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珠洲の村・リネ

この作品は完全オリジナルで、特定の宗教、国は関係ありません。



大気は水で満ちているようだった。


 二千メートル近い山は、常に霧を纏っている。その中にひときわ目を引くのが、巨大岩を割って落ちて来る滝だった。ほぼ中央の山頂に位置し、奇岩の先端は雲に隠れている。そこから、流れ出でる水は〈奇跡〉と呼ばれ、文字通り飲んだ者に奇跡をもたらすといわれていた。

 岩肌はごつごつしているものの、水の流れ落ちる場所は滑らかで、滝はいつの時期も緑に囲まれている。淡い黄色の新芽から濃い深緑の葉までどの季節も豊かな水と草木を有し、山に座していた。

 リネは露を乗せている花弁を指で、滝の水を青い瓶に汲んだ。そして瓶を胸ポケットに入れる。服装は布染草で薄紫に色づけしたものを前で打ち合わせ、ゆったりとしているが、手足首できっちりと結ばれていた。

「……紗華(しゃか)の花も今が盛りね」

 リネは誰に言うでもなくつぶやく。

 ゆっくり見渡すと腰までの髪が揺れた。

 水は滝つぼから緩い流れになって下の池に注いでいる。その池の淵には紗華(しゃか)と呼ばれる花が群となり咲き乱れていた。柔らかい桜色をしている六枚の花弁(はなびら)が、外に向かって赤く色づき。優しい印象だが、それはれっきとした毒草だった。

 リネは花弁(はなびら)と葉を摘み、それぞれ腰に下げた別の籠に入れた。

「リ、リネ、急ぎ長老が薬を、と」

 後ろで大きく草を分ける音がしたと思うと、五十代半ばの男が息を切らし四つん這いになっていた。

 山頂はただでさえ空気が薄い。その上、この山の霧は相手を選ぶ。緊急とはいえ、この男は足を踏み入れた以上、ただでは済むまい。彼はリネと同じく黒髪に紅い目をしていた。

「どういう症状なのですか?」

 リネは男を心配しつつも、薬を届ける相手のことを考えた。

「五歳ぐらいの子供です。ずいぶん衰弱しております。何日も食べていないようで。熱も少しあり、脱水症状がでています」

 ああ、まただ。

 リネはそっと目を伏せた。

「水分の補給を。さっき採った滝の水があるので、飲ませて下さい。他の薬は私が処置して急ぎ持ち帰ります」

 リネは手持ちのガラス瓶を男に渡すと滝つぼに戻った。紗華(しゃか)の花弁はこの滝の水を使うと万能薬となる。

「そうとなれば急がなきゃ」

 リネは村で薬師(くすし)をしていた。まだ十七才の少女だったが、神聖な場所に立ち入りを許されている。

 ――毒は薬、薬は毒。苦しまず逝くには根を煎じて、狂わしく逝くなら葉を煎じて。

 紗華の歌だ。

 ――そして救われたいなら花弁を

 リネは紗華(しゃか)の花に向かって言った。「薬になっていただけますか? お願いします」

 その気持ちが通じたのか一輪の花が風もないのに揺れる。

「……ありがとう」

 リネがその紗華(しゃか)の花弁を滝の水に浸すと白く変った。

 薬は毒を薄めたものであることが多いが、万能薬はこの水でしか作れない。それも滝に選ばれた薬師(くすし)しか調合できない。作り方は簡単に見えるが、滝や花の意思が影響している。この村には十人の薬師(くすし)がいるが、作ることができるのはリネだけだった。

「それにしても今年に入って三件目」

 リネは長いまつげを震わせた。

 子供が山に捨てられるというのは、今に始まったことではない。

 リネ達の住む山を境に東に海を持つ王国があり、西に砂漠を臨む国がある。両者は見た目も生活も極端に違う。山があるため、交流が少なかったせいだろう。独特の文化を持っている。

