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始まり

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

カダルは額の汗を拭いながら包丁を研いでいた。道具の手入れは珠洲の村で覚えた。国では専用の仕事人がいたし、彼らに任せることが王族としての務めだった。見よう見まねでやったことはあったが、職人達の笑うレベルだった。

「やっぱり気持ち良く使えなきゃな」

 村の両刃包丁は魚をさばくのも野菜を切るのにも使う。ヤーウェでは菜切や身卸など用途によって違っていたが、ここでは同じものを使う。砥石も小さくなるまで使用する。石を湧き水に付け、砥ぎ、また水に付ける。

 小さな湧き水だが清らかだ。染み出て低い方へ流れてゆく。水の周囲には苔と光の筋が何本もある。地に揺れる木漏れ日の中で一生懸命になるって気持ちがいい。

プロに任すのも必要だけど自分でやると真面目に生きている気がした。

「みんな……元気かな」

山の風がカダルの頬を撫でる。


 理屈で逃亡しているとわかっても頭が追い付いていかない。ふとした時に思い出す。

 料理場のおばさん達、イスマイールだということで小さくなっていないか。俺がアーヒラを殺したと信じているのだろうか。

「……」

 あれから何日経ったのだろう。随分と前の気がするが、つい最近かも知れない。目が覚めたらヤーウェのベッドで砂漠の中で――そう考える自分が嫌だ。現実を逃避している弱虫にしか思えない。事実、逃避ではなく逃亡しているのだが。

「こんな顔、誰にも見せられないよな……」

 きっと酷い面をしているのだろう。独りになると妙に落ち込む。

「彼女には特にな」

 カダルは自嘲気味に笑い、包丁を持ち直した。

 

 

「カダル!」

 遠くからリネの声が飛んできた。

 樹木が多いので姿より先に声が届く。いつからだろうこの声に心臓の高鳴りを感じたのは。

 華奢で細い声だが元気がはずんでいるように明るい。彼女の声を耳にすると今まで落ち込んでいた気持ちが歌い出す気がする。

「リネ!」

 緑の中に彼女の姿が浮かぶ。

 高低差のある地面を軽やかに跳ね、近づいて来る。

「包丁砥げましたか?」

「……まだ」

「早くして下さいねっ」

 リネは元気なだけではない。

 カダルは「おぅ」と片手を上げ小さく笑った。

 横の小さな岩にリネが座る。

 ごく自然で当たり前のように待っている彼女。

目を細めて見られているカダル。

リネは情けない弟でも見守っているつもりなのか(年上だけど)。それとも?

