ヤーウェ・滅びへの階段(2)
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
「――はぁ?」
カダルはあまりに気軽に話しかけられたので、ついうなずきそうになった。
いや、いくら何でも駄目だろ、と自分に突っ込みを入れる。
「踏み込むって……」
「今、行けば面白いものが見られるかも知れませんよ」
だから?
「イスマイールの俺が出て行ったら揉めごとが起きる。さすがに事故の後だし、そっとした方がいい。そりゃ悪いことだが、乗り込んでいくのは現実的じゃないだろ。証拠集めならわかるけど」
カダルが言うとキリトは首をすくめ、笑った。
「事実でも時間が経てば事実ではなくなりますよ。事故の後だからこそわかることが消えてしまいませんか」
「――え」
「研究所案が潰れたら、勧めたカルマトの立場が悪くなるでしょう。つまり次の打つ手を考える。国のトップに立つために何をするか。優位な立場になるにはどうするか」
「……えっと」
何を言っているんだろう。キリトの紅い瞳は何を映しているのか。
カダルは底知れぬものを感じて、思わず身を引いた。彼の姿は無邪気に花を折る子供のようでもあり、凍えた月の雫のようにも思えた。見つめていると首筋が冷たくなる。
「国の牛耳ることを狙っているとでも言うのか。まさかそんなことカルマトが」
「僕が嘘つきに見えますか? あの剣が本物の爪楊枝だと?」
カダルは小さく首を振った。だけど急には信じられない。
「キリト、敵国のゴッドラムの武器を造って流しているなんて、どうして知っているんだ。いくら何でも不自然だろ」
「しっ。声が大きいですよ、カダル」
キリトはまた唇に人差指を充てた。
「秘密です」
確かに微笑む彼には教えてもらえそうにない。何故だかわからないが、カダルはそんな気がした。キリトは霧の中に居るようだ。掴みどころがない。
「……」
珠洲の村はヤーウェとゴッドラム両方の真ん中に位置している。山を通る人々から両国の噂でも聞いているのだろうか。
「リネも気づいているのか?」
カダルは聞いてみた。
キリトは無言で首を振っている。
「良かった」
なんとなく彼女を巻き込みたくなかった。珠洲の村人も彼女も争いとは無関係の場所に居て欲しい。これはヤーウェの問題だから。
「行くでしょう」
「無理っ」
確かめようというキリトと、戻ろうとするカダル。お互いが次の言葉を探していると、工房からアーヒラが出て来た。彼は相変わらず軽い口調で隣の職人らしい男としゃべっている。
「ゴッドラムの剣って造りにくかったでしょ」
「細い分、ひずみなく造るのが難しくて」
「慣れないもんね。でもみんな優秀だから大丈夫だって思ってたよ」
アーヒラは誰かに聞かれても平気なようで、緊張感がまるでない。
カダルは幼い頃を少し思い出した。アーヒラと学び舎で一緒だったが、彼は「どーせカルマトを継ぐんだから勉強はほどほどでイイよ」といつも笑っていた。カダルも大人に反抗しまくったクチだが、アーヒラとは組まなかった。血筋を背景に暴れるのは恥ずかしいと思っていたし、むしろ次期部族長の地位に束縛感があった。
ただ、この頃のカダルは要領の良いアーヒラは好きにはなれなかったが、嫌うほどのものではなかった。
リネを嫁にと言い出すまでは。
「あの野郎。なんでこんな交易に手を出してんだっ」
カダルは急に頭に熱い血が流れ込んだ気がした。純粋な正義感が沸騰する。
「交易ではなく密輸でしょう。あの国も少しごたついていますからね。片方と組んで利を得ようとしているのです。ヤーウェも落ちましたね」
そんなカダルを見て、キリトが平然と言ってのけた。
カダルはちょっとムッときて、唇を固く結ぶ。まだどこかでカルマトを信じていたい気持ちがあった。
「で、アーヒラ様、カダルとの決闘はどうなりますか?」