 片や海という資源に恵まれ、貿易の盛んな王政国家ゴッドラム。もう一方は砂に囲まれ、地下資源の豊かな部族集団ヤーウェ。あえて似ている所をあげるとすれば、お互い仲間意識が強く排他的なところがあり、相容れぬといったことか。

 結局、国を超えた愛に目覚めた者や、できた子供を育てられなった者は〈山〉に捨てにやって来る。

 大人は駆け落ちという手段で。子供は放置というやり方で。

 リネはその子供の一人だった。幼い頃の記憶はない。置き去りにされたのは、まだ生後半年と聞く。

 罪悪感からか〈山に捨てる〉は、いつしか〈山の神に返す〉と伝えられるようになり、特別の宗教は持たないが、山の民はすべて神〈神の子〉と呼ばれた。

 海の民は総じて色素が薄く、砂漠の民は濃い。リネ達のような混血児は黒髪に紅い目という両方の特徴を備えた顔をしていた。

「その子も無事に育ってくれれば良いけれども……」

 山で生き残るのは――自然の中で身を立てるのは生半可ではなかった。



 リネが村に戻ると長老が待ち構えたように出迎えてくれた。

「ご苦労だったね」

「いえ、仕事ですから。それより子供は?」

「男の子でね、なんとか滝の水で眠っている。どうやら一晩、神木の元にいたらしい。まだ熱が高い」

「肺炎かもしれませんね」

 山は朝と夜の気温差が激しい。へたをすれば凍えて亡くなるだろう。子供は木の下でずっと待っていたのだ。両親が迎えにくることを願って。

 そう考えると胸の奥がチリっと痛んだ。

 もうこの子は親に会えない。

「いえ……彼のご両親はきっと我々に子供の未来を託したんだわ。わたしが落ち込んでいてどうするの」

 リネ達、山の民は普段は標高千五百メートルほどの地点でひとつの村を作っていた。

 家の材質はほとんど木で、大黒柱となるものをいくつか建て、四方を板で囲んでいる。屋根はチガヤ、スゲなどを使った萱ふき。中は蔦の一種をなめし、編んだ絨毯が敷き詰められ、粗末ながら寒さと湿度に耐えられるよう作ってある。

「――子供の様子はどうですか……え?」

 居間に入ってリネは驚いた。

 寝かされている子供の横に見慣れない男が座っている。看病をしていた老婆はリネに気がつくと頭を下げたが、黙ったままだった。

「……あ、あなたは?」

 リネは男に向き直って尋ねた。

 年齢は二十代前半だろうか。陽に焼けた肌と目に強い光を持つ青年だ。髪と目は黒。砂避けのマントやターバンを着けていることを除いても砂漠の民であることはひと目でわかる。

「用事で通りかかった。ガキが倒れていたからびっくりした。あちこち声を掛けて救いを求めたら、ここに連れて来られた」

「そうですか」

 リネはおそらく貿易だろうと思った。砂漠の民は〈塩〉を。海の民は燃料である〈鉱石〉をそれぞれ補い合っている。

「俺の名はカダル。カダル・イスマイール。珠洲(すず)の村は初めてだ」

 鋭い眼光を放つ男は名を名乗った。思ったよりも低く、よく通る声だ。

「ようこそ」

 ここは〈珠洲(すず)の村〉と呼ばれている。国とは認めてもらっていない。名前の由来は、おそらく滋養強壮に良いとされる珠洲(すず)の花が名物だからだろう。薬の行商や、街道沿いで旅人に向けて売っている。神聖な山や滝を有する珠洲(すず)の村には紗華(しゃか)の他にも色々と薬になるものがあるのだ。

「わたしはリネです。珠洲(すず)の字では『利音』と書きます」

 言葉は海も砂漠も元々共通だ。これは遠い先祖が同じだった証だろう。珠洲(すず)の村はその混血が住んでいるのだから言葉は当たり前に通じる。ただ、文字は長い時間のせいか、微妙に違った。

