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ヤーウェ・アリウス降臨

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

 ブナやケヤキ、シラカシなどの樹木が無残に折れている。まるで腕をもがれた人が無言でたたずんでいるようだ。苦しみと叫びが周囲を包んでいる。

 クヌギは根を残して伐採され、コナラはまだ実をつけたまま地面に放置されていた。

「思ったより手が入りましたね……」

 アリウスは独り、つぶやく。

 山は地肌がむき出しになっている。

 ゴッドラム側の山道はまだそのままだが、ヤーウェ側の樹木はかなり痛々しく見えた。よほど急いで道を拡張しようとしたのだろう。山に無理をかけ、荒れてしまったようだ。

 伐採され、透けた葉陰から陽が矢のように地面に突き刺さっていた。

 木々が成長するのには長い時間がかかるが、消滅するのは息を吸うよりも早い。

 アリウスは黒く染めた髪を掻き揚げ、珠洲の村の集会所前に立った。アリウスの後ろには同じく髪を染めた若者が二名付き従っている。

 三人は共に膝革のキュロットにロングブーツ、ハイネックのシャツに短いベストを着ている。ゴッドラムでは馬で遠乗りなどをする時に着る一般的な服装だった。

「……」

 わかっていますね、とアリウスは後ろの二人に目配せをする。そしてゆっくりと集会場の扉を開けた。

 扉の向こうではターバンをつけたヤーウェ人が村人相手に手紙を読み上げている所だった。

「――というわけで、長老の世話をする者を派遣せよ。高齢ゆえヤーウェとの交渉役も必要だ。これはヤーウェのイマームが許可した正式な要請である」

 ヤーウェは入って来たアリウス達をちらりと見たが、それほど気にしている様子はない。むしろ村人達が見慣れない人間に驚いた顔をみせた。が、さすがに声を出して騒ぐ者はいなかった。

「夕方までに、人選しろ」

 ヤーウェ人はそれだけを口にするとアリウスの横を通り、大股で外に出て行った。

 後には無言で座り込む村人が残る。誰もあきらめたように動こうとしない。重い空気が漂っている。

 アリウスは優しく「みなさん大丈夫ですか」と声をかけた。

 こんな時、紅い目と黒い髪は便利だと思う。何も言わずとも同士だと思ってもらえる。ゴッドラムの髪質は染まりやすいが、それを知っている村人はいないだろう。

「どなた、ですか?」

 ひとしきりざわついた後、タエが立ち上がった。

「ああ、実は僕達はゴッドラムに在住している者です。大っぴらには言えませんが、珠洲の村に捨てられることを免れた隠れ人です」

「……かくれびと?」

「詳しくはご容赦下さい。ゴッドラムに隠れ住んでいます」

「その隠れ人がどうしてここに?」

 タエも村人達も信じられないが、嘘だと言い切る自信もない、そう言いたげに見えた。

 村人の中にはゴッドラム出身の者もいるが、ハーフではなく駆け落ちで村に住みついた者がほとんどだ。地下組織を匂わされても知らないだろう。皇子として顔を知られているかもしれない、という危惧はある。しかしまさか変装してここに来たとは思うまい。

 アリウスの大胆な行動はあらゆるリスクを計りにかけてのことだった。

「村がヤーウェに吸収されるという噂を聞きました。中立であるからこそ珠洲(すず)の村なのに。理不尽さに腹が立って」

 アリウスはタエの目を真っ直ぐ見て訴えた。

「はあ……」

「我々は同じ血を分かつ者としての苦しみを共有しています。何かお手伝いできないものかと思いまして」

「……」

 タエは他にいる村人と話始める。

 いきなり現れて「力になる」といっても困惑するだろう。

 ここまではアリウスの想定内の反応だった。

「山は僕達ゴッドラムの隠れ人にとっても聖地なのです。守らせて下さい。僕はリネさんに命を救ってもらいましたし」

 アリウスはここぞとばかりに一歩前に進み、彼女の名前を出した。

「えっ、リネが?」

 村人は知った名前が出たせいか、アリウス達を見る眼が変わった。

「リネを知っているのですね」

「彼女には祈りで滝の水を出していただきました。出血は酷かったですけれど一日で傷は塞がりました」

 嘘はついていない。

 あの水はどんな薬より効いた。

「……そうなんですか。リネが助けたのですか」

 タエはそれだけでアリウスを〈まったくの他人〉から〈近しい者〉に見方を変えたようだった。

「色々とありましてね。とにかく隠れていては埒があかない。村や山を守るために立ち上がろうと――つまりヤーウェの野望を挫こうと考えました」

「わかりました。村としてもとてもありがたいです。とにかく今は混乱していまして……ええと、お名前は」

「隠れ人代表者、キリトと申します。よろしくお願いします」

 もちろん偽名だ。ゴッドラムに〈隠れ人〉はいない。

 アリウスは柔らかい微笑みと共に優雅に一礼した。

 恐怖と緊張が去った後だけに村人は、その笑顔に魅了されたようだった。




 リネはゆっくりとミントティーを口に運んだが、飲むまではいかない。食欲はあるものの食べる気にならず、残すことが増えている。いつでも逃げられるように身体だけは整えていたい。が、心は半分折れているということだろうか。

