ヤーウェ・会話(Ⅱ)
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
ゴッドラムでは絨毯といえば毛織物の一種で、経糸と緯糸を使い模様を織り出している。それに比べヤーウェは毛足の長い動物の皮を使っていた。家具もあるが、こちらでは床に直接座ることも多い。そもそも床自体が砂避けのためか少し底上げした型になっている。外壁は煉瓦なので中に入ってみなければわからないだろう。
「やはり国の違いは顕著ですね。僕はこの床座りというものが、どうも慣れません」
アリウスは目の前のドルーズの部族長に言った。彼は気を使ってかアリウスに一人座りの椅子を用意してくれている。
部族長は床に座っているため、頭の高さは違っていた。それはまるで立場を象徴しているようだ。
「ヤーウェは信頼の証として、同じ位置に腰を下ろします。よって部族会議などは円座です行われていますよ」
「じゃあ僕は信頼されていないのですか?」
「い、いいえ、そんなことは」
ドルーズの部族長は慌てて首を振る。それを見てアリウスは唇を上げる。
彼はどちらかというと小心者に当たるだろう。堂々とゴッドラム反政府と手を組み、それを隠さないカルマトとはえらく違う。
安全確実の政策としてゴッドラムと手を結ぶことは同じだが。
「……冗談ですよ」
「ふぅ。驚かさないで下さい。アリウス様」
「こちらでは〈キリト〉で通っていますので、その名前では呼ばないで下さいますか」
「あ――」
大げさに口を塞ぐ部族長は少し滑稽だった。
ゴッドラムはどちらかというと、こういうオーバリアクションをする者はいない。背筋をはり、相手に顔色を読まれないようにする。それが普通だ。
反対に砂漠の国ヤーウェは、大らかのようだった。初対面なのに妙に馴れ馴れしい者もいた。
「……カダル……」
「は?」
「いえ、思わず口にしてしまいました。関係ありません。話を続けて下さい」
アリウスは椅子に深く座りなおした。
「はい。我らドルーズはカルマトの暴走を止めようと時間稼ぎをしております。部族会議では身勝手さを責め、動きを封じ、ゴッドラムとの武器貿易を止めるのに成功しました」
ドルーズの部族長の言葉にアリウスはうなずく。
「今回の指導者がドルーズ派で良かったですよ。カルマトだと一気に敵対関係になりますからね」
「……はい」
ドルーズの部族長はゴクリと唾を飲み、ため息を漏らす。
アリウスは目を細め、許しを請う者に慈悲を与えるように手を伸ばす。
「安心して下さい。武器輸入はどちらにせよ失敗でしたから。反政府は焦るあまり、不慣れな武器に手を出し、エライ目にあっているという情報が入っています。ヤーウェの剣は大きく破壊力もありますが、ゴッドラムの剣に慣れた者は重く使いこなせないようです」
アリウスは国を出ることを極秘にしていた。表向きは父と海近くの別荘に行っていることになっている。
それは命を狙われているというからでもあり、反政府組織の動きを探るためでもある。探るには泳がせ、遠くで見ていることが最善だと思った。
彼らは海の別荘を襲うかも知れない。しかしそこにアリウスはいないのだ。実害はない。
もし現王が襲われたら?
そんなことはアリウスにとって大した問題ではない。
「失敗、でしたか。今のところカルマトが従っているのはそのせいですね」
ドルーズの部族長は納得したようにうなずき、「それでも火種は転がっています」と付け加えた。
「そうですね。デンジャーの特効薬ができなければ民は納得しない。納得しなければ部族を超え、カルマトに走る」
「……はい」
「そんな不安な顔をしないで下さい。部族会議では国は動くのでしょう。カルマトに流れが行く前になんとかするのです」
「はあ」
「もうひとつの部族、イスマイールを味方につけることです。そうでなければ勝ちはありません」
アリウスは断言した。
まずは数で制することだ。この国では多数決に意味があるらしい。
最後は血を流さなければいけないかも知れないが、それまで優位に立つのが当面の目標だろう。負ける争いは性に合わない。
「――珠洲を欲しがった時点で、ヤーウェの崩壊が始まったのかも知れませんけど……」
「え?」
「別に。単なる感想です」
ドルーズの部族長は、こちらが驚くほど目を剥き、顔色を変えた。本当に考えていることが手に取るようにわかる。
アリウスは軽く笑った。
「いや、お気になさらずに。軽い冗談ですよ。昨日、同じことを口にしました。僕はその後に『その崩壊をこの目で見たくて来たんですよ』と言いましてね」
「相手はどういう反応でしたか?」
ドルーズの部族長は、身を乗り出すように、アリウスに迫って来る。
「黙っていましたよ。彼らはジョークに取ってくれたかな?」
アリウスはあの時の部屋の空気を思い出し、微笑んだ。
「その……相手は誰、ですか」
「イスマイールのカダル。それと珠洲の村の薬師です」
アリウスはなぜかリネの名前を直接呼ぶのはためらわれた。
幸い、ドルーズの部族長はそんなことは気に止める様子はない。引きつった笑いを浮かべているのは、どういう表情をしてよいかわからないからだろう。
アリウスは潮時だと感じた。
「――今日の会見はここまでということで。行かなければならない所があります」
