珠洲の村・封鎖について
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
マラソンの後、カダルは壺にあった水を柄杓で頭に掛けた。
珠洲の村は山だけあって水が豊富だ。走って来た道に湧き水や小川があり、そこに水を飲みに来ていた小動物を見かけた。猫のように感じたが、羽が生えていた気もする。たぶんヤーウェと生態系が少し違うのだろう。ここは土を踏むという感触に以外にも驚くことが多すぎる。
「今ごろ親父は困っているだろうなぁ」
カダルは空を見上げた。
正論しか口にしない父だから逃げ出したカダルはそれだけで〈悪者〉だろう。だけどあの場合は仕方がなかった。自分はさておき、爺や仲間やリネ達は殺されていただろう。誰もアーヒラの殺害を目にしていなかったとしても、そこに居た以上は目撃者として扱われる。
あの場合、攻め込んだ側に非があるとされるだろう。シーアのことだ、剣など密輸品はとっくに隠しているに違いない。カダルが責任を被る形になったからこそ、イスマイール派は生き残れたのだ。カダルが捕まったら他は単なる〈目撃者〉だ。
「……冤罪は、おいおい晴らさなきゃな」
カダルは自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。まだまだ先にしなければいけないことがある。
カダルは自分の優先順位は下だと何度も何度も口にした。
「うー、それにしても気持ちいい」
ターバンを外した髪にしたたり落ちる水滴は独特だ。雨が葉を滑り落ちる感覚に近い気がする。土に染み入り、植物の根に行き渡り、立ち上る。自然というものの豊かさよ。
「空はどこまでも青く澄んでるなあ。太陽が優しいぞ~」
目を細め、叫んでみる。
叫んで自分を落ち着かせる。今は耐える時だ、と。
続いてストレッチをしているとキリトとリネが難しい顔をしてやって来た。
リネは朝食用の盆を持ちうつむいているし、何も手にしていないキリトは眉を顰めている。珠洲の村の服を着ている二人はなんとなくお似合いだ。
なのに背を向けるように歩いているように見えるのは気のせいだろうか。不自然なくらいよそよそしい。
黙っておいた方が良いかカダルが迷っていると、キリトの方が先に口火を切った。
「集会所で話し合いをしたいのですが、良いですか」
「今すぐに?」
「朝食後です」
キリトが言い切るとリネが少し笑った。心なしか寂しそうに見えた。
たぶんまた余計なことを考えているのだろう。立場上仕方がないが、リネの顔色は悪く、笑顔は辛そうに見えた。
食事後、集会所に珠洲の村人達が集まった。
今後どうすれば良いかの話し合いだ。
長老が上座の中心座り、左横カダルとキリトが腰を下ろした。部外者の会議参加に何人かは納得行かない顔をしていたが、それでもカダル達を迎え入れてくれるようだった。
そうでもしなければ、大国を相手にする方法がわからなかったのだろう。
「今回の集会は長老にお前が頼んだんだって、キリト?」
「まあ、ね」
キリトは普段と変わらない口調と態度だった。涼し気な顔で膝に両手を置き、冷静だ。
「今回の長老達の受けた事態と逃げた経緯は伝えなければいけないでしょう」
「確かに報告はいるな」
珠洲は村として山と関わっている。ヤーウェで起こったデンジャーの解毒薬を巡っての一連の出来事は知っておく権利があるだろう。
「俺達が説明しなきゃいけないな……」
ヤーウェの闇を話さなければならないのは少し気が重い。だがカルマトの暴走は珠洲のみんなに聞いて伝えなければならないだろう。
「ついでに先ほど話したことも」
「ああ。そうか」
カダルはちらりとリネを見た。彼女は長老の右横にタエと座っている。集会に女性は少ないが、リネは若いながら参加している。薬師であり拉致被害者、そして山の神に一番近い者として迎え入れられているのだろう。二十人ほど村人のリーダーらしき者がいる中で女性はリネ達二人だけだった。