 リネは不安と心配で自分が千切れたように感じていた。

「長老は……村は……」

 独り言が増えた。

 カダルは毎日訪ねて来てくれるが、内情は教えてもらえない。話し合いで解決しようとしているらしいが、上手くいっていないようだ。

「ふう……」

 何度目かのため息をついた時、扉がノックされた。

「リネ――ちょっと会わせたい人物がいるんだ」

 カダルの声がした。会わせたいって誰だろう。まさか長老だろうか。でもそれなら回りくどい言い方はしない。リネは不思議に思いつつも扉を開けた。

「リネっ!」

 開けると同時にタエが飛びついて来た。

「会いたかった。大丈夫? 元気にしてた? 心配してたのよ、あれから」

 あまりの早口に驚いてしまう。

「タエ、なぜここに? 山にいたんじゃなかったの」

 リネは久しぶりに会った嬉しさ懐かしさと安堵感に涙しそうになった。しかし泣いている場合ではない。無理に目に力を入れ、元気に笑ってみせる。

「何から話そうかしら。村に命令が下ったの。長老の世話と合併の調印式について。それで私達で来たの」

 タエはリネの肩を抱き、手を握る。さりげなく脈をはかっている所は薬師のタエらしい。

「長老の世話、ってどこか悪いの?」

 リネはタエの言葉に引っかかった。

「食事しないんだ」

 それにはカダルが答えた。

「カルマトが噛んでいるから俺達イスマイールはどうしようもできないんだけど、どうも合併を拒み、ハンガーストライキしているらしい。あの爺さんらしいよ。きっと命に代えても村を守ろうとしているんだ」

 カダルは「それでさすがのカルマトも白旗上げて村人を呼んだらしい」と続けた。

「タエさん達はイマームの監視の下、ドルーズの部族が世話をしている。時間制限なしで出入り自由なんだ。だから好きな時に合える」

「そうなの?」

 カダルによるとリネはイスマイール、長老とユグノーはカルマト、タエ達はドルーズと三つの部族に分散しているらしい。

 その部族や立場により扱いは違う。リネは客人として軟禁されているが、タエ達は世話や合併のために連れて来られたため、割りと自由に出歩けるらしい。

「リネ、さっき長老に会って来たの」

「で、どうだった?」

「頬がこけて、しゃべるのも辛そう。歯が二本も欠けているの」

「――ま、ここでは何だから続きの話は部屋で」

 長くなりそうな話に、カダルが部屋の中へいざなった。

 そこでリネは二人の背になって見えなかったが、誰かいることに気づいた。そういえばさっきタエは「私達」と言っていた。


「――え?」


 逆光で髪が一瞬金色に見えた。

 そう――金色に。

「ああ、キリトさんも来ていただいたの」

 タエは何ごともないようにリネに言う。

 心臓が大きく鼓動した。


 キリト?

 誰?


 リネは一瞬戸惑う。が、慌てて「いらっしゃい」と彼を招き入れた。

 ――アリウス

 忘れもしない。髪を染めていても彼だけは間違うはずがなかった。


『デンジャーという猛毒を手に入れ、政敵を一掃しようとしています』と告げ、リネに『あなたを殺せると思える時間を下さい』と言った男。


 よくわからないが、カダルはタエとキリトを珠洲の村の住人だと思っている。タエも口ぶりからキリトを味方だと考えているようだ。

 もし二人がゴッドラムの人間だと知ったらどうするのだろう。どうなるのだろうアリウスは。

 心臓がまた大きく跳ねた。

 リネはアリウスに強張った笑顔を見せた。

「お久しぶりです、リネ」

 アリウスは本当にさりげなく、まるで友人の家に立ち寄ったように自然で、リネを混乱させる。

 わからない。

 助けに来てくれたことでないのは確かだ。

 ヤーウェの偵察か?

 でもいきなり乗り込んで来るだろうか。

 ゴッドラムでは奇襲をかけられていた。命を狙われているのに、もっと危険なヤーウェに来た。

「……」

 アリウスのことだ。きっと何かあるのだろう。

 リネはとにかく彼をキリトだと思い込もう決めた。彼のことをカダルに言っても村は救えない。へたをすればアリウスは殺されるだろう。

 わたしが――口をすべらせれば……

 リネはぞっとした。

 アリウスは自分がリネにばらされないと確信し、キリトと名乗っているに違いない。

 ずるい人だ。

 するい人。そうわかっているのに、突然の出会いはリネの心臓を大きく揺さぶる。頭は凍えるように冷えていくのに頬が熱い。

 リネは手を強く握り締め、自分を保とうとした。

「どうした、リネ?」

 カダルは不思議そうにリネに聞く。

「……いいえ、何でも」

 リネはつとめて明るく振舞った。

 アリウスの視線が痛かった。


「一緒に村を守ることを考えませんか、リネ」

 アリウスの言葉はとろけるように甘く、どの悪魔よりも魅惑的な残酷さを帯びていた。



読んでいただきありがとうございました。


しばらくヤーウェの国での出来事となります。

やっと三人揃いました。これからもよろしくお願いします。

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