【1話】新米冒険者ミナ・オルセ
あなたは冒険者だ。
まだ名を上げた英雄ではない。
革鎧は新しく、短剣の柄はまだ手に馴染んでいない。
それでも今日、ダンジョンへ潜った。
初めての冒険で、地図の見方が分からずに迷ってしまった。
そして、焦り始めたあなたの前に。
あるはずのない扉が現れる。
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海に囲まれた、温暖な孤島がある。
最も近い陸地へ向かうだけでも、船で数か月はかかる絶海の孤島。
小さな森と、手入れの行き届いた田畑。
白い砂浜と、どこまでも続く青い海。
そこにあるものは、たった一人のためだけに整えられていた。
神具。
神が作りし、店の形をした魔道具。
それは、ある女性の名を冠した魔法道具店であり、同時に、彼女を世界から遠ざけるための箱庭でもあった。
魔法道具店ラウンレイフィ。
神は、彼女を見捨てなかった。
終わらない静寂。
死ぬことすら許されない身体。
そして、世界から切り離された不老の魔法道具職人。
そんな彼女と、彼女を知らぬ世界とを繋ぐため、神はひとつの接点を作り上げた。
「ようこそ、魔法道具店ラウンレイフィへ」
穏やかな声が、静かな店内に響く。
銀色の髪。
赤色の瞳。
年のころは、十代の後半から二十代の前半に見える、美しい女性だった。
彼女の姿を映しているのは、宙に浮かぶ小さなクリスタル。
それは、この店に備えられた配信用の魔道具であり、遠い世界に向けて店内の様子を映し出す、奇妙な窓でもあった。
「私の名前はラウンレイフィ。長いから『レイ』と呼んでください」
:レイさんきた
:開店助かる
:今日も声落ち着く
:ラウンレイフィって名前きれい
:確かに長いw
:レイさん呼び了解
:初見です、ここが噂の異世界AI配信?
:初見さんいらっしゃい
:AIなのかCGなのか未だに分からないやつ
:概要欄に「魔法道具店です」しか書いてないの好き
:今日も店番配信?
:後ろの棚、前より物増えてない?
:カメラ目線が自然すぎる
:レイさん、今日は何作るんですか?
「今日は、これを作ってます」
ラウンレイフィ――レイがクリスタルに向かって手を振ると、視聴者に分かりやすいワイプ(画面の分割や小窓)として、手元が映し出されて固定される。
大きさは手のひらサイズで、薄いアクリルのような板に、先端に光が浮かんだ羽ペンで細かい模様を刻んでいる様子が映し出される。
撫でる度に、ピリピリと、あるいは僅かな引っかき音が配信されていく。
:作業音が良いんだよな、この配信
:寝落ち用に来ました
:同接31人、今日は多い?
:海外勢です。翻訳ありがとうございます
:翻訳の精度だけ企業レベルなの何
:映像も企業レベルなんだよなぁ
:でも企業ならもっと宣伝するでしょ
:この小規模感がいい
:魔法道具店の常連になりたい
:レイさん、初心者でも買える道具ありますか?
:異世界ごっこ始まった
:いやこの配信はそういうノリで見るものだから
:今日もまったりで助かる
:それは何?
「これは、カードスペル。使い捨ての魔法を発動する為の魔道具。そちらの世界にも、似たものはありますか?」
今作りだしたものとは別に、無地の板に少ない文字をさっと書いて、それを発動させて見本を見せる。
異世界風に、意味は『光れ』と書かれた板は、淡く光り輝いてその場に浮いていた。
:使い捨て魔法カード、名前だけでロマンある
:こっちだとスクロールとか魔法の巻物枠かな?
:カードゲームならある
:ゲームの魔法カード?
:陰陽師とかの護符とかお札に近いかも
:花火とか発煙筒も近い?
:こっちの世界だと魔法は発動しないんですよ
:レイさん、こちらの世界には魔法がありません……
「魔法が無いのに、世界中の人が『配信』を見られる世界なのですね」
:言われてみればそう
:魔法ないけど通信技術はあります
:科学という名の魔法です
:インターネットはだいたい魔法
:遠くの人と話せる箱を全員持ってます
:こっちの世界、魔力はないけど電気が強い
:魔法なしで配信できるの逆に異世界感あるな
:レイさんから見たらスマホの方が神具っぽいのか
:科学文明ルートの異世界です
:魔法がない代わりに、みんな小さい板で世界と繋がってます
「こっちの世界でも『科学文明』というのは、過去の文献にありました。でも、魔力で全てが代替可能な世界なので発展してません」
至って真面目なレイに対して、みんなが『ロールプレイ』で返す。
:魔法文明ルートと科学文明ルートの分岐だ
:つまりこっちは魔力なし縛りプレイ世界?
