ゴッドラム〈間奏〉
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
ゴッドラムの海城はほとんどが自然を利用し、一体化させた造りになっている。ここも崖という要塞の上に優美な白い建物が乗った形になっていた。後ろには断崖絶壁あり、敵を寄せ付けることは出来ない。正面は一本道だからここを押さえておけばたいていのものは防げる。
防御に優れているのもあるが、風光明媚で眼を楽しませ、海の幸をも味わえた。だから皆ここに来たがった。しかし貴族でも招かれた者は一握りしかいないだろう。この別荘城では、一種のステータスシンボルになっている場所でもあった。
現王も大手を振って来ることができたのは戴冠式がすんでからだった。それより以前は祖母か、兄達の付き添いという形でしか父王に招かれたことはなかった。
ゴッドラムの王となり、ここの主になれたことを何よりも誇りだ。
「はー、気持ちいいねえ」
現王は朝の空気を自分で入れ替える。
真紅の厚手のカーテンを開けると、絹のレースが引かれている。窓を開けるとそれが海風に踊る。それと同時に壁のタペストリーも揺れた。
すべてがひれ伏すように回り出すのが快感だった。「主」であることを強調してくれているかのようだ。
自分からすべての朝が始まる。この窓の前に立つとそう思えた。窓の外に広がる景色すら祝福してくれているようだ。
どこまでも深い青に立つ波が白く見える。陸から解き放たれた海にゆっくりと流れる時間は落ち着く。
時々跳ねる銀の魚が光の鱗を撒き散らしているようだ。幾分昇った朝日は雲ひとつない中で輝き、黄金色に君臨している。
海から昇る朝日を目にできるのは権力の印だ。おぼろに見える水平線までが自分のものだ。
「コーヒー」
現王はいつものように――さも今思いついたように命令をする。
たぶん部屋のどこかでお付きの者が聞いているだろう。そのあたりは息子のアリウスが上手く手配しているようだ。迷惑でない立ち位置地で見守らせている。
そういえばアリウスは紅茶などを好んでいた。しかし最近海筋から輸入されたコーヒーというのも悪くないと思う。焙煎度はミディアムロースト。中細挽きで水は軟水、ドリッパーの穴は二つがいいな。
現王は自分のこだわりが好きだ。一度、みずからブレンドすることも考えている。現王オリジナルを配下に飲ませて感想を聞こう。きっと美味しいと言うに違いない。
「ああ、何と良い王なのだろう」
現王は誰に向かってでもなくつぶやく。
思えば長兄のコプトも次兄のネストリウスも自分には意地悪だった。ちょっと頭が良いからとコプト兄は難しい本を勧めたり、講釈したがった。教えてやっているのだぞという視線が嫌だった。口を歪ませツバを飛ばすのが癖だったようだ。
また男ぶりの良いネストリウス兄は馬に乗って駆け回りあちらこちらに女をつくり自慢していた。安酒場の女給や宿屋の飯炊き女、貴族の後家なんかにも手を出していた。家族をおろそかにするのかといえばそうでもなく、娘のユグノーは溺愛していたようだ。確かに可愛らしい娘だったが、見た目を気にしており、取り巻きは美形と呼ぶに相応しい者達ばかりだ。そういう意味ではあの娘、父親似だと思う。
彼女は背の低く小太りの自分を嫌っていたのではないか。いつも眉を顰めていた。
「あー、そういえばユグノーどこに行ったのかなあ。最近姿を見ないな。まあいいけど」
兄達は我こそが〈王〉と自己主張し、自滅したようだった。
ようだ、としたのはよくわからないからだ。
二人の兄達は一緒に居ることも多かったし気が合ったようだが、仲が良いとは言えなかった。いつも父の前で自分の方が優れていると競っていた気がする。父への誕生プレゼントは年々派手になっていき、病気で伏していても金細工を施した刀剣などを送っていた。最後は飾る所がないので屋敷を建ててそれごとプレゼントしていたっけ。
結局足を運ぶことなく亡くなった気がする。
どうでもいいけれど。
