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ヤーウェ・滅びへの階段(1)

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。


 ベッドの中、目を瞑るとカダルの瞳の奥底に風景が浮かぶ。手のひらで顔を擦り上げ、唇を噛み、何度も夢ではないかと確認する。痛みが生きていることを実感させてくれるが、どこか頭が麻痺していて動かない。


 珠洲の国から救援要請が来て、カダルは第一弾として向かった。初めて目にしたものは戦場とは全く違う――血の匂いのない、神聖さすら漂う事故現場だった。

 山の中、すり鉢状にへこんだ大地に崩れ落ちた研究所の残骸。そこに近くの樹木が蓋のように覆いかぶさっていた。蓋をするということは枝を突き刺していることだ。血も流せない遺体がひとつ、目を開いたまま上を見ていた。

「……」

 以前、そこを訪れたことがあるが、周囲に風にそよぐ緑が満ちた、木漏れ日あふれる場所だった。

 それが夜に飲みこまれている。

 ――嘘だろ。

 誰か嘘だと言って欲しかった。

 カダルは仲間達とその〈穴〉にロープを使って降りた。ランプで映し出した世界は、今思えば見てはいけないものだったのかも知れない。遺体は手の甲を空に向かって突き出してはいるが、その掌の中央を貫かれていた。血が固まり、手に花を咲かせているように見える。残酷なのに身体からはどうしようもない哀しみが漂っていた。

「申し訳ございません」

「あの樹木を切ることはお止め下さいとお願いしたのですが、通じず……」

 珠洲の村人達は自分が悪いのでもないのに謝り、涙を流している。彼らには「すまない」と言えばいいのか連絡してもらって「ありがとう」と伝えればいいのかカダルにはわからなかった。

「怪我人を山から降ろそう」

 遺体とは呼びたくなかった。他部族だが、仲間だ。同じヤーウェ人として最善をつくそうと思った。

 そしてカダルがヤーウェから戻って来た時はもう明け方で空には薄明りが、地には燃えかすになった松明がくすぶっていた。

 リネがいっとき、この安置所に来たと聞いたが、カダルは着いた時にはいなかった。

 事故は彼女のせいではないけれど、きっと傷ついている。そんな人だ。珠洲の村も同じように絞り出すような声で謝っていた。

 カダルは珠洲とヤーウェの歪んだ歴史を垣間見た気がした。

 この場合、悪いのはヤーウェだ。なのに必要以上に珠洲が頭を下げている。

 そうしなければあの村は生きていけなかったのだろうか。

 カダルは初対面のリネに「自由に行き来して自由に恋愛して自由に生きることが普通だろ。俺はそれができる場所にいつか変えてやる」と軽く言ってしまった。もちろん本心だがどれだけ難しいのかわかっていなかった。

