がないようだった。


読んでいただきありがとうございました。

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