いったいどのくらい珠洲村人が居るのだろうか。それはまだカダルはまだ知らない。
「心配かけたのぉ、帰って来たぞぃ」
話し合いは長老の言葉から始まった。
長老はまだ疲れが抜けていないようだが、枝のような手を振り上げ、皆に訴えていた。
続いてカダルとキリトが今までのことを述べる。
途中、リネが万能薬を村の外に出したことを詫びた。これに村人から異論は出なかった。カダルの想像だが、ヤーウェに肉親を残している者も多いため問題にならなかったのではなだろうか。あるいはデンジャーというイレギュラーなサソリが同情をかったのかも知れない。取りあえず、リネが勝手に掟に反し万能薬を外に出したお咎めはなさそうだ。
少し胸をなでおろす。
ただ問題はこれからだ。現在カダルとキリト、リネに長老とタエは追われている。そしてヤーウェは内乱中だ。珠洲の村は図らずも巻き込まれてしまっている。
「……ということで、だ。この二人から山道を封鎖してはという意見があがったでのぅ。今回はそのことに皆の衆について考えて欲しゅうて集まってもらったんじゃ」
長老はカダルとキリトの方を見た。
正確には〈封鎖〉はキリトが言い出したことだ。カダルはそれを聞き、村を守るためにはそれが良いと賛同した。
今のところ、それしか手がないように感じた。
「封鎖?」
「何もそこまで」
数人の村人達が疑問の声を上げる。
「そりゃ、長老のことを考えてみろ。また難題を吹っかけられるぞ。防御が必要だろう」
「その時はどうなるか」
「厄介なことになったもんだ」
彼らはカダルを睨んで来た。こうなることはわかっていたとはいえ、居心地が悪い。
しかしカダルの工事現場の土下座を見たであろう村人から擁護の手が上がった。
「いつかこんな日が来ると思っていました」
「山道の完全封鎖はどうかと思うが、いずれ難題は降りかかるだろう」
「被害は最小限であって欲しいしね。その案、妥当かも」
騒めきはあちらこちらで起きた。
納得できる者と納得できない者が口々に言い合いを始める。
「この山をこれ以上、血塗られた場所にはできん。怒りがまだ解けぬ今、封鎖でもせねば収まらないんじゃ」
長老が言い放つと、集会場の中はいきなり静まり返った。
「――どうじゃ、リネ」
「私も賛成です。また、聖地に関することを申し上げれば、山の頂上の中に入ることは出来ません。ラウマの生息地などは入れるそうですけれど」
長老から振られたリネがそう告げると、村人の顔がいきなり険しくなった。
聖地というのは、村にとって大きな意味を持つのだろう。
「あのう綿の栽培地などや、湧き水、キノコなどを育てている場所なら、徐々にですが入れるようになりました。でも山頂の――紗華の生息地はまだ無理かと」
続いてタエが声を上げ報告する。すると、ため息がさざ波のように起こった。
どうやら聖地にも階級があり、山頂付近というのが一番位の高い場所のようだ。
「さて、これからが問題じゃ。山の神はまだ怒られておる。どう山の道を塞ぎ侵入を防ぐかじゃが……」
長老は腕を組み、首を捻った。
カダルは村人達が言うところの「山の神が怒られている」という意味はまだ完全にわからないが、自然が牙をむいているのだと自分なりに解釈した。
ただ牙をむくとは言っても所詮は山だ。その気になれば登れそうなルートはあるだろう。知力体力自慢なら道の封鎖は無意味だ。
カダルは言い出した一人だが、今さらながら封鎖は難しいと思った。
では違う案を提案だ。
「落とし穴とか仕掛ければ?」
カダルは手を挙げながら言った。
「無理じゃろう。敷地が広大すぎる。崖のきつい所は論外じゃろうが……それ以外となるとなぁ。それに無闇に穴を開け怒りが増さないか心配じゃ」
すぐに意見は却下された。なるほど、穴を開けるのは傷つけることなのかと妙に納得する。
だとすれば、ますます難しい。何せ貿易の道でもある。両国は意地でも通ることを考えるだろう。
「ヤーウェの登る気が失せればいいんだけどな。もともとここは神聖視する奴らが多いし、山の怖さみたいなものをアピール出来れば一時的かも知れないけれど」
