珠洲の村・決闘
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
リネはただ目の前にいるアーヒラを睨んでいた。そうすることしかできない自分が惨めだ。カダルから汗が一筋、額から顎に流れ落ちるのが見えた。
「あなたは、本気なんですか――アーヒラさん」
堪らずリネは口にする。
アーヒラは緊張の中なのに、どこか笑って楽しんでいるようだった。
「はあ? 本気?」
「病み上がりのカダルと本気で決闘する気なんですかっ」
腕の中のカダルはまだ完治にはほど遠い。息を吹き返しはしたものの、毒の影響は計り知れないダメージを残している。滝から戻る時もまだ戸板に乗っていた。降りたのはヤーウェの武装した民を見た時だった。
無理をしているのは手に取るようにわかる。腕を通して荒い呼吸と早すぎる脈がわかる。わかるがゆえに辛い。
「あなたは……誇り高い砂の民でしょう!」
リネは怒りを込めて言った。
「だよねー」
しかしアーヒラの態度は軽く、どこか他人事のようだ。手ごたえがなく、羽虫のように捕まえられない。
「その男は、義理母に、頭が上がらないんだよ……」
急に腕の中のカダルが口を開いた。
「アーヒラは、そこのシーアに――育ての親に惚れていると……もっぱらの噂だ。ま、不仲より、懐いている方が丸く治まると、勇者なるカルマト様達は、考えているんだろうがな」
「カダル……」
「だからリネ、まともに相手なんか、してやることはないぜ」
吐き捨てるような言い方にさすがのアーヒラも怒りを覚えたのか剣に手を掛け、怒鳴った。
「表に出な、カダル」
それを聞き、膝をついていたカダルは立ち上がろうとしている。リネは咄嗟にそれを抑えた。
「聞こえなかったのですか。もう一度言います。山を血で汚すことは許されません!」
リネは耳を貸さないと思ったが、叫ばずにはいられなかった。
「こいつとは……アーヒラとはいつか、やらなければならなかった」
「駄目っ」
「いい、から」
後ろから支えているリネの腕が、カダルによって外された。
「俺はイスマイールの次期部族長。カルマトの暴走は、止める」
カダルは自分の意思で戦おうとしていた。
もう二人の争いは避けられないのか? リネは絶望的な思いにかられながらもカダルが立とうとしているのを黙って見ていた。
たぶん。
たぶん二人には二人の事情があるのだ。
リネはヤーウェのこと交易で表面上しか知らない。カルマト、イスマイール、ドルーズの独立した三部族からなり、持ち回りでイマームという代表者をやっていることくらいしかわからない。
珠洲の村でも人間関係は色々複雑だ。国を捨てた者、国に捨てられた者、背景はそれぞれだ。干渉されるのを嫌がるかと思えば、手を貸さないと生きられない。村でもそうなのだから、国規模でなると、もっとややこしいことは想像できる。
二人に口出ししてはいけない。カダルとアーヒラは自分達で未来を選ぶ。
「……」
暗黙のルールにリネは目をつぶり、一歩引いた。
それを合図のようにカダルとアーヒラは動いた。
集会所の前は、村の行事が出来るように平らにしてある。それは山の恵みに感謝した祭りであったり、行商に出る前に集まったりする。主に祝いを兼ねた行事のためだ。
先日もゴッドラムへ行く前に酒盛りをした。ささやかながらも飲んで、無事に終わるように話し合った。笑って笑って――その場所で今、決闘が行われようとしている。
石を運び草を刈り、木々を倒し苦労して平地にしたこの場所で。
ヤーウェの民は円陣を組み、カダルとアーヒラを囲っている。村人はその少し後ろに脅えるように固まっていた。
ただリネと長老は決闘を見届けよと言わんばかりに最前列に立たされている。
「戦いは何も産まんじゃろうて……」
長老のつぶやきが聞こえた。
「丸腰では何だろ、カダル。誰か剣を貸してやってよ」
アーヒラは円陣で囲っている兵に声を掛けた。
すると横から、まるで取り決めてあったように剣が投げ入れられる。しかしその剣はアーヒラ達が腰に挿している火竜の背びれで作られた頑丈なものではなく、細く短い、十五センチほどの剣だ。
「……あからさまだな、笑うよ」
カダルが口を歪めた。
「うーん悪いね、これしか予備がないんだ」
「そりゃどうも」
二人は軽いやり取りをしている。
しかし空気は反対に濃密さを増したようだ。ぴりっとした痛みが混じっている。
カダルがその中で剣を手にした。それまで肩で息をしていたのに剣を手にした途端、微動だにしないのはさすがだ。
「……」
お互いが無言で出方を探っている。
武器や防具からするとアーヒラが断然有利なのに攻めてこないのは、それだけカダルを認めているということなのだろう。
じりじりと間合いを狭めるが、睨み合いは続く。
樹木から洩れ出た陽は長い影を作ろうとしている。