:こっちは見えないものを無理やり数式で捕まえた世界です
:魔法文明は個人差、科学文明は再現性ってイメージある
「『炎よ』」
レイは手のひらに、小さな炎を灯す。
近くにあった紙を炙ったり触れてみても、燃え移ることなく、しかし、離れた場所にあった燭台へ押し出すように飛ばすと、先端に炎が灯った。
改めてレイが燭台に紙をかざすと、それは勢いよく燃え上って灰になった。
:え、紙が燃えない?
:でも燭台には火がつくのか
:対象指定タイプの魔法?
:炎なのに選択式なの面白い
:物理法則じゃなくて「燃やす対象」を指定してる感じ?
:今のめちゃくちゃ魔法っぽい
:こっちの火と違うんだな
:紙を炙って燃えないのに、燭台の火では燃えるの怖い
:つまり「ファイア」は火を作る魔法じゃなくて、炎という現象を呼ぶ魔法?
:フレンドリーファイア防止機能ついてそう
:魔法の解釈で挙動変わるやつだ
:これ、科学文明側の人間が理解しようとすると脳がバグる
「これが、私たちの世界で『科学』というのが発達しなかった理由です」
:火なのに火じゃない
:燃えるという結果だけが後からついてくる感じ?
:今の実演、切り抜き確定では
:コメント欄が考察勢だらけになってる
:魔法文明、思ったより感覚寄りだ
:でも燭台に火を移す動作はめちゃくちゃ綺麗だった
:俺たちでも、魔法って使えたりするのかな?
レイは目に留まったコメントを考える。
異世界配信という現象が成立してるから、異世界でも魔法が存在するはずだが、それが失伝しているなら理由があるはずである。
「皆さんは、息を吸って体に空気を取り込む方法を『医学』ではなく感覚で説明できますか?」
:無意識すぎて説明しろって言われると難しい
:吸って吐く、くらいしか言えない
:肺を動かす……いや肺って勝手に動いてる気がする
:魔法もそれくらい感覚的なものってこと?
:呼吸を理論だけで覚えろって言われたら無理だな
「……?」
その時、カウンターの端に置かれた小さな鈴が、かすかに震えた。
店の扉は、まだ開いていない。
だが、どこか遠いダンジョンの奥で、入口が繋がろうとしている。
:ん?
:今なんか鳴った?
:来客?
:コメント消えるやつだ
――扉が開いた。
入ってきたのは、泥だらけの少女だった。
革鎧は擦り切れ、膝には新しい傷がある。
衣服には所々、黒ずんだ染みがあり、短剣を握る手は震えていた。
けれど少女は、それを隠すように顎を上げた。
「……ここ、冒険者ギルドの出張所ですか?」
配信では、人物紹介のテロップが流れる。
神の権能により、来店した者のプロフィールが暴かれる。
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ミナ・オルセ
名前:ミナ・オルセ
種族:人間
年齢:16歳前後
職業:冒険者見習い/斥候志望
現在抱えている問題
低級ダンジョンで道を間違え、仲間とはぐれている。
帰還石も壊れており、自力で戻る手段がない。
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「お店……?」
棚に並んでいるのは、どう見ても商品だった。
護符。小瓶。短杖。魔石灯。革袋。折り畳まれた外套。
中には、ミナの月収では到底買えそうにない魔法剣まである。
だが、だからこそ意味が分からなかった。
ここは、初心者向けダンジョンの浅い階層のはずだ。
少なくとも、こんな店があっていい場所ではない。
「いらっしゃいませ。魔法道具店ラウンレイフィへようこそ」
「魔法道具店……? ダンジョンの中に、ですか?」
「正確には、店の入口が、世界各地のダンジョンにランダムに繋がっています。ただし、おかえりになる際は、元いたダンジョンの階層に繋がります」
「……えっと」
ミナは、眉を寄せた。
「世界各地のダンジョンに、ランダムに……?」
言葉の意味は分かる。
だが、理解は追いつかなかった。
ダンジョンの中に店があるのではなく、店の入口だけがダンジョンに現れる。
そんな話、冒険者ギルドの講習では一度も聞いていない。
「つまり……ここから出れば、ちゃんと元のダンジョンに戻れるんですか?」
「はい、そのとおりです。ですがその前に、まずは武器を納めてはいただけますか?」
そこでミナは自分が武器を構えたままな事に気付いた。
鞘に仕舞うと、目の前の女性は椅子を指して座るよう促されたので、直前までの緊張から解放された事で正常な判断ができず、椅子に座って向き直る。