 まるでガキ。気使いのできないガキだ。

「……俺、未熟なんだな」

 カダルは独りつぶやいた。


 身体は熱砂上に出た土モグラのように動けなかったが、眠れなかった。

 重く、ともすれば流砂に足を取られ沈み込んでしまいそうだ。


 浅い眠りと現実の狭間で、あの事故からどれだけ経ったのか。カダルは時間の間隔がなくなった。

 異様すぎる事故で理性も感覚もマヒしてしまったようだ。これからどうしようか考えが纏まらない。

 みんな泣いていた。

 涙は「誰のせいで」「どうしてうちの人が」と訴えていた。

 その時にカダルは何と答えたのだろう。よく覚えていない。



「天蓋から入る光……角度からすると昼過ぎだろうか」

 カダルは自室でベッドに身体を横たえ、ただ宙に視線を泳がせていた。その時だ。

「カダル様、お客様です」

 爺が不意に声を掛けて来た。

「今は誰も――」

「キリト様です」

「……入ってもらってくれ」

「いえ。あの、お外でお待ちです」

 キリトはリネと一緒に救護所で佇んでいたと聞いた。話があるとしたら彼女のことだろう。カダルは会わないでいることはできないと思った。

「わかった。今、行く」

 今、自分が求めている答えを彼が知っている気がした。



「話って、何だ」

 カダルは腕組みをし、キリトから目を外さずに聞いた。キリトの紅い瞳からは何も読めない。

「付いて来て欲しい所があるんですけどね」

 キリトは微笑んでいだ。

「どこに?」

「来ればわかりますよ」

 踵を返し、キリトは誘導するように先に歩く。

 カダルは考えていたのと違うと思ったが顔に出さないよう努めた。

 キリトは無言で振り向かず足早に歩く。声を掛ける隙間もなかった。脚元から上がる砂煙が不安を誘っている。

「あ、ここはカルマトの自治区だけど……」

 いくつかの屋敷の前を通り、中央の広場を横切る。

 気がつけば隣の土地に入っていた。

 ヤーウェは三つの部族があり、それぞれ統括する地があった。商業に関する場所は共通だが直結するものは違う。過去の闘争でそういう形式に落ち着いたと聞いているが、カダルの生まれた時は共存しており平和を保っていた。

「詳しくないから迷子になりそうだな~」

 カダルは空笑いをするが、キリトは無言だった。

 たぶん彼はあまりしゃべる方ではないのだろう。以前助けられた時、かなりの腕を持っていることがわかったが、性格は偏っているように思えた。

「昨晩は大変でしたね」

「あ、うん」

 キリトが急に話しかけて来た。カダルは驚き返答に困った。

「死者はどの位でしたか?」

「……十七人」

「背負って降りて来たとか。お疲れ様です」

「いや、俺は出来ることをしただけだから」

「研究所建築はお流れになるでしょうね」

「たぶん……」

 カダルが曖昧に言葉を濁していると、黒いベールを付けた女が二人の横を駆けて行った。今日、カルマトの自治区は黒を身に着けている人が多い。事故の関係者だろう。葬儀の準備をしているのかも知れない。

「やっぱ、やりきれないな」

「何がです?」

「カルマトが山に研究所を建てるとか強硬手段に出た時、俺達イスマイールは何も言えなかったんだ。もっと強固に反対していたらと思うと……しょせん、たらればの世界なんだけどな」

 ○○していたら、○○であれば、の希望的観測と自虐を込めてカダルは〈たられば〉の世界と読んでいた。過去は変えられない。変えられないから後悔は背中におぶさって来る。

「で、キリト。リネはショックとか受けてないか? リネは気をつかって貯めこむタイプだろ。腹を抱えて笑うとか出来ないだろうし……あ、いや、今はそんな場合じゃないことはわかるけど」

 カダルはうつむいた。暗い部屋の片隅でぽつんと座っているだろうリネがたまらない。

「あの一族っていうか珠洲の村人は優しすぎるんだな。いや、優しくされたことがないから優しいのかも知れない。崩落した跡地で泣いて謝ってたし。彼らのせいじゃ絶対ないのに」

「――優しすぎるのは貴方でしょう、カダル」

「は?」

「イスマイールの次期長、カダル」

 俺が? とカダルが声を上げた時、キリトが「附きましたよ」と微笑んだ。

 そこはカルマトご用達の武器製造所だった。

山手に建てられ、中は驚くほど緑で溢れている。〈水〉を使うため、所内には小さな川が流れていた。赤レンガで組まれた製造所は他の建物より天井が二メートル近く高い。

 門として十センチ間隔の鉄格子で覆われているのが製鉄所であり、剣や鎧を鋳造し鍛冶をする工房だ。その隣が砥ぎ場、続いて部族の紋章など彫金や彫り物の工房などが続いている。

 警備兵などはヤーウェとして統一しているが、私兵などは各部族が持つ職人が製造している。部族お抱えの職人は部族の工房で造り上げる。


 だけど。

「どうしてここに連れて来たんだ?」

 カダルはキリトを見た。

 ここはカダルも滅多に来ない。他部族のことに口を出さないのは暗黙のしきたりだった。門はいつも外に開け放たれているが、招待でもされないと足を向けない。干渉は争いの種になるからだ。

 カダルがここを訪れたのは、たぶん一昨年に新作の剣を造ったとかで見に行って以来だ。

「通気口から煙が立ち上っていますね」

「そりゃ、鋳造とかが仕事だし」

「事故の後なのに?」

「……ま、それは、カルマトの都合もあるだろう」

「喪に服するとかはないのですか?」

「……」

 確かに部族を上げての事業で死者が出れば仕事は中断してもおかしくはない。イスマイールで大人数の事故死があればそうするだろう。でもカルマトそうであるとは限らない。部族の権限は長だ。