「うん。勝つと思うよ。だけどこの事故だから決闘自体が曖昧にされる気がするなあ。自信あったのに」
「そうですか」
アーヒラは職人長と見られる男と、世間話をするように話をしている。自治区にはカルマト派しか居ないと信じているから気にならないのだろう。
「だけど研究所の建築に失敗したとなると、民衆が離れちゃうだろ。自然現象とはいえ失敗は痛いよ。山の呪いだとかもう非現実的なこと言い出す奴がいてさ。だからゴッドラムに急いで剣を納入しなきゃいけなくなったんだ。早めに密約結んどかないと不安だろ」
アーヒラは遊びにも行けなくなったよ、と笑い声をあげた。
「カルマトの次期部族長も大変ですね。ご苦労様です。だけどゴッドラムも喜んでいるでしょうな。奴らの剣はそのままでは折れやすいですし、我が国の技術が欲しいでしょうね」
「だよね。山の娘を嫁にする。ゴッドラムに恩を売る。これでカルマトがこの国に君臨する日も近くなるよねー」
ここまで聞くとカダルは切れた。
他国の武器密輸にリネ達の御山に関してまで口にされては腹立つ。
「山の娘を嫁、なんてお前には無理だろっ!」
いきなり茂みから立ち上がったから、砂避けのターバンや長衣から葉っぱや枝にまみれていた。
「もったいない! それに貴様が何をしているか見届けたっ。部族会議に告発する」
カダルが指さし叫んでいるにも関わらず、アーヒラ達はさほど驚いたようでもなくその場に立っている。
そのアーヒラの表情からは〈見つかっちゃったよ〉という鬼ごっこのような遊びをしている余裕が感じられた。
「なんだい。カダルか。びっくりしたよ」
「アーヒラ?」
「隠れていたのか。あはっ。で、オレは見つけたのか、見つかっちゃったのかどっち?」
「そ、そんな言い方ないだろ」
「武器庫見た? ゴッドラム専用のレイピアとショートソード、ファルシオンが出荷を待ってるよ。見つかっちゃったから半分も納入できないな~残念」
「……」
カダルは拳に力を入れて握りしめ、きつくアーヒラを睨んだ。だがアーヒラは手をひらひらと顔の前で振り、「カルマトはこの国を統一するよ。イスマイールが今さら何をしても遅い」と言い切った。
「……」
どうしたんだろう。話が通じない。カダルは戸惑った。
熱い砂漠にいるのに、すぐそこに幼い時から知っている顔があるのに、薄い膜一枚隔てた世界からしゃべっているように見える。
「あのさ、カダル。一歩先を歩くけるものが勝つんだよ。カルマトは見越してゴッドラムの反政府組織と繋ぎを持ってる。彼らが国を制圧したら、カルマトは晴れて同盟を結ぶ」
「……アーヒラ」
「半ば鎖国しているだろ、我が国は。資源も三部族で持ち回りより統一した方が効率的に使えるしね~」
「アーヒラ! どうしてなんだ。どうしてそんな考えになったんだ」
カダルは怒鳴ったが、アーヒラには通じていないようだった。
「今は出荷直前なんだ。悪い所に居合わせたね。なんでここに居るのかは問わないよ。運が悪いんだ。終わるまで、ちょっと監禁させてよね」
アーヒラは右手を口元に充て「みんな出て来てよ」と叫んだ。ここはカルマトの自治区で工房の前だ。剣の密造に関わっている者達が大勢いる。アーヒラが叫ぶと皮の前掛けをした鋳造中であろう男が、腕まくりをしながら走り出て来た。
「いったん引こう、キリト」
「無理じゃないですか。向こうが帰さないでしょう」
「あのなぁ……」
「心配入りません。僕の手の者がイスマイールに文を投げ入れているはずです。遅からず応援はここに来るでしょう。誘拐され留め置かれるなんて恥ずかしいこと、カダルにはさせません」
キリトはどこまでも落ち着いていた。アーヒラに応じ、わらわら出てくる男達を見渡し、「まるで蟻みたいだ」と涼しい顔で見ている。
もしかしたらこのことを予見していた?
