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珠洲の村・静寂

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

深い緑が空を覆いつくし、垂れた枝が膝あたりまで手を伸ばしている。春になれば芽吹き花を咲かせるというが、今はその影もない。

ただ葉を落とさない常緑針葉樹と常緑広葉樹が混在している。

道のない道を行くと不安定な突起をもつ地面が枯れ草に包まれ足をすくわれそうだ。

変わって陽の当たる場所では濃く頑丈な下草に足を持って行かれる。

一行は振り返らずに山を登った。



 カダルが本格的に珠洲の村へ足を運ぶのは初めてだった。山を上り下りする〈道〉沿いに茶屋や薬屋、休憩所があり、珠洲の集会所までは知っているが、他は知らない。つまり集落としての村は入ったことがないのだ。

「……つっ」

「怪我辛いですか?」

「いや。そんなこと……大丈夫だから。リネこそ」

 村の入口である門に着いた時、カダルはホッとして気を緩めた。すると今までにない痛みに襲われる。

「カダル、本当に平気ですか?」

「うーー……」

 ヤーウェではここが〈神の子〉の住む場所として教えられていただけに緊張が半端ない。

 カダルが実感としてあるのは低木林が茂る一部の施設周辺だけだったが、ここはそんなことは関係のない幹の太さの樹木が存在している。

 門は塀も扉もない木を組んだ囲いで、リネは一種の結界だと言った。この門を通ると山に馴染むという。

「村では仕事ごとに離れて住んでいます。集会所の近くに家が点在していますが……ええと家といっても村に入ったばかりの仮住まいの『宿』と呼ばれる場所であったり、季節ごとの家があったり。説明が難しいですが」

「随分ヤーウェとは違うんだな」

 無理に笑ってカダルは聞く。

 リネの説明によるとラウマという家畜を育てる所、薬の製造所、畑、狩場、などに住み込む家と冬や夏に集団生活を営む場所があるらしい。自然と共に生きている村だからこその知恵なのだろう。血で繋がった家族ではないからこその形態なのかも知れない。


 カダルとキリトは集会所に一泊し、傷の手当などをした。

 カダルの傷は珠洲の村に残っていた万能薬で奇跡的な回復を見せた。が、次の日に歩けるようになったのはキリトが食事や献身的看護があったせいだろう。

 カダルは彼がこれほど医術に熟知しているとは思わなかった。

 キリトはたいていのことは自分で何とかしていたのだろう。誰にも看病をしてもらえず、頼れるのは自分だけだったのかも知れない。

 カダルは自分の置かれていた立場がどれほど「恵まれて」いて「守られていた」のか理解した。

「包帯巻くの、上手いな」

 カダルは壁に背を預け、足を投げ出している。キリトは消毒をし、薬を塗ってくれている。もうここに来て三度目だ。

「リネの手は煩わしたくないだけです。彼女も疲れていますから」

「……ああ」

 リネは村に着くと、そのままの姿勢で倒れた。監禁所では笑っていたこともあるが、ギリギリだったのだろう。膝から力が抜けるように地面に落ちた。

 山に登る途中で、励ましていたのがどんなに無理だったのかわかる。リネは自分が折れているのを隠していたのだ。

 キリトの向こう見ずな作戦で連れ出そうとしたのもわかる気がする。むしろそれが正解だったのかも知れない。

 カダルはキリトが少し上から目線で冷めた印象があったが、結構優しいのかもと思った。

「ちょっと意外だ」

「何がですか?」

「別に。なんでもないよ」

 キリトはカダルにきょとんと首を傾げて見せる。本当に頭の切れる奴だが、しぐさに時どき子供っぽさが混じる。整いすぎた容姿は彼にとって幸だろうか不幸だろうか。

 横顔から彼の本心は見えない。

「僕も意外ですよ」

「ん?」

「カダル、あなたがもっと落ち込んいでると思っていましたから」

「それは俺も思う。冤罪も掛けられたし、たぶんヤーウェでは裏切り者なんだろう。爺やも親父も屋敷に閉じこもっているだろうしな。そう考えるともっとイライラしても不思議じゃないと自分でも感じてる」

