表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/53

ヤーウェ・ユグノー

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

「今日のメニューはナジャフの実にタウバの果実を使ったんだ。オリーブ油とセルフィユを混ぜて――っくし!」

 カダルは料理の説明の途中で大きくくしゃみをした。

 机の上には赤と黄色で縁取られた皿に、いかにもデザートという物が盛られている。

「悪い。ゴメン」

 リネはよほど驚いたのか大きく目を開け、耳を押さえていた。

「だ、大丈夫です。少しキーンしましたけれど」

 リネの口調があまりに可愛らしくて、カダルは照れ隠しに斜め上を向く。

「誰か噂してるのかもな~」

「うわさ?」

「あ、ヤーウェでくしゃみは噂された時に出ると言われているんだ。ちなみにあくびは思い出し笑いされてる時で、しゃっくりは、期待されている時」

 カダルは昼過ぎにリネの軟禁場所に顔を出すようになっていた。

 ヤーウェでは砂漠の太陽が中天に輝く時、力仕事をしてはいけないとなっている。熱射病を防ぐためだ。カダルはこの時間は部族長補佐として部屋で書類に目を通したり、中央通りで友人と話をしたりしていたが、今はほとんどリネの所だ。

「面白いですね」

「それから夢占いというのがあって――」

 カダルの話の途中で、扉がノックされた。

 今ごろ何かあったのだろうか。カダルとリネは顔を見合わせた。

 リネが「どうぞ」と言うと扉は開き、ユグノーがぽつんと立っている。

 銀髪に紅い目。ゴッドラムのお姫様だ。今日は珠洲の村で見た時よりも華やかだった。

 ベール等は纏っていないが、ヤーウェで一部の女性しか身につけない光沢ある絹をスカーフのように首に巻きつけていた。スカーフで隠れているが、かなり胸を露出した服だ。ロングスカートも薄い衣を何枚も重ねているが、足が見え隠れしている。

 化粧はヤーウェ独特の目の縁取りを施し、かなり印象が違って見えた。

「――や、やあ」

 カダルは何と言ったらいいのかわからなくて手を上げた。

「ユグノーさん……」

 リネも言葉が出ないようだ。

「あ~、一人なのか? よく外に出られたな。まさかカルマトから逃げ出したとか? そんな格好じゃなさそうだけど」

「……」

 ユグノーは黙っていた。

 なんとなく気を使う。

 カダルは陽気に「美女が二人居ると知っていたらおやつは二人前用意したのにな」と口にし、笑い顔を作るが、空気は重かった。

「何か、御用ですか?」

 リネも、やや緊張しているようだ。唇を固く結んでいる。

 元もと、リネは珠洲の村出身。ユグノーはゴッドラムの王族、と立場は違う。ユグノーはカルマトに引き取られ軟禁状態だと聞いていたが、見る限り、それなりの待遇を受けているようだ。

「……別に、その、たいした理由はないのですけれども……」

 ユグノーの声は小さく、聞き取りづらかった。

「あの、良かったらお入りになりませんか。幸いミントティーは十分な量がありますから」

 リネが優しく誘うと、ユグノーはゆっくりとうなずく。

 ユグノーが近づくとシャランと腕輪の鳴る音がした。

 腕輪はたぶんシーアからもらったものだろう、見覚えがある。幾重もの銀をラピスラズリが中央で束ねるように巻かれている腕輪だ。大きめのラピスに黄鉄鉱の斑点がある。この斑点は占星術でいう金星の影響だけではなく、火星の力の支配をも受けている証拠(しるし)らしい。呪術系の者が霊感を高めるためによく使う石だ。

