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シーア

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

 天窓から光が降り注ぎ、それに共鳴するように水面に輪が広がる。

 水は小さな音を立て、リズムを刻むように落ちていた。

 タイル張りに広いバスタプは熱砂の国ヤーウェには不似合いだ。続き部屋の休息所の花弁を模したランプをいくつも吊るしているのもありえないだろう。周囲のガラスは覆いかぶさるように緑がカーテンを引いている。

 時おり入る風はゆるやかで、外の温度を感じさせるものではなかった。

水と緑にあふれる休息所はカルマトの妻、シーア専用のものだ。

 彼女は中央に置かれた椅子にゆったりと座り、朝風呂の疲れを取っていた。


 シーアは腰まであり黒髪にお櫛で解かせながら太陽から肌を守るという香油を三人の侍女に塗らせる。髪に擦り込み梳かす者、肌に滑らせ揉み入れる者、そして爪と指を包み込み柔らかくする者。

 シーアは完璧でなければならない。

 そう自分で自分に誓っていた。誰が見ても最上である美でなければならない、と。

 ヤーウェでは呪術師の地位は高くない。力はあるが、汚れごとを引き受けるということで恐れられるが尊敬はされない、そんな位置づけで育った。

 三部族で構成される国で呪術師はどこかに所属し、庇護を受けなければならない。

 庇護のない呪術師は他人の弱みを知っている分、命を狙われ殺されやすい。敵対する人間が他の呪術師を雇い仕返しすることもある。仕事が寿命を縮めることにもなるとシーアは幼い頃から知っていた。その時、他のヤーウェの民は絶対に手を差し伸べてはくれない。

 先妻を亡くしたというカルマトの長に出会ったのは十五の時だ。出会いは一族の誰かが話をつけたのだろう。シーアは知らない。

 しかしシーアは一族で一番の美貌と聡明さを兼ね備えていた。やらねばならないことは知っていた。


「お美しいですわ奥様」

「張りがあって、しっとりしていて」

「素晴らしいですわ奥様」

「……ありがと」


 褒められながらシーアはイランイランの香りを纏って褥にはべったことを思い出していた。はべる理由は何でも良かった。「長が誰から呪われています。その呪いを跳ね返すには私が必要です」と耳元で囁けば断る理由はない。もっともシーアの妖しい美しさを断る男はいないだろう。媚薬の香を焚き、自分から足を絡ませた。

