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灰と桜  作者: しろ
5/12

偶然の名前

その日は、やけに天気がよかった。


 理由もなく、世界が明るすぎると感じる日がある。


 あの夜から続く胸のざわつきを、空の青さが無理やり誤魔化してくる。


「今日さ」

 駅へ向かう途中、俺は唐突に口を開いた。

「うん?」

 彼女は、少し驚いたようにこっちを見る。


 最近の俺は、あまり自分から話題を振らなかった。


「いや、なんていうか……」

 言葉を探して、意味のない間ができる。

 それが嫌で、俺は一気に続けた。


「天気いいなって思ってさ。ほら、最近ずっと微妙だったじゃん。雨降りそうで降らないみたいな」

「急にどうしたの」

 くすっと笑われる。


「いや、ほら、こういう日は散歩とかしたくならない? 意味もなく。目的地ないのに歩くやつ」

「……翔って、そんなタイプだっけ」


 名前を呼ばれて、少しだけ心臓が跳ねた。

 それを隠すみたいに、俺は肩をすくめる。


「人は変わるんだよ。成長」

「それ、昨日も言ってた」

「嘘だろ」

「ほんと」

 彼女は楽しそうに笑う。


 その表情を見て、胸が少しだけ軽くなる。


 ——ほら、大丈夫だ。


 何も変わってない。

「そういえばさ」

 俺は止まらない。

 止まりたくなかった。


「最近変な夢見るんだよ。全然怖くないんだけど、内容が意味不明でさ。駅なのに学校だったり、夜なのに昼だったり」

「へえ」

「しかも毎回、誰かと話してる気がするんだけど、顔が思い出せないんだよな」

「それ、私じゃない?」

 

冗談めかして言われて、俺は少し慌てた。

「え、いや、そういうわけじゃ……いや、どうだろ。もしかしたらそうかも」

「どっち」

「……分からん」

 自分でも、何を言っているのか分からない。

 ただ、沈黙が怖かった。

 彼女は俺の様子をじっと見てから、少し首を傾げる。


「今日は、よく喋るね」

 図星だった。

「そう?」

「うん。いつもはもう少し静か」

「それは……あれだよ。元気なんだと思う」

「理由は?」

「……天気」

 彼女は吹き出した。

「なにそれ」

 笑い声が、耳に心地いい。

 その反面、胸の奥がきゅっと縮む。

 俺は、知りたくない。

 だから喋る。

 

考えないようにするために、言葉を重ねる。


「そうだ、今日帰りにさ、前に言ってたクレープ屋寄らない? あれ、まだ一緒に行ってなかったよな」

「え、覚えてたの?」

「一応な」

「じゃあ、行こうかな」

 彼女はそう言ってから、少しだけ間を置いた。

「……でも、あんまり遅くならないようにね」

「用事ある?」

 

聞いてから、後悔する。

 でも彼女は、すぐに首を振った。


「ううん。ちょっと、疲れてるだけ」

「そっか」

 

それ以上、聞けなかった。


 俺はまた、どうでもいい話を始める。

 最近見た動画の話。

 学校のどうでもいい噂。

 意味のない未来の話。


 彼女は、全部聞いてくれる。

 相槌を打って、笑って、否定しない。


 ——だから、余計に。


 この時間が、

 いつか終わるものだなんて、

 考えたくなかった。


 駅が近づく。

 人の流れが増えていく。


 俺の言葉は、まだ止まらない。

 止めた瞬間、

 考えてしまいそうだから。


クレープ屋は、駅前の通りから一本入ったところにあった。

 

甘い匂いが、通り過ぎる人の足を少しだけ遅くさせる。


「どれにする?」

 メニューを見上げながら、俺は聞いた。

「迷うね……」

 彼女はそう言いながら、しばらく真剣に考え込む。

 

その横顔を見ていると、さっきまでのざわつきが少しだけ遠のいた。


「じゃあ、私はこれ」

「お、王道」

「外れないでしょ」


 受け取ったクレープを、彼女は両手で持つ。

 一口かじって、満足そうに目を細めた。


「おいしい」

「よかったな」

 それだけの会話。


 さっきまで止まらなかった俺の口は、急に静かになる。

 

