ヤーウェ・カダル
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
イラストは山吹様からいただきました。
ヤーウェは砂漠に三方を囲まれている。時おり激しい砂嵐が竜巻を伴って縦断していた。それゆえ、砂を防げるように高い城壁で覆っている。
ただ、城壁はそのためだけでもない。砂の海には〈火竜〉という大型生物がいた。形は背びれのあるヘビだが、大きな羽を持っている。体長は十メートル前後。人間を丸呑みする危険生物だが、そこからとれるウロコや背びれは剣や盾など武具になった。
主要家ほど水に恵まれた山方に住み、一般人ほど危険度が高い砂漠に近い。
乾いた煉瓦を積み上げた家は隙間なく建てられ、人々も砂避けのためのベールやマントを着用しているものが多かった。
土地は乾いているため、農業ではなく畜産が主で、豊富な鉱石、燃える水――石油に従事している。
水脈である井戸を管理しているのは、カルマト、イスマイール、ドルーズという三つの部族で、イマーム(指導者)は四年ごとの持ち回りになっている。
主な決定は部族長会議で行われていた。
イスマイールの屋敷、玄関横には火竜の頭蓋骨がモニュメントとして飾られている。大口を開けで迫るそれは訪れる者を圧倒させるには充分だった。
周囲には数少ない黄色い果実がなる木が、見渡す限り植えられている。ここは山近くで、砂漠国でありながら豊富な緑があった。
「カダル様、もうお帰りで? ゴッドラムの戴冠式は行かれたのですか?」
カダルの後を長い髭の男が追いかけている。
「ああ、あれ。なんかメンドくさくなった」
カダルは絨毯の上を大股で歩く。
「一人で行かれるから……あぁ、だから爺が付いてゆけば良かった。途中で引き返して来られるなんて長に何と説明すれば」
「親父は関係ねえっ」
カダルはイスマイールという部族に属している。
三部族は考え方も手法も違う。あえていうならカルマトは戦闘を得意とする革新派、ドルーズは知的な保守派。イスマイールはその中間だった。
〈勇者なるカルマト〉〈敬愛するイスマイール〉〈慈愛あるドルーズ〉というのが正式名称だ。
「カルマトやドルーズの奴らも代表を向かわせているじゃないか。俺だけ行かなくとも問題ない。戴冠式だってあのヘタレが王位をやっと得たというだけのことだろう」
ゴットラムは暫く王位継承権で揉めていた。長男が粗暴な性格で次男が毒殺したという噂があった。それゆえ一番無難で国民受けする三男が王位を継いだ。
今回、カダル達が呼ばれたのはその戴冠式の為だ。カダルは父の名代として出席の予定だった。
それが珠洲の国で子供を助けたことによって調子が狂ってしまった。元々、望んで行きたがったわけではない。ただ今後のことを考えての出席だった。だが、カダルは珠洲の村で国の足元が見えたらそれどころではなくなってしまった。
「欠席理由はどうすれば良いのでしょう」
「ヘソで茶を沸かして火傷したとでも伝書鳩で伝えろ」
「とほほほ、でございます」
爺は泣きそうな顔でため息をついた。
「密偵によれば新王となる者はたいしたことがないということでしたが、その息子のアリウスはなかなかの切れ者だとか」
「――アリウス?」
当たり前だが、仲良くしていると言っても常にゴットラムは監視している。
「カダル様と同じ二十二です。なんでも今度の戴冠を影で仕切っているのは彼だそうです。現在、紋章院総裁だと。今後のことを考えれば、繋がりを持っておくべきかと思います」
「知らんっ」
カダルは荷物を爺に押し付けた。
「それよりも紅い目の子供を見た。珠洲の村の人間じゃねえ。どうみてもヤーウェの民だった。どう思う?」
「……」
「答えられねーってか」
「……今回戻られたのはそれが原因でしたか」
「答えにすらなってないぞ、爺」
「それは、カダル様が知らなくてもよいことですから」
「つまりイスマイールも、他部族と同じく排除しているんだな」
「……」
爺は黙ってただうつむいていた。
たぶん、珠洲の村でリネという女性が言っていたことは本当なのだろう。だから口にできない。排除し、なかったことにする――カダルも知らないだけで同罪だったのだ。国をあげて存在を消していたのだから。
「なんか……無力だな、俺は」
カダルは拳を作った。