 ヤーウェでは燃える水以外に鉱物もよく採れる。鉱物は磨かれ、装飾やお守り代わりにされた。

 カダルも狩りに出る時はブラッドストーンを懐に入れている。別名を血玉髄(けつぎょくずい)といい、止血効果があるといわれていた。

「それで、ユグノーさんは大丈夫ですか? 痛い目に合っていませんか?」

 リネはまず体調が気になるのだろう。さすが薬師だ。しかしカダルはもしかしたらカルマトから何か探って来いと命令されたのでは、とほんの少し疑っていた。

「私は大丈夫です……あの、カダルさんはいつもここへ?」

「え――俺?」

 カダルは素っ頓狂な声を上げた。リネはまた驚いたのかカダルの方を見る。

 カダルはまさか自分の名前が出てくるとは思わなかったと、目を剥く。何かを探るためならリネに接触しても、自分は関係ないはずだ。

「ひょっとして、わたしではなくカダルさんに用事なんですか?」

 リネが不思議そうに尋ねた。

 すると無言でユグノーはうなずく。

「俺に用があればイスマイールに連絡してくれ。カルマトの屋敷まで会いに行くからさ」

「……カダルさんは優しいんですね」

「あ、いや。なんて言うか」

「ヤーウェでの知り合いはカダルさんだけなんです」

 ユグノーはカダルの目をじっと見つめてきた。紅い目はリネと一緒だが、どこか思いつめたような感じで少し怖くなる。

「こ、ここまで来たのは急ぎの用かな?」

「用がなければ来てはいけませんか」

「い、いや……」

 どうやらユグノーの目はカダルしか映していないようだ。リネはどこか不安そうにしている。

「──寂しかったのです……」

 ユグノーはぼそっと口にした。

「すみません、だからカダルさんの顔を見たくって……この時間は彼女の部屋だって聞いたので」

「あ、ああ。そう……そうか。うん」

 こういう場合どうすれば良いのだろう。カダルは予期せぬ展開に慌てた。冷静を装っているがパニックだ。

「わたし、お邪魔でしょうか?」

「……うぅ、そう来たかリネ」

「はい?」

 リネは笑顔で、カダルの方を見ている。この場合の笑顔は危険信号点滅開始の合図。さすがのカダルにもわかった。しかしユグノーに帰れとも言えない。

 汗がどっと出た。

「リネさんは良いですね。こうして美味しい物をカダルさんに持って来てもらえる」

「え……ええ。それには感謝してます」

 ユグノーはリネに向き直った。

「タエさんは毎日カルマトに来ていますよ。そして難しい顔をして長老と話をして困っている。なのにあなたは、幸せそうですね」

「それは……」

 リネは息を飲んだ。

 ユグノーはどこかリネに敵意を持っているように見えた。

「本当に羨ましいわ。カダルに気を使ってもらい、毎日のように一緒に居る。同じ村なのに、カルマトでは大変なのに」

「……それは」

 リネはだんだんうつむき、辛そうな顔になってゆく。

「現状をわかっているのかしら。私達は連れて来られて捕虜になっているのよ。あなただけが、どうして楽しんでいるの?」

「……」

「私は父を殺され、ゴッドラムを追われた。珠洲(すず)の村では厄介者扱い。ヤーウェでは独りぼっち。ねえ、カダル、私って可哀想すぎない?」

「――えっ」

 ユグノーはいきなりカダルに話を振って来た。

 確かに彼女に責任はないし、王族なのに供の一人も付けられない。他国で辛いことはわかる。しかし本人に〈可哀想〉と言いきられるのは抵抗があった。

「ど、同情するよ」

 カダルはそう答えるのが精一杯だった。

「嬉しい。カダルは私の気持ち、わかってくれるのね」

「……ま、まあ」

「初めて見た時から優しい人だなって思っていたの。カダルさんの黒い瞳は神秘的で温かく、安らぎがあるわ。覚えていらっしゃる? 私『国を思う気持ちも珠洲(すず)の村人のことを思う気持ちも両方持ち合わせていらっしゃる』と誉めたこと」

「ああ」

 確かに記憶しているとカダルはうなずいた。

「私、村で心細かったの。クエーカーが行けと言ったから村に逃げたけれど、ゴッドラムで珠洲(すず)は〈死の村〉と呼ばれていたわ。本当に木ばかりの陰気な暗い村で、カダルさんに会わなかったら、私、今ごろどうなっていたか……」