少し耳が赤くなる。緊張なのか照れなのか自分ではわからない。彼女が待ちくたびれないなら良いと思うけれど急ぐことも出来ない。

 というか変なことを考えないだけ有難い。そして横に居るのが――気持ち良い。

「あ、あ~。キリトは?」

 何かリネと話したいと思って口にしたのに出たのはキリトの名前だった。

「彼とは今日はまだ会っていません。たぶん長老と一緒のはずです」

「そっか」

 カダルは自分でも意外だったが、たぶんどこかで彼のことも気になっていたのだろうと思う。

 なんかキリトを巻き込んでしまった感が強い。

 彼は最初なんだか冷たくて掴みどころのない奴だったが、分かって来ると表情はないのではなく出すのを怖がっているように見える。性格はまあアレだが、面倒見がいいようだ。

 総体的にカダルは嫌いではない。

「そっか。キリトは珠洲の村の長老と一緒か」

「カダル、考えことしてると指を切っちゃいますよ」

「俺、そんなにドジじゃねーって」

「剣はすご腕だけど細かいことは苦手みたいってみなさん言ってましたよ」

「村の?」

 俺は利用価値を評価されているのか、とふと思う。

「誤解しないで下さいね。カダルは好かれているんですよ。最初はお坊ちゃまを見ていた目つきだったけど、今は違うでしょ」

「まあな。でもそう言って喜ばせて次は力仕事だろ」

「まさか」

 リネが笑っている。何がそんなに面白いのかわからないが、悪い気はしない。彼女の声はこの山にあるすべてのものより清らかで澄んでいると思う。ずっと聞いていたい。

「それが終わったらポポロに乗る練習をします」

「うわっ。そっちか」

 カダルも笑みを浮かべた。

 リネと一緒ならどうしてこんなにも笑顔になれるのかわからない。

 楽しいけれど、それだけではない。

「終わった」

 カダルは包丁を誇らしげに高く掲げた。



 リネとカダルが山の小高く開けた場所に行くともうポポロ達が待っていた。

 横には長老とキリトも居る。向こうは「やあ遅かったね」みたいな爽やかな顔をしていたがカダルはそうはいかない。

 あの伝説の火竜だ。

 名前は……確かにあの名前だが、力の象徴なのだ。畏怖と尊敬をその身に集めたドラゴン。遠目でも思わず身構え背筋に力が入ってしまう。

「長老、キリトも練習をするのですか?」

 リネが尋ねた。

「キリト君は頭が良いからのぅ。ヤーウェとの交渉を手伝ってもらうことになったのじゃ」

「つまり決裂したのですね?」

「ほっほっほ。村は下に見られておるからのぉ。行商権利なんぞ渡したくはないじゃろ。カダルを匿っていること以前の話じゃて」

 決裂、をカダルの責任にしないのが、珠洲の長老が長老たるゆえんだろう。

「リネ、カダル、交渉の席に着かないのは織り込み済みでした」

 キリトが冷静に言う。

「なら、なんで書状だしたり功策したりしているんだ」

「最初から無理でも最初から投げ出したら不利なんですよ。敵も味方も『ほら、やっぱりとなる』だから第二矢をすぐに打ち込みます」

「……次の矢を?」

 キリトは鋭いなとカダルはまじまじと見た。

 顔色を変えない所に場数を感じる。

「俺は負けないぜ」

 決裂くらい気にしない。二の矢があるなら使うまでだ。

「はい」

「手伝う。珠洲の村を守るためだし――」

「お願いします」

「……?」

 カダルは腕をキリトに引っ張られた。

 そしてそのままポポロの方へ連れて行かれる。

「二人で乗るのだからメスの方が良いでしょう」


「は?」


「キリト、三人でも大丈夫だと彼女が言っています」

「ならばそうしましょう」

 カダルはよくわからないが、リネとキリト、そして後ろで微笑んでいる長老もわかっていることがわかった。

「の、乗れば、いいんだな。うん」

 いや、心の準備が……。

 リネは確かにそう言ったけど、徐々に慣れればいいなと思ったくらいで、いきなりとは。

 なんせあの鋭い爪にウロコだ。近づくところから――お友達から始めたい。

「すぐ終わります」

「無理だ」

 キリトの目がどこか嬉しそうに見えたのはナイショだ――また、カダルがリネの前でこの世のものとは思えない絶叫を上げたのは思い出したくない黒歴史になった。



 

 ポポロに乗るというか掴まるという練習は二時間を要した。

 その間にカダルはヤーウェとの話をいくつか聞かせてもらった。

 三部族会議はほぼカルマト派が仕切り、イスマイールは参加させてもらえないこと。交渉の決裂はカルマト一存のこと。そして現部族長がそろって寝込んでいること。

 カダルは父が床に臥しているということを聞き、唇を噛んだ。真っ直ぐな父をそこまで自分が追い込んだと思うと情けなくて仕方がない。

 だが他の部族長も寝込んでいるとはどういうことか。

 キリトは「長い平穏に慣れていたせいでは」と言っていた。

 たぶんそうなのだろう。

 カダルが生まれてから三部族は上手く纏まっていた。議題によりで対立はあったようだが、なんとなくイマームのセリフで終わっていた。一致団結しなければ砂漠の気候は乗り越えられない。ゴッドラムは違うかも知れないが、珠洲の村同様、敵は〈自然〉であり人間ではなかった。

 慣れ合い。

 たぶん良い意味でも悪い意味でもそれがあった。

 珠洲の村に子供を捨てに来る親達も広い意味で〈慣れ合い〉のできない〈異端者〉扱いされ苦しんだ果てのことなのだろう。

 少し離れたのでカダルは国の欠点がわかる。

 時間が経って人が変わって――居心地の良い〈慣れ合い〉がいつの間にか追いつめる〈慣れ合い〉になってしまったのだ。

 それに気づく者も。

 それを治そうとする者も居なかった。



 居なかったのだ。


読んでいただきありがとうございます。


今後、不定期更新になると思いますがよろしくお願いします。

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