リネと固く約束した。だがどこから手をつけていいかわからない。
次のイスマイールの部族長になるのはカダルだ。そして代表であり指導者であるイマームにもなるだろう。しかしそれまで二十年はかかる。
「とにかく、このままじゃいけない。親父に直訴して来る。掟では婚姻は自由だったよな、なのに」
カダルは父の部屋に向かおうとした。
「カダル様、そんなことでは国は保てません」
「どこがっ。束縛からは何も生まれねえ。そう教えた者が正反対のことを主張するんじゃねーよ」
爺はすがるようにして止める。しかしガダルは乱暴に手を払った。
「どけっ!」
荷物が床に大きな音を立てて散乱する。
「――どうした、うるさいぞ」
その時、部屋と部屋を隔てている暖帳が上がり、長い髭の男が入って来た。ターバンもマントも生成りではなく金色の刺繍をしている。背中にはヤーウェの力の象徴でもある火竜が描かれていた。
「親父っ」
カダルの父、現イスマイールの部族長だった。左足が悪いのか、少し引き摺っている。
「カダル様、息子とはいえ長を呼ぶ時には」
「わかってるよ。敬愛するイスマイールの長、教えて下さい」
「いきなり何だ?」
カダルは長の前に膝をついた。
「俺、人はすべて平等であると教えられて来ました。誰からも縛られず、誰も縛らず、そして掟では婚姻は自由だとありました。人間として認め合っていれば良いと」
「それがどうした」
「珠洲の村は混血でできていると知りました。どうしてこんなことになったのですか。駆け落ちしたり、子供を捨てたりしなければならないことなんて、本当に平等なら起こらないことでしょう」
カダルは珠洲の村で出合った人々を思い巡らせた。はかなげで、それでいて芯のしっかりしていたリネ。遅いから泊まって行けと言った長老。世話をしてくれた夫婦。みんなみんな紅い目と黒い髪をしていた。
「だからそれがどうした?」
「おかしくはないのですか」
「お前も言っただろう婚姻は〈人間として認め合っていれば〉縛られることはないと。そういうことだ」
「では、ゴッドラムは人間はとして認め合えないと?」
「敵は笑顔で近づいて来る。恋愛のふりをして密偵だということもありうる。戦争は何も武器を持ってするものではない。相手の自滅を待つという方法もある。婚姻は自由だが、ゴッドラムに気を許すことは滅びの道をゆく」
「……っ」
情けないが今のカダルにそのことを完全否定はできなかった。
表向き、ゴッドラムとは友好関係だ。貿易上、必要なパートナーだといえる。しかし生活に必要な〈塩〉は充分というほど手にできない。足元を見て値段を吊り上げて来ることもあった。
「し、しかしその間の子供……混血児まで見捨てることは納得できません」
「人間は情に流される。子を成したということは身も心も相手方に取り込まれかねないということだ。その原因を排除するのは掟に添っていると理解している」
「……」
カダルは唇を噛んだ。
心の中で反論を考える。しかし今は何を言っても通じない気がした。
くそ、くそ、くそ。
カダルはリネの少しはにかんだ微笑を思い浮かべる。
「――大変です!」
その時、使用人の一人が部屋に飛び込んで来た。
「……あ、敬愛するイスマイールの長様」
「かまわん、何だ。わしか、それともカダルに用か?」
「あっあの、カルマト部族長の一番下の息子様がサソリにやられまして、こちらに解毒薬がないかと」
ターバンの色からしてカルマトの使用人のようだった。
「解毒薬なら各家に充分備蓄してあるだろう」
爺が代わって答えた。
しかし使用人はうなだれた。
「それが……尾が二つに割れている新種のやつで。あいにく」
「なんてことだ、デンジャーか」
爺は絶望的だと頭を振る。
普通、サソリ目の節足動物は鋏角と歩足は四対。腹部の後半は細長く尾状となり毒針を持っている。
最近、二対の鋏角と尾が二本ある新種が砂漠に現れて来た。毒性が強く、以前の解毒薬では歯が立たない。そのサソリはデンジャー〈危険〉と名づけられた。
「あれはうちでもまだ……」
爺は言いにくそうにつぶやいた。
正確にはまだ使える薬はどこにもない。それがわかっていても助けを求めずにはいられなかったのだろう。
「ちょっと待った」
沈む会話にカダルが口を挟んだ。
