珠洲の村・中立
この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。
カダルは角度のある地面に幾度も足を取られながら進んだ。早く早くと心が叫んでいるが、焦りすぎて前に進めない。まだ陽の上りきらない空に火竜の爪で引っかいたような月が浮かんでいるが、その月にすらワケのわからない苛立たしさを感じる。
「とにかく急がないと」
カダルはぐっと足に力を込めた。
カダルはヤーウェの者が研究所を建てようとしていること、村を取り込もうとしている動きがあること、などを珠洲の村に知らせに走っている。
「まだカルマト達出発はしてねーみたいだし」
ヤーウェの先発隊よりも先に珠洲の村に着き、部族会で決まったことを伝えたい。カダルを突き動かすのはその気持ちだった。
部族会議後、カダルは二日間父と話をした。食事も満足に取らず話し合った。
デンジャーの毒は強力だ。創るのには時間がかかる。珠洲の村は協力を約束してくれた。しかし最終的に結論は自国で出さねばならない。これは今までカダルが何度も語った内容だ。父ともほぼ同じ意見と言っていい。
ただどこからが〈協力〉でどこからが〈無理強い〉になるのか。そこが違っていた。
カダルは研究所を珠洲の村に建てる自体が暴力的に感じている。高い山で狭い道とくれば建てるための資材も人間も村の力がいるだろう。だからヤーウェの民にしてやるというのは強奪し居直る強盗のように見えるのだ。
父はヤーウェの不安を取り除くのが長の務めだと考えているらしい。
「じゃあ親父はカルマトと同じ考えなのか」
「違う」
「どこがだよっ」
「誠心誠意頼んで建てさせてもらう」
カダルと父は完全に一致はしなかった。ただ父はカルマトに同意せず、カダルを否定もしなかった。「平等かつ公平でなければならない」と真顔で言い切った。
この頑固ジジイ、とカダルは腹の中で毒づく。
しかし気持ちがわからなくもない。
「で、さっき説明したカルマトの毒殺疑惑なんだけど」
カダルはひとまず研究所のことは置いておき、マラクに聞いたキターブの話をした。
父は眉を寄せ、低い声でうなっている。
「デンジャーが増えたといってもエサはまだある。人間を襲っても喰っている様子はない。奴らは遊びで殺さない。つまり――」
「だから?」
「たまたま踏んだとか、そんな言い訳が立つような人数じゃねーって実はわかっているんだろ」
「……」
「カルマトは研究所を建てるのにも熱心すぎる」
カダルは握りこぶしをつくり、何度も怒鳴った。部屋の外まで筒抜けだろう。使用人はさぞ困っているにちがいない。
カダルが動けばカルマトとイスマイールが対立関係を深めるだろう。
「――行け」
「え?」
「正式なヤーウェの訪問団はまだだ。その前に実は明日、カルマトの先発隊が珠洲の村へ発つと、報告があった」
「そんな……」
「だから『行け』だ。行って今のヤーウェの国のあるがままを伝えるんだ。イスマイールとカルマトの対立もドズールの傍観も。そしてできれば哀れなヤーウェの民を見捨てないでくれと頼んで欲しい」
「……」
協力を仰ぐのは民の総意として止められないようだ。しかしカルマトの暴走ならばまだなんとかできるかもしれない。カダルが珠洲の村の味方になって話をすれば民になれなんて馬鹿なこと言い出さないかも、いや言い出せないようにできるかもしれない。
カダルは黙って立ち上がった。
そしてカダルは今、父、イスマイール代表として高い〈神の山〉を登っている。肩に下げた袋には入口で使用人が届けてくれた水と食料が入っている。
いつもそんな心遣いはしないくせに。
なんだかそれは父の心意気の表れの気がした。
「おっしゃー、もう一息っ!」
カダルは大きな声を出した。
珠洲の村は標高千五百メートルほどの場所にある。急いでも半日掛かかるだろう。
その珠洲の村では亡命をして来たユグノーについてちょっとした論争が起こっていた。来る者は拒まずの姿勢は大切だが、他国のゴタゴタを抱え込むのは困る、という派とあくまで人道的に物事を考えようとする一派だった。
ユグノーはしきりに薄汚れたロングスカートを手で揉んでいる仕草をしていた。
村の集会所は広いといっても二十人入れば一杯だろう。外気を遮るだけの木の板や下に敷く御座など粗末な中での集会に、ユグノーは居たたまれなさそうに座っている。
「問題はリネがまだ帰って来ないということだ」
「彼女は優秀な薬師だからな。いてもらわないと困る」
「まったく、ゴッドラムも都合の良い時だけ利用して」
概ね意見はユグノーに冷たかった。
「まあまあ、ここはひとつクエーカーさんの報告を待ちましょう。彼はリネを取り返してくださると言っておった」
長老はこほんとひとつ咳払いをした。集会所の空気は途端にピン張る。
「ユグノーさん、わしはあんたに同情をする。あんたもまた捨てられた人間じゃからじゃ。皆も彼女のせいでどうのとは思わんで欲しい。リネとこのユグノーさんがどう関係しているかなんてまだわからんのだし……来る者拒まずの精神を思い出して欲しい」
集会所は針が落ちた音さえ聞こえるような沈黙に覆われた。
「じゃが、悪いがどちらを取るかと聞かれたらリネを取ることになると思う――タエの顔を立ててやれなくて悪いが、村を守るのがわしの務めじゃで」
長老が頭を下げるとタエはわかりましたと言うようにうなずき、ユグノーは顔を陰らせた。
「あ、その、ユグノーさん、リネが連れ去られた理由は本当にあなたにもわからないの?」
タエは彼女の背に手を当て、話しかけた。
「ごめんなさい。父を殺され縁談を強要され、もう何がなんだか。頭が真っ白になって……クエーカーがいなければアリウスに良いようにされていたと思うの」
「アリウスってどんな人?」
タエはユグノーに尋ねた。ユグノーが村に来たわけはもう説明されている。ユグノーは運命にながされた悲しい女性だとも思う。
だが、国という枠組みで考えるとどちらが正しいという判断はつきかねた。
「アリウスは野心家だと思うの。生まれに卑しい血が入っているから地位に執着しているのかもしれない。父ネストリウスも何を考えているか読めないと警戒していたわ」
「……そうなの」
ユグノーの言葉にタエも、たぶん集会所にいるすべての者も微妙な反応をするしかなかった。
卑しい血。
そのセリフを村人は何度苦い思いで聞いたかわからない。
混血だというだけで、一歩引かれる。
何が悪いのか、同じ人間ではないか。
たぶん、みんなそう叫びたかっただろう。それをしなかったのは長老がユグノーに〈あんたもまた捨てられた人間〉だと言ったからだ。捨てられた者は恨みも僻みもする。それはよく村人もわかっている。
それでも珠洲の村は基本中立だった。山の神に場所を与えられ存在している。ゴッドラムにもヤーウェにも組しない。村人はそんな珠洲に誇りを持っていた。
「酷い男よ。タエさんはそう思わない?」
ユグノーはすがり付くようにタエに質問をして来た。だが、タエは答えられない。
「あのね、良いとか悪いとかじゃない。好きになっても嫌いになってもいけないの。我々珠洲の村は」
「わからない……」
ユグノーがつぶやいた。
その時だった。
「――ちょっと、ここ、開けてくれーっ」
扉越しに荒い呼吸の音と怒鳴り声がした。
「靴がいっぱい脱いである。誰かいるんだろ。俺はヤーウェのカダルという者だ。前にこの村を訪ねたこともあるっ」
カダルだった。
読んでいただきありがとうございます。
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