「それは、そこ。色々事情があるんじゃないか。事故があったから無理に頑張ろうとしてるとか」

「ではその事情とやらを見てみましょう」

「――は?」

 カダルはいきなり頭を抑え込まれ、茂みに連れて行かれた。

 どうやらここで様子をうかがえ、ということらしい。

「カダル、貴方は声がでかい」

 キリトは人差指を唇にそっと充てた。

「静かにして、入口正面の窓を――」

 カダルが言葉につられるようにして顔を覗かせると煤でうっすらと黒くなっている窓枠に形ばかりの短いカーテンが見えた。

 鋳造に使うものは雨が掛らないよう屋根の下で行われる。つまり鋳造と加工はこの建物の室内で行っているのだ。温度が高くなるため、窓はいつも開けている。それはイスマイールの工房でも同じだった。

「何か変な所があるのか?」

 カダルは目を凝らした。

 窓からは出来た剣などを次の加工である研磨に持っていく職人が見える。

「今です。わかりましたか?」

「うっ?」

「ほらまた通ります。剣の幅に注目して下さい」

 キリトは小さいながらも鋭い声で言った。

「あの剣はヤーウェの物でしょうかね?」

「……」

 砂漠と共に生きているヤーウェの人々は強さの象徴をそこに住む火竜に求めた。

 昔は火竜の数は多かったようで、事実、剣は背びれが使われており、勝者の道具と呼ばれ珍重されていた。今はその流れを組み、幅広で半円のカーブが特徴の剣を鋳造し、使用している。

「……確かに変だ」

「気づきましたか?」

 カダルは夢ではないかと頬を軽く抓った。

 キリトが笑いを堪えていたようだが仕方がない。信じられない時にどこかを抓るのは子供の頃からの癖だ。

「あんな細身の……爪楊枝の長いやつみたいな剣。ヤーウェでは非力な女性でも使わない」

「爪楊枝は失礼でしょうが」

「そ、そうか?」

「あれはゴッドラムで使うレイピアです。突き刺すことに特化している最新鋭の剣です。体力を消耗するヤーウェの剣とは違って知的で効率ある武器です」

「のようだな。問題はあの爪楊枝が何故ここにあるかだが」

「……レイピア」


 建物の中の会話はさすがにここまで聞こえては来なかった。炉の音、鋳造、焼き入れ焼きなましの音、整形のため金属が触れ合う音。

「輸出だとしたら会議で決めるだろう。そもそもゴッドラムなんかに闘いで使う剣を渡さないだろう」

 もし戦争になる可能性というものが、あるのならば〈ヤーウェ〉と〈ゴッドラム〉は隣国でもあり一番危険なはずだ。敵に武器輸出なんてありえない。

「では、今見たものは?」

「……」

 カダルの額にじわりと汗が浮かんだ。

 三部族合議制が成り立っているのは、どの部族も同等の富、力、などを持っているからだ。偏れば、国は傾く。

 ドルーズは平和主義で大人しく文化芸術を好み、イスマイールは商業など民の暮らしに力を注ぐ中立派。そして目の前のカルマトは古くからの力を求める武闘派だ。

 平和になった今、ある意味で武闘派は一番ストレスを貯めているかも知れない。

 リネを賭けての決闘だとか吹っかけて来たのもカルマトだ。

 でも他国の剣を造るなんてありえない。

 あってはいけないものだ。

 特に秘密裏に、なんてことになれば、それは――

「通じている、ってことですよね。カダル」

「……」

 カルマトがゴッドラムと通じている。

 それが本当なら均衡が変わる。

 内戦に繋がるだろう。

「でも、まさか」

 信じたくないという気持ちが勝っている。同じ国の仲間を信じたい。

 カダルは軽く汗をぬぐった。

「カルマトに居るユグノーという女性はゴッドラムの王族だそうですよ」

「えっ」

「もしかしたら繋がりがあるかも知れませんね。彼女絡みで」

 キリトはさらりと言ってのけ、微笑んだ。

「ねえ。踏み込んでみませんか、カダル」





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