思わずカダルはつぶやいた。
「なんじゃ?」
「あ、つまり山の怒りが収まり、この村の防御が完全にできる時間稼ぎをする方法を考えれば良いと思いました」
長老の威厳にカダルはついドキマギする。
傷跡の生々しさもあるが、どうも長老はヤーウェより山で見た方が数段迫力が増す。
「……そうですね。時間稼ぎとしての封鎖を考えた方が良さそうですね。登る必要性を考える前にヤーウェで問題が起れば山に来るのを後回しにするでしょう」
キリトがカダルの発言を受けた。
「問題が起きるとはなんじゃ?」
「起こすんですよ」
「誰が? どんなじゃ?」
長老はぐいっと身を乗り出して来た。
「そうですね。今はカルマトが全権を握ろうとしている。そこを突きましょう」
キリトはあっさりと言った。「揺さぶるのなら出来ますよ」と。
「逃げる時、何か仕込んだのか、キリト」
「いいえ。でも不安定な場所には火種が多いですからねえ。火種だけに火を点けて廻れば、山どころの話ではないでしょう」
「ちょっと待てい! さすがに放火はやめてくれっ」
一応、カダルはヤーウェ人だ。
冗談にしてもキツすぎる。
「話を山の〈封鎖〉に戻そう。ええと、ヤーウェは塩をゴッドラムからの輸入に頼っているだろ、完全封鎖は逆効果の危険性もある」
「確かにゴッドラムは燃える水を買っていますしね」
「無くなれば強行突破の可能性が高くなるだろ。塩も燃料も完全に依存しあっているということはないが、毎日誰かが行き来している。ここを封鎖の時に問題にしないと駄目なんじゃないか?」
「ではその貿易に珠洲の村が入るのはどうでしょう」
キリトがさらりと言ってのけた。
「えっ。貿易に関しては村を通して話をするってことか?」
カダルはそんなに簡単には出来ないと言い返した。
確かにそうすれば道を封鎖しながら貿易は出来るが、ヤーウェが許すはずがない。弱い村は攻め込まれるのがオチだ。
「ですよね。では、その前に何か弱みを握り脅しましょう。そうすればヤーウェにもゴッドラムにも優位に立てます。村の生き残る確率が上がる」
「よ、弱み?」
確かに。
しかしカダルはヤーウェの人間ではあるがわからない。ヤーウェが珠洲の村に握られて困るものは何だろう。
「……くすり?」
「万能薬は今、作れませんよね」
そうだった。
カダルはため息をつきながらリネを見た。
それに気づいたキリトがリネに改めて問う。
「この村に〈神〉の象徴はありませんか?」
「神様の――象徴?」
「薬以外で誇れる、あるいは外部に恐れられるものです」
「……え」
確かにそれがあれば両国から一目置かれるだろう。一目置かれ、生活必需品を得るのに珠洲の村が必要だとあれば、村の需要は高まる。攻めにくくもなる。
「いえ……その、目に見えるものなんて……ありません」
リネが俯きながら、小さな声で言った。悔しいのか哀しいのか唇を噛んでいる。
「だよな。そんなものがあれば、リネはヤーウェに連れて行かれ監禁なんかされないだろうしな。あの時、守ってやりたかったけど……どうしようもなかった」
カダルは当時のことを思い出していた。
鎧を身に纏い集会所を取り囲むカルマトの兵達。多勢の無勢だった。
奴らは山で好き勝手をしていたのだ。
「……ええと山にあるものは、樹木に草、石。それに生息するイノシシに鳥達、飼育しているラウマに子牛、ヤギ……そして犬、猫。あんまり怖くないなあ」
カダルはない知識を振り絞った。
「くっそ、でっかい木彫りのクマ造るか」
「それを道の上に置くのですか。カダル、面白い人ですね」
「虫。置くのなら虫だ。これならみんな怖いだろ」
「却下」
「なら、村にお化けが出ると噂を流す!」
「……馬鹿か」
珠洲の村の集会だったが、ほとんどカダルとキリト二人が話をしていた。
村人は達引き込まれ、ただ口を開け見ている。
「あの」
その時、リネは小さく声を上げた。
「動物ならまだ色々いますけど」
読んでいただきありがとうございました。