「この村で薬師をしております。この度は子供を連れていただきありがとうございました」

「は? 礼を言われることはしてない。服装を見ればヤーウェ――砂漠の民だということはわかる。同族を助けるのは当然だろう」

「いえ。子供は黒髪に赤い目だとか。それだけでここにいる民になります。同胞を助けていただきありがとうございました」

 リネはもう一度礼を言った。

 たぶんこの男はわかっていないのだろう。両方の血を持った子供が山でしか生きていけないことを。この子は捨てられたということを。

「う……まあ、どちらに属してもいい。なんとか治して欲しい」

「大丈夫です」

 リネは紅い頬をし、息苦しそうに肩を上下させる子供に向き直った。そして木の器で起用に薬を含ませた。

「今のは?」

「万能薬です。熱もじきに下がるでしょう」

「そんなものがこの村にあるのか?」

 彼の口調には『こんな粗末な場所に』という意味がある気がした。

 リネはちょっとムッとくる。

「ありますよ。外の方は知らないだけで」

「他には?」

「え……そりゃ大抵の薬は。万能といってもすべてに効くわけではないので、それぞれの症状に合わせて色々と。奇跡の水もありますし大抵のものは治せます」

 リネは口にしてからしまった、と思った。

 村の掟では聖地のことを他国の人間にしゃべってはならないとされている。外とは揉め事が起きないよう、二重、三重にも用心しなければならないという意味だ。

「……」

 リネは思わず口を押さえた。

「奇跡の水に万能薬か。山には神様が住んでいると教えられたけど」

 しかし相手は単純に驚いているだけのようだった。少しぶっきらぼうな物言いだが案外素直なのかもしれない。

「そ、そうです。神様の場所です。だから、あの、簡単には手に入りません」

「じゃあ苦労して手に入れたんだ」

「は、はい」

「このガキ、早く良くなるといいな」

 カダルと名乗った青年は微笑み、横になっている子供の髪をそっと撫でた。心なしか子供の息が落ち着いたようだった。

 リネはその姿を見て少しホッとした。もちろん子供の状態のせいだが、このカダルという青年は一見怖いが、どこか人を安心させる所がある。

「それでよー、このガキ、身体が治ったらしばらくこっちで面倒みるのか? 俺ができることなら何でも言ってくれ。迷惑なら連れて帰るし」

「……どうも」

「迷子なんだろ。親が心配してるんじゃねーか?」

「いえ、たぶん違うと思います」

「違うって何が?」

 リネが言いよどんでいると老婆が「外で話しとくれ」と唇に指をあてた。

 確かに病人を前にしてすることではない。リネはカダルに外に出るように促した。

 外はもう陽が傾き、茜色に染まっている。東にはもう星が瞬き始めていた。

「で、さっきの話なんだけど」

 口火を切ったのはカダルだった。

「あいつ、迷子じゃないのか?」

「こんな山奥ではぐれるのは珍しいでしょう。いなくなったら探しに来ます。道は一本なんですから」

 砂漠と海の国を結ぶ山は人が四人並んで歩く程度の道しかなかった。それも急斜面で子供には不向きだ。街道も休憩所は最低限しかない。

 二国が戦争らしい戦争をしたことがないのは地理的な問題が大きいとされている。

「もしかして……捨てられたのか?」

「もしかしてではなく、絶対と言っていいほどの確信を持って」

 リネは静かに目を閉じた。

「むしろ親は今までよく育てたと思います。ヤーウェで他国との結婚は認められていますか?」

「ああもちろん。いや、でもそんな話は聞いたことがないな。ヤーウェ人で紅い目も初めて見た。紅い目は珠洲(すず)の村特有だと教えられていたからまさか」

 カダルの言葉を聞くとリネは小さくため息をついた。

「たぶん海の――ゴッドラムの人達も同じだと思います。しかし現実的に両国は交流がある。交わりがある所には恋愛もあるでしょう。それなりの人々もいると思います。だけれども噂になることはない」

「なぜだ? 考えたこともなかった」

珠洲(すず)の村に逃げ出して来た人の話では、秘密裏に家庭を持つしかないそうです。見つかればすぐに消されるとか。それも親類縁者までです。だからみんな隠すのに必死になります。あの子の親はたぶん離れて暮らし、地下室で育てていたのでしょう。それが何らかの事情でできなくなった……」

