珠洲の村・毒
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
カダルは荒い息を吐きながら肩を上下させた。身体はかなりキツイが、口は言葉を紡ぎ止らない。
「リネ、リネはいるか? 話さなきゃならないことがたくさんあるっ」
カダルは集会場に入ると、周囲を見渡しながら、がくりと膝をついた。
急いだせいで、かなり疲れているらしい。
「……リネはいないのか?」
長老達は黙ったままだ。
「大丈夫ですか?」
カダルの肩に手をかけ、心配そうに寄り添ったのは意外にもユグノーだった。一番扉に近かったこともある。が、珠洲の村人から浮いて居たたまれなかったためかも知れない。ユグノーはカダルに労わりの視線を投げ掛けて来た。
「あんたは……」
カダルは紅い目と白い髪をしたユグノーを不思議そうに見つめる。
「私はユグノーと申します。ゴッドラムの次期王になるはずだったネストリウスの娘です。アリウスの魔の手から、ここ珠洲の村に逃げて来ました」
「……?」
「どうやらお探しのリネさんはアリウスが拉致したらしいです。あのアリウスですから彼女は何をされているか」
ユグノーは目を伏せ、顔を横に振りながらため息をつく。その姿はカダルの不安を駆り立てるには充分だった。
「リネは拉致されているのかっ?」
「まだ決まったわけではないですわい」
長老は静かに答えた。
「何かの間違いかも知れません。どちらにせよ救いの手は打ってありますし、過剰な心配はリネのためにならないと思います」
ユグノー横にいたタエも冷静に言う。
「しかし――」
「それよりどうしてここまで来たんじゃ、カダル。リネに会うためだけか?」
「そ、それは」
タガルは長老の問いに言葉に詰まった。
ヤーウェの国にはカルマト、イスマイール、ドルーズの三部族がありそれぞれ考えが違う。革新派ともいえるカルマトは珠洲の村との約束を反故にし、毒サソリ、デンジャーの研究所をこの地に建てようとしている。また、それだけではなくリネをカルマトの嫁として迎え入れ珠洲の村を吸収合併しようとしている。
そんな理不尽で一方的なこと、どう説明すればよいのか。
「俺は、珠洲の村が好きだ。だから何があっても味方だと思って欲しい」
カダルはまずそれを伝えた。
「そしてリネも……立派だと思う。みんなのことを考えて辛くても辛いと言わない……尊敬している――だから」
ここでカダルは一息つく。
「誰も不幸にしたくない。したくないんだ」
村人はお互いを見つめ、そしてカダルを見つめた。
「わかった。カダル。あなたを信んじて話を聞こう」
長老が髭を撫でながらゆっくりとうなずく。カダルは覚悟を決めて口にする。
もしかしたらリネに一番聞かせたくない内容だったかも知れない。リネがいないのは幸いなことだ。カダルは無理矢理自分に言い聞かせた。
巻き込みたくない。自分達の部族闘争に。珠洲の村を、そしてリネを。山の神と称えられ、同時に蔑まれてきた民達を自分達の都合で動かしたくない。
話しているとカダルの頬に汗が流れた。
いや、汗ではなかったかも知れない。
語る間中、カダルは自分の無力さを感じていた。守りたいのに守れない。
『なんつーか、自由に行き来して自由に恋愛して自由に生きることが普通だろ。俺はそれできる場所にいつか変えてやる』いつかそうリネに言った。しかし何もできていない。口ばっかり育ったガキだ。
挫折感に襲われ、カダルは語り終わった後、村人すべてに深く頭を下げた。下げ続けた。
すまない。
すまない。
「頭を上げて下され」
長老はカダルに告げた。
「事情はわかりました。カダル、あなたの誠実さに珠洲の村を代表して感謝しますじゃ」
「――長老……」
「しかし山が許さない限り、研究所は無理ですじゃ。リネも嫁には出せませぬ。我々はヤーウェの民になることもありませぬ」
「カダルさん、山を甘く見てはいけません。ヤーウェの人達は山自体に意思があることを知らないんです」
長老の後にタエが言葉を添えた。
「山の意思?」
「ヤーウェは砂漠があるからわかるでしょう。砂嵐も風も思うとおりにならないことが。見えない掟みたいなものがあるんです。ここ、山では人間が自然に逆らっては生きられません」
「では研究所は?」
「我が物顔で人間が山を切り開くことは、無理でしょう。山の怒りはちっぽけな人間を飲み込むに十分です」
カダルはタエの言葉に納得した。自然は人間よりもでかいし、恐ろしい。ヤーウェも身にしみてわかっているはずだ。そう言えばカルマト達も納得するような気がした。
「わかりました。もうすぐカルマトの訪問団が来るでしょう。俺がそのことを説明します。珠洲の村に迷惑はかけません」
カダルは言い切った。
研究所が建たなければ珠洲の村を吸収することもリネを嫁にする話もなくなるだろう。あんなチャラいアーヒラなんかに嫁がせてたまるものか。自分だったらいざしらず……。
ここまで考えてカダルは頬が赤らむのを感じた。耳まで熱い。心臓の鼓動が早くなる。
「それで、あの、話は戻りますがリネは――」
カダルがリネについて聞き出そうとするとユグノーが遮るように話しかけて来た。
「カダルさんは立派なんですね。国を思う気持ちも珠洲の村人のことを思う気持ちも両方持ち合わせていらっしゃる……」
「え、ああ、当たり前だし」