カダルに勝機はないようだったが、重い鎧のような胸当てがない分、カダルは素早く動ける。つまり一歩が大きい。優位に立てるとしたらそこだろう。
「早く勝負をおつけ、アーヒラ」
長い間動かない二人に業を煮やしたのかシーアが高い声で叫んだ。
するとそれが合図のようにアーヒラが踏み込んできた。
それをカダルは読んでいたかのようにかわす。そして大降りをした剣を引き戻している間に後ろに回り込んだ。
しかし回り込んだだけで、近づけない。近づけない限りはカダルの短剣ではアーヒラに傷を負わせることはできない。
リネは唇を痛いほど噛んだ。
そう――この戦いは何も産まない。長老の言うとおりだ。
村に選択肢は始めからない。押しかけ、武器を持たない村人を脅す。それだけだ。この決闘にカダルが勝とうと、カルマトは残りの兵で口を塞ぐだろう。結局、カダルは殺され村は合併させられる。
「……」
わたしにも力があれば。リネがそう考えていた時、カダルは地を蹴った。
高く飛び、切り下ろす気だろう。
一か八かの賭けだ。
キーンと硬い音が響く。
カダルの短剣はアーヒラの剣によって防がれた。
それだけではない、あまりに重量が違うせいか、ぶつかり合った短剣はカダルの手を離れ、くるくると宙に舞った。
「ちっ」
カダルは着地と共に間合いを外し横に逃げた。が、勝負はついたも同然だった。カダルには武器も防具もない。
アーヒラがニヤリと笑った。
「あーらら、飛んじゃったね、剣」
「……貸してくれたのに悪いな」
「いいよ、そのくらい」
アーヒラは舌でゆっくりと唇を舐める。そして自分の剣先をカダルに向けた。
「じゃあ行くからねえ」
「……」
「――引き分けです」
リネは二人の会話に割って入った。
何ごとだ、と二人も円陣を組んだ兵もいっせいにリネを見る。
ざわざわと風がさわいだ。
「この勝負、引き分けです」
リネはもう一度大きく叫ぶ。
「良いですね、アーヒラさん、そしてシーアさん」
偶然が味方したということだろうか、カダルの剣はリネの足元近くに飛んだ。全員、勝負の方に気を取られ、剣の行く先に気をとめる者はいなかった。
リネは周囲のヤーウェ達を見回し、冷静に口にする。
「ここからは村が仕切ります。この山を汚す行為はここで終り。引き分けと見なします」
リネの首から血が流れた。
リネは自分の頚動脈に落ちた短剣を当てている。
カダルが息を飲むのがわかった。
これで二度目だ、と思う。前はアリウスだった。でも今回は自分の意思だ。リネは強く思う。弱者には弱者の戦い方がある。
「ヤーウェはデンジャーの毒消しが欲しい。その万能薬を創れるのはわたししかいない。これでおわかりですね」
カダルと出合った時に、子供を助けた。一人増えると、翌年は村人が一人亡くなる。みんな陰では脅えている。
ならば自分でも良いではないか。山を汚すことになるが、それならば許してもらえるだろう。
「……やるわね、お嬢ちゃん」
ややあってシーアが口を開いた。
「珠洲の村にも骨がある子がいるのね。現実から逃げてばかりいる村だと思っていたわ」
シーアは状況を読むのが早かった。カダルとアーヒラに向かって大きく拍手をする。
「引き分け。引き分けよ。決闘は日を改めてするわ」
シーアは高らかにヤーウェの民に宣言した。
「あはは。良かったねえ、カダル」
「……うるせえ」
アーヒラも剣を収め、手を叩く。
しかしカダルは体力を使い果たしたようで、その場にうずくまったままだった。
「だけど、わかっているでしょうね、お嬢ちゃん」
シーアはリネに向き直り、言った。
そう、状況は何も変わらない。決闘は終わらせたが、村に武装した兵が何人もいる。リネひとりの命ではどうにもならない。
「わかっています」
リネは答えた。
「そう、じゃあ話は早いわ。村を代表して長老とあなたにヤーウェに来てもらう。それでいいかしら」
「人質、ですか」
「あら、場所を変えての話し合いよ」
シーアの声はどことなく勝ち誇り、嬉しそうだった。
リネは俯き、短剣を離した。
血のついた短剣は小さく音を立てて転がる。ひどくあっけない幕切れだ。リネはカダルを見て、力なく微笑んだ。
タエが心配したのか、すぐにタオルを首筋に当てに飛んで来た。
「それと――ユグノーとかいう娘さんいる?」
シーアは兵達を集めながら言った。
「えっ、あ、はい」
後ろで遠巻きに決闘を見ていた中からユグノーは手を上げる。
「珠洲の村にいるから保護して欲しいってゴッドラムからの手紙にあったの。それが承諾の印なんだって。悪いけどあなたもヤーウェに来てくれる?」
「……はい」
ユグノーにも断る選択肢はない。それが村よりももっと危険な場所だったとしても、命の保障がないとしても断ることはできない。ユグノーは青ざめながらも小さく首を縦に振った。
遠くで鳥の声がする。
山はただ人間達を静かに見ているだけのようだった。
読んでいただきありがとうございました。
アクション書くのはヘタですが、好きです。