 この場合、消されるというのは結婚をなかったことにされるというのではない。存在そのものをなかったことにするという意味だ。

「まさかそれで、この村に」

「はい。元々、黒髪に紅い目というのは混血の印なのです。我々は積極的に受け入れています」

 ヤーウェ人の髪と瞳は黒。

 ゴッドラム人の髪は白、瞳は赤。

 混血はタブーとされ、忌み語として口にするのをはばかられている。珠洲(すず)の村全体がそうであることは公然の事実だが、ヤーウェもゴッドラムも黙っている。

「タブーだと言ってもみんな真実を知っている。知らないということは教えられなかったから。カダル、あなたはきっと大切に育てられて来たのですね」

「この年で世間知らずと言いたいのか」

「いいえ。言葉通りです。知らないならその方が幸せかもしれません。わたしも半分ヤーウェの血が混じっています。その血に誓って世間知らずなんて思っていません」

 リネがそう告げるとカダルはふっと目を逸らせた。

「そういえばあんたも紅い……」

 カダルが言葉を止めた。リネには何が言いたいかわかった。

 彼なりの配慮があるのだろう。

 カダルは優しい人だ、そうリネは思った。

「――て、やるよ」

 ややあってカダルは口にした。

「えっ?」

「そんな差別なくしてやるって言ったんだ」

「……」

「あー、なんかヤーウェだとかゴッドダムだとかごちゃごちゃ言うの嫌いなんだよな俺。部族の偉いサンも上でウダウダ煩いし。そーいう人間って小さくねーか?」

 カダルは暮れてゆく空を見つめていた。

「小さい?」

「ああ。ちっちぇー器だ。だから考えることもちっちぇー。なんつーか、自由に行き来して自由に恋愛して自由に生きることが普通だろ。俺はそれができる場所にいつか変えてやる。いや、戻してやる。だってそれが真っ当なことだから」

「それは……」

 リネは戸惑った。

 朝起きて食事をして病人のために薬を作って村の仕事をし、夜を迎える。そんな一日しか送って来なかったのだ。

 誰かの為に何かをする。これは当たり前だ。しかしそれは村以外の人々まで広げて考えたことはない。

 だけど、不幸にも捨てられる人々のことを思うと、はたしてそれだけでいいのだろうか。初めてリネの中に疑問が生まれた。

 何をして来たのだろう。何ができるのだろう。

 負の連鎖を止められることなんてできるのだろうか。ただの薬師(くすし)に。

「でも本当に変えられたら……」

 子供が親と暮らせる国。

 それを真っ当と言い切ったカダル。

「幸せでしょうね」

「あの星に誓ってやるよ」

 カダルは、梢の隙間から見え隠れしている星を指さす。

 リネは曖昧にうなずくしかなかったが、目の前の男ならなぜかやってくれそうな気がした。

「これ、さしあげます」

「ん?」

「さっき使った薬。色々な症状に効きます」

 リネは青い瓶に入った白い花弁をカダルに渡した。

「これは〈奇跡の水〉。漬しているのは紗華という花です。二、三分で良いのです、これごと煎じて飲めば解熱・解毒から体調不良まで効果があります。ためしたことはありませんが、大抵のことは治ると語り継がれています」

「万能薬って、作るのは難しいんだろ」

「確かに滝は自らの意思で霧に毒を含ませています。花もまた薬師(くすし)を選び、誰でも作れるというものではありません。でも……あなたは新しい世界を創るんでしょう。一つくらい必要です」

 どうして急に門外不出の薬を彼に渡そうなんて思ったのかわからない。

 ただリネは信じてみたかった、カダルの何かを変えようとしている意思を。そして自ら酔ってみたかった、夢物語に。

 だから。

「だからもらって下さい」

「――ありがとう……」

 カダルはリネを真顔で見、一礼をした。




読んでいただきありがとうございました。

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