「カルマトの一番下の息子というとまだ十歳だったな。効くかどうかわからない。だが万能薬を持っている。これって試してみる価値があると思わないか?」
「そんな薬、どうして持っておるのだ?」
「敬愛するイスマイールの長、そんなチンタラとしてる場合じゃねーみたいだ。とにかくカルマトん家に行って来る」
カダルはカルマトの使用人の手を取り、部屋を急いで出た。
カダルがカルマトの館に着いた時には、もう最後の挨拶をということで、一族がほぼ全員集まっていた。
カルマトの長と長兄は戴冠式に出席している。
「おぉ、もうどうすれば」
「長が不在の時に……」
みんな嘆きを口にしている。
「嘆くはまだ早いぜ」
部屋の隅には祈祷師がブツブツと祈り、御香を焚いていた。
十歳の末弟は部屋の中央で、丁寧に梳かれたラムの絨毯の上に寝かされている。
「いつからだ?」
「十五分ほど前です」
「ギリギリという所か」
この毒は神経と呼吸中枢をマヒさせる。三十分後の致死率は百パーセントだ。末弟は呼吸をしているのかどうかわからない。もう顔色は土気色だ。右腕を縛っているところを見ると、そこを噛まれたのだろう。傍らに医師が天井を見つめて力なく座っている。
「ここに入っているものを数分でいい、煎じて飲ませてみてくれ」
カダルは怒鳴った。
「な、何ですか」
「いいからっ」
カダルは青い瓶を泣いている使用人に無理矢理に渡たす。
「――もしや?」
そう言ったのは末弟にすがり付いているカルマトの長の妻だった。年はまだ三十半ば。長の後妻で、唯一の子供がこの子だった。
「解毒薬ですか? 解毒薬なのですねカダル」
後妻――シーアはほろほろと大粒の涙を流している。
「まだ効くとは限らない」
「……ああ、あぁ、神よ」
「シーア様、俺も祈るから」
カダルがシーアを慰めていると、奥から煎じられた薬が届いた。
使用人はうやうやしく青磁の器をシーアに差し出す。中には透き通った液体がきらきらと輝いていた。
「飲ませてみてくれ」
「ええ」
シーアがスプーンで乾いた唇に少しずつ薬を流し込んでゆく。
薬は三分の一ほど頬に流れたが、その他は飲み込んだようだ。
「……どうかしら」
「まだわからない。様子をみよう。なんといってもあのサソリなのだから」
カダルはぬか喜びにならないように身構えた。
「……」
ややあって末弟は一度大きく息をした。と同時に、ほとんど動かなかった手をぴくりとさせた。
「気がついたの?」
「いや、さすがにそれはまだのようだが」
息を吹き返すと土気色だった頬にだんだんと血の気が蘇って来た。心なしか呼吸も楽になった気がする
薬を与えてから五分、といったところだろうか、横に控えていた医者が目を剥き、信じられないといった顔をした。
「ああ、神よ、感謝します……カダルこの薬は? イスマイールはあのデンジャーの解毒薬をもう作ったのですね?」
シーアが喜びを隠さず、カダルに訊ねてきた。
「いや。あれはたまたま俺がもらったものだ」
「もらった? 誰に? お礼を言いたいわぁ」
「……それが……珠洲の、薬師に」
カダルは口籠もった。ふと嫌な予感が胸をよぎる。
「まあ、あんな村に」
シーアは驚き、口を歪めた。
「く、薬に関してはヤーウェより上だ。万能薬を作ることができる。珠洲の村を下に見ないで欲しい」
「あら素敵、万能薬ですって?」
シーアは目の前の息子を忘れたかのように薬に興味を示した。
「万能薬があんな村にあるなんて宝の持ち腐れのようなものねえ」
「そ、そんなことは」
うふふ、と笑うシーアの目には妙な光があった。
カダルはぞっとした。
「それがヤーウェにあれば便利ねえ。もうサソリに脅えること、ないんですもの」
「……」
「デンジャーの解毒をする薬。カダル、それこそ私達が待ち望んでいるものよねえ?」
何と答えようか迷っていると、末弟が目をさました。
周囲の者が喜びの声をあげ、嬉泣きする者もいる。医者はただ「奇跡だ、奇跡だ」と叫んでいた。
そう、奇跡の水で作った万能薬の当たり前の力だ。カダルが目にしたのは二度目だが、デンジャーの毒にまで効くというのは驚きだった。
「本当に素晴らしい薬だわぁ」
ねっとりと絡むような視線をシーアが送ってくる。
歓喜に湧く中、カダルはもしかしたら自分は大変なことを教えてしまったのではないか、と冷たい汗が流れた。
読んでいただきありがとうございました。