「他人事みたいですね」

「うん。ここまで酷いと自分に起きたことじゃないみたいだ。アーヒラは幼い時から知ってるし、殺されたなんて信じられないからな」

「……」

「キリトも気にすることはないぜ。なるようになっちまったんだ」

 カダルは軽く手を伸ばした。

 シーアの不満に気づけなかった。彼女はいつから壊れたのだろう。カルマトの後添えになってからか、子供を産んでからか。

 カダルには呪術師の家系に生まれた時からだという気がした。

 ヤーウェで貧富の差は大きく、仕事にも影響している。呪術師は汚れ。そう呼ばれる職の人間は畏怖される。だから仲間外れの目に合う。近づくことにみんな恐怖を持つのだ。

 忘れていたわけではない。だがカダルの理想である「みんなが自由に生きる世界」は、まず自国の改革だったのだ。

「はあぁ……俺、さ。ちっちぇーな」

 うん。

 足元すら見えてない。

 カダルは視線を落とした。



 昼過ぎになって集会所にリネ、長老、タエの三人がやって来た。このまま滞在することになる珠洲の村と山を案内するという。

「リネは身体、平気か?」

 一応彼女の見た目は普通だった。だけどリネのことだから無理をしてもカダルに気づかせないようにするだろう。

「カダルよりは元気です。朝がゆは食べられましたか?」

「あ、ああ」

 カダルはあえてリネのことを心配するのを止めた。お互いに気づかいは不要だろう。何もないはずがない。それを言わないのも思いやりだ。

「じゃあ案内しますね。ついて来て下さい」

 リネの声は緑に包まれ、本来の張りを取り戻していたようだった。

「迷ったら下草を見て下さいね。人が通る場所にはそれなりの目印があります」

 リネの説明を、確かめながらカダルと彼の同伴者――キリトは進む。

「途中、こぶし大の石が二つ置かれていたら、この先は進めないということです」

「……一つでは?」

「カダル、その時は自然崩落とか、色々な場合があるので、進みたければ止めません。二つよりは軽い警告だと考えて下さいね」

 リネは教師の素養もあるようだ。

「質問があれば随時受け付けますから」

 カダルは何度もうなずいた。書くものはないが、あればこまめにメモを取っているだろう。一度では絶対わからない。

「私達が聖地と呼ぶのは大きく分けて二つあります。薬草を取ったりする特別な場所が本来の聖地ですが、聖地に続く道もまたそう言います」

「続く、って?」

「あの低木の集中している所を見て下さい」

 リネが先を指さした。

 カダルが目をやるとそこには濃い緑の――一メートルほどに育った木が密集して生えていた。ぽっかりと空が見え、太陽の光が差し込んでいる。

「あそこが聖地への入口の一つです」

 リネがあっさりと告げる。

「誰でも通れるという道ではありません。あそこの低木をくぐり抜けると聖なる川のそばに出ます。他に山の頂上に出たりする道もあります」

「……つまり聖地と呼ぶ場所へのショートカットですか?」

「はい」

「すっげーな……」

 キリトの声は少し好奇心を含んでいる。

 カダルはただただ感心しているようだ。

「山の頂上は人の足では何日もかかりますし、崖など険しい道で近づくことすらできません。ああいう場所がいくつかあります。人によって出入りできる所と出来ない所があります」

 リネは空間が歪んでいるのかも知れないし、山の神が開いた道かも知れないと言い足した。

 聖道は山から選ばれた者が使える道と村人は認識している。そこを使えるのは数人しかいない。

「俺達は通れないよな」

「ええ、たぶん。わたしも……今はわかりませんが」

 リネは静かに目を伏せた。

 山はヒトに対して怒っているという。リネも例外ではないそうだ。カダルは心が少し痛んだ。

「あー、俺達が作ろうとしていた研究所の跡地に連れて行ってくれないか。そこも聖地だったんだろ」

「……」

 リネが戸惑っていると、長老が「わかった」と先頭に立ち案内し始めた。

「リネが連れて行かれた後にのぅ、一番の平地をヤーウェの民が要求しおった。あぁ、カダルさんは気になさらんでおくれ。まあ、この山じゃからそう土地はなかったと思ってくだされ」

 確かに急な斜面や大木があり、この山に大きな施設には無理に思えた。

「じゃから、聖地に通じる道である藪を止めるのも聞かず一掃してしまったのじゃ」

 長老が話す度に肩が震えて見えるのは気のせいではないだろう。

 


「――着いた」

 三十分ほど進んだ場所にそれはあった。

 カダルが当日に見たより片づけられている。血生臭いものはなく、建物もあらかたないようだ。

 まだ柔らかそうな土、えぐれ陥没した穴、倒壊した建物は埋もれたのかなく穴には、樹木の小枝と大きめの石が残っている。

「どうやらわしらがいない間、村人でやったようじゃ。まだ命のある樹木は日当たりの良い場所に移植した。救えるもんから取り除いてある」

 カダルは事件直後をその目で見ていた。

 うめき声の中に呪詛のような風の音が混じり血と埃の匂いがしていた。

 ここでたくさんの者が亡くなったのだ。大気はまだそのことを忘れてはいない。


「すまん。許してくれっ!」


 カダルがいきなり土下座をした。

 悲壮な叫びに聴こえる、腹の底から苦痛と共に出るような痛みを伴った声だった。

 カダルの今の気持ちだろう。泣きたいが泣けない。上に立つ責任がそれをさせないのだ。

「いや、すべて許してくれなんて言わない。ただ詫びを言うことを許してくれ」

 カダルはどこまでもカダルだ。

 自分には厳しい。

 カダルはそれから別の「聖地への道」へと続くひと固まりの藪の前でも同じことをした。

「申し訳ない。ヤーウェの民の一人として謝っても謝り切れないが、謝る」

 土下座で額に土がつき、やがて石で傷になる。ターバンはうっすらと血に染まった。

「これはすべて俺たちの責任だ。珠洲の村を――山を巻き込んですまない!」

 カダルの出来る精一杯。

 長老もリネとタエ、同行しているキリトも黙った。

 風は静まり、鳥は羽ばたきを止め、葉すら動くのを止めた。

 カダルは気づいているだろうか。音が一瞬止まり、山に彼の声だけが響いていた。

 

   


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