「ど、どこに?」
「軟禁されている娘の所ですよ。村人に頼まれたのでね。村の信用を得ている方がやりやすでしょう。あ、山の方には部下を二名置いていますので、そちらの情報が欲しければ、いつでも言って下さい」
アリウスは笑ってドルーズの屋敷を出た。
珠洲のタエ達はたぶん――カルマトの自治区に居る頃だろう。まだ長老と話し合いをしているらしい。結論は出ていないようだ。聞いたところによると珠洲の村の合併は、反対派とあきらめ派にわかれているようだ。そしてそのどちらもが、長老の受けた暴行に腹を立て、反発しているらしい。
捕虜に暴行だなんて愚劣な行為だ。自害でもされたらどうするつもりなのだろう。殺すには殺すタイミングがある。
カルマトは力で押しすぎるとアリウスは思った。
「それぞれに個性がありすぎますね」
それが今後、気になるところだ。
ヤーウェの国は〈勇者なるカルマト〉〈敬愛するイスマイール〉〈慈愛あるドルーズ〉という独立した部族としてそれぞれの地域を治めている。もちろん仕事や役割で混在する地域もあるが、住む場所も違い、通りで隔てられているようだ。
もちろん水源の多い場所は部族長関係者だった。砂漠では水の利権がさぞかし大変だろう。
アリウスは腕組みをしながら中央大通りへ出た。ここは店が軒を並べる部族不干渉の場所だ。服や小物など身の回りの物や、食物が、色々と売られている。
ターバンを巻いた男や砂避けのフードを被った老若男女が連れ立って品定めしている。
アリウスは紅い目をしているのでそれなりに目立つが、じろじろとした視線は感じない。むしろ事情を知り、避けてくれているようだ。
デンジャーの毒は怖いが、珠洲の村にも同情的――といった所だろうか。
キリトでいる限り、ヤーウェの民は友好的のようだ。
「ま、これからどう駒を進めるか。相手しだいですね」
アリウスはリネが軟禁されている家に向かおうと左に曲がる。と、前方にユグノーが歩いているのが見えた。それも女性と二人だ。
アリウスは反射的に店の陰に身を隠す。店は布を商っているようで、隠れるには充分な影があった。
先にアリウスは気がついたのは、後方ということもあるが、髪のせいだ。砂漠の輝ける太陽の下、銀に近い彼女の髪は反射して目を射る。アリウスは黒に染めていた分、太陽の告発から免れた。そうでなければヤーウェの服装をしているユグノーに気がつかなかったかも知れない。
「さすがに今、顔を合わせるわけにはいきませんからね」
アリウスはホッと胸を撫で下ろす。まさかこんな場所でユグノーに出会うとは思わなかった。彼女はカルマトにリネと同じく軟禁されていると思っていた。
アリウスは先入観を恥じた。騒がれると立場上、ややこしくなる。要注意だ。
「しかしこの方向は……」
どうやら彼女達の足の先はイスマイールが管理している地区のようだった。
ぎりぎりまで近づき、アリウスは様子をうかがった。
声は聞こえないが、派手に耳飾をつけた女が何やら渡しているように見えた。
「……香炉?」
アリウスの目にはそれが銀の飾り香炉に見えた。
ユグノーを連れているところから見ると十中八九、カルマトの関係者だろう。その関係者がなぜユグノーに?
アリウスは耳を凝らした。
「………わね、しっかり。……を焚けばいい」
「でも……」
「そのくらい、女でしょ。あなたも………を味方につけたいでしょ」
風向きが変わったせいか、途切れ途切れに内容がわかった。
女はユグノーに香炉を使えと言っている。それもイスマイールの誰か、に。
〈誰〉はわからなかったが、想像はつく。
『ねえ、お父様が言っていたけど、おば様って、おじ様の地位がめあてで、寝取ったんですって?』
アリウスは母が受けた屈辱を忘れない。もちろんユグノーはまだその時には子供で、意味をすべて理解していたとは思えない。が、母が真っ赤になりうつむくと『やだあ』と面白半分にはやし立てた。
『生まれが卑しいと、そんなこと考えるんだあ』
大人達に何を言われても平気だった母は、この後に声を殺して泣いた。
あれから何年経ったのだろうか。何も知らないお嬢様であるユグノーは、自分がその立場になることなど想像しなかっただろう。母は無実だったが、彼女は自らその罪にまみれようとしている。
「……」
カルマトが欲しいのは、もうひとつの部族イスマイールだ。自分達の立場を守るために押さえて置きたいだろう。
ユグノーはカルマトに命令されたこともあるだろうが、自分が一番可愛い。その自分を守るためなら何でもするに違いない。もしかしたら進んで提案したかもしれない。
「両者が手を組んだ、ということですか」
アリウスは小さく舌打ちをした。
おそらくユグノーに渡したのは媚薬入りの香炉、だ。
女が女の立場を最も強くする方法を使おうとしているのだろう。
ユグノーはゴッドラム反政府の象徴だ。彼女を巻き込んでコトを起こすとは良く考えた策だ。たぶんアリウスでもそう考えるに違いない。
あの男なら、責任を取れと脅せば従いそうだ。単純で真っ直ぐなあの男なら。
「カダル――あなたはどう出ますか?」
アリウスは想像して笑いをかみ殺した。
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