聖地より
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
紗華の花は微風にも関わらず大きく花弁を揺らす。それはまるで子供がイヤイヤをしているようにも見えた。
大勢の村人を警戒している。リネは花がおびえているのが痛いほどわかった。空気を通して震えている。
「大丈夫――大丈夫だから」
ゆっくりとリネは池の傍に近づいてゆく。
池にリネの黒い髪が映った。
「わたしは薬をつくりに来ました。向こうで横になっているのは病人です。時間がありません。どなたか薬になってくれる花はありませんか?」
リネは静かに呼びかけた。
焦ってはいけない。急がすような物言いになれば心を閉ざしてしまうだろう。
「あの……どなたか」
いつもなら紗華の花は何輪かが答えてくれる。しかし今回は押し黙ったまま身動きひとつしない。しかし拒否というのではないような気がする。花は真っ直ぐにリネを見て目を逸らそうとしていない。
まるで紗華がリネを試そうとしているようだった。
「彼は珠洲の村に――この山に必要な人です。穢れのない真っ直ぐな人。これから人として道しるべになるやも知れません」
リネはただ無反応の花に語り続けた。
「彼はヤーウェ人です。しかし珠洲の村や山のために動いてくれています。我々はそれを誠実さで返したい」
リネは山に登ってくる途中、カダルが何を教えに来たかを聞いた。自分の国に不利になるかもしれないが、珠洲の村のことを思って行動してくれたのだ。村のことはすなわち山にも通じる。山が無理に開拓されるのを防ごうとしてくれているのだから。
「お願いです。薬になって下さいませんか。わたしに摘まれては下さいませんか」
リネは祈るように口にした。カダルに残された時間はあとどれぐらいだろう。
『それがどうした。ヤーウェは我々の敵になろうとしているのだろう』
どこからか声が頭の中に響いて来た。
紗華の意思だ。
「確かにヤーウェはこの山を開き研究所を建てようとしています。しかし彼――カダルはそれを止めようとしているんです」
リネは花がもうすべて知っていることに驚いたが、つとめて冷静にカダルの立場を説明した。
「みなさんももうおわかりでしょう。人として、いえ、山に生きる者として彼を死の淵に追いやるわけにはいかない。山は我々に聖地を許した。彼は敵ではありません」
『……』
花は沈黙した。
花が沈黙とはおかしな表現だが、池の淵に咲く紗華達は深く考えるように頭を垂れ、静まり返っている。
時間がない。
デンジャーの毒は三十分で全員が亡くなるという。ここまで登って来るまでかなり時間をかけてしまった。滝の水でも限界がある。
「――お願いします。薬になって下さい。彼は大切な友人。カダルを助けて!」
リネは堪らず叫んだ。
今までのことが思い浮かぶ。初めて会った時、カダルは混血がタブー視されていることすら知らなかった。自由に生きることが普通な世の中にすると言ってくれた。二度目には内緒話をする仲になった。三度目でこの状態とは酷すぎる。生きるか死ぬかが掛かっているなんて。
「お願い……」
カダルを救いたい。
彼はこれからなのに。目の前で死を見たくない。薬師として、友人として、人間として彼を助けたい。
必死に呼びかけるリネの背中に虹の結晶が降りかかる。きらきらきらと光の粒が舞う。
『……』
『……』
『……わかった』
一番大きな花弁を持つ紗華の花がうなずいた。
『私を使うがいい。ただ、煎じている時間は彼にはもうないようだが』
「ありがとうございます」
リネは深く一礼をした。
確かに煮出している時間はない。花のエキスをどう取り出すかだ。そしてそれをカダルに飲ませるか。
おそらく秒単位でやらなければならないことだろう。
リネは花弁を水で洗い、手にした青い瓶の中に入れ、急いでカダルの元へ駆け寄る。
カダルは白に近い土色をしていた。呼吸は微弱すぎるのか確認ができない。タエの方を見ると泣きそうな目で顔を横に振っている。
「……」
だが迷う時間も惜しかった。
リネは躊躇なく青い瓶の中身を口に含む。そして紗華の花弁を噛み締める。
この方法で万能薬として成り立つかどうかはわからない。ただそれしか思い浮かばなかった。自分の身体を使っての合成など先例はない。いくら紗華と滝の水が使われていてもどう作用するかわからない。
賭け、だった。
「……」
戸板に寝かせられているカダルは微動だにしない。荒削りだが端正な横顔にいつもの覇気は感じられなかった。
リネはその横顔を上向かせるとカダルの身体に覆い被さった。そして唇を合わせる。
砂の民らしく強い意志を持つ唇だ。それが今は乾いて紫色になっている。触れると哀しいほど冷たい。
しかし近くで見るとカダルの長いまつ毛が揺れているように思えた。
きっとまだ助かる。リネはそっと舌でカダルの唇を割り開いた。
生きて。
吐息よ、戻って。
リネは薄っすらと開いたカダルの唇から滝の水と花弁を流し込む。
祈りにも似た気持ちでリネはカダルに注ぐ。
唇から口腔へ、口腔から喉へ、身体へと繋がるように――深く、深く届くように。