「まあ、謙遜なさって。そんな人がゴッドラムにいればまた事情も違っているでしょうに」
ユグノーは伏し目がちにしながらもカダルの方を何度もちらちら見ている。何か声を掛けて欲しいのだろう。
ユグノーは上品で控え目、優しいがお嬢様な印象がある。事実、お姫様だと言っていた。きっと蝶よ花よと育てられたのだろう。今は粗末な服を着ているが、シルクのドレスに包まれるのが似合いそうだ。カダルはなんとなく苦手意識を感じた。
「だからリネは――」
カダルは長老達に向かって再度声をあげた。
「調査中ですわ。父のしもべであるクエーカーが当たっております。命をとしても救うと思いますわ。だから心配しないで」
ユグノーは満面の笑みを浮か、話を取った。
「……」
カダルは長老の方を見る。
長老はユグノーの言葉にうなずいている。つまり先走るなということか。
確かにカダルは何もできない。拉致されたと聞いても動けない。カダルはこれから珠洲の村に来る訪問団に対応しなければならない。あのリネが危機を知っても村を離れられないのだ。
カダルは村のことが片付いたらゴッドラムに向かおうと決心した。
「リネ……」
その時だった。集会場の扉がわずかながら開いた。小さな風がその隙間から吹き込む。
「――あの、ただ今戻りました」
聞き覚えのある声だ。
「リネ!」
「リネか?」
村人達は声を上げる。
「どうしたんだ、大丈夫なのか。何かあったのかと心配しておったぞ」
長老は嬉しさ半分、驚き半分で扉の前に迎えに出る。
「ご心配おかけしました。わたしは大丈夫です」
恥ずかしそうな、それでいてきっぱりとした物言いはまぎれもなくリネだ。
カダルもすぐに声を掛けようとした。しかしユグノーに遮られてしまった。
「まあ、あのアリウスから逃げてこられたなんて。クエーカーもなかなか優秀だわ。誉めてやらなければ」
「クエーカー? ああ、あの時に襲い掛かって来た人ですね」
リネは珠洲の村の服装ではなかった。淡い桜色のロングスカート、リリーホワイトの上着を身につけている。優しい色の組み合わせは少なくとも拉致されていたようには見えない。
「襲う? クエーカーはあなたを助けたのではなかったのですか?」
「あ――ええ、そうですね。目的はわたしを助けるためだったと思いますが……」
どうもユグノーとリネの会話は噛みあっていなかった。どうやらタエの叔父であるクエーカーはリネを直接助けたのではないようだ。
「では、どうしてあの非道なアリウスがあなたを殺さなかったの?」
ユグノーの問いにリネは微かに嫌悪感を抱いたのか顔を強張らせた。
「アリウスさんは、心のどこかで殺す自分を責めてらっしゃいます。わたしは彼に逃がしていただきました」
「嘘よ!」
ユグノーは鋭く叫んだ。
「本当です。アリウスさんは繊細で哀しい方です」
「違う。違うわっ」
リネとユグノーはだんだんと険悪な雰囲気を醸し出してゆく。
カダルは口を挟む隙がなく、ただ二人の言い合いを眺めているしかなかった。
「……あ、そうだ水を」
カダルはリネの顔を見てホッとしたのか、喉が渇いていたことを思い出した。必死の登山や長老達への説明などで喉はカラカラだ。カダルは持って来た袋から水筒を取り出した。
「あの、お水なら持って来ます」
タエは飲もうとするカダルに声を掛けて来たが、カダルは「いいからいいから」と断った。山の入口で使用人が持たせてくれた。これがあるのに気を使わせるわけにはいかない。
カダルは水筒の水を一気に飲み干した。
一気に。
その途端、身体に違和感をおぼえた。胃がキリキリと痛い。脂汗がじんわりと滲み出てくる。
「……?」
気持ちが悪い。吐きたい。でも飲み込んだ水は身体中を駆けめぐっているようだ。
音を立てて水筒が転がる。
カダルは小さく呻くと、身体を二つ折りにし、床に倒れこんだ。
「――カダル?」
「カダルさん」
リネもユグノーもカダルを振り向いた。
リネは今、カダルに気がついたのか驚いた顔をしている。
「よっ。お帰り」
カダルはリネにやっと声を掛けられると笑った。しかしその笑いは力なく、声は弱々しいものだった。
「どうしたんです。顔色がありません。何を……」
リネが動転している。なんだかそれが自分に関してだと思うとカダルは嬉しかった。
「リネ、カダルさんは水筒の水を飲んだ途端こうなったの」
タエは混乱しながら説明している。
リネは床に落ちている水筒を手に取ると、顔を近づけた。そして薬指を残っていた水に浸け、舌で舐めた。
「これはっ」
「どうしたの、リネ」
「毒――かなり強い毒が混入されていた可能性があります」
リネは断言した。
……毒……
カダルにはデンジャーしか思いつかなかった。
そういえばこれを渡した使用人は顔見知りではなかった。父もそんなに気がつく男ではない。と、いうことは。
「……誰かには、はめられた、か」
「カダル、無理してしゃべらないで!」
「……」
言われなくても、唇は小刻みに震え、もう言葉を出すことは出来ない。
良く似合ってるよ、その服も。リネに伝えたいが息をするのも苦しい。
カダルは目を瞑った。
リネの呼ぶ声が遠くで聞こえる。
読んでいただきありがとうございました。
最初は端役扱いだったユグノーが、なんか暴走を始めました。
ちょっと困っています(笑)
でもこれ幸いとカダルに絡んでいただこうかと思いました。
三角関係よりドロドロになりそうな気がして怖い……