「……王という地位につくにはがっついたら駄目なんだろうなあ」
なんて清らかな自分。
現王が現王たるのは、きっと聖なる地位にふさわしいからだと思う。民の上に立つにはこういった資質がいるのだろう。
俗世にまみれることなく、物欲もなく、だ。
背は低く小太りだが祝福されていたのだ。
その証拠に息子のアリウスにも恵まれた。彼も自分と同じように清らかに育てたつもりだ。汚れた俗世界と隔離し、屋敷から出さなかった。本は十二分に与え勉強をさせ、母親の愛情を一杯与えられるよう、二人っきりで過ごさせた。
コプト兄やネストリウス兄やとなるべく離して育てたのも良かったと思う。いつも相手を立ててだらしない所はない。言葉は丁寧でいつも正義の味方だ。
「完璧だなあ」
とくに素晴らしいのは父想いの息子に育ってくれたことだ。
すべて自分の徳のなせるわざだ。
「むふ。ふふふふ」
幸せな現王はコーヒーの後に食事をし、釣りでもしようかと考えた。たまには絹ではなく綿の軽い上下の服を着てみよう。船に乗るから皮ではなく軽い布の靴だ。つばの広い帽子も忘れないようにしよう。
現王は身体を揺すった。
本当になんて自分は完璧なのだろう。
「……王様」
窓の外に身を乗り出していると後ろから声を掛けられた。コーヒーだろうと思い振り向くとアリウスの侍従長だった。彼は派遣という形で現王に仕えている。が、内情はアリウスとの橋渡しみたいなものだ。
「何かあったかな?」
侍従長をアリウスに付けたのは現王だが、そちら方が居心地良いらしい。細い目が見るたびに鋭く輝いていた。
「アリウス様から書状が届いております」
「うむ」
「ひとつは貿易に関してでございます。ヤーウェとの取引は珠洲の村を介してするように書いてあります」
「……う?」
「直接貿易ではなく間接的になるだけです。よろしいですね」
現王は身体を小刻みに動かした。
元もと貿易など対国的なものはアリウスが決めているし、紋章院の印章がなければ法律を発布することすらできない。
今さらな、という気がした。
「それともうひとつ、お身の回りについてでございますが……」
「ん?」
「反体制派が新しい武器を手に入れたもようでございます。現王におかれましては、防御力を高め、いざという時に逃げ道を確保しておいた方が良いと」
「……はんたいせいは?」
現王は耳を疑った。
神に選ばれ民に望まれついた王位だ。誰が反対しているというのだろう。
「ネストリウス様支持派のことでございます」
「あ、そ」
そういえば反対するのは昔から兄だと決まっていた。
アリウスの母と結婚する時も最初に反対し、最後まで拒否をしていた。平民から妻をめとることは体面が悪いらしい。あれだけ他の女に手を出していながらワケのわからん兄だ。目下の者が一番楽だ。美人ならなお良い。貴族では気疲れしてしまうではないか。
「そこはそれ、息子に任せている」
現王は苛立ちながら身体を小刻みに動かす。
「わざわざ聞かなくてはならないことかな?」
「いえ。一応、お心つもりを――」
「だろうな」
息子アリウスは抜かりがない。反体制派のことも任せていて良いだろう。
王というものは家臣を信頼しなければならない。息子であればなおさらだ。今、ヘタに動いて臆病者呼ばわりは避けたい。
「……下がって良いぞ」
ゴッドラムで現王は神に一番近いのだ。
珠洲などという端下の国――いや国ではなかったかな――は顧みる必要はない。身辺に関しても専門の者達に任せるものなのだ。雑事に心を動かしていてはいけない。
窓の外に目をやると広く蒼く深く広がった海が視界の大部分で踊っていた。雲一つない空も海と共に光で満ちあふれている。
「今日は何が釣れるかなあ」
現王はゆったりと身体を動かせ、微笑んだ。
その時、香ばしい匂いが遠くからやって来るのに気がついた。すぐにノックされ、その匂いは部屋に満ちる。
コーヒーが届けられたようだった。
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