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珠洲の村・滝へ

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。

「よっ。お帰り」

「どうしたんです。顔色がありません。何を……」



 一瞬、リネには何が起こったのかわからなかった。

 誰かが息を飲む音、短い叫び、床の響きなどが重なり合う。振り向くとカダルが倒れている。

 リネはカダルを目にし、驚くこともできなかった。

 なぜ?

 どうしてここに? 

 頭の中が整理できない。いきなりすぎて混乱している。

 とにかくリネはカダルの元へと走り寄った。

 彼は身体をくの字に曲げ、喉を押さえている。近くには水筒が転がっている。

「……誰かには、はめられた、か」

「カダル、無理してしゃべらないで!」

 何を飲んだのかわからない。が、強い毒であることは間違いないようだ。

 カダルは大きく息を吸い込もうとして口を開けるが、それも叶わないようで、嗚咽(おえつ)のようなひくついた音を出している。

「カダル、カダルしっかりしてっ」

 リネはカダルを呼んだが返事はない。目だけが何か言いたげに瞬く。

 まさか――これがデンジャーなの?

 リネは一瞬ひるんだ。

 患者を診たことはないが、以前にヤーウェの人達から説明を受けたことがある。最強のサソリ毒で呼吸中枢をマヒさせる。人によるが、三十分後の致死率は百パーセントだと聞いた。