 ユグノーはか細い声でしゃべる。

 ここでリネが眉を(ひそ)めた。

「ユグノーさんは正直な御方なんですね」

「そうよ。美徳のひとつでしょう」

「……」

 よくわからないが、二人を一緒にしてはいけない。リネが傷つくだけだ。

 カダルはその場の空気を吹き飛ばす明るさで言った。

「ユグノー、外に出て話さないか。不満があれば聞くよ。慣れない国に連れてこられてさ、ストレスたまるよなー」

 もうこれしか方法がない。

 リネはそれを聞くとホッとした顔になった。どちらが悪いというわけではないけれど、リネとユグノーの感性は違いすぎるのだ。

「ユグノー、外へ行こう。ヤーウェを案内するからさ。美味しいジュースや食べ物を売る店もあるんだぜ」

 口にしながら、カダルはリネもいつか連れて行ってやりたいと思った。



 中央大通りの店は軒を伸ばし、少しでも日陰を作ろうとしている。

 太陽は容赦がない。そのためかヤーウェでは飲み物を売る店が多い。家は平屋が多いが、こうした商いの店は二階建てだ。高い位置で風通りを良くし、休憩所として解放している。

 もちろん店によってはそれが大部屋であったり個室であったりし、色々な用途で使われていた。

 途中、色とりどりの布や小物を売る店に立ち寄った。

 最初は「綺麗ですね。ヤーウェの織物は大胆で繊細だわ」と喜んでいたが、だんだんユグノーは無口になって来た。

 やはり疲れているようだ。

「なあ、このあたりでお茶しないか?」

 カダルはユグノーに言った。

 これ以上、街中を歩くことはユグノーに無理だ。暑さに慣れないだろうし、何よりも王族の姫は日中出歩かないと思った。

「私もそろそろそう言いたかったの。そうね、あそこが良いわ」

 ユグノーは珍しく店を指定して来た。

 あまり大きな看板は出ていない。飲み物を意味する瓶が軒に吊るされているだけだ。入口は板に分厚いはめ込みガラスだけのシンプルな店だった。

 さすがのカダルもそこは利用したことがない。一人で来ることはなく、たいてい複数だったせいか、もっと大きな店を使っていた。

「――あ、ああ」

 断るわけにはいかない。カダルはユグノーにうなずく。



 中に入ってみると個人で営んでいる小さな飲み物屋といった感じだ。奥に行くほど広く、細長い造りになっている。

 照明は暗く、隠れ家的な店だ。個人で来る客が多いのかな、とカダルは一瞬思った。一人で静かに飲みたい時はいいだろう。昼間より夜が中心の営業かもしれない。客はカウンターに一人いるだけで、ひっそりとしている。

「何か飲みますか? 酒もありますぜ」

 確かに店にはぶどう酒の樽がいくつか置かれていた。ランプのすすで汚れた天井から、床までの棚には数え切れないほどの酒瓶もある。

「ちょっとお茶って雰囲気じゃないな……どうする?」

 カダルはユグノーに尋ねた。

「あら、私は良くってよ。ゴッドラムでは食事の時にワインをよく飲むの。私、レッドスターというカクテルが好きだったわ。アクアマリンでできた杯に注ぐの」

「?」

 カダルはあまり酒に詳しくない。

 戦士は、たとえ休憩時間とはいえ、昼間から酔う行為をしない。敵にいつ襲われるかわからないからだ。ヤーウェは今の所安全だが、砂漠に住む獣がいつ入ってきてもいいように体制は整えている。