 シーアは一族の希望だったのだ。だから希望に応じた働きをしたかった。完璧に。


「背中、もう少し丁寧にやってちょうだい」

「はい奥様」

「美しさは全てに勝つのよ。わかる?」

「はい奥様」


 シーアは同じ言葉しか発しない侍女をフッと鼻で笑った。

 カルマトの部族長の妻は夫と同じ権力を持つ。

 三度の流産の後、十年前に男の子供産んでやっと籍に入れてもらえた。そうでなければただの愛人。奥様なんて呼ばれる出目ではない。

 シーアは二十四歳。アーヒラはその時にまだ十二だった。

 幼い頃に母と死別したアーヒラは甘やかされると同時に次期長としての教育がなされていた。が、その飴とムチの矛盾に悩んでいたようだ。

 疑うことを知らない者を落とすのは笑顔ひとつで十分だ。

 アーヒラがシーアに母を見たのか、姉と感じたのかはわからない。優しい言葉をかけるとすぐに懐いた。

 アーヒラは弟の存在はあまり気にならないようだった。近くに居る子供程度の認識でしかないようだった。シーアの息子もまた部族長継承権を持つことにまったく気づいてない。


「どちらが子供かしら……」

「え?」

「何でもないわ」


 女にとっての美しさは絶対だ。特にシーアにその武器がなければここまで登ることは出来なかっただろう。


「もっと私を魅惑的にしてちょうだい」

「はい奥様」

「もっと、ね」

 唇を舐めた。


 シーアは一族の悲願を背負っている。

 だからシーアの息子がデンジャーという毒にやられたことは今でも悪夢となって表れる。と、同時にあの〈薬〉は使えると本能でわかった。

 三部族の中でその権利を取るものが最終的に国を取るだろう。その確信が何故かあった。

 そしてシーアの息子がその頂点に立っていなければならないのだ。

 難産の末に授かった可愛い可愛い息子。彼がその時の〈長〉でなければならない。

 それには。

 ――カダルが邪魔ね。

 薬で息子を助けてくれたが、その薬に一番近いのは彼だろう。珠洲の村が生産地とわかっても、やはりカダルが創り手の娘のそばに居た。

 ――カダルを消さなければ。

 それはカルマトのライバルであるイスマイール派を蹴落とすことにも繋がる。

 イスマイールは客観的に見て文武両道にすぐれた者が多い。この国を手にするのに一番の邪魔になるだろう。

 大人しいドズール派は強い方につく。イスマイールの権力を奪いカダルを亡き者にすれば、この国はカルマトの、ひいてはシーアのものになる。夫は色々な手段を使い、シーアの意のままに動くようにしてある。結婚までは何かと理由をつけて主張していたが、薬と身体で骨抜きにした。アーヒラはいつでもデンジャーの毒で殺せる用意はしている。

 後はタイミングだ。

 アーヒラと珠洲の娘が結婚し部族長としての体面を整えられては大変だ。決闘までに一服盛ることも考えたが、薬を手にすることが遠のく。それにイスマイールに不戦勝はさせたくない。