本来、いまだダンジョンから急に見知らぬ場所へ転移したという異常事態の最中であるはずなのに。
ミナは目の前の女性からは、敵意がまるで感じられなかったので、ひとまず安心した。
それどころか、ミナが座るのを待ってから、カウンターの向こうで小さな布を一枚取り出している。
「浅い傷なら、こちらで血を止められます」
「え、あ、いえ。これくらい平気です」
反射的にそう答えてから、ミナは自分の膝に視線を落とした。
革鎧の隙間から見える足には、細かな擦り傷がいくつもある。走っている途中で転んだ。ゴブリンから逃げた時、岩で引っかけた。覚えているものも、覚えていないものもある。
痛みはあった。
けれど、それを認めるのは、なんとなく負けた気がした。
「血が落ちると、床の掃除が少し大変ですので」
「す、すみません!」
ミナは慌てて足を引っ込めようとした。
すると、レイは困ったようでもなく、ただ穏やかにポーションを染み込ませた治癒布を差し出してくる。
「商品です。使うかどうかは、お客様が決めてください」
「……商品」
その言葉で、ミナはようやく自分の置かれている状況を少しだけ理解した。
ここは、店だ。
少なくとも、目の前の女性はそう言っている。
助けられる場所ではなく、買い物をする場所。
そう考えると、不思議と少しだけ落ち着いた。
「先に言っておきますけど」
ミナは腰の小袋を押さえた。
「あまり、お金は持っていません。駆け出しなので」
言ってから、しまったと思う。
駆け出し。
慌てて言い直そうとしたが、レイは特に気にした様子もなく頷いた。
「物々交換も受け付けています。壊れた魔道具や、採取した素材でも構いません」
「壊れた魔道具……」
ミナは少し迷ってから、腰袋の奥に入れていた小さな石を取り出した。
掌に収まる程度の、淡い青色の石。
ただし、中央には大きなひびが入っている。
なぜかそれを使うと、ダンジョンから抜け出すことのできるダンジョン帰還石という名称の道具。
「帰還石です。壊れていますけど、魔石の欠片くらいにはなると思います」
レイの視線が、その石に向いた。
「帰還石が壊れているなら、帰り道に困っているのですね」
「困ってはいません」
ミナは即答した。
即答してから、声が少し強すぎたことに気づく。
「ただ……予定より、少し時間がかかっているだけです」
カウンターの上に置かれた帰還石は、ひび割れたまま沈黙していた。
言い訳をしているのは、自分でも分かっていた。
仲間とはぐれた。
地図は役に立たない。
帰還石は壊れた。
それでも、助けてくださいとは言いたくなかった。
冒険者になったばかりで、斥候志望で、道に迷って、助けを求める。
それではあまりにも、情けない。
レイは何かを追及することはなく、カウンターの上に一枚のカードを置いた。
先ほどまで作っていたものより簡素な、薄い札のような魔道具だった。
表面には、細い線で小さな模様が刻まれている。
「では、こちらを」
「これは……?」
「道標のカードスペルです。使い捨てで、効果は半日ほど、自分の目指す場所と安全な方向を示します」
ミナは思わず身を乗り出した。
「出口まで案内してくれるんですか?」
「いいえ」
レイは静かに首を横に振った。
「出口まで連れていく道具ではありません。危険の少ない方向を示すだけです。迷宮の状態や魔力の流れによっては、遠回りになることもあります」
「……万能ではないんですね」
「はい。万能ではありません」
その答えは、妙に信用できた。
何でもできると言われるより、できないことを先に言われた方が、ずっと店らしかった。
ミナはひび割れた帰還石と、腰袋に残った硬貨を見下ろす。
それから、採取した薬草の袋も取り出した。
「これで、足りますか?」
銀貨と銅貨が数枚。
薬草が少し。
壊れたダンジョン帰還石。
新米冒険者が差し出せるものとしては、それがほとんどすべてだった。
「今回に限り、それで構いません。取引成立ですね」
そう言って、治療用の布と、1枚のカードを差し出す。
「使い方は、魔力を流すだけで大丈夫です。あとは出口を目指したいと願ってください」
「分かりました」
「それと、こちらを」
レイはもう一枚、小さな紙片を差し出した。
カードスペルよりもさらに薄く、ただの札に見える。だが、端には小さな文字がいくつも並んでいた。
「これは?」
「商品の説明書です。道標のカードスペルは、使用者の願いに反応します。ですから、慌てている時に使うと、うまく方向を示さないことがあります」
「慌てている時に……」
