ヤーウェ・滅びへの階段(3)
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
焼け付く暑さなのに汗は流れない。
「やりたくなかったけどね。バレちゃったら仕方ないよね~」
アーヒラは唇を歪めるように笑っていた。
カダルは彼の目を見た途端、冷たい汗が流れる。たぶんアーヒラは彼なりに間違ったことに手を貸しているという思いがあるに違いない。そのせいか、カダルから目を反らせないようだ。
わかっているくせに。
わかっているくせに。
アーヒラだって次期部族長なのだから。
「俺は開き直ったお前とはやりたくない」
「……」
「ゴッドラムとの密輸から手を引けば、イスマイールは不問にする」
「……ありがたいねえ」
「だから」
「だからって何?」
カダルはアーヒラから強い意思を感じた。
「悪いね。カルマトが選んだ道だ。それをどうこうすることは出来ないのさ」
「アーヒラは軽いけどカルマトが好きなんだな」
「お褒めの言葉ありがと。イスマイールの次期部族長さん。あんたイイ奴だよね」
フッとアーヒラの唇が微笑みの形をつくる。
瞬間、アーヒラは火竜の背びれを型にした半円形の剣で切り付けて来た。
カダルの前髪が三本ほど薙ぎ切られた。
相変わらず口調と違い重い剣を突きつける奴だ。
カダルは後ろに飛び避けたが、腰に剣はない。キリトに言われて付いて来ただけなので武器は持っていないのだ。
「――くっ」
かなり不利な状態での決闘だ。
「さすがに動きが早いや。カダルは」
「こんな風に闘いたくない」
「あのさ、じゃあ少しやる気にさせてやるよ。ゴッドラムとの密輸の件だけじゃない……カルマトはリネを切り札にする」
「きりふだ……」
「カルマトはこの国を手にするんだ。そして山を従わせる。万能薬は必要だしさ。で、山を抑えるには彼女が必要なんだよ。彼女はなかなか好みではあるし」
「汚いとは思わないのかっ!」
カダルは叫んだが、アーヒラに「運命だよ」と軽くいなされた。
気のせいかアーヒラは哀しいあきらめの目をしていた。
運命。
それが何かはわからない。アーヒラと闘うことで何かが変わるというのだろうか。
道は開かれるのだろうか。
「……」
カダルはそっと唇を舐めた。
「受けてやろうじゃないかっ」
アーヒラの剣は大きく重い分、力が必要だ。溜めをしている瞬間にスピードで押し倒せば勝ち目はある。
カダルはよろけると見せかけて、地面に手をつく。そしてアーヒラに握った砂をぶち当てた。
◆
リネはその頃、ベッドに座り、身体を強張らせていた。目を瞑ると木に刺し貫かれた人と周囲を取り囲み、すすり泣く人々が思い出される。あれから眠ってはいない。山がやったことだと思うと怖さと申し訳なさで息が苦しいのだ。ここからすぐにでも抜け出したい。
「お気に召すままに」
あの場所でアリウスが言ったことが頭をよぎる。彼は荷物をまとめて待っていて下さいと言葉を続けた。まだ耳に残っている。
これから何か起こるのだろうか。
ヤーウェ脱出に力を貸してくれるとリネは受け取ったが、詳しくは聞いていない。第一、リネだけでなく長老やタエもいる。置いて出ることは出来ない。
「……」
考えれば考えるほど不安になった。
山に帰れたとしても、許しを請うのにどうすれば良いのだろう。山はもともと人間が嫌いだ。山にいる限り身ごもることはないし、妊婦として駆け落ちして来た者は、死産する。
子供が一人増えれば、誰かが死ぬ。一定の数以上にヒトは増えない。
リネはスカートを握りしめた。
ゴッドラムから持って来た優しい色の服だ。この色に包まれていたら一瞬だけ苦しみを忘れることが出来る。
それが良いことか悪いこと今となってはわからないが。
ベッドの上でじっと身を固めていると、玄関の扉から何度も激しい殴打の音が聞こえた。
まるで壊そうとしているようだ。
リネは高鳴る胸を押さえて、そっと近づいた。
「何ごとですか?」
「今、カルマトとイスマイールは小競り合いを起こしています。これからもっと炎が飛び広がるでしょう」
いつもの門番とは声が違っている。
「あ、あなた、は?」
扉越しにリネは尋ねた。
「ドルーズ派の者です。イスマイールは招集を掛けられています」
「……え」
リネには一瞬、アリウスの言葉が浮かんだ。
「今が逃げるチャンスです」
「あの、長老やタエは」
「それも抜かりはありません。小競り合いの隙を見て、我々ドルーズ派が逃がしている頃だと思います」
「……ドルーズ」
リネが扉を押すと、軋む音を立ててそれは開いた。鍵は掛っていない。
外にいる門番はイスマイールが付けているターバンと、色違いのベールを身に纏っていた。
中立を誇っていたドルーズ派がなぜ、と思うと心臓が大きく跳ねた。
裏にアリウス=キリトがいるに違いない。
「……」
嬉さよりも恐ろしさを感じた。不安だ。アリウスの静かな攻撃性は良く知っている。それを含めて愛したのだ。自分達を逃がすと口にした以上、アリウスは実行するだろう。だとしたらカダルの立場はどうなるのだ。
あの優しく食事を持って来たカダルは?