沈黙が訪れる。


 不思議と、さっきほど怖くはなかった。

 通りの向こうで、救急車のサイレンが鳴った。

 遠ざかっていく音。


 彼女は、ほんの一瞬だけ、そちらを見る。

 本当に一瞬。

 でも、確かに。

 俺は、その視線を見逃してしまったことを、

 あとで何度も後悔する。


「……ね」

 彼女が口を開く。

「なに?」

「翔はさ」

名前を呼ばれて、また胸が跳ねる。


「もし、すごく大事な選択をしなきゃいけなくなったら、どうする?」


 唐突な質問だった。


「え?」

 俺は、すぐに答えられなかった。


「例えば、だよ。正解が分からないやつ」

「……どうだろ」

 咄嗟に、冗談で流そうとした。

 でも、声が出なかった。


「その時にならないと、分かんないかな」

 絞り出した答えは、それだけだった。


「そっか」

 彼女は、それ以上何も言わなかった。


 クレープをもう一口食べて、前を向く。

 質問の意味を考えようとして、

 やめた。


 考えたら、

 どこかに辿り着いてしまいそうだったから。

 店を出て、再び駅へ向かう。

 人の流れが、さっきよりも多い。

 

駅前の掲示板に、

大きなポスターが貼られているのが目に入った。


    「臓器提供に関するご案内」


 文字だけが、やけにくっきりと見えた。

 俺は、足を止めかける。

 でも、止まらない。


 彼女は、気づいていないふりをしている。

 あるいは、本当に気づいていないのかもしれない。


 どちらでもいい。

 今は。

 改札が近づく。

「今日は、ありがとう」

 彼女が言った。


「うん」

「楽しかった」

 その言葉が、胸に刺さる。

 楽しかった。

 本当に?

 それとも、

 楽しかったことにしたいだけ?

 

 聞けない。

 聞かなかった。

 改札の前で、別れる。

 いつもと同じ。

 彼女が人混みに紛れていくのを、

 俺はじっと見ていた。


 胸の奥に、

 小さな名前が生まれる。

 偶然。

 たまたま。

 気のせい。

 そうやって、

 何度も塗り潰してきた違和感が、

 今度は消えてくれなかった。


 改札を抜けたあと、俺は一度だけ振り返った。

 当然、彼女の姿はもう見えない。

「……よし」

 誰に聞かせるでもなく、小さく声に出す。


 深呼吸をひとつ。

 なんだか今日は、やたらと立ち止まりがちだ。

 それが嫌で、俺は歩く速度を上げた。

 

 帰り道、コンビニに寄る。

 特に買うものは決まっていなかったけど、

 何か一つくらい、どうでもいい用事が欲しかった。


「これと……あ、あと肉まん」

 季節には少し早い気もしたけど、

 レジ横にあると、なぜか頼みたくなる。

 店員に商品を渡しながら、

 俺は頭の中でさっきの会話を反芻していた。


 ——大事な選択をしなきゃいけなくなったら。

 いやいや。

 急に哲学かよ。

 彼女はたまに、そういうことを言う。

 深い意味があるようで、

 実はただの思いつき、みたいな。


「はい、温かいので気をつけてください」

「あ、ありがとうございます」

 肉まんを受け取って、店を出る。

 湯気が、夜の空気に溶けていく。

 少しだけ、気持ちが緩んだ。

 考えすぎだ。

 本当に。


 人は、勝手に意味を見つけたがる。

 偶然を、物語にしたがる。

 ——俺は、そんなタイプじゃない。

 ……はずだった。


 家に着き、玄関で靴を脱ぎながら、

 スマートフォンをポケットから取り出す。

 画面には、さっきと同じ彼女の名前。

 特に新しい通知はない。


「……なんもない」

 当たり前だ。

 今日は、普通の一日だった。


 部屋に入って、机の前に座る。

 制服のまま、椅子に深く腰掛けた。

 スマートフォンを操作して、

 無意識に検索画面を開いている自分に気づく。

 指が止まる。


 ——調べる気か?

 いや、違う。

 ちょっと気になっただけだ。


 俺は軽く笑って、

 自分に言い訳する。

「……予習、みたいなもんだろ」


 何の予習なのかは、考えない。

 検索欄に、文字を打つ。

 すぐ消す。

 もう一度、打つ。

 また消す。


 我ながら、優柔不断だと思う。

 でも、

 気丈に振る舞うって、

 案外こういうことなのかもしれない。

 知らないふりをするんじゃなくて、

 大丈夫そうな顔をして、

 一歩だけ前に進む。


 スマートフォンを伏せ、

 俺は椅子から立ち上がった。

 今日は、ここまででいい。

 調べない。

 踏み込まない。

 でも。


「……明日、ちょっと寄り道しようかな」

 独り言みたいに呟いて、

 自分で少し笑った。


 偶然なら、

 もう一度くらい、

 会ってもいいだろ。


 そう思えるくらいには、

 俺はまだ、平気なふりができていた。

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