「はい。怖い、逃げたい、早く帰りたい。そういう気持ちが強すぎると、道ではなく、ただ近くの安全地帯を示す場合があります」
ミナは息を呑んだ。
今の自分が使えば、まさにそうなりそうだった。
「使う前に、深呼吸をしてください。それから、何を目指すのかを決めてください」
「……出口を目指す」
「はい。それで構いません」
レイはそこで、少しだけ視線を落とした。
「ただし、仲間を探したい場合は、出口ではなく仲間を思い浮かべることもできます」
ミナの指が、カードの端をぎゅっと掴んだ。
「仲間の場所も、分かるんですか?」
「正確な位置ではありません。あくまで方向です。それに、相手が強い結界の中にいたり、別の階層へ移動していたりすると、反応は弱くなります」
「……それでも」
ミナは小さく呟いた。
「それでも、何もないよりは、ずっといいです」
その声は、さっきまでより少しだけ素直だった。
レイは頷き、治癒布を示した。
「先に傷の手当てをしてください。痛みがあると、判断を誤ります」
「これくらい……」
反射的に言いかけて、ミナは口を閉じた。
さっきと同じことを言おうとしていた。
平気ではない。
痛いものは痛い。
怖いものは怖い。
それを認めたところで、今さら誰かに笑われるわけでもない。
「……使います」
ミナは治癒布を受け取った。
膝に巻くと、布に染み込んだポーションが淡く光り、傷口に冷たい感触が広がる。
「っ……」
思わず肩が跳ねる。
けれど痛みはすぐに引いた。
完全に治ったわけではない。だが、血は止まり、歩くには十分だった。
ミナがポーションを見るのは初めてだった。
「すごい……」
呟いてから、ミナは慌てて顔を上げた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
レイはそう答え、カードスペルをミナの前へ滑らせた。
「店を出た後、すぐには使わないでください。周囲を確認してからです」
「はい」
「短剣を抜く必要があるなら、抜いて構いません。ただし、走りながら使うのは避けてください。落としそうなので」
「……落としません」
言い返したミナの声は、少しだけ弱かった。
レイは何も言わなかった。
その沈黙が、逆に恥ずかしい。
「一度だけです」
レイは改めて告げた。
「このカードは、一度使えば効果を発揮しますが、半日で消えてなくなります。途中で迷っても、二度目はありません」
「分かっています」
ミナはカードを両手で受け取った。
薄い札なのに、不思議と重く感じた。
命綱。
そんな言葉が頭をよぎる。
「……あの」
立ち上がろうとして、ミナは足を止めた。
「この店には、また来られるんですか?」
自分でも、なぜそんなことを聞いたのか分からなかった。
ここは奇妙な店だ。
ダンジョンの中に突然現れる、意味の分からない場所だ。
けれど、今のミナには、外の暗い通路よりもずっと安全に思えた。
「初めての来店は、運です」
レイは答えた。
「ですが、縁があればまた繋がることもあります」
「縁……」
「はい。冒険者には、そういうものも必要でしょう?」
ミナは少しだけ目を伏せた。
冒険者に必要なもの。
剣の腕。地図を読む力。魔物の知識。仲間との連携。
そして、運。
今日の自分に残っていたものがあるとすれば、きっとそれだけだった。
「……次に来る時は」
ミナはカードをしまい、背筋を伸ばした。
「ちゃんと、お金を持ってきます」
「お待ちしています」
レイは穏やかにそう言った。
ミナは小さく頭を下げる。
それから扉へ向かった。
来た時と同じ扉。
けれど、今はその向こうに何があるのか、少しだけ分かっている。
元いたダンジョンの階層。
暗い通路。
まだ見つかっていない仲間。
ミナは扉の前で、一度だけ深呼吸した。
その手は、カードスペルを入れた腰袋をしっかり押さえていた。
扉の鈴が、からん、と鳴る。
ミナ・オルセは、もう一度ダンジョンへ戻っていった。
「……あの人の名前、聞くの忘れた」
背後には既に行き止まりの壁しかなく、ミナは迷うことなく歩みを進めた。
――その一方、見送ったレイは、ひびの入った帰還石を、指先でそっと転がした。
表面に刻まれた帰還用の術式。
その中心を、細い傷が断ち切っている。
自然に割れたというより、内側から無理に力が走ったような壊れ方だった。
「……少し、妙ですね」
ぽつりと呟く。
その瞬間、宙に浮かんでいたクリスタルが淡く光を取り戻した。
店内から客の気配が消えたことで、配信のコメント欄がレイの視界に戻ってくる。
:おかえり
:接客終わった?