「それでイスマイールとの小競り合いって……」
リネはおそるおそる尋ねた。
「ああ。カダル様が単身イスマイールの製鉄所に乗り込んで行かれましてね。そこでゴッドラムとの密輸現場を押さえられたようです。イスマイールの連中が援護に向かってはいるけど今頃はどうなっているやら」
「……そんな」
「とにかくリネ様は山に逃げる準備をして下さい」
これで全部わかった気がした。
カルマトとイスマイールを争わせているうちにリネ達を逃がす作戦だ。いつアリウスはドルーズを味方につけたのだろう。
疑問だが考えている時間はない。
「――わたしは行きません」
「え?」
「カルマトとイスマイールの決着を見なければ山に戻らないと言っているのです」
カルマトが勝てばまた山を侵略しようとするに違いない。逃げてもまた捕まるだろう。
イスマイールが勝てば、また違う風が吹くだろうが、リネ達が居なくなったことの責任は誰が負うのか。
あの時、混乱してアリウスに頼んでしまったリネの罪だ。
「……」
「リネ様、逃げ道は確保してあります。早く」
「わたしは残ります。でも長老とタエは山に戻して。疲れ切って苦しんでいるはずですから」
リネは前を向いた。
「責任はわたしが取ります」
「はぁ、でも」、
「慈愛あるドルーズの民よ、わたしは平気です。山ではなく、その小競り合いの場所に連れて行って下さい。それがカダルの――ヤーウェの為になると信じています」
「だけど」
「急いで連れて行って!」
リネの気迫が勝ったのか、ドルーズの民はうなずき、「こちらです」とリネに道をさし示した。
◆
カダルは砂に腰を落とし太ももから流れ落ちる血を必死で止めていた。手で抑え込むも指の隙間から滴り落ちる血は止まる様子がない。
しかしカダルの近くに流れ出る紅い色は彼のものではなかった。
「みなさん。ここに居るカダルが私の大切な息子、次期カルマトの部族長アーヒラを殺したの」
空に響けと大声を出しているのはカルマトのシーア。アーヒラの義理の母だ。
シーアの足元には首の頸動脈を突き刺されえぐられたアーヒラが、目を宙に彷徨わせ、倒れていた。
呼吸の度にゴボッと泡が噴き出るような音がする。厳密には死んでいないだろうが、助からないのは誰の目にもあきらかだった。
「この男、カダルが殺したのです!」
時間が凍ったように動かなかった。
周囲に居た者達は固まり、目は一点を見つめている。何が起こったのか理解出来ていないようだ。
普通、部族間どうしの決闘は勝ち負けが決まった時点で終わる。命のやり取りまではしない。そんなことになったら怨恨が残るだけだからだ。
――しかし……
「カダルが殺したのです。その証拠は、この剣ですわ!」
空気を裂くような甲高いシーアの声が広がる。
彼女が手にしていたのはジャマダハルと呼ばれる「切る」のではなく「刺す」ことに特化した懐剣だ。
カダルには見覚えがあった。
父が無言でこれをカダルにくれた。護身のためにということだろう。金色の柄の部分にはイスマイールの印が掘られている。
しかしそれは机の中に入れたままになっているはずだ。
なぜだ。
……はめられた?
カダルは目を見張った。
後からイスマイールの仲間が来て工房の連中に小競り合いが起きて、アーヒラが確か言った「決闘だ」
そう、それから。それから他の者はそれぞれに戦っている。半ば乱戦となり怒号と砂埃が立ちこめる中で、アーヒラとカダルに目をやっている者はいないだろう。爺ですら離れた場所でやり合っていた。
それから――
カダルもアーヒラの後ろに彼女が立っていたことは気づかなかった。
アーヒラの刀で太ももに傷を負わされ、飛びのいた時に運悪く転んだ。
そして視線をアーヒラに戻すとシーアがゾッとする微笑みを浮かべ、そこにいたのだ。
「やれやれ、向こうにあんな役者がいるなんて知りませんでしたね」
いつの間にかカダルの横に来たキリトがつぶやいた。
「血止めをしますよ」
キリトは自分の右腕の服を破り、その布でカダルの太ももを強く巻く。
その間、シーアも周囲の連中も動くことはなかった。カダルも身体を強張らせ、瞬きすらできない。
「さあ。イスマイールよ。どうしてくれるのですか。うふふ。この始末、どうしてくれるのです?」
シーアの台詞が甘く艶を帯びると、アーヒラの身体が大きく痙攣し、跳ねた。
読んでいただきありがとうございました。
やっと二話と二十八話めの伏線回収しました。
いや、わからなくてもいいんです(苦笑) 私はただの伏線好きですから。