「う――俺は冷えたミント水を。彼女は」

「カダル。飲みましょうよ。軽いものなら平気でしょ。マスター、ここにはラインムンドゥスとかフラメイルはないの?」

 カダルはノンアルコールを頼もうとしたが、ユグノーは腕にもたれ掛かり、拒否をした。彼女は意外にも酒は好きのようだ。

「残念ながらそんなモンは聞いたことがねえ。お勧めは〈熱の花〉という酒だ」

「それでいいわ」

 マスターは薄汚れたターバンを巻き、濃いヒゲを喉元まで伸ばしていた。あまり見ない顔だ。吐く息から強烈なアルコールの匂いがしていた。

「いいのか、結構強い酒だぞ」

 砂漠は夜冷える。〈熱の花〉寝酒にほんの少量飲むたぐいのものだった。

「ヤーウェのお酒って、一度飲んでみたかったのよ」

「上に持って行くか?」

 マスターは当然のようにユグノーに尋ねる。

「もちろんよ。見晴らしの良い個室が良いわ」

 なぜかユグノーはあっさりとマスターに答えた。カルマト達に連れて来られたことがあるのだろうか。カダルはちょっと不思議に思えた。

「一番奥が開いているぜ」

 マスターはぶっきらぼうに酒瓶から、薄汚れたガラスのコップに酒を注ぐ。酔っているのか半分は零したようだ。

「――本当にいいのか?」

 カダルはもう一度ユグノーに声を掛けたが、彼女はその時にはもうコップを二つ受け取っていた。



「まずは乾杯しましょう」

 ユグノーは部屋につくなり、カダルに酒を渡した。

 まるで人が変わったように陽気で積極的だった。もともとこういうタイプだったのかもしれない。事情が事情だったから、暗く沈んでいたのだろう。

「まあ、喜んでくれたならいいけど……」

 なんとなく納得できないが、仕方がない。カダルは次期長として厳しく育てられ、あまり女性に縁がなかった。女性心理にはうとい。

「だけど昼間っから飲むのはなあ」

 カダルはほんの気持ちだけ〈熱の花〉を口に含んだ。

 ユグノーは、というと部屋の隅で何やらごそごそしている。

「どうかしたか?」

「別に。ムード作りよ」

「は?」

 ユグノーの言葉の意味はすぐにわかった。彼女のいた場所から甘い香が漂って来た。花かと思ったが、少し違う。甘さの中に苦味のようなツンとくるものがある。

「香を()いたの。いい匂いでしょう」

「……ああ、まあ」

 本当のことを言えばちょっと鼻につく。だがユグノーが好きならば仕方がない。カダルは我慢した。そして周囲を見渡す。

 二人が通された部屋は八畳ほどの横に細い間だった。自由に座ったり寝転んだりできるよう床に毛足の長い絨毯が敷かれている。思ったよりも豪華だ。色つきのランプも、ちょっとここらでは見かけない品だし、壁も煉瓦がむき出しになっているのではなく漆喰で塗り固められ、絵が描かれている。原色で何が描かれているかわからない。なんだか廻っている。

「――?」

 廻る?

 カダルが首を傾げていると、ユグノーは風を取り入れている大きな窓にカーテンを引いた。

「香が逃げちゃうでしょ」

「……あ?」

 ユグノーが笑っている。

 ユグノーが笑っている。

「ほらほら、手に持ったお酒を飲んで」

「……う、うん」

 ユグノーが。

 ユグノーが。

「飲む、んだよな」

「そうよ。カダル」

 カダルはコップの中身を一気に喉に流し込んだ。

 なんだったっけ。カダルはふと思い出した。確かさっきリネに説明しようとしていた。くしゃみは噂された時に出る。あくびは思い出し笑いされてる時で、しゃっくりは、期待されている時。それから。

 そう。

 そうだ――夢占い。

 女の子が好きそうな占い。


 その時、薄く紗が下りたような視界が揺れた。身体が動かない。

 デンジャーの毒か?

 違う。息苦しくない。酔いがまわっただけだ。

 カダルは横にころんと転がった。目を開けているのに何も映らない。白昼夢を観ているようだ。

 夢――

 空から羽が降りてくるのは祝福の夢。誰かに微笑かけるのは恋の夢。人を好きになった証拠。

 そうだ、言いたかったのはそれだ。

 教えてあげよう、リネに。俺は見たんだって――リネはどう思うだろう。



「カダル。私、愛しているの」

 遠くで声が聞こえた。



読んでいただきありがとうございました。


次は15Rでぶっとばします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