:女の子大丈夫そう?
:今の子、完全に迷子だったよね
:強がってたのかわいい
:いや普通に危なかったのでは
:道標のカードスペル?
:あの帰還石ってやつ壊れてたの気になる
:テロップの情報量やばかった
:神演出だった
:いや今の子、演技うますぎない?
:店から出るとコメント戻る仕様すき
:レイさん、今なに見てるの?
レイはクリスタルへ視線を戻した。
手のひらには、ひび割れた帰還石が乗っている。
「お客様はお帰りになりました」
いつもと変わらない穏やかな声。
けれど、レイの指先は帰還石の傷をなぞっていた。
「ただ、この帰還石の壊れ方は、少し気になります」
:壊れ方?
:落として割れたんじゃないの?
:ダンジョンで転んだとか?
:ゴブリンに殴られた?
:帰還アイテムが壊れるの普通に怖い
:初心者用の命綱じゃん
「帰還石は使い捨てです。使えば割れます。ですが、持ち運びの途中で簡単に壊れるものではありません」
レイは帰還石を軽く持ち上げた。
クリスタルがそれに合わせ、手元を大きく映す。
淡い青色の石。
中心に走るひび。
その内側で、魔力の残滓がかすかに濁っている。
「強い衝撃で割れたのなら、外側から欠けます。けれど、これは中心から裂けています」
:鑑定回きた
:急に職人っぽい
:いやずっと職人だけど
:内部から壊れたってこと?
:魔力暴走?
:考察勢集合
「理由は分かりませんが」
レイはそう前置きした。
「これを購入した時点で、使用済みだったのではないでしょうか」
店内は静かだった。
窓の外では、穏やかな海が光っている。
ほんの少し前まで泥だらけの少女が座っていた椅子には、まだ微かな土の跡が残っていた。
レイは帰還石を小さな皿の上に置いた。
「運が良ければ、また会うこともあるでしょう」
:助けに行かないんですか?
:店主、落ち着きすぎ
:あの子まだダンジョン戻ったばっかりでは
:大丈夫かな
:カードスペル仕事してくれ
:ミナちゃん再登場希望
:名前出てたっけ?
:テロップに出てた
:あのテロップ毎回何なの
:プロフィール勝手に出るの怖いけど便利
:異世界AI配信、個人情報保護が終わってる
レイはコメントを眺め、少し首を傾げた。
「個人情報保護……?」
:そこ拾うの草
:今は気にしなくていいです
:いや気にして
:神様、その辺どうなってます?
:概要欄にプライバシーポリシー追加しよう
「神に確認しておきます」
:確認できるんだ
:できるの!?
:神に問い合わせる配信者
:サポート窓口が神
:この配信、たまに設定が強すぎる
レイは帰還石を作業台の端へ寄せた。
そして、先ほどまで作っていたカードスペルをもう一度手元に戻す。
細い羽ペンの先に、小さな光が灯った。
「では、作業に戻りましょう」
:切り替え早い
:いつもの
:今の流れで作業戻れるのすごい
:でも助かる
:作業音ください
:カードスペル続きだ
「先ほどのお客様に渡したものは道標用でしたが、これは私が使う戦闘用です。見せる機会があるかは分かりませんが」
レイは何事もなかったかのように、薄い板へ模様を刻み始めた。
:戦闘用?
:急に不穏
:見せる機会ない方が平和では
:でもちょっと見たい
店内には、また静かな作業音が戻ってきた。
ひっかくような、細い音が店内に戻る。
海は穏やかだった。
棚の魔道具は静かに光り、カウンターの端では、ひび割れた帰還石だけが淡く光っている。
今日の客は、もういない。
けれど、どこかのダンジョンで、ひとりの新米冒険者が前へ進んでいる。
魔法道具店ラウンレイフィは、今日も静かに営業していた。
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あなたは、仲間と合流できなかった。
仲間たちは、先に戻っていた。
だが、ダンジョンから脱出することができた。
収支は赤字。
失ったものは、帰還石と形ばかりの自信。
結論として、実力が足りなかった。
地図を読めなければ迷うし、道具を失えば生還は絶望。
仲間とはぐれれば、誰も助けてはくれない。
明日から、ミナ・オルセはソロの冒険者だ。
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セッション1:新米冒険者ミナ・オルセ
結果:生還。
依頼:失敗。
獲得:魔法道具店ラウンレイフィの記憶。
喪失:ダンジョン帰還石、薬草、仲間との信頼。
次回以降、ミナ・オルセはソロ冒険者として活動を開始する。
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