熱よ、戻って。
手で頬から喉元を撫で擦る。上手く流れるように柔らかくそっと。そして強く激しく。
カダルの身体からは真夏の太陽の香がした。
眩しくて真っ直ぐだ。
リネは薬をすべて流し込んでもその唇からしばらく離れられなかった。
凍りついたままだったらどうしよう。せめて自分の熱を与えていたい。少しでも、せめて温もりが戻るまで。
リネはタエに肩を抱かれた。
「――もう、彼は……」
「駄目。あきらめることなんか、できない」
小さく首を振った。
彼はたぶん必要な人だ。ヤーウェでも珠洲でも――そしてゴッドラムでもきっと。そんな予感めいたものがある。だからタエが何を言おうとも信じない。彼は死んでなんかいない。
リネはカダルの胸にすがった。
「戻って、戻って来てカダル!」
『珠洲の村って、何かスゴいな』
違う。すごくなんかない。たった一人の病人も救えない。薬師なのに。薬師なのに救えない。
力を貸して山よ。
滝よ。
紗華の花よ。
――命を。
「カダル!」
リネが叫んだ時、強い風が吹いた。
突然の風にカダルの身体も大きく揺れる。
「っ、ふぅ」
風の音と共に、喉の奥に詰まっていたものが取れたような音がした。それと同時にまるでリネを風から庇うようにカダルの右腕が動く。
「カダル?」
そう、確かに動いた。今、カダルの右腕はリネの肩を掴んでいる。
「カダル!」
リネが再び名前を呼んだ時、今度は瞳が動いた。黒い切れ長な瞳だ。
「……奇跡だわ」
振り向くとタエが信じられないとため息をついていた。他の村人も我に返ったように喜びの声を上げる。
「やったぞっ」
「さすが山神様!」
カダルはその声に驚くそぶりを見せるが、まだ何が何だかわかっていないようだった。
「良かった、良かったわ」
リネはまだ自分がカダルにすがりついていたことを忘れていた。ユグノーに「もう大丈夫みたいだから解放してあげて」と声を掛けられるまでは。
「そ、そうね」
リネは驚いて身体をカダルから離した。確かに重いに違いない。
「ご、ごめんねカダル」
「……」
カダルはまだ言葉が出ないようだが、リネの顔を見て目を細めていた。
「リネさんって、素晴らしい薬師ですのね。お見事な救いっぷりでしたわ」
その時、ユグノーがリネに微笑んで来た。誉め方にやや棘を感じたが、お国柄だろう。カダルが息を吹き返したことは嬉しそうだ。
「え、ああ、どうも。きっとこの聖地でしか成しえなかったことだと思います」
「そうね」
ユグノーはそう言いながら、カダルの横に心配そうに立つ。彼女の指がカダルの頬に触れる。
「……だけど良かったわね。珠洲の村の大切な友人が亡くならなくて、ね」
「はい」
「……ゆうじん、がね」
リネはユグノーが何を意味して言っているのかはわからなかったが、間違ってもいないのでうなずいた。
リネはカダルを誰よりも大切な友人だと思っている。
「早く長老にしらせましょうよ。きっと朗報を集会場で待っているはず」
タエは咳をコホンとひとつつき、話題を変えた。
「そうね。長老も来たがったけれど体力が……」
「だから一刻も早くカダルさんの復活を知らせなきゃ」
明るい雰囲気に包まれた聖地は珠草が鈴の音を振りまき、蛍草が祝いの小さな花火のように灯りを点滅させる。
柔らかい空気が流れた。
「さあ、帰ろうぜ」
男衆が言うか早いか、後ろから早駆け専門の村人が現れた。
「?」
早駆けの男は尋常ではないほど汗をかいている。戸板を囲んでいた者達に緊張が走った。リネやタエも何が起こったのか、と顔を見合わせる。
「ど、どうしたんだ」
「――その、ヤーウェの国からカルマトの訪問団が着いた」
「ヤ、ヤーウェ……だって」
村人は顔が不安そうに顔を歪める。そういえばカダルが知らせに来てくれたのは訪問団に関してだった。とうとう来たのか。
「……な」
カダルは上半身を無理矢理に起こそうとした。それをユグノーが止める。リネはただ呆然と立ちすくむ。
「どうする?」
村人が声を慌てて話し合いを始める。しかしそれは早駆けの男に止められた。
「おい、長老様が今相手をなされておられるんだ。早く。早く帰って来てくれ。一方的に無理難題を、それで――」
早駆けの男は何か言われたのか唇を強く噛んでいる。
「長老様が?」
「あ、ああ。そうだ」
カダルが言っていた通りの話が持ち込まれているのなら大変なことだ。年老いた長老や居残った者達ではどうにもならないのだろう。
「すぐに戻ろうっ」
誰かが叫ぶと、同意の声が轟き、カダルを乗せた戸板がまた持ち上がる。
「カダルさん、しっかりして」
大きく傾いた戸板に乗るカダルの身体をユグノーが支える。
「動いては駄目。無茶はしないで。珠洲の村のことは珠洲の村が決めることだから気にしないでちょうだい」
「……」
まだ満足に口の利けないカダルは唇を強く結んでいた。
お約束の展開でした。
目新しさはありませんが、書いてみたかったという(笑)
一応、これはフアンタジーで恋愛絡みなのでこういうシーンも必要かな、と。
もちろんR15は守ります。
守りますとも。