カダルは一瞬固まり、アーヒラではなくキリトを見つめた。
ここに呼んだのはキリトだ。
ゴッドラムとの密輸も知っていたし、それを暴くのにカダルは使われた気がする。証人にされたのか? だけどそれをおおやけにしてキリトに何の得があるというんだ?
「キリト、お前は」
「前見て」
アーヒラの横にいた男が殴りかかって来た。首から肩にかけての筋肉が盛り上がっているのが一瞬目に映る。
「――っ」
カダルは横に飛び、低く体勢を保つ。
「ここの連中は俺に考える暇もくれないのかっ」
「カダルが頭を使うなんて想像していないのでしょうね」
「はあぁ?」
「だから前見て下さい」
ここは製鉄所でもあり、鋳造所でもある。運の悪いことにかわした男の背中越しに槌を手にした者がいた。
カダルが一瞬ひるむと、キリトがかばうように前に出た。
「少し時間稼ぎします」
「俺は稼ぎたくないっ」
カダルは拒否するも、次々に襲い掛かって来る男を避けるだけでは済まない。
取りあえず三人目蹴り上げ、大地に沈める。隙を見て逃げ出そうと思ったが、横にいたはずのキリトは斜め前に出てみぞおちに拳を叩きこんでいた。そしてカダルに殴りかかろうとした男に手刀を入れている。
これでは見捨てて行くことが出来ない。
「あー、もうどうにでもなれっ!」
カダルは半ばヤケになり叫んだ。
二人を取り巻く輪が厚みを増した。
やはりカルマトの自治区というのが大きいようだ。騒ぎはどんどん大きくなる。
「くそっ」
いつの間にか中心にいるカダルとキリト。お互いが背中併せになり死角を防いでいる。
少し離れて見ているだけのアーヒラは彼が疲れるのを待っているのだろうか。ニヤニヤと下品な笑いを唇に浮かべていた。
いつまでこの状態が続くのか。そう思っているとキリトが短く叫んだ。
「――来たようですよ」
カダルが振り向くと遠くに見慣れた顔があった。
イスマイールの連中だ。
今の状況をどう説明すればいいか。
一瞬、カダルは足を止めたが、やはり考える時間はなかった。風圧で頬に傷がつくほど近くに鉄の棒が振り下ろされるのだ。
「カダル様!」
「爺?」
ぶっちぎって先頭を走っているのは爺だ。手に木の棒を持ち、いつになく興奮して怒り狂っている。腰が痛いと言っていたのはいつだっただろうか。
「カダル様、加勢しますっ」
「大丈夫ですか」
「お怪我ありませんかっ」
中にはいつもリネの家で監視員をしている者の姿まである。どうやらイスマイールの私兵達がこぞって来たらしい。
「ちょ、ちょっと待て」
カダルは慌てて止めようとしたが、荒くれた砂嵐のように止まらない。
こんな場所でぶつかったら、カルマトにイスマイールが喧嘩をふっかけたように見えるだろう。それにイスマイールの連中は木の棒がほとんどだ。さすがに刀で殴り込む不作法はしていない。だが、工房の連中はそこで使っている器具を手にしている。
「……感情的になってどうする。怪我をするぞ!」
カダルが叫んだ。
二部族をぶつからせたくない。ただその一心だった。
「カダルが、カルマトの武器密輸現場を押さえましたよ」
その時、キリトがさらりと火に油を注いだ。
「密輸相手はゴッドラムです。許して良いんですか、みなさん?」
「――な……」
火は炎となり二部族を飲み込んで行くのが見えた。
誰もが暴走し、混乱し、相手を〈敵〉と見定めている。
これをキリトは計算していたのか?
「……お前は」
キリト睨み付けたが、彼は首を少し傾け、一歩さがった。
「おやおや。カダル。あなたの相手は僕ではなく彼みたいですよ」
キリトが指をさす方向にはアーヒラがヤーウェの剣を手に立っていた。
「決闘だよ。カダル」
陽は中天にある。風はいつになく強く吹いていた。
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