 リネは唇を固く結んだ。

「早く誰か戸板を!」

 リネは叫ぶ。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら。

「それと汲み置きの滝の水はありませんか。持って来て下さい」

 もしデンジャーならば万能薬しか効かない。滝の水は各家に汲み置いたものがあるが、紗華(しゃか)の花がない。花弁がないのだ。

「戸板を持って来た」

「この病人を薬師所へ運ぶのか?」

 珠洲(すず)の村人は先を争うようにカダルの身体を板の上に乗せた。カダルはぱくぱくと口を開け閉めしている。

「いいえ――滝へ」

「何を言っているの、リネ」

 汲み置きの水を持って来たタエが驚いたような声を上げた。

「滝まで三十分はかかるわ」

「万能薬を作るには絶対に花弁が必要。でも摘みに行って帰るのは時間的に無理です。だけど直接カダルを連れていけばなんとかなるかも知れない」

「正気なの、リネ。それに滝は人を選ぶのよ。霧に毒が混じって……無理だわ。私達でも入れないのよ」

「でもこのままでは死んでしまいますッ!」

 リネが声を上げると、タエも村人も口をつぐんだ。

 リネは無言になったタエから滝の水が汲まれた容器を受け取ると、カダルの口に含ませた。

「……飲んで。飲んでカダル。少しでも楽になるから」

 カダルはまだ意識はあるようで、咳き込むがリネの言うとおりにしようと身体をくねらせ、飲もうとする。

 この滝の水でどれだけの時間稼ぎができるかわからない。

「お願い。このままでは――このままでは。滝の(そば)までとは言わない。山頂近くまで運ぶのを手伝って。みんな、お願いっ」

 山道は険しい。リネ一人では無理なことはみんなわかっているだろう。しかし滝に近づけば毒の霧が発生する恐れがある。山は聖地なのだ。

「お願い、運んで」

 リネは集会所に集まったみんなの顔を見た。

 目を逸らす者、行っても無駄だとつぶやく者、俯いて唇を噛む者ばかりだ。ユグノーはただ震えて首を振っている。

「――わかりました。わたし一人で運びます」

 リネはカダルの髪を撫で、安心して下さいと口にすると戸板を手にした。

 たたみ一畳分ほどある板はそれだけで重い。その上にカダルが乗っているのだ、リネの力では持ち上げることすらできなかった。

 しかしリネはあきらめない。あきらめたらその時点でカダルは死ぬだろう。それだけは見たくない。

 戸板を持ち上げ、引き摺ろうとか細い手に力を込める。ほんの数センチ動く。集会所の出入り口に数センチ近くなる。繰り返す音が静まり返った部屋に響いた。

「――皆の衆」

 その時に長老の声がした。

「ここにおる男は珠洲(ふじつ)の村に誠実を示そうとやって来てくれた。ヤーウェの国を裏切ることになるやも知れんことを教えに来てくれた。わしらはその心に何を返す?」

 一瞬、すべての音が消えたようになる。

珠洲(すず)の村は誠実な人間を見殺しにする民じゃったか?」

 長老の声はおごそかに響いた。

 長老の問いはそこにいるすべての者の顔を上げさせた。

「……リネ手伝うよ」

 村人の一人がリネの持つ戸板に手を掛ける。

 すると無言で何人もの男達がそれに続く。

「滝の水、もう少し持って来るわ」

 タエが言うと他の女達も動いた。

「私にすることはない?」

「とにかく運ぼう」

「運びやすいように先に行って石をどけるわ」

 リネはありがとう、と一人ひとりに頭を下げた。泣きたいほど嬉しいが泣いている場合ではない。

「お礼なんていいのよ。リネはもう少しで不実になる私達を救ってくれたのだから」

「……タエ」

「カダルさんは滝へとみんなで運ぶわ。リネは着替えて来て。その服、さすがに山頂まで登るには不向きだから」

「ありがとう、ありがとう」

 リネはいらないと言われてもお礼を何度も口にした。




先導は草を刈り、枝を払い、石をどける。道なき場所に戸板分の幅を作る。

斜面をひたすら登り、急角度の場所はあえて避け、カダルの身体に負担が掛からない場所を選んだ。

滝へ連れて行くのは思いの他困難だった。足元が不安定な上、カダルは動けない。村人の助けがなければリネだけでは無理だ。それが今のリネには痛いほどわかる。命は意地だけでは救えない。

昔、長老は言っていた「半人前を自覚した時が一人前の入口」だと。リネは足を進めるその意味がわかった気がした。

「みんながいるから、半人前のわたしでも頑張れる……」

 こうやって一人前の薬師になっていくのだろう。

 リネは横になっているカダルを見つめた。

 山頂に近づくにつれ大気が水を含んで来るのがわかった。きっともう少しで着くのだろう。触れた部分がしっとりと潤んで、服が少し重くなる。

 足元の土にも水が混じり、下草に蛍草が混じり始めた。葉に露を乗せたような樹木も山頂特有のものだ。

「――霧が、出てきたな」

 誰かがつぶやくのが聞こえた。

 しかしカダルを運ぶ男達の足は止まらない。

 やがて周囲はゆっくりと白い布で覆われたようになっていった。

 視界が狭い。目前に木々の緑がふいに現れ、驚く暇もなく次の枝が前を塞ぐ。

 リネはカダルの横にいて口に滝の水を注ぐ。すると少しだけ息がまともになる気がした。土気色になった顔に黒髪が纏わり付いている。

「あと少し。あと少しだからね、カダル」

 霧は濃くなる。

 しかし不思議と毒の気配はない。神聖で、村人もまだ足を踏み入れたことのない場所なのに。拒む気配がない。

「お願い……このままで」

 リネは心の中で祈っていた。山の神に向かって祈っていた。草を刈り、枝を折り、山を傷つけてここまで来ました。だけどそれにはわけがあるのです。ここにいるカダルを救って下さい。彼は生きなければならない人です。

 リネは目を瞑った。

 すると水音がする。リネの耳に微かに滝の音が聞こえた。その音はリネを呼んでいるように思えた。


「――っ」


 視界が急に開けた。

 天に近い青の空が一面に広がっている。

 濃い霧は薄いベールを纏ったような色に変わり、天上の青を包んでいる。

 村人達は驚いたように目を見開いていた。

 霧の奥に微かに巨大岩を割って落ちて来る滝が見える。奇岩の先端は雲に隠れている。その滝には虹が大きく掛かっていた。

「これが――」

 村人が後ろで息を飲むのがわかった。

 空からの滝。山頂の奇岩、優しい深緑。吸い込まれるような青。

 霧は空からの光を反射し、虹をつくる。その虹は結晶となり地上に降っていた。

 地を見れば滝つぼから流れ出した水がゆるやかな曲線を伴いやや下の池に注ぎ、水辺の花は芳しい匂いで空気を染めている。

 深く清浄な世界はどこまでも透明であり、薄い霧は優しい色をしていた。

 まるで下界とは違った風景だった。

「――神の居ませる場所……」

 霧は毒ではなく、爽やかな水となり村人を癒しているように思えた。

 奇跡という言葉があるのなら、これがそうだろう。山は珠洲の村人を――カダルを受けいけてくれている。

 リネは口にこそださなかったが、山の神に感謝をした。

 しかしさすがにこれ以上みんなを進ませるのは危険だった。山頂には花も樹木も意思がある。慣れない大人数で押しかけてそっぽを向かれてはここに来た甲斐がない。

「みなさん、ここにいて下さい。わたしは紗華の花弁をいただきに参ります。急いで戻ってきますから」

 リネは着いてきてくれた仲間に言った。

「大丈夫よ、リネ。私がカダルさんに滝の水を含ませておくから。あなたは花に薬になってもらえるよう説得に集中しなさい」

 タエはリネの肩を押した。

「はい」

 霧に包まれた池の淵には紗華(しゃか)と呼ばれる花が群となり咲き乱れていた。柔らかい桜色をしている六枚の花弁が揺れている。

「すぐに戻るわ、カダル……」

 リネの頬に風が流れ、その風で紗華(しゃか)の花がいっせいにこちらを向く。

 花は村人が大勢で押しかけたせいか少し神経質になっている気がした。


読んでいただきありがとうございました。


短編連作は経験ありますが、長編のましてやファンタジーでやるとは今更ながら無謀な挑戦だな~と思います。

でも全力で書き切りますね。


次回は……はっきり言って鉄板のお約束。

想像してください。

はたして私に書けるでしょうか(笑)



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