 アーヒラに関しては大きな矛盾をシーア抱えている。どうしても我が子を部族長につけたい。アーヒラは邪魔だ。しかし使えることも確かなのだ。

 問題は、どう使うか。

 珠洲の薬を手に入れ、息子を国の長にする。三部族の上に立つ永遠のイマーム(指導者)にするのだ。そのためにシーアは自分があると考えていた


「……」

「どうかなさいましたか、奥様」

「いいえ。大丈夫……」

「はい?」

「なんでもないわ」

 シーアにもうひとつ心配なことがあるとすれば〈民意〉だ。三部族合同で決めていたことに慣れていたイスマイールやドズールの民が従うかどうかわからない。

 正答な理由が必要だ。

 シーアはまだそれをどうするかわからなかった。

 ――お父様、お母様、私に力を下さい……

 シーアはカダルの屋敷から紋章入りの懐剣を取りあえず盗み出させている。


「何だか今日はイラつくわね」

「はい奥様」

「そこの羽扇であおいでちょうだい」

 シーアは命令しながら、今日はゴッドラムに送る剣の納入日だったことに気がついた。

 形の違う剣を造ることは困難で思ったより時間が掛ってしまった。夫もアーヒラも二、三日前から気にしていた。

 ――男は肝が小さいものね。

 シーアは二人が意外と小心者であることに気づいていた。ゴッドラムも内政が不安定なのだから待たせた所で何もならないのに。

 いっそ焦らした方がカルマトのありがたさが理解できるだろう。

 それがわからないのだから、生まれ持って権力の中に居る〈長〉は役に立たないのだ。


「シーア様!」


 その時、切り裂くように部屋の外から名前が呼ばれた。声からすると引き取っていたユグノーだ。ユグノーは敵国との切り札のようなものでシーアは側に置いていた。

「どうやら剣の工房に賊が入ったようです」

「はぁ、賊?」

「あ、賊と言うか、イスマイールのカダル様のようで。なんだかごちゃごちゃしていて」

 ユグノーは大国ゴッドラム貴族で反政府組織のトップだ。育ちだけで、あまり頭の良い女だとは思わなかったが、説明もヘタだ。

「あらぁ、じゃ密輸がバレちゃったのかしら」

「はい。たぶん。で、でもアーヒラ様もそこにおられましたし、鎮圧も早いかと……」

「鎮圧?」

「工房はカルマトの敷地内ですし、みなさんそこに集まっていますからなんとかなると思います」

「チッ」

 シーアは舌を鳴らした。

 バレてから鎮圧しても無駄だ。どう転んでもゴッドラムと秘密裏に組んだカルマトが〈悪〉者だ。

 戦いに勝つには〈正義〉でなければならない。

 過去の為政者が大義名分を大切にした理由はそれだ。〈正義〉でなければ勝っても民はついてこない。

 でも言い方を変えれば正義であれば何をしても良いことになる。

「――手入れはいいわ。服をちょうだい」

 シーアは立ち上がり、薄く笑みを浮かべた。

 チャンスかも知れない。

「ユグノー、報告ありがと。これからもカルマトと仲良くしてね」

「は、はい」

 肌に絹の羽織もの、レースで造ったベールには血のようなカーネリアンの玉の留め具。

 シーアはラピスラズリの青を目の上にはたき、赤紅花を唇で噛んだ。




 武器庫である工房の前には いくつも小さな砂嵐が出来ていた。蹴り上げ、争いに巻きあげられる砂が視界を曇らせている。

シーアは部下に砂色の被り物を持って来させ、そこで待つように言った。

 勇者なるカルマト。

 敬愛するイスマイール。

 両軍が入り乱れ、服装でしかその区別はつかない。

 そして風に舞うものに遮られ、視界は狭いときている。


 シーアは静かに一歩を踏み出した。

 愛しい息子のため、一族のためと二度唱える。少し膝が震えたが、前を向いた。

 自分の背を何かが押している。

 今しかないと誰かが叫んでいる。

 アーヒラとカダルの闘いは幸いすぐに気がついた。どちらも疲れが出ているようだ。彼らの周りも自分のことで精いっぱいのようで、誰も関わってはいない。


「……」


 シーアは無言でアーヒラの背に立った。

 難しいことではない。アーヒラは目の前のカダルしか見ていない。

 シーアは後ろからそっと懐剣を彼の喉に充てた。

「……? はは、うえ」

 振り返ったアーヒラはほとんど無表情で、いきなり現れた義理母のシーアを見ていた。その目は疑問に満ちていた。

「アーヒラ、よく聞きなさい。勝つのは正義よ。そしてその正義は作られるの。勝者によって、ね」

 シーアはとびきり甘い蜜のような声を出した。そして幼子に言って聞かせる用に説明をする。

「被害者と加害者では被害者に同情が集まるものなの。わかるでしょ。可哀そうな子は可哀そうなのよ」

「だ、から……」

 どうして、とアーヒラの唇が動いた。

「私の父は同業者に恨まれて殺されたわ。妹は嬲り者にされ母と自死した。呪術師はこの国の暗部と共にあるの。それって間違っていない? 被害者なのに悪にされるのよ」

 動脈を狙って刃がすべりこむ。ためらいもなく刺さし、えぐる。

 アーヒラの首が後ろから掻き切られた。

「間違った国は正義によって作り直されるべきなのよ」


 血しぶきは前に飛び、カダルの頬にも降り掛っている。

 シーアは手にした懐剣を握りしめ、目を細めた。

 これで邪魔なイスマイールのカダルはカルマトのアーヒラ殺しの犯人になる。

 誰も見ていない。数名が見ていたとしてもイスマイールの印が入った懐剣で殺された事実は、変わらない。シーアは哀れな被害者の義理母だ。呪術師であれば自業自得とされることでも、権力がある限りない。大義があれば大手を振って被害者になれるのだ。

 ここはカルマトの地。

 襲って来たのはイスマイール。

 疑われることがあれば民の前で泣き狂い、同情を買えばいい。何しろこちらにはアーヒラを殺した懐剣がある。物証を押さえている限り、負けはしない。

 ここで、シーアは被っていた砂避け布を取った。


 ゴッドラムとの密輸を漏らしたのが誰だかは知らないけれど、茶番を仕掛けてくれてありがとう。

 一挙に終わらせてくれてありがとう。

「さあ。イスマイールよ。どうしてくれるのですか。うふふ。この始末、どうしてくれるのです?」

 

 太陽の熱よ。

 砂の恵みよ。

 父よ母よ、妹よ。そして一族すべての者達よ。私は今、この国の〈正義〉になった。

 感謝します、とシーアは誰にも聞こえない声でつぶやいた。




読んでいただきありがとうございました。

信念のある悪女は書